先日見た小津安二郎の『麦秋』が、後になってじわじわ来ています。
キレる老人が増える理由〜
なぜか小津安二郎の『麦秋』(1951)を見てわかりました。
先のブログでは、70年前に子供だった人たちが、今になって「キレる老人」になったということを申し上げましたが、実はそれだけではありません。
周知のように小津作品は、娘の嫁入りや親との死別といった、どこの家族にもあるテーマを淡々と描いています。
ハリウッド作品のように善悪がはっきりして敵味方がいる話はひとつもありません。
これはどういう事かと言うと、小津安二郎は自らの考えを観客に主張していないということですね。そのかわり小道具などに監督自身の持ち物を使っていたり、また構図など美術的な見せ方に徹底的にこだわっています。
哲学を主張せず、美の追求に専念する点は『源氏物語』以降、日本の芸術のひとつの流れではありますが、源氏などと根本的に違うのは「哲学や思想がないわけではない」ということです。
▲画像はすべてWikiより。
たとえば70年前の日本はお見合いが当たり前で、家どうしがうまく行けば「めでたし、めでたし」なのですが、生涯独身だった小津安二郎は、そんな単純な捉え方はしていませんでした。
映画『麦秋』の中では、縁談がうまく行った紀子(原節子)が、その後でひとり泣く場面があり、お嫁に行くことを手放しで喜んでいるわけではありません。
そりゃそうです。たまたま隣どうしだっただけで、好きか嫌いかもよくわからない男性と、いきなり結婚しろと言われてもわからないよね〜。
よく年配の人から「昔は良かった」「昭和の時代は良かった」という声も聞きますが、私はあの時代すべてが良かったわけでもないと思っています。
今の世の中、昭和に比べて何かと窮屈になった面はありますが、 あの時代のパワハラやモラハラはひどいものがありました。
そもそも、パワハラやモラハラなんて言葉自体がなかったからね。
『麦秋』を見ると、男が家の中で何もしない度合いや、パワハラ言動など、けっこう目に余るものがあります。また奥さんに何かを渡す時に、普通に畳に投げ捨てるなど、とにかくそんな感じです。
後から見るとあの時代のムチャクチャさは面白くもありますが、一言で「良かった」とは言えません。
法律には「遡及処罰禁止の原則」があります。
その法律ができる前の過去に起こったことを、今の法で裁けないということですね。
しかしながら、「その時代で行われていたことが、良かったか悪かったか」を考えるのは、個人の自由です。
実は70年前の小津安二郎も、そのように思いながら、当時の世相を淡々と描いていたのではないかと思います。終戦6年後なんて、そんな良い時代のはずはありませんからね。
戦時中にシンガポールで初めて『風と共に去りぬ』を見た小津は、 「日本は負ける」と思ったそうです。こんな映画を作る国と戦争をしても勝てないと思ったとか。
小津の映画を評して、ヴェンダースだったか(?)は「地上から10cm浮いた日常」と言いました。これは小津のカメラアングルが、その位置から撮っていることもありますが、もともとは鈴木大拙が「禅」の本質について集約した言葉だそうです。
「禅」が小津作品の本質かわかりませんが、この機会にもう少し小津安二郎作品を見てみようかと思いました。