人はからだの調子が悪いとみぞおちが硬くなり「立ち方」が悪くなる。みぞおちの硬さが取れて柔らかくなると「立ち方」がよくなる みぞおちが硬くなると、呼吸が浅くなり不快になるが、みぞおちが悪いわけではない。みぞおちは硬くなってくれたのである。硬くなるから自覚できるし、処置のしようがある。そのように自分を守るために緊張しているものを、弛める必要があるのだろうか。みぞおちは必要な時には硬くなるべきなのだが、そうでもないときにも硬くしている人があまりにも多い。みぞおちを硬くするクセがついているのである。過剰な自己防衛態勢にあると言ってもいい。そういう場合には、意識的にみぞおちの力を弛めた方が良い。
みぞおちを弛めるために野口整体の「邪気の吐出」法は良い方法である。取りあえず、今現在のみぞおちの硬さを抜くことができる。しかし同時に考えなければならないのは、どうしたらみぞおちが過剰に硬くならずにすむかということである。
先に「自分を守るために緊張している」と述べたが、何から自分を守るのかと言うと「他者」である。競争相手や敵だと思うことはもちろん、(常識的には当然なのだが)自分以外の人を「他人」だと思う(相対的な観方をする)だけで、わずかな緊張は生じるのである。だからと言って人類皆兄弟などとは思えない。禅の世界では自他の区別はないが、凡人が簡単にそう思えるものではない。
凡人でもイメージを使いながら、キチンと立つことをしていくと、自他の区別が薄くなってくる。それだけでみぞおちは弛み、立ち方が変わるのである。これは一時のものに過ぎないが、それでもやるのとやらないのとでは大違いである。