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気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

山を歩く人、走る人

2014-01-16 16:31:53 | 風景・自然

 「トレイルラン」という山を走る競技がブームになりつつあるという。先月開催された大会(高尾→檜原村)では、近所の裏山がそのコースになり、行列を作って山道を走るランナーたちを、窓から観た。

 駅への往復でよく利用する山道は、道幅が狭くて、急勾配なところが多い。すれ違う時には、どちらかの人が、スペースを見付けて横にズレて、通過を待たなければならない。こういうことは山では普通にあることで、挨拶をするだけでなく、コースの様子を訊いたり、感想などを話すこともある(昨年すれ違った人とは渓流釣りの話を1時間以上もした!)。

 トレイルランの人は、前をゆっくりと歩いている登山者や散歩をしている人を見かけたら、どうするのだろうか。前を歩く人の直前まで走って行って、声を掛け、先に通してもらうのだろうか?

 山には様々な目的を持った人々が訪れる。喧騒な日常を離れ、自然の中に身を置きたい人。自分を取り戻そうとしている人。健康法として登る人。山を制覇するような達成感を味わいたい人。じっくりと鳥や植物の観察をしている人や、絵を書いたり写真を撮ったりする人もいる。山を訪れる人に共通しているのは、自分のペースを大事にしているということだ。自然に呼吸のリズムに合わせ、考えるに相応しい速度で歩いている。街中で道を歩いている時には、自転車や車を少なからず意識しなければならず、多少の緊張があるだろう。山ではそのような心配はいらないから、充分にリラックスできる。

 「山を走りたい」という欲求は、不思議なことではない。私も以前に、ほんの短い距離だが、走っていたことがある(朝の5時頃に舗装された登山道・高尾山1号路)。ただそれが競技となると、変わってくる。競技者の眼に映る山は、もはや山ではなくなり、ただ高低差のあるトラック(コース)になる。競技と自然は本質的には別物である。競技は時間を競うものだが、自然を味わうことは、時間を忘れることである。いわゆる「三昧」とは、対象と自分が一体になることで味わうことのできるもので、時間の介入は許されない。

 山を静かに味わっている人たちの中に「走って行く」ということはどういうことなのだろうか。山に関わるのであれば、そういう想像をすることは大事なことだ。もし私が走るのならば(今はその可能性がないが)、前に人を見つけたら、その人に走っていることを気づかせないようにする。数十メーター手前で走るのを止めて、ゆっくりと歩いて近づく。声を掛けて、先に行かせていただく。しばらく歩いて、その人から見えなくなった頃に再び走り出す。

 沖縄本島北部に「喜如嘉」という静かな村があり、そこに在った貼紙。

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