小暮満寿雄 Art Blog

ダジャレbotと間違われますが、本職は赤坂在住の画家です。作品の他お相撲、食やポリティカルな話も多し。右翼ではありません

障害、重度か軽度か?

2011-10-10 09:23:00 | Weblog
一昨日の記事、病気と障害の段階のことを比較して申しあげましたが、
その後、あ@花さんのブログに書かれてるコメントを読むと、
重度か軽度か、というのはたしかに本人でしかわからないこと、と書かれてる記事がありました。

うーむ、なるほど。
病気の段階と、障害の段階を一緒にするというのは、
この場合に限って言うと、適切でないなと思いました。
自分の認識不足を痛感した次第です。
いや、失礼いたしました
(別に誰かに指摘されたわけではありません。
 自分で勝手に思っただけですが、やはり適切ではないですね)。


以前、動物商の白輪剛史さんという方の本のイラストを担当した時、
「よくカラスが頭良い、なんて言いますけど、
 動物の頭の良さって、どこでわかるんでしょうか?」
とたずねたことがあります。

そしたら白輪さん、ふっと笑い、
「動物の持ってる能力というのは、個々の動物で違います。
 たとえば鳥は空飛ぶ能力があるし、犬には優れた嗅覚があり、
 人間にはそれがないが、人間には言葉をあやつり手をあやつる能力がある。
 それをひとくくりに、頭が良いわるいを論じても、あまり意味がないのです」
と答えてくれました。


ここで動物と人を比較するのが適切かわかりませんが、
妙にそれを聞いて腑に落ちたのを覚えています。
ああ、頭の良し悪しじゃなくて、持ってる能力の違いね。

普通、私たちは頭の良し悪しというと、
運動能力だとか、嗅覚だとかを勘定に入れませんが、さすがは動物商です。


よくチンパンジーやオランウータンの知能は3歳の子供くらい、なんて比較をしますけど、
3歳の子供は森で生きることはできません(ていうか大人の人間もできない)。
森に生きる動物は、その天与の能力で森の中の厳しい生活に打ち勝って生きていけるけど、
人間という生き物はおおむね、人間社会の中でしか暮らせません。

あくまで、オランウータンの知能は3歳の子供くらいというのは目安なわけですね。


それを言えばIQも同様で、
いくつ以上が天才で、いくつ以下が知的障害、なんて比較もひとつの目安にすぎません。
抜きんでた能力があれば、その反面欠如したものがあるわけだし、
短所だと思われてるところに、長所もあるわけですしね。

ちょっと、そんなことを思ってしまいました。

そういえば、けらえいこさんの「あたしンち」で、
みかんのママが、家のどこか”カタン”という音を聞いて、
「風呂場のあかすりが落ちたんだよ」という話があります。

で、実際に風呂場に行ったら、あかすりが落ちてるのでびっ栗。

役に立たないけど、母の能力。
すごいんだか、くだらないんだか。

でも、役に立っても立たなくても能力は能力ですよね~。


写真は昨日作った、念願の栗ご飯。
ひさびさに作ったけど、栗の皮むきに一苦労。
縄文人はいったい、どうやって栗皮をむいていたんだろう?

火にくべて黒曜石でむいたのかな。
あ@花さんオススメの栗むき器、「栗くり坊主」。
ちょっと気になりますな~。
コメント (4)
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