整体になった感じはあまりに心地よくて、温泉も必要ないくらいだということを野口晴哉氏が言ったという話を聞いたことがある。実際の言葉やニュアンスは違うかも知れないが、やはりこのようなことを発言したのだと思う。私自身がそのような快感を実感したのは「立つ」練習を始めたここ数年である。野口整体は20年程前に習い始め、毎週の練習では弟子たちが互いに身体を整え合った。そこには少なからず快感はあったが、今「立つ」実践で感じる物とは質が違う。整体は「施術をする人」「受ける人」とわかれ、どうしても受ける人は「受け身」になりがちだ。依存心も少なからず起こる。「立つ」方は、自分でするものだから必然的に自立する。からだは自分で整えるものなのだ。たとえ誰かに手を当ててもらうにせよ、「自分で」という意識が根本になくしてはならない(そうすれば温泉以上の快感が得られるはずだ…快感は一つの基準であり、それを得るためにするのではないが)
野口氏は、野口整体を志す人には「自分で」という意識を持つことを求めたのだと思う。活元運動はその手段だと思える。しかし、思うように伝わらなかったのではなかろうか。
野口氏は、野口整体を志す人には「自分で」という意識を持つことを求めたのだと思う。活元運動はその手段だと思える。しかし、思うように伝わらなかったのではなかろうか。