人の欲には際限がなく、満足は続かない。欲は生命力の現れでもあり否定されるものではないが、追いかけ続けていると、身心のどこかに歪みが出るかも知れない。
私は欲には2種類あると考えている。一つは普段私たちが使っている意味での欲。自分が~になりたい・~を見たい・~を食べたい・~へ行きたい…
これらは欲の対象が「外」にあり、それを刺激として自分のものにすることで「快」を得る。その欲を実現するためにはお金や条件が必要である。もう一つの欲は対象が「内(自分自身)」にあり、意識とからだを変えることで、現状の身心に満足することである。自分以外に「外」のものを必要としないから、無条件に誰でもその欲を実現できる。私がしている「キチンと立つ」ことは後者である。しかしこちらの欲は前者に比べてわかりづらく、普段の判断基準では大して意味のあるものには思えないのである。
後者の欲は普段は隠れていて、それを得たときにわかるものである。この欲はさらに上を目指すことなく、今の自分に満足できる、自分を認めることのできる欲である。この欲の存在を知り、満たしていくことが、身心とキチンと付き合うことになる。
私は欲には2種類あると考えている。一つは普段私たちが使っている意味での欲。自分が~になりたい・~を見たい・~を食べたい・~へ行きたい…
これらは欲の対象が「外」にあり、それを刺激として自分のものにすることで「快」を得る。その欲を実現するためにはお金や条件が必要である。もう一つの欲は対象が「内(自分自身)」にあり、意識とからだを変えることで、現状の身心に満足することである。自分以外に「外」のものを必要としないから、無条件に誰でもその欲を実現できる。私がしている「キチンと立つ」ことは後者である。しかしこちらの欲は前者に比べてわかりづらく、普段の判断基準では大して意味のあるものには思えないのである。
後者の欲は普段は隠れていて、それを得たときにわかるものである。この欲はさらに上を目指すことなく、今の自分に満足できる、自分を認めることのできる欲である。この欲の存在を知り、満たしていくことが、身心とキチンと付き合うことになる。