現実には無いものなのに、有るように見えることを「まぼろし」と言うが、有っても数が稀少なものもまた「まぼろし」である。それから「儚い(はかない)」ものも「まぼろし」と呼ばれる。
とはいえカゲロウの生命だけが短く、儚いのではなく、人の一生もまた儚く、「まぼろし」である。
陶淵明(以下、私の自由訳)
吾生夢幻間・・・私は夢、まぼろしの間に生きている。
人生似幻化・・・人生はまぼろしの化したもののようだ(化・・・変わる。化ける。)。
李白(以下、私の自由訳)
処世若大夢・・・この世にいるということは、大きな夢の中で生きているようなものだ。
人生は短く、儚いだけでなく、有るようで無く、無いようで有る「まぼろし」なのかも知れない。たとえ「まぼろし」でも十分、生きるに魅力的な場所である。