常識的なからだの形と実際の感覚には差がある。からだは頭と両手、両足の五体で構成されているが、キチンと立つと、ただ一つのものとしか感じられない。五体であってもつながっていることには違いないのだが、キチンと立てたときのからだは、頭・首・胸・腹…と明確に分けられなくなる。空気の入った風船のようでもあり、竹の筒のようでもある。またそれは形状だけでなく感覚的にも一つに揃う。全身のどの部位も同じ力(質)に感じる。たとえば右腕だけを動かしたとしても、右腕だけに力が入る感じがなく、全身を使っている感じである。動かした右腕と、動かさない左腕や足の質感に差がないのである。数値で測ったわけではないが、そのように感じるのである。
このような感覚を保ったままでからだを使うことができれば、おそらく部分的な筋肉疲労などを起こしづらいだろうし、からだの力を無駄なく発揮することができるだろう。
このような感覚を保ったままでからだを使うことができれば、おそらく部分的な筋肉疲労などを起こしづらいだろうし、からだの力を無駄なく発揮することができるだろう。