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小暮満寿雄 Art Blog

ダジャレbotと間違われますが、本職は赤坂在住の画家です。作品の他お相撲、食やポリティカルな話も多し。右翼ではありません

アーユルヴェーダ~健康と病気の7ステップ

2014-10-31 09:55:38 | Weblog

半年前に完成したガガさまモデルの作品。
クライアントの病気でまだ引き渡してませんでしたが、11月にようやくお渡しできそうです。で、額装もようやくUPしました。

本日も「医食同源・かれーな印度カレーを召し上かれー」、そのエピソード9をUPします。自分が書いたものって、吐き出す行為なんでけっこう忘れてしまうものですが、今回はインド伝統医学アーユルヴェーダについて書いたもの。

自分で言うのも何ですが、意外と良いこと書いてますので、どうぞお楽しみのホドを♪

かれーな印度カレーを召し上かれー9
アーユルヴェーダ~健康と病気の7ステップ 

掲載日:2005年12月7日

 まいど、まいど、イダテンのゲンさんです!

 こないだの口上で、ホット・ヨガの話をしたところ、ヨガ歴25年というお客さんから、そんなモンは邪道だなんて、お叱りの言葉をいただいちまった。

何でも、本来のヨガはダイエットを目的にしているわけじゃないので、長いことやっている人にはホット・ヨガやパワー・ヨガには抵抗があるみたいだ。あっしみたいに、年寄りの手すさびやってる人間には、よくわからないってえのが本当だが、そいつらが本来のヨガとは違う方向なのは間違いないようだ。ただまあ、やってる人間が満足して健康でいられれば、それでも良い気はするけどね。

さて、今年も残すところあと僅かになってきた。毎年毎年、年末になっても景気のわるい話ばかり聞かされてたのが、ここんとこに来て株価も好調で、あっしも気を良くしているところさね。

スイサンドンヤ・ドットコムさんでも、師走のこの月から2週間替わりで特売セールをご用意している。カキ特集や鍋物特集、クリスマス・年末・年始商品特集、新商品&お試しキャンペーン、小分け・急送可能商品特集、ベトナム・タイ食材特集など、年末年始に嬉しい企画が目白押しだよ!

ともかくもみなさまのご注文、心よりお待ち申しあげやすぜ!

病気にならない体づくり

さーて。ご好評につき、インド伝統医学・アーユルヴェーダにおける医食同源とやらを、前回に引き続いてお話しいたしやしょう。「かれーな印度カレーを召し上かれー」と銘打ちながら、ちょっくら違う話になりそうだが、医食同源のテーマだけは外さないんで、真っ平御免なすっておくれ。

西洋医学が「病気の症状を取り除くこと」を目的とするならば、アーユルヴェーダが「病気にならない体作り」を重視しているのは、前も申し上げた通りだ。

この病気にならない体作りってえのは、実に今の日本の現状に合ったもので、近頃は役所までが本腰をあげて取り組んでいるテーマなんだ。

健康保険がパンク状態に近づいた今、あの厚生労働省も「1次予防」として、健康増進に努め、病気の原因を予防&改善する――つまり、病気にならない体づくりを提唱しはじめた。

早い話、いったん発病しちまったら、金がかかって仕方ないから、病気になる前に何とかしちまおうってことなんだ。下世話な言い方かもしれねえが、まったく病気ってヤツは体もお金も食い散らかす魔物だからな~。

もちろん西洋医学ってえのは、かかった病気を短期間で治癒する効果は高い。腫瘍そのものを切り取ったり、血圧を下げるのに降圧剤を使ったり、糖尿病患者にインスリンを注射したりと、即座に顕れる効果はバツグンだ。

だが、人間お腹を切れば何かしらのダメージが残るし、降圧剤などを一度使うと、なかなか止められないなど問題点も多い。西洋医学は人体の部分的な治療を重視しているため、副作用はつきものという欠点もある。

そんな中、「病気にならない体作り」を重視するアーユルヴェーダの考え方が、がぜん注目を浴びてきたってワケさね。 

アーユルヴェーダは、風・火・水の三重奏

こないだのおさらいになるが、アーユルヴェーダではヴァータ(風)、ピッタ(火)、カパ(水)と呼ばれる3つのドーシャのバランスで、健康を維持するのが基本的な考え方だ。

この「ドーシャ」ってえのはエネルギーのことで、そういう名前の物質があるわけじゃない。こいつは、前にも言ったように生体エネルギーの一種なんだが、ドーシャはドーシャとか言いようがない。ともかくもドーシャとは、さまざまな要素を含んだ3種類のエネルギーだと考えていただきたい。

じゃあその3つのドーシャが、それぞれどういう性質を持っているのかといえば、さすがにあっしも完璧に理解してるわけじゃない。そこで、アーユルヴェーダに詳しい知り合いに頼み、下記のように分けて並べてもらった。わりと見やすくまとまってると思うので、ざっと眺めていただければ有難えってもんだ。

※ アーユルヴェーダでは、ヴァータ体質(V)、ピッタ体質(P)、カパ体質(K)を基本に、両方の体質を持つV+P体質、V+K体質、P+K体質。そしてすべての体質を持つV+P+K体質、という7体質に分類できる。

自分の体質が簡単にわかるチェック表が載っている本も数多く出ているので、興味のある方は、そちらを参考にしていただきたい。

3つのエネルギー、5つの元素

ところで、上のイラストに記された「構成元素」ってヤツだが、アーユルヴェーダではドーシャとは別に、5元素(※1)と呼ばれる、空・風・火・水・地によって、この世が構成されていているという考え方がある。

ドーシャがエネルギーの要素なのに対し、構成元素は物質の要素なので、この2つは別に考えないといけないってワケだな。

え? 上のイラストを見ると「ピッタ」は火のエネルギーなのに、何で構成元素が火と水になってるんだって?

火をあらわすピッタの色が青で、水をあらわすカパの色がオレンジなのは、なぜかってかい? ややこしくて、よくわからねえだって?

へっへっへ、お客さん。理由なんて聞かないどくれよ。インド5000年の歴史が決めたことなんだから、そういうモンだとしか、あっしには言えねえやな。ただ・・・おそらくは、経験測で定めたことで、そうした方が体に良い効果が顕れるんだろう。

もちろん科学的には、物質が空・風・火・水・地で構成されてるなんて、あり得ない話だ。だが、この「3つのドーシャ」や「5元素」の考え方は、トータルで人間の体と健康を捉えるには、なかなか都合の良いモンなのさ。

たとえばパンというのは、小麦粉(地)と水を混ぜて、捏ねて(空・すなわち運動を加える)、風を送り、火をおこして焼きあげたもの――すなわち5元素から作られた食べ物と考えられるのさ。

そのパンをよく味わって食べ(カパ)、消化し(ピッタ)、排出する(ヴァータ)――それが「3つのドーシャ」の働きってワケさね。

ドーシャの力

アーユルヴェーダでは、西洋医学のように人体をパーツに分解して診るのではなく、生体エネルギーのバランスによって健康を管理する。

カルシウムが足りないからそればかり摂るとか、ビタミンが足りないからビタミン剤ばかり飲むというのは、ごく一部のパーツである栄養分を摂取するに過ぎず、木を見て森を見ずみたいなところがある。

もともと人間の体ってえのは、限りなく七面倒くさい化学変化によって維持されているし、さらには個人による違いも大きい。

だからこそ反対に、それをシンプルに風のエネルギー、火のエネルギー、水のエネルギーに集約させたのが、ドーシャという生体エネルギーなのさ。

このエネルギーや元素を、風・火・水などに置き換えて、集約する考え方は一見短絡的なようで、実はたいへん合理的なものだ。

人体ってえのは、さまざまな構成要素で成り立っていて、その中には医学的に解明されてないものも多い。そんな意味で、風・火・水といった自然の事象に合わせて、ざっくり考えた方が、総合的に人間の体を捉えることができるってことさね。

あっしも長いこと海のものを食べて、似たようなことを思うんだが――生命に必要なものが満ち溢れた海で穫れたモンは、そりゃあ体に必要なものが揃っている。サプリメントもけっこうだが、小魚を頭からバリバリ食べるってえのは、イワシの頭も信心からじゃねえが、まさに体の芯まで栄養を与えるところがある。

パーツに細分化しすぎない栄養学ってえのも、まんざらバカにならないって話さね。

 

健康と病気の7ステップ

病気というのは、この3つのドーシャのバランスが崩れた時のことを言うんだが、

前にも言ったようにアーユルヴェーダでは、病気と健康の間にはっきりした線引きがなく、いくつもの段階に分かれている。

西洋医学の場合は、健康と病気の2段階。漢方は、健康・未病・病気の3段階なのに対して、アーユルヴェーダは7つもの段階に分かれているんだ。

それは、①健康、②蓄積、③憎悪、④拡散、⑤前駆症状、⑥発症、⑦慢性化で、そのうち⑥と⑦が病気の範疇に入るわけだ。

この③の憎悪なんて項目は(翻訳にもよるんだろうが)、アーユルヴェーダがメンタルな部分を重視している現れといえるかもしれないな。

病気とは、3つのドーシャのいずれかが悪い方向へ行き、人体のバランスを崩した時に起こるんだが、そいつを未然に防いでくれるのが普段の食生活で――中でも、スパイスは漢方として用いられることもあるほど、体によろしいものなんだ。

おっと!

スパイスの話をしようと思ったところで、時間が来ちまったが、次回はスパイスと医食同源の話を中心に、色々聞かせ倒すことにしよう。

それじゃ、お客さん! 次回をお楽しみに!

かれーな印度カレーを召し上かれー9
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ホドラー展を見て

2014-10-30 10:11:37 | Weblog

一昨日、日本国宝展の前にホドラー展を見てきました。国宝展とは対象的に館内はガラガラでしたが、その分ゆっくり見ることができました。

40年ぶりの大回顧展とのことでしたが、40年前の記憶はさすがになく、フェルディナンド・ホドラーという画家をじっくり見るはじめての機会となりました。

↓ こちらwikiからの転載。
本展覧会には展示されていませんが、ホドラーの代表作であり、出世作でもある「夜」です。

私個人はこの作品の印象が強く、時代的にもクリムトなど19世紀末の象徴主義、アールヌーボーの画家のひとりと思っていました。

ところが実際に一連の作品に触れてみたところ、こうした一連の象徴主義的な作品というのは、初期の若い頃に描かれたものだったということでしょうか。

もうひとつ意外だったのは、幼少期は貧困にあえいでいたホドラーでしたが、後年に大変成功した画家だったということです。

Wikipediaからの引用
ホドラーは、1853年にスイスの首都ベルンで貧しい家庭の長男として生まれた。父親は大工であった。8歳になるまでに父親と弟二人を結核などの病気で相次いで失う。母親は装飾美術を手掛ける職人と再婚するが、しかし1867年にやはり結核で死去する。最終的には他の兄弟もすべて結核で亡くなってしまう。貧困を極めていた幼少のホドラー自身が兄弟と母親の死体を荷車で貧窮院から運んだと回想録で語っている。これら幼少期の体験が、彼の感性に「死」という存在を深く植えつけた。 

死の印象が色濃く出た作品は若い頃の作品に限られている、と言っても良いでしょうか。

成功してからは、ヨーロッパ文化の根底にある神秘主義は色濃く顕われているものの、「死」を深く意識した作品は、晩年のものであってもこの時ほどではなかったのは興味深いところです。

面白かったのは西洋美術館内のガランとした広い部屋に並んだ風景画です。

空の青の色がまさにアルプスの色。
日本では見ることのできない風景の色です。
バルテュスがスイスで描いたアルプスの色とも同じで、キンと冷えた空気感がそのまま伝わってくる作品群でした。

どれも近くから見ると粗く筆跡が残る筆致なのに、遠くから見ると絵からアルプスの空気がこぼれてくるように見えるのです。

これはマッターホルンなどの写真を見ていても、まったく伝わらないものが、絵画になると空気感が伝わるというのが面白いところですね。

広い部屋に四面、風景画がかけられているのは展示の仕方としては珍しいのですが、これはなるべく遠くから見てほしいという開催者側の意図かもしれません。

ホドラーが成功した画家だったというのは、チューリヒのスイス国立博物館の壁画やドイツのハノーファー市庁舎の会議室に据えられた作品を描いていることです。

スイスはフランス、ドイツ、イタリアに囲まれた山の中の小国ということもあって、歴史的には侵略や占領を何度もされているという背景があります。

永世中立国というのは、どこの国とも仲良くしないという意味ですし、徴兵があり、いつでも戦う準備が出来ているというのも、一見平和に見えるこの国の特徴でもあります。

そのスイスが永世中立国となったきっかけ「マリニャーノの戦い」と呼ばれる、スイス退却を描いた壁画の下絵は、象徴主義的な若い頃の画風とはまったく違うもの。
ヨーロッパの芸術家はいざとなると国を守るために筆を取り、場合によっては参戦するのですね。

ただ、絵の質となると若い頃の象徴主義的な作品の方に軍配が上がるでしょうか。
不思議なもので、政治や思想があまり色濃く出ると、芸術作品というのは輝きを失うもの。

成功してからの作品は風景画を除いて、個人的には今ひとつ魅力が感じられませんでした。

↓ またホドラーの絵から取られたスイスフランの紙幣。
もちろんスイスはユーロ圏に入らず、未だスイスフランで通しています。

ホドラーとはまったく関係のない、久々のなまけ蛙くんの受注。実はこの子は女の子。なまけ蛙くんならぬ、なまけ姫蛙ちゃんでおます。
名はElzaちゃん。堂々としたなまけっぷりは「ちゃん」と言うよりは、Elzaさまでありましょうか・・・というのは、私の弁でなく、クライアントのお言葉であります(笑)。

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日本国宝展~やっぱり国宝は違う!

2014-10-29 09:41:32 | Weblog

上野国立博物館で開催中の「日本国宝展」、行って参りました。
平日午後イチ行ってみたところ、開催してから初めての平日の10分待ちとのこと。土日祝祭日の行列は当たり前の平成館ですが、早い時期からの平日行列は珍しい。

待つこと10数分。
館内を巡りながら、早い時期の行列がわかりました。

やっぱり国宝は違うのです!

玉虫厨子に普賢菩薩像、縄文のビーナス、寝覚物語絵巻、等伯の「松に秋草図」、雪舟の「山水図」、三千院の観音&勢至菩薩。

通常の展覧会では、国宝と重要文化財が一緒に展示されているため、その違いというのはハッキリ意識されることはないのですが、国宝はまさに国の宝!
わが国が、私たちのご先祖さまが、如何に高い文化と知識、技術を持っていたのかということを再認識させるものでありました。

昨日は「日本国宝展」と「ホドラー展」へ行ってきました。
昼は駅前の新施設さくらテラスにできた中華街・梅蘭のかたやきそば。
なるほど、これが有名なそれか♪

平安時代、まだ貴族の世の中だった時の鎧兜は、時代をあらわすように優美な姿。
草摺(くさずり) と呼ばれる、腰のあたりにぶらさがる小板が、桜の皮と思しきもので編まれているなど、日本人が1000年以上前から細部までこだわる民族だったことを伺わせました。

実物を見て驚いたのが雪舟の「秋冬山水図」でした。
あっさり描いているようで、意外に描き込んでいるのです。

山水図を見るのは初めてではないのですが、それに気づいたのは今回がはじめて。
目立つ線はすべて一筆で決めているのですが、背景の空などの淡い濃淡は薄墨で何度も塗り重ねて描いており、まるで白い絵具を使ったと見間違うほどです。

油彩のように何度も薄墨を塗り重ねる技法は、郭煕(かくき)や李唐といった北宋時代の画家の特徴。

郭煕「早春図」(国立故宮博物院、台北)

ただ、見ての通りこの人たちの絵は水墨画というには異様に描き込んでいるのが大きな違いです。

雪舟の山水図は一見シンプルに一筆で決めている部分と、微細に描き込んでいる部分が混在してるのですね。

背景を先に描いたのか、輪郭を先に描いたのかわかりませんが(たぶん後者ですが)、目立つ線は一筆で決め、背景の空の微妙なトーンの変化は時間をかけて描き込んでいるようです。

雪舟は明に渡り、明の画壇には学ぶものなしと、宋朝時代の水墨画を持ち帰ったと言います。
しかし、宋朝の描き込んだ水墨画から吸収したものは、どうやら微細なトーンの変化だったようです。

中国のアートは実は西洋絵画的な完成度を求めるのに対して、日本の美術は言い方を変えると、もっといい加減で不完全なものも愛でる、というのが面白いところですが、この山水図にはその代表的な例に思えました。

国宝展と一緒にUPしてスミマセン。こちらは拙画「普賢菩薩像」です(笑)。

ともかくも百聞は一見に如かずで、この「日本国宝展」。
ぜひお出かけいただきたいのですが、ひとつ体調を万全に見ていただければと思います。

国宝というからには、さまざまな経緯があって完成した文物なので、必ずしも良いものばかり憑いているわけではなさそうです。

最初に入った玉虫厨子から法華経、大般若経などの経文を見るうち、わたくしはいい知れぬ疲労感を覚えました。 それが見て行くうち、徐々に疲労感が消え、第五室の「仏のすがた」に入るやいなや、不思議な爽快感に変わりました。

5m50cmもある五重塔や観音&勢至菩薩などの仏像。

あの疲労感と爽快感はいったい何なのでしょう。
不思議な思いを感じながら、平成館を後にした次第です。

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医食同源~アーユルヴェーダをご存じかい?

2014-10-28 09:06:08 | Weblog

かれーな印度カレーを召し上かれー8

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本日はこれより本職に関わる美術館めぐり。
出かけるまで間がありますので、この機に「かれーな印度カレーを召し上かれー・エピソード8」をUPします。

以前、このブログでもアーユルヴェーダの内容をUPしたことがありますが、リンクがなれてなかったので、今回改めてご紹介いたします。

では、お楽しみのホドを!

かれーな印度カレーを召し上かれー8
 アーユルヴェーダをご存じかい?

掲載日:2005年11月24日

 まいど、まいど、イダテンのゲンさんです!

近頃、巷ではヨガが大流行りだそうで、人気のあるところなんかは2か月~3か月待ちなんてところもあるそうだ。エクササイズを重視したパワー・ヨガとか、部屋を38℃に上げて大汗をかくホット・ヨガは、ダイエットに良いとかで女性を中心に大層な人気だって話さ。

ITの仕事で日本に来ているインド人は一様に頭が良く、インドのイメージが良くなってきたこともあるだろう。また、これからの世の中、あっしみてえな年寄りの数が増えるとあって、健康への関心が高まっていることも、ヨガ流行の一因だろう。

あっしも仕事のつきあいで、ちょっくらヨガとやらをかじってるんだが、あれは実に体に良いもんだ。体はほぐれるし、リラックスするし、終わった後に血圧を測ると下がることも多く、あっしのような爺さまにも嬉しい話さね。

あっしも食と健康をお売りしている手前、体に良いことは何でも試してみるんだが、若い娘に混じって、この白髪アタマの固い体をようやく伸ばしてる最中さ。

だが、やはりあっしの仕事は、安くて旨くて体に良い食材を提供することだ。

こないだはスイサンドンヤ・ドットコムさんで「麻布亭うなぎ蒲焼き・略ポンカット」半額セールの案内をお出ししたんだが、あっと言う間に品切れだ。買い損ねたお客さんはすまねえな。また用意するから、どうか待ってておくんな!

何はともあれ、みなさまのご注文をお待ちしていやすぜ!

 アーユルヴェーダをご存じかい?

インドにはヨガだけではなく、アーユルヴェーダと呼ばれる独自の健康医学がある。最近ではヨガ同様、エステやマッサージなどで採用しているところがあるんで、お客さんがたも名前くらい聞いたことがあるだろう。

その言葉、「アーユル(生命)+ヴェーダ(智慧)」が意味するように、人間がもともと持っている体力を、いかに保護して増強していくかを目指す医学――それがアーユルヴェーダなんだ。

そんなアーユルヴェーダには、大きくシンプルな2つの目的がある。

1つめは健康を保護することで、2つめは病気を取り除くことだ。

西洋医学が2つめの「病気の症状を取り除くこと」を目的にしているのに対し、アーユルヴェーダは「病気にならない体作り」を重視している。これは漢方などで言う「未病」に近い考え方だが、アーユルヴェーダの場合には、さらに医学をマクロの目で見ている。

もともとインドには人間の体を小宇宙として捉える考え方があるが、周囲の環境や自然をも含めた上で、人の心と身体のバランスを保ち、生命力を高めていく健康医学――それがアーユルヴェーダってワケさ。

アーユルヴェーダの医食同源

アーユルヴェーダにも、当然ながら医食同源の考え方がある。

それは単に良いものを食べろ、というだけでない。朝起きてから寝るまでの生活のリズムはもちろん、生まれてから死ぬまでの間、いかにすれば肉体的にも精神的にも健康に過ごせるかを細かく考えている。そのあたりは理屈好きのインド人ならではの考え方と言えるだろうよ。

古代中国人がこの世のすべてを陰陽五行説によって組み立てたように、アーユルヴェーダでは、トリドーシャ――つまり、3つのドーシャと呼ばれる3原則によって、宇宙が成り立っているとされている。「ドーシャ」を正確に表現する日本語はないが、あえて言うなら生体エネルギーの一種かな。

3つのドーシャは、それぞれヴァータ(風)、ピッタ(火)、カパ(水)と呼ばれ、そのバランスを保つことで人間の健康を維持していこうって考え方が、アーユルヴェーダの医食同源なんだ。

風の要素を持つ「ヴァータ」には、運動エネルギーを司どる働きがある。

火の要素を持つ「ピッタ」には、物質を燃焼させ変化させる働きがある。

水の要素を持つ「カパ」には、物質を結合させ安定させる働きがある。(※1)

この3つのドーシャがバランス良く機能した時が健康な状態で、反対にそのバランスが崩れた時が病気が起こりやすい状態とされているんだ。

※1 ここでは便宜上、ヴァータ、ピッタ、カパを、それぞれ風、火、水としたが、実際にはさまざまな構成要素によって成り立っているので、詳細は次回以降に解説する。

大病は僅かなシグナルで

ところでドーシャの語源は「腐敗させるもの、悪化させるもの」という意味のサンスクリット語だ。一口に生体エネルギーといっても、ポジティブな意味もネガティブな意味も両方持っていると考えた方が良いだろう。

そのためかアーユルヴェーダでは健康の反対が病気、といった塩梅に、健康と病気の間にハッキリとした線を引いてはいない。健康と病気の間には、いくつものステップがあるというのが、そのスタンスなんだ。

たしかに病というのは、ちょっとした体の不具合が積み重なり、やがて大病をわずらうケースが多い。

大病とはいかないまでも、風邪ひとつ取ってみてもわかる通り、鼻水とくしゃみが出ているくらいなら、どーってことないが、それが発熱・喉の痛みや関節の痛みなどを伴うようになると、キチンと休んで治療をしないといけなくなる。

いわば発症する前、未病の段階で食い止めることが、アーユルヴェーダにおいては重視されているんだ。僅かなシグナルをひろうことで、大病を未然に防ごうってわけさね。

医療技術が不十分だった時代は、いったん大きな病に冒されると死に至るケースが多かったハズだ。病気を治癒することは大切だが、それよりも病にならない体作りをする考え方が発達したのは、きわめて合理的なことだったのさ。

 健康は「3つのドーシャ」から

 

アーユルヴェーダにおける医食同源では、3つのドーシャをバランス良く保つことが大切とされる。そのためにはただ食べることだけなく、普段からの生活や習慣を、気持ち良くコントロールすることが必要なんだ。

どんなものを食べるかは勿論、食い合わせや温度、時期、環境、そして何よりもその人の体質に合った食事を考えてメニューが組み立てられる。

アーユルヴェーダではすべてのものに3つのドーシャ、いずれかが当てはめてられるが、たとえば口から入ったものを、唾液によって粘りを与えるのが、物質を結合させ安定させる「カパ」の働きとされる。

それを胃液や胆汁によって消化するのが、物質を燃焼させる「ピッタ」の働き。さらに腸によって人体に必要な栄養を吸収し、余分なものを尻の穴へとプリッと運び出すのが、運動エネルギーを司どる「ヴァータ」の働きとされている。

だから食事の時に冷たい水を摂り過ぎると、燃焼を司るピッタの力が弱まり、消化バランスが崩れてしまう、なんてことになるわけだ。

もっとも、この3つのドーシャは絶対的なものではなく、また3つのバランスが均一なら良いというものでもない。人にもそれぞれヴァータ体質、ピッタ体質、カパ体質といった違いがあり、時間帯や季節によって食事の取り方は千変万化だ(ただ、そいつはちいとばかしややこしいんで、続きは次回以降に話すことにいたしやしょう)。

ターメリックは幸せの黄色いパウダー

当然ながらアーユルヴェーダには、スパイスを使った処方箋が数多くある。大航海時代には調味料としてだけなく、防腐剤としても薬としても高値で取り引きされ、中国では漢方として重宝されるスパイスの数々だが、そんな中であっしがオススメしたいのは、何といってもウコン(鬱金)――つまりターメリックさね。

そう。あのカレーの黄色やタクアンの黄色に使われるスパイスで、同時に今まさに注目のサプリメントでもある。主にスパイスとして使われる時は「ターメリック」。サプリメントとして使われる時は「ウコン」と呼ばれることが多いようだ。

商売柄、酒のつきあいが多いイダテンのゲンさんだが、そんなあっしが何で未だに肝臓が何ともなく、γGTPの値も正常でいられるのは、おそらくはウコンのおかげさね(ま、あくまで個人的な話だがよ)。

あっしはお酒を飲んだあと(前でも良い)に、ウコンをさじ1杯飲むことにしてるんだが、そのおかげか二日酔い知らずだ(※3)。どうやらウコンの黄色の正体、クルクミンとやらが良いらしいやな。

昔から沖縄ではウコンは酒飲みの友とされてきたんだが、そいつはクルクミンによって肝臓の解毒機能が高めるためと言われている。ただしウコンも万能じゃないから、あまりに深酒をした場合は、あっしも責任はとれないから、そのつもりでおくれよ。

また、こいつは良薬口に苦しじゃねえが、そのまんま飲んだら苦くてたまらねえ。カレーに使われる時も使い過ぎを注意しなきゃいけないから、サプリとして飲むんなら、それなりに覚悟しておくれよ。

その上、黄色く染まった液をどこかにこぼしたりしたら大変だ。ターメリックは強力な染料で、まず落ちやしないから、こいつも注意してもらいてえもんだ(※4)。

※3 個人差があるので万人に効くとは限らない。効果の高いケースは多いが、もとから肝機能の落ちている人や、体質に合わない人にはその限りではないようだ。

※4 インドではすぐにレモンの絞り汁をつけて日光に当てるが、それでも落ちないことは多い。日本の伝統色でも「鬱金色」と呼ばれる染めの色があるくらい、染料としても重宝されていた。

ウコン・パワーで二日酔い解消!

実際、ウコン――ターメリックに期待できる健康効果とやらを取り上げてみると、そいつはかなりのモンだ。

1、胆汁の機能を促し、肝機能を高める効果が高い。

2、活性酸素を取り除く効果が期待できる。ついては発ガン予防や、糖尿病、高血圧などの生活習慣病の予防にもつながる。

3、美肌効果が期待できる。

4、脂肪分解によるダイエット効果が期待できる。

5、利尿作用がある。

6、細胞の新陳代謝を促進し、血液を浄化するので老化防止が期待できる。

6、コレステロール値降下が期待できる。

7、免疫力を高める効果が期待できる。

・・・と、枚挙にいとまないほど出てくるワケで、こいつを体に取り入れない手はないってこったね。これらの健康効果にはもちろん個人差があるが、かなりのところ期待できるモンだとあっしは思っている。

おっと、いけねえ! 時間が来やがった。

話が半チクになっちまったから、アーユルヴェーダとターメリックの話は、次にお聞かせいたしやしょう。それじゃ、お客さん。次回をお楽しみに!

かれーな印度カレーを召し上かれー
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小坂農園、秋の収穫ツアー!

2014-10-27 09:32:35 | Weblog

昨日は国分寺の小坂農園で、秋の収穫ツアーに参加。大根、里芋、スティックセニョール、ピーマンなどを大量に収穫いたしました。

参加者は20名前後もおり、収穫後は畑でお弁当。
楽しかったー♪

里芋の収穫は初体験。小学生の時にサツマイモの芋掘りをして以来でしたが、里芋はまったく違うものですね。

↓ こちらはエンサイ(空心菜)の収穫。白い花ははじめて見ました。

↓ こちらは春菊の畑。上20cmくらいを手で折ります。

↓ スティックセニョールは茎ブロッコリー とも言われます。
葉の茎を齧ったら青汁の味がしました(笑)。

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六本木のハロウィン仮装ふたたび

2014-10-26 08:49:54 | Weblog

頂き物のエシレのクロワッサン。
バターたっぷりなのにサクサクでした♪

昨日、土曜の六本木の夜。アマンドの歩道では、30人くらいの若者の集団が記念撮影をして、通行人を遮っていました。どこの田舎から出て来た人たちか知りませんが、天下の大道で傍若無人とはまさに読んで字の如しです。

迷惑なので私は前を横切ってやりましたけど、 通行人のみなさん。遠慮して立ち止まることありません。日本人はこういう時に妙に親切ですね。

さすがに30人の酔っ払い相手に「やめろ」とは言いませんでしたが、天下の往来で迷惑行為をしてる人たちに妙なマナーは不要です。

金曜土曜の六本木はワルプルギスの夜の如し。魔女の饗宴のように変なものがいっぱい集まってきます。

写真を撮っていた若者たち。
みな利口そうな顔はしてませんでしたが、着ているものや表情を見ると、それなりの育ちのようです。
若い頃の自分のことを考えると、まあこのくらいのことは仕方ないかなと思う一方、六本木の夜というのは普段はまともな青年や会社員をキチ○ガイにするものがあるのかもしれません。

で、昨年もブログに書いたんですけど、毎年恒例のハロウィン仮装がチラホラ登場してきました。これから1週間、六本木に行くたびこの人たちの衣装を見るのかと思うと、ちょっとウザい気がします。

早くハロウィン、終わらないかなあ・・・

今、制作ちうのなまけ蛙ちゃん。今回は姫かえるです♪

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かれーな印度カレーを召し上かれー、7番目をUPしました!

2014-10-25 15:27:00 | Weblog

かれーな印度カレーを召し上かれー7

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昨日の昼は多摩川線沿線、武蔵新田にあるポンディバワンで南インド料理のミールスをいただきました。本格的な南インド料理に舌鼓でした♪

武蔵新田は降りるのもはじめて。”むさししんでん”と読んでましたが、実際は”むさしにった”。新田義貞の次男、義興を祀った神社があることから、この名があるようです。

本日も遅い時間のUPで、医食同源の続き。
カレー繋がりでお楽しみを・・・♪

かれーな印度カレーを召し上かれー・7
インディアン・キュイジーヌはいかが?

掲載日:2005年11月9日

 まいど、まいど、イダテンのゲンさんです!

 先日、外国人が大勢集まる東麻布のスーパーで買い物をしてきたんだが、ああいう大使館の多いところじゃ「ハラール・フード」なんてものが置かれてあるんだな~。

 玄人のみなさまはご存じかもしれないが、ハラールとはイスラムの教えに沿って、苦しませずに喉を一気に切ってした肉のことだ。イスラム教では豚はもちろん、羊や鶏でもハラールの手続きをしないでした肉は許されていないからね。

 そのスーパーでは鶏や羊はもちろん、牛肉や鴨、ホロホロ鳥、七面鳥などに、アラビア語と英語の書かれたハラールのステッカーが張られて、所狭しと並べられてあった。

 さらに、入り口近くの良い場所には、スイサンドンヤ・ドットコムさんで扱っている魚介類が堂々と置かれていて、あっしはちょっくら嬉しかったな~♪ 「麻布亭うなぎ蒲焼き・略ポンカット」などの人気商品がいっぱいで、値段はスイサンドンヤさんの倍以上だが、それでも普通のスーパーに比べると、ずっと安くて美味しい食材ばかりが並べられてあった。このイダテンのゲンさんが、世界中からかき集めてきた自信の食材だよ!

 そんな自慢の食材の数々だが、スイサンドンヤ・ドットコムさんでも年末と正月を睨んだこれからの時期――ズワイカニや日本酒、カキなどのキャンペーンや、先日申し上げたマッドクラブなどの販売など、安くて嬉しい企画が目白押しだ。

 何はともあれ、みなさまのご注文をお待ちしていやすぜ!

タージマハル・ホテル物語

 さて、「かれーな印度カレーを召し上かれー」。今回はムンバイ(旧ボンベイ)のシンボル、タージマハル・ホテルから出発してみよう。なぜって、このホテルはムンバイのシンボルであり、同時にインド独立の象徴とも言える存在だからだ。

 インドに行った人なら誰でも、”TATA”というロゴマークの入った大型トラックが、もうもうと土煙を上げて爆走しているのを見ただろう。あのタータという名前こそ、インド最大の財閥のひとつ、タージ・グループの一族なんだ。日本でいえば三井、住友、三菱・・いや、それ以上の存在と言ってよい巨大コンツェルンなのさ。タージマハル・ホテルの創設は、そのタータ財閥の手によって成されたワケだが、それにはちょいとした物語がある。

 話は20世紀を迎えようとしていた植民地時代のムンバイ――地元で一番の資本家だったジャムシャトジー・タータ氏は、西洋人の友人と一緒に海沿いのフォート地区に建っていたホテルに夕食をとりに行った。

 ところが、このピルケズ・アポロ・ホテルのドアマン曰く。

「あなたの友だちはノー・プロブレム(問題ありません)ね。でも、あなたはインド人だから入れません。このホテルは白人専用ホテルですから」

 あまりに失礼なドアマンの言葉に一念発起したタータ氏は、誰でも泊まれるホテルの建造を思い立った。ヨーロッパを何度も視察したタータ氏は、発電機やエレベーター、そしてエッフェル塔に使われた鉄骨など、当時の最先端だった設備を導入し、にっくきピルケズ・アポロ・ホテルの裏にタージマハル・ホテルをぶっ建てたワケさね。

火を崇めるインド最大の財閥

 20世紀建築の傑作と称されるタージマハル・ホテルだが、タータ一族というのは、まさにインドの大金持ちを象徴する財閥だ。経済発展を続けるインドの中で、タータの存在は無視できないものがある。余談ながら、お客さんの中でインド株を持ってるお方は、ちょっくら耳を傾けておくれよ。

 このタータ一族はパールスィー教という、インドでは人口の0.04%ほどの少数派に属し、そのほとんどがムンバイでコミュニティーを作っている。日本ではゾロアスター教(※1)、あるいは火を神聖視するので、拝火教という名で知られている。弘法大師の時代には唐の国で「顕教」と呼ばれていた古い教えだ。

 ほら、「陰陽師」などの時代劇を見ていると、火をくべて祈祷したり、呪をかける場面が出てくるだろう。あれは密教の護摩壇といって、パールスィを起源とする祈りの一種なんだ。実際には火だけでなく、水・土・風(空気)を加えた四元素を崇拝するんだが、彼らにとっては火がいちばんランクが高いそうだ。

 それだけ聞くとパールスィーが未開の原始信仰みたいに聞こえるが、実情はまったく正反対だ。歴史的な理由から、ムンバイに住むパールスィーはスーツを着たビジネスマンがほとんどで、経済力が豊かで社会的地位が高い人が多い。

 パールスィーとは「ペルシャの」という意味で、もともとは現在のイランに居を構えていた。それが7世紀末にイスラム教徒の侵略に遭い、命からがらインドに辿り着いたのが彼らの祖先だってわけさね。

 はじめは細々と商売や農業に従事していたパールスィーだが、16世紀に入ってムンバイに侵入してきたポルトガル人が、彼らを自分たちに近い種族と見て目をつけた(※2)。そしてインド人との仲介を頼みこんだことをきっかけに、見る見る財を成していったのさ。

 ムンバイの統治がポルトガルからイギリスに移譲されてからは、インド最後の王朝ムガール帝国との仲介や、植民地政策の手助けなどで、巨万の富を築いていった。常にスーツを着用しているというのも、イギリスとの取り引きをしていた名残りなんだろう。

 侵略者の手助けで財を成したパールスィーだったが、その後、反対に莫大な資金援助をしてインドを独立に導いた。タージマハル・ホテルの創設も、その一環と言えるかもしれない。

※1 ゾロアスターは開祖の名前で、またの名をツァラトゥストラと呼ぶ。映画「2001年宇宙の旅」のテーマ曲で有名な「ツァラトゥストラはこう語った」は、作曲家リヒャルト・シュトラウスが、同名のニーチェの哲学書に啓発されて作曲した作品。

※2 現在はパールスィー以外のインド人と比べても、見た目の違いはない。

インディアン・キュイジーヌはいかが?

 前置きが長くなって真っ平御免の助だが、このタージマハル・ホテルには「マサラ・クラフト」という、2003年にオープンされた新しいレストランがある。タージマハル・ホテルの回廊には、鉄人・森本の和食レストランやイタリアンまで揃っているんだが、このマサラ・クラフトはインディアン・キュイジーヌとも言えるモダン・インド料理を出す店だ。

 創作料理、無国籍料理というのは、当たり外れがあることが多いんだが、マサラ・クラフトで出されるインディアン・キュイジーヌは、当然ながらそんなことはない。

 あっしがここで食べて驚いたのは、大ぶりなエビを使ったプロウン・カレーさね。

 エビは天然のシラサエビ――ブラウンプロウンの一種だろう。シラサエビはクルマエビ科に属すエビで、その中で味も見た目もシバエビに近い。シラサエビはさほど大きくはならないが、このプロウン・カレーに使われていたのは体長15cmほどの大ぶりのやつで、食感は限りなくシバエビに近い。

 おそらくは、ムンバイの魚市場「サスーンドック」や、100kmほど離れた漁港から水揚げされたばかりのもののに違いない(前回のマッドクラブも同じところで水揚げされる)。

 そもそも中華にもエビのチリソース炒めがあるくらい、エビと辛味のスパイスってえのは相性がいい。スパイスソースがタップリ絡んだ大ぶりのシラサエビが、口の中でプリプリはじける食感ときたら、そらたまらねえ。

 インドのエビカレーってえのは、ヨーグルトかココナッツ・ミルクにカシューナッツを加えてマイルドにするのが主流だが、マサラ・クラフトのそれは、シラサエビがスパイスの強い味に負けない存在感があるため、ソースの味つけ&香りづけが肉のカレーに近いものがある。いわば素材の味を生かしつつ、カレーのソースとシラサエビをケンカさせて強調させる手法の料理だな。カレーというよりは、エビを使ったスパイス料理といった風合いだ。

エビとザクロのカレーって?

 以前にも話したと思うけど、インドのたいていのカレーってえのは、具材が1種類・・・多くても2種類までと決まっている。それはエビならエビ、チキンならチキンと、その素材に合わせた最適のスパイス調合が決まっているからだ。

 ところがマサラ・クラフトのエビカレーには、タマネギベースのソースの中に、ピーマンやトマトなど、大きめに切られたの野菜が入っていて・・・おおお、この噛むとプチッとはじけるほのかな酸味が、エビの食感と渾然一体となって口の中に広がる!

 ほう。この透明でルビーのような赤い実が、酸味の正体か。こ・・この実はいったい?

・・・ザ、ザクロ? ザクロだ! カレーの中にザクロが入っているんだ!

 なーんてよ。マンガの料理対決じゃないが、種をひとつひとつ丁寧に取ったザクロが、文字通り宝石のガーネットのように、カレーソースの中でキラキラと光っている。たぶんザクロは火を止める直前に入れてあるんだろう。もともとザクロの色素はペルシャ絨毯の染色に使われるくらい強いものなんだが、あまり加熱すると色素が実の外に流れてしまい光沢が消えてしまう。見た目も味も丁度良くなるよう入れてあるんだな。

 また野菜やフルーツの酸味ってえのは、エビに合う。トマトもピーマンもまるで果実のように甘酸っぱいものを選んでいて、シラサエビの味を引き立てているんだ。

 それにしてもエビのカレーにザクロとは、まさに料理の鉄人かグルメマンガさながらだが、なかなかにバランスよく完成されているんで感心した次第だ。

 創作意欲に溢れた、ここのシェフの心意気ってやつを、あっしは評価してやりてえな~。

 

インド創作料理の秘密

 玄人のみなさんにはシャカに説法だろうが、良質なレストランで出される伝統的料理のレシピってえのは、完成されているだけになかなか崩せないところがある。長い間、その国や風土で培ってきた食材と調理法には、栄養学的にも味的にも理由があるからだ。

 食材の選び方。その材料の旬。調味料やスパイスとの相性。火の通し方など、さまざまな条件をクリアして、料理というのは完成する。伝統料理のレシピにはそれ相応の理由があり、インド料理のようにスパイスのオーダーが完成されているものに、ほかの食材を加えるには、かなり勇気がいる。特にインド人はスパイスにうるさいため、日本のカレーのように、具材に何を入れてもOKとはしてくれないんだよ(もちろん上流階級の人だけだがね)。

 創作料理の難かしさは、そんな完成されたものに工夫して何かを加え、新しいものに作り変えることにある。人間の味覚ってえのは「慣れ」というものがあるから、同じようなものを食べ比べれば、食べ慣れたものに旗を上げるのが人情だ。

 だが今、ムンバイでは美味しくヘルシーなモダン・インド料理を出す店が、軒並み増えている。それも経済発展を遂げるインドの象徴ってわけだろうね。

パールスィー料理ってヤツもある

 ところで、伝統料理がすべて美味しいかって言えば、そんなことはなく、味よりも栄養や保存を重視した地域の料理だと(言っちゃ悪いが、イギリスあたりの食事はそうかな・・)、新たに創作した方が旨いってこともある。その辺は何とも言えないところだがね。

 タージ・グループってえのはホテルやレストラン、ジェットエアなど国内線の機内食でも、食事のクオリティーが高いことで知られているんだが、どういうわけかパールスィーの伝統料理ってえのは、あっしの知る範囲では大して旨いもんでもない。

 有名なのは肉をダル豆のスープで煮込んだダンサークというものだ。基本は豆とナス、ジャガイモ、タマネギなどを煮込んだ野菜スープだが、レストランで出される時は肉が使われることが多い。そいつをブラウンシュガーで色づけした米と一緒に食べるんだが、どうもちょっとね~・・・。

 あっしが食べたパールスィー料理がたまたまハズレだったのか、それともある日、連中が旨いものに目覚めたのかは定かじゃないが、タージ・グループの食事が美味しいってえのは、どうにもインドの不思議て感じさね。

 ただしパールスィーは食の禁忌がないため、使われる食材は自由だ。禁忌がないことが、欧米人とつきあう上で有利になったとも言われているらしい。ある意味、食の自由度が大財閥を築いたってことになるかもしれねえやな。

 さーて、時間が来やがった。

 それじゃ、お客さん。次回をお楽しみに!

かれーな印度カレーを召し上かれー7
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るるぶ郡山、もう1点!

2014-10-24 09:38:14 | Weblog

先日UPしたるるぶ郡山の絵地図ですが、実は2点描いてました。

前回UPしたものは郡山の市街地を中心にした、散歩を前提にした地図。
↑ 今回UPしたものはドライブを前提にした郡山市ほぼ全域の地図になっています。

こちらるるぶ郡山ですが、実は2点ともクライアントの市の都合で描き直しがありました。最初から言えよって感じですが、パーツが出来上がっているのでさほどの手間ではありませんでした。まあ、それも含めて仕事ってことでしょうね~。

こちらが広域バージョン、最初の絵地図。

↓ こちらが先にもUPしましたが町バージョン完成品。

↓ で、これが最初に描いたものでおます。

 
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かれーな印度カレーを召し上かれー、続きをUPします!

2014-10-22 09:20:38 | Weblog

本日もネタなしなので、医食同源「かれーな印度カレーを召し上かれー」をUP・・・というワケでもありません。これって、トップページのリンクや過去に使われた写真やイラストをはめてく作業など、わりと手間がかかるのですよ。

最近は外食に行くと、必ず出されたお皿の写真を撮るのでみなさまからウザがられますが、クライアントに食の関係が多いことで、ご了承していただいてます。

こちら「医食同源」のソースも、ずっとお蔵入りになっていたものですが、300話前後あるエピソードをUPしないのはもったいないというもの。独自にhpに作っても良いのですが、それよりは露出が大きいブログで発表して、まとめた方が効率よかろうということで、このような形で再生いたしました。

どうぞ、みなさま。末永いお付き合いを♪

 

かれーな印度カレーを召し上かれー・5
インドにはカレーは存在する? しない?

掲載日:2005年10月12日

 まいど、まいど、イダテンのゲンさんです!

いやはやまったく・・・先日バリ島で起こったテロには、驚きとともに怒りがわいてくるぜ! 世の中、あんなことを許す神さまがいる筈はねえもんで、一刻も早く、卑劣きわまりない首謀者の割り出しを願うとともに、テロの犠牲になった方々のご冥福を祈るほかはない。

先日もエビの買い付けと養殖場の管理に、インドへ行ってきたんだが、イスラム教徒の取り引き先が、2001年の9月11日以降、商売がやりにくくなったとこぼしていた。真面目に働いてるムスリムのみなさんには、どうにも気の毒な話で――特に欧米人の中にはイスラム教徒だというだけで、商売を控えるそうで、まったくもってテロリズムの根絶を願うばかりだ。

さて、こちとらゲンさんはテロなどに負けず、世界中の食材をかき集めている。

先日は、早々お正月向けお試し企画として、数の子各種一挙ご紹介キャンペーンを行ったところ、こいつが大好評だった。お客さんがたも、連休が過ぎて次の休日や年末の準備に余念がないだろうが、今後のスイサンドンヤ・ドットコムさんのキャンペーンにぜひとも注目していただきてえもんだよ!

 インドの洋食シズラーはいかが?

 さて、今回の「かれーな印度カレーを召し上かれー」。いよいよ5回目にして、ようやくカレーの本場、インド亜大陸に上陸だ。

あっしも商売がら、何度かムンバイ(旧ボンベイ)あたりを訪れるんだが、この辺は行くたびに大きく変化しつつある。こないだもインドに行ってきて、町の様子ばかりじゃなくインド料理自体が大きく変化しつつあるのに、あらためて驚いた次第だ。

昔からインドの訪問者が閉口する原因には、暑さやしつこい物売りばかりじゃなく、食べるものがカレー以外に見当たらないことがあった。

なんせ、どこに行っても香辛料がイヤというほど効いたカレー、カレー、カレー!

そりゃあ、本格インドカレーは美味しいが、さすがに毎日となると日本人にはキツいものがある。ましてや、腹をこわした時にカレーとなると、ちょっとねえ・・・。中華に逃げようと思っても、それも辛くてスパイシーとくれば食べるものがない。

つい4~5年前までのインドは、そんな状況だった。ところが、ここ数年――大都市に限っていえば状況が変わりつつあり、カレー以外に食べる物の選択肢が増えてきた。

その中でもおすすめはシズラー(※1)と呼ばれる鉄板焼ステーキだ。こいつは、ムンバイを中心にしたインド大都市の高級店で人気のメニューだ。

一般的なインド人はビーフもポークも食べないので、使われる肉はチキンが主流。肉だけでなく付け合わせの野菜も豊富で、食べる直前ジューッと鉄板から煙をたてる演出が、実に食欲をそそる。

シズラーはまったく辛くないので、インドの子供も大好き。日本でいえばハンバーグステーキみたいなもんで、いわばあちらの洋食さね。そんなワケで、シズラー料理は大都市に住む中産階級以上の富裕層が、家族で外食を楽しむ時の定番料理となっている。まあこの国の食も、徐々に変わりつつある。インドもずいぶん居やすくなったもんだよ。

加えて言うと、マズくて仕方なかったミネラル・ウォーターがおいしくなったのも、時代の変化だろう。種類も増えたし、昔は仕方なしに飲んでいた国産ものも、格段に味が良くなった。やはり、失礼ながらインド人も美味しい水の方が好きってワケだね。

※1 ”Sizzler”は肉汁がジュージューする、といった意味。あ

 

インドにはカレーは存在する? しない?

「インドにカレーライスは存在しない」

「インド料理にはカレーしかない」

お客さんの中で、こんな矛盾した2つの噂を聞いたことがないかな?

なんだい、ゲンさん。どっちだかハッキリしておくれよ、ってかい。だが、こいつは言葉が足りないだけで、どちらもある意味で本当の話なんだ。

前回までお話したように、日本の「カレーライス」ってえのは、イギリス経由でやってきたもので、インドのそれとはかなり異なったシロモノだ。

よく言われるカレーのジョークに、インド人に日本のカレーライスを食べさせたところ、

「美味しい日本料理ですね。何という名前ですか」と聞かれた、なんて話がある。

多分これは作り話だろうけど、それくらいカレーライスとインドカレーは違ったものなんだ(どう違うかは、後でお話いたしやしょう)。

ともかくもカレーの文字、上下どちらかに「ライス」がついたら別の食い物になるって意味で、「インドにカレーライスは存在しない」というわけさね。

一方「インド料理にはカレーしかない」だが、これはビジターがそう感じるだけの話だ。日本料理が味噌や醤油で味つけするように、インド料理はスパイスと塩によって味つけと香りづけをする。

つまりカレーというのは、日本料理における味噌や醤油にあたるものだ。たとえば茄子の炒め物やチキンの煮込み、豆のスープなど・・・それがスパイスを効かせたインドの味で出されてくる、と思っていただけば良いだろう。

外国人が日本料理をみな茶色っぽく感じるように、慣れてない人にとってはインド料理はカレーしかない、と思ってしまうわけだ。

どう違う? カレーライスとインドカレー

 日本のカレーライスは、海軍のまかない料理として発達した経緯から、一皿がオールインワンになっている。つまり、肉と何種類かの野菜、それを米を一緒に食べるため、カレーライス一皿で完全食品になる。手早く食えて、栄養も十分摂れるというわけだ。

それに対してインドのカレーは、1種類の主菜を中心に料理が組み立てられる(多くて2種類)。肉にせよ野菜にせよ、その食材に最適なスパイスを調合するためだ。

たとえばマトン、あるいはマトンのレバーのようにクセのある食材の場合には、香りの強いクローヴやカルダモン、シナモンなどを十分効かせる、といった塩梅に、材料に合わせてスパイスの種類や分量を加減するのさ。

その場合、あくまでマトンを主役にした調合で、それ以外の食材――たとえばジャガイモなどを丸のまま一緒に入れてしまうと、どうしても全体のバランスがわるくなる。メインの食材は1種類の方が持ち味がより生かされるというワケだ。

他の食材においても同様で、日本のカレーのように何種類もの肉や野菜を、丸のまま一緒に入れることはない。インドカレーはメインの主菜以外に、サラッとしたカレースープ以外入っていない。そいつをご飯やチャパティ、ナンといったインドのパンと一緒に食べるんだ。

日本のカレーに比べて、一皿における栄養バランスは若干バラつきはあるが、何種類かの小皿をとれば問題ない。おまけにスパイスってえのは漢方の材料だからな~。こいつは体に良いことはもちろんで・・・以前にも話したように、そのおかげかインドの胃ガン発生率は世界でいちばん低いとも言われているのさ。

インド文化はマサラ文化でい!

 インド映画のことを俗にマサラ・ムービーなんて呼び方をするが、マサラ(※2)ってえのはもちろん香辛料のことだ。インド料理はそれを抜きにして、考えることはできない。

マサラ――つまりスパイスを定義するとしたら、こんな風になる。

熱帯から亜熱帯、温帯の植物の種子、果実、花、蕾、葉、茎、木の皮、根っこなどを用いた薬味にあたるもの。その中で香りや刺激があり、風味づけや着色、食欲増進、消化吸収効果のあるものの総称、てな具合かな。

ハーブというのは、その中で葉っぱと茎を使った香草類と考えていただけば良いだろう。

カレーはもちろん、さまざまな総菜やスナック、お菓子に至るまで、インド料理はマサラを中心に組み立てられている。

インドの古代医学アーユルヴェーダでも、スパイスは切り離せない存在で、いわば健康の秘薬ともいえる存在と言って過言ではないだろう。

※2 Masalaというのはヒンディー語でスパイスのこと。カレーを意味する時にも使われる。たとえば「チャナ・マサラ」といえば、チャナ豆のカレーを意味するといった具合である。

辛さの帝王レッドペッパー

  ところで、インド料理=辛いというイメージがあるが、実はそれは正しくはない。

なぜなら、辛みのマサラ(※3)というのは、ざっくり言うと唐辛子と胡椒の2種類だけだからだ。

さらに突き詰めて言うとカレーの辛さは、ほとんどが唐辛子、つまりレッドペッパーで決まる。胡椒――ペッパーは料理によっては使われないこともある一方で、唐辛子を使わないインド料理は探す方が難かしい。

そのレッドペッパーの辛味の主成分こそ、カプサイシンと呼ばれるもので、その辛味は味覚の神経ではなく、おもに痛みの神経を直接刺激することによって感じられる。つまりカプサイシンの辛味は味というより、痛みに近い感覚なんだ。

よく激辛食品を「辛いというより、痛い」と言う人がいるけど、それは物理的にも感覚的にも正しい表現なんだ。だからこそ、辛いだけのカレーでは本当のインド料理と呼ぶことはできない。巷によくある10倍20倍カレーというのは、レッドペッパーを増量させているに過ぎないのさ。

日本人でも、辛いモン好きを自認するご仁であれば、インドカレーの辛さは楽にクリアできるものだ。インド料理にとって、辛さはあくまで脇役だと考えていただきたい。

インド料理の醍醐味は何と言ってもスパイスの香りであり、辛味はそれを引き立てるひとつの要素なんだ。つまり辛い=インド料理というのは、嘘ではないが正しいイメージではないということだ。

とはいえ、レッドペッパーの持つカプサイシンには種々の効能があることがわかっている。体脂肪を燃焼させるダイエット効果を筆頭に、代謝を良くして持久力増進、便秘解消による美肌効果、炭水化物の消化補助、免疫賦活化で発ガン抑制、etc・・・。

これらカプサイシンによるいくつかの健康効果は、酷暑期には気温が45℃前後にも上昇する、この国の人たちにとってなくてはならない要素だ。いやはや、インドで生きていくのは大変だからな~。インド人の持つスタミナの原動力には、レッドペッパーの力が秘められているのかもしれねえよ。

さーて、時間がきやがった。

それじゃ、お客さん。次回をお楽しみに!

 

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エリーちゃんと優子さん~医食同源(つづき)

2014-10-21 10:08:27 | Weblog

今日の朝のマッサンで、エリーちゃんと優子さんのツーショットが出てきましたが、美女お二人は対照的なお顔立ちです。

ドラマのセリフでも「見事に異人さんじゃのう」というエリーちゃんを見てる時は、脳が油彩モードになり、平たい優子さんを見てる時は脳が線画モードになりました。

やっぱり西洋人を表現する時は立体的になるし、日本人を表現する時は平面的になりますわな(笑)。

というわけで(何がやねん)、本日も医食同源「かれーな印度カレーを召し上かれー・その4」をUPいたします!

かれーな印度カレーを召し上かれー・4
カレーは肉食解禁からはじまった! 

掲載日:2005年9月28日

まいど、まいど、イダテンのゲンさんです!

いやあ、総選挙の結果が出てからというもの、世の中あわただしい限りだったなあ。まったく自民があそこまで圧勝するたあ、この白髪アタマにも想像がつかなかったよ。

ところで、今回の選挙がどうだったかという話は置いといて、あっしらの商売は選挙の前後から今の今まで、仕出し弁当から宴会、晩餐会のメニューとやらで、大童の状態が続いている。選挙に金がかかり過ぎるのは問題だろうが、関係する人たちに飯を食わすだけで、大変な騒ぎになるわけで・・・それもちょっくら頷ける次第さね。

何はともあれ、これからの世の中が良くなってほしいと願うほかはねえ。

ところで、みなさまのところにスイサンドンヤ・ドットコムさんの価格表と「超強力! 仕入れおたすけ情報」は届いたかな?

2週替わりの特売セールやポイントサービス、送料無量キャンペーンなど、毎日が特売状態という、出血大サービスの企画が目白押しだ。人気のエビやマグロ、ホタテなんてえのは、特にお買い得だよ!

ともかくも、こういったお客さまがたに嬉しいキャンペーンは、今まで以上にこまめにするつもりだ。食欲の秋に向けて、みなさまのご注文――心よりお待ちいたしやすぜ!

カレーは肉食解禁からはじまった! 

「かれーな印度カレーを召し上かれー」も、早や4回目。今回は明治から昭和にかけて、どうやって日本にカレーが定着していったかをお話ししよう。

なに? ゲンさん・・・印度カレーと銘打っておきながら、イギリスと日本の間をウロウロしてて、いったい何時になったらインドカレーの話になるんだって?

写真はインドだけど、中身は日本のカレーじゃないかって?

へっへっへ。いいから、まあ、もう少しお待ちよ。

モノには順序ってものがあるんだ。あっしもエビの買い付けがてら、この後、ちょっくらインド詣でに行く予定だ。お客さまがたには、イヤというほどスパイスのきいたお話をご馳走するんで、どうか楽しみにしておくんなせえ。

さて、以前にも話したことがあるが、日本人の食生活は明治維新と戦後を境に、劇的な変化を遂げたわけだが、カレーはその中でも大きな役割をはたしてきた。

前回、文献による日本最古のカレーが、食用ガエルを使ったもので、そいつが明治5年だという話をしたが・・・実は、この明治5年というのは、日本の食生活を語る上で大きな分岐点になった年なんだ。

何って、お客さん。わかるだろう、肉食の解禁さ。

日本人は仏教の影響で、長い間、一般的に肉を食らう習慣がなかったから、肉食解禁はいわば食の革命だったわけさ。

飛鳥時代の天武4年(675)、天武天皇が殺生禁断令の勅命を発せられて以降、明治5年まで、こいつは厳然として生きていた。肉食解禁のたった3年前の明治2年には、牛一頭殺して食べた罪で、10人が島流しになったという記録まで残っている。

もっともその一方で、肉食解禁になる以前――幕末の安政頃から、大阪では牛鍋屋が店を開いてたってえんだから、どうにも日本人ってえのは、その辺は実にいい加減にできていたもんさね(まあ、いい加減は、もともと仏教用語で「丁度好い加減」を意味する言葉だそうだから、それで良いのかもしれねえけどな~)。

インドのベジタリアンと平安貴族は兄弟だった?

 殺生を禁ずるというのは、ブッダの時代からあったインドにあった教えだが――それは、もともと仏教の母体になったバラモン教 ※1 に見られるものだ(もっとも、まともな宗教に殺生を奨励するものはないけどな)。

インド人にベジタリアンが多いのも、殺生を禁じるという宗教的な理由によるものだ。

バラモン教がヒンドゥー教に変化した現在でも、それは同じことだし、枝分かれした仏教の兄弟分・ジャイナ教に至っては、畑仕事は鍬(すき)で虫を殺しちまうってんで、農業もできないというから、徹底してらあな。

日本人に比べ、比較にならないほど生活と宗教が密着しているインド人にとって、食の禁忌は厳格なものだ。ベジタリアンでなくとも、牛を神聖視するヒンドゥー教徒は、まずビーフを食べないし、豚を不浄と見なすイスラム教徒にとってポークはご法度だ。

当然、食べる肉も鶏か羊に限られるし、さらに厳格なベジタリアンは魚も卵も口にしない。インドで野菜カレーが充実しているのは、そのためなのさ(究極のインドカレーってえのはベジタブルカレーにあり、とあっしは思っている)。

ところが、一方で日本式カレーの場合、肉とカレーとは切っても切り離せない。

インドのベジタリアンと、平安貴族など昔の日本における肉食禁忌は、同じルーツにぶち当たるのに、ことカレーにおいて肉の扱いが正反対なのは面白い話だ。これはひとえに、宗教のに厳格なインド人と、宗教に淡白な日本人との違いが顕われたものと言えるだろう。

※1/ バラモン教は現在インドの人口の8割を占める、ヒンドゥー教の母体。どう違うかは、ややこしいので、呼び方の違いと考えていただきたい。

やっぱり肉はリキがつくぜ! 

 さて、肉食の禁忌と言っても、日本人お得意の建前ってヤツで、昔の人も実はこっそりお肉を食べていた。特に鎌倉から江戸にかけての支配層は、自分たちだけ肉を食べ、庶民には禁じていたという話だ。

まあ、それもそのはず――やっぱり肉はリキがつくからね~。

支配層にとっては、庶民に肉を食わせて力をつけられたら厄介ってえのが本音らしく――その証拠か、地獄に落ちるのを畏れて肉を食べなかった平安貴族が、やがて武士に政権をとられていったのは、食生活によるものが大きかったという説もある。また牛馬は軍用、交通用、農耕用と、当時の重要な動力だったことも、肉食禁忌の現実的な理由だったろう。

平安以降、政権をとられてからは、貴族も薬猟と称して狩りを楽しんでいるし、江戸以降の大名や将軍でも、牛肉を好んで食べていた記録が数多く残っている。

近江牛ブランドは、もともと彦根井伊家が将軍家に献上するために飼育していた牛がはじまりと言われているし、あの水戸黄門こと徳川光圀公も、大の牛肉党だったことで知られている(黄門さまは、ラーメンを最初に食べただけじゃなかったんだな~)。

また徳川慶喜公は大の豚肉党で、初めに嗣いだ一橋家の文字をとって「豚一」と揶揄されたこともあるくらいだ。やっぱり肉は旨いもんな。

陰でこっそり食べていたこともあってか、一旦、肉食が解禁になった途端、肉を食わぬ奴は遅れているとまで言われるようになった。この辺の変わり身の早さが、まさに日本人の真骨頂といえるだろうな~。

牛肉食わぬは開花不進奴(ひらけぬやつ)? 

肉を食わぬ奴は遅れている――そう最初に言ったのは、仮名垣魯文(かながきろぶん)という、この時代の戯作者・新聞記者だ。

この幕末から明治にかけて、一気に西洋化の波が押しよせてきた時代――巷では牛鍋屋が流行りはじめていた。牛鍋というのは、もちろん今のすき焼きの原型だ。

魯文は明治4年、この牛鍋店に集まる客たちが雑談しているありさまを、具体的に面白おかしくつづった滑稽本「牛店雑談 安愚楽鍋」(うしやぞうだん・あぐらなべ)というベストセラーを出している。

その中にある「牛肉食わねば開化不進奴」という記述が、当時の食生活に大きな影響を与えたらしい。この時代から新聞記者ってえのは、世論に火をつけるのがお得意だったようだが、魯文さんの思惑はまんまと当たり、牛鍋と共に肉食の習慣は、あっという間に世に広まっていったという寸法よ。

ちなみに当時、書生だった福沢諭吉も牛鍋を好んで食していた。大阪で牛肉が好まれるのは、この頃から始まったのかもしれないな。

カレーを食べて大きくなろう! 

仮名垣魯文は「西洋料理通」という別の著書で、肉入りカレーのレシピも記している。こいつは当時横浜にいたイギリス人が、メイドに料理を作らせるためのノートを基にしたもので、今見てもなかなか新鮮な感じがする。

それは牛肉と鶏肉、長葱とリンゴ、そしてカレー粉に小麦粉を用い、仕上げに柚子を絞り込むというもので――同じ時期に作られたフロッグカレーがブイヤベースだとすると、魯文のビーフカレーは、フレンチ風洋食といった風合いのレシピになっている。

ところで、この時代に肉食を解禁して押し進めたのは、やはり明治政府の持つ富国強兵の考え方が根底にあったんだと思う。

周知のように、江戸時代の日本人は食生活のせいか、男性でも平均身長が155~158cmそこそこと大変小さかった。それが黒船の来襲と共に、赤鬼みたいにでっかい異人さんたちの姿を見た時は、さぞ驚いたはずだ。

当時の日本よりずっと進んだ文明を持ち、体格面でもはるかに日本人を凌駕する西洋人を見て、こいつらが何を食べて大きくなったのか、当時の人たちは真剣に考えたはずだ。

なんせ、明治4年には、平安の古より肉食禁忌の元締めだった天皇家をかつぎ出し、宮中において肉食禁止令を解いているんだ。それは国を上げてのスローガンだと言っても過言ではないと思う。

同じ年に流行った「牛肉食わぬは開花不進奴」なんてコピーライトは、当時の国策として作られた――なんて考えるのは穿(うが)ち過ぎだろうけど、きっと世の風潮にそんな雰囲気があったんだろうよ。

 

アレンジ好きの日本人 

 カレーが海軍の食事として、大いに重宝された話は前回も話したが、兵役を終えて帰郷した兵士たちが、船の上で覚えた味を地元に広めていった。

栄養満点で大勢の人数を賄える上、作り置きのできるカレーは軍隊だけでなく、農家の食事としても最適だったんだ。熊本では馬肉カレーなんてものがあるそうだし、福島ではホッキ貝のカレーなんてご当地カレーもあるそうだ。

テレビもラジオもなかった時代、カレーが全国区になっていったのは、そんな理由もあるのだろう。

寿司でも天ぷらでもモトは外来の食べ物だが、およそ世界の中で日本人ほどアレンジ好きで、それに長けた国民もない。カレーはその代表格と言って良いだろう。なんせ明治以降の新参もののくせに、日本人の食卓でデカい顔をして鎮座ましましているんだからな~。

アレンジされたカレーには、上野精養軒のカレー。中村屋のカレー。ヱスビーのカレー粉。給食のカレーシチュー。学食のカレー。カレー南蛮。カレーパン。カツカレー。市販のレトルトカレー&カレールー。福神漬け、ラッキョウなど、枚挙にいとまない種類のカレーや副産物が生まれていった。

さーて、時間がきやがった。こいつら日本でアレンジされたカレーについては、もう少し後の機会にお聞かせするして・・・次回はいよいよインドカレーとスパイスの秘密に迫ることにしよう。

それじゃ、お客さん。次回をお楽しみに!

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関東大震災~朝鮮人虐殺はあったのか

2014-10-20 09:58:03 | Weblog

家でアチャールを漬けてみました。アチャールはパパイヤやマンゴーの青い実をスパイスと塩で漬けたインドのピクルス。自分のキャラに名前を冠したものの、作るのは初めてでした。

 

 

昨日、NHKで「カラーでよみがえる! 東京100年の映像物語」にすっかり見入ってしまいました。映像のすべてが真実ではないものの、そこに写った建物や人々は、まさしくその時代に生きていた現実です。

その中でも関東大震災の映像ですが・・・意外というのもおかしいのですが、当時の被災者が東日本大震災と同様、まかないにきちんと列をなしていたことにわたしは少々驚きを覚えました。

その前に、松平さんのナレーションで「関東大震災では流言飛語で、朝鮮人が虐殺された」とありましたが、まかないに列をなす人たちが、本当にデマにまどわされて人殺しなどするかな? という疑問を覚えたのです。

朝鮮人が井戸に毒を入れたとか、放火して暴れている

真実かどうかわかりませんが、それは当時の新聞に掲載されています。
その情報が飛び交う中、疑心暗鬼となった日本人の被災者が、朝鮮の人たちを虐殺したという話ですね。

この話は、私が小学生5年の頃に南京大虐殺の話と一緒に、当時の担任の先生から聞かされました。当時の私は中国人も朝鮮人も区別がつかず、朝鮮半島に2つの国があるなんてことも、よくわからない子どもでしたが、その話を聞いて「日本人がずいぶん酷いことをしたんだな」と思ったものです。

さて真実や如何に?
と言っても、今となっては本当のことはわかりません。

ネット上では、当時の朝鮮人が本当に放火をしたり、略奪をしていたという情報もあり、日本人が虐殺をしたなんてウソだという声もあります。

もちろん列をなす日本人の被災者を見た限りでは、あの人たちが朝鮮人に手をかけたことはなかったでしょう。
ただ、当時からそういう礼儀正しい日本人ばかりでもなかったこともなかったことは確かです。

一方で戦後の日本では、日本が敗戦国となったとたん戦勝国気取りで暴虐の限りをつくした朝鮮人も多く、それはあの左翼マンガ「はだしのゲン」にでさえ描かれています。
実際にそういう目に遭った人の話も、何度も聞いてますから、それは本当に違いありません。

しかし一方で、今赤坂にあるコリアンタウンの先達たちは、あの地で商売をするのに、日本人に遠慮して当時赤坂見附駅から遠かったあの地に店を作ったと言います。
だから日本人も朝鮮人も一つではないということです。

私の個人的な考えでは、互いのイザコザで殺し合いがあったのほ本当じゃないかと思います。日本人による朝鮮人の虐殺があったと取り上げるなら、朝鮮人による放火があったとも取り上げるべきではないか。

そんなことをふと感じた次第です。

それにしても貧乏な頃の日本人・・・良い笑顔でした。
今の日本人。4~5年前よりは表情が明るくなりましたが、 これからはそのあたりも考えて暮らして行きたいと思いました。

 
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医食同源~かれーな印度カレーを召し上かれー2

2014-10-19 07:52:46 | Weblog

昨日は拙宅で「七人の侍」上映会。
200分の長尺を観たあとは、水産会社の友人が提供した岡山邑久町(おくちょう)の生ガキを、日本酒李白で流し込みました。

何度も見ているSeven Samuraiですが、あまりに書くことが多過ぎて言葉になりません。「七人の侍」に関しては、後日機会があれば書くことにして、本日は意外に好評な「医食同源」シリーズの続きをUPすることにいたしましょう。

今回も全30話ほどある「かれーな印度カレーを召し上かれー」、その2です♪

 かれーな印度カレーを召し上かれー・2

相変わらず暑い日が続く・・・と言いたいところだが、8月も終わりになると、さすがに朝晩は涼しくなり、東京じゃあ、ぼちぼちツクツクボウシが鳴きはじめたところだ。

あっしらの若い頃は、夏真っ盛りでもこのくらいの気温だったような気がするが、それにしても、暦だけは容赦なく過ぎていくわな~。お客さんがたのお子さんたち――夏休みの宿題は、もう終わったかい?

昔は夏休み日記につける天気の辻褄合わせに大変だったもんだが、今じゃあネットを見れば一発で、いつどこの天気でもたちどころにわかる。まったく便利な時代になったもんさね。

もっとも、あっしのような年寄りからすると、子供にあんまり楽をさせるのは、どうにも感心しねえ。どうせ人生、どこかで苦労するんだから、宿題でヒーヒー言わせるくらいなら構わねえと思うんだがね~。

もっともこれがこと商売となりゃあ、話は別だ。スイサンドンヤ・ドットコムさんの商品も、楽して安い食材を買えるとあって、お客さんがたにはまっこと申し訳ねえ♪

先日キャンペーンを行った、無頭殻付き海老IQF(バラ凍結)も、本格派チーズケーキも大好評! いや~、お客さん。申し訳ねえが、これからも魅力的な商品をジャンジャン提供するんで、よろしく頼みますぜ!

カレーを選んだ日本人の浮気な舌 

さあ、「かれーな印度カレーを召し上かれー」。2回目の今回は、カレーライスが日本にどう伝わったのかを探ってみよう。

食い物の歴史というのは、実に不思議なものだ。

食材ってえのは、一過性のもの。食べてしまえば、消えてなくなってしまうわけだから、資料がなかなか残らない。たまたまレシピが残っていたとしても、その時代の人が、本当の意味でどんなものを食べていたのかは、実際にはわからないのさ。

あっしの考えでは、食の歴史ってえのは、その時代に生きている人間の舌が、タテ方向、ヨコ方向に伝えられていくモンだと思っている(タテ方向とは時間の流れのこと。ヨコ方向とは、同時代に生きる人と人の間に伝達されること)。だからこそ民族固有の味覚ってえのは、保守的で変わらないように見えて、意外なほど簡単に移り変わるものなのさ。

最近の事例をあげると、ここんところ外国でも、ビールに枝豆ってえのが流行っているそうだ。日本にやって来て、ビールと一緒に枝豆を食べた外国人が、味を覚えて広めたんだろうねえ。ビールの本場、ドイツでも枝豆がもてはやされているそうさね。

どこの国の人も、美味しくて目新しい食材には、すぐに飛びつくし、また世代交代すればおのずと世の中の嗜好は変わっていく。今のようなボーダレスの時代なら、なおさらさね。

そんな意味で日本人のカレー好きも、明治時代に入ってきた、目新しい食の嗜好だったわけだね。  

大航海時代より明治維新でえ! 

 さーて。そんな意味で17世紀の大航海時代くらい、食べ物の歴史が劇的に変化した時代はなかった(現代を除いてな)。

欲の皮が突っ張った山師たちのおかげで、スパイスはもちろん、ジャガイモ、ニンジン、茄子やトマト、唐辛子といった、今じゃあ世界中どこでもある食い物が、世界中に広まったワケだ。

ところがわが国の場合――大航海時代というのは、ほぼ戦国時代の終わりから江戸の鎖国の時期に当たる。鉄砲やザビエルさんはお越しくださったか知らないが、鎖国によって交易の道は大幅に閉ざされてしまったため、この時期、日本の食が大幅に変化するようなことはなかった。

もちろん、ニンジン ※1 や唐辛子――そして当時、赤茄子と呼ばれたトマトも、この時代に入ってきた食べ物ではあるが、それらは日本人の食卓を大きく変えることはなかった。

日本の食生活が劇的に変化したのは、それから300年も経った明治維新からのこと。

みなさんが大好きなカレーライスが登場するのも、当然ながらこの後の話になるわけだ。

※1/ この場合は東洋種。ニンジンには京人参に代表される東洋種と、スーパーなどで見かけるヨーロッパ種がある。前者は16世紀頃、中国から伝わったもので、カレーライスに使われる後者は明治以降に入ってきたものである。

 カレーが生み出した東インド会社 

 日本のカレーライスが、直接インドからやってきたのではなく、イギリス経由でやってきたという話は、玄人のみなさま方なら先刻承知だろう。

はじめにポルトガル人がインドに持ち込んだカレーのレシピは、やがて本国ポルトガルでは姿を消し、インドで大きく発展した。ポルトガル人は胡椒――ペッパーだけでなく、クローブやナツメグなど、さまざまなスパイスを扱っていたらしく、最盛期にはスパイス交易の流通70%を連中が握っていたそうだ。

欲の深い当時のポルトガル人は、さらに首都リスボンにインド庁という役所を設け、胡椒の価格を吊りに吊り上げた。

ところが、それがイギリスやオランダ商人の欲望に火をつけて、インド進出に食指を動かせた――それが17世紀初頭、東インド会社 ※2 の設立につながったわけさね。

ご存じのように、東インド会社はスパイスなどの輸入を目的にしていたが、利権拡大のために、植民地経営に従事していたのは有名な話だ。

このイギリス人という連中――あれだけアジアやアフリカの国々を植民地にし、さんざん搾取を続けておきながら、呆れ返ったことに、新しい食文化をほとんど生み出さなかった。

あの国を旅行した人なら誰もがご存じだろうが、イギリスには英国料理と呼べる旨い食べ物が、まず見あたらない。

あるのはフィッシュ&チップスと呼ばれる、白身魚のフライにポテトフライ。

それからイングリッシュ・ブレックファストに代表される、ボイルドエッグやソーセージ。ベーコン。マッシュルームのソテー。ベークド・トマト。ベークド・ビーンズ。ブラック・プディング(血やレバーのソーセージ)。etc。

うーん。イギリスの代表的な作家、サマセット・モームは「イギリスでおいしい食事にありつこうと思ったら、朝食を三度食べることだ」 なんてことを、自虐的におっしゃってるけど、それでも毎食イングリッシュ・ブレックファストってえのもねえ・・・。

そんなイギリス人が生み出した、数少ない食の発明がカレー粉だったわけさ。

※2/ 東インド会社は、大航海時代にヨーロッパ諸国が、アジア地域の貿易を独占する目的で作った会社の総称。イギリス東インド会社、オランダ東インド会社、スウェーデン東インド会社、デンマーク東インド会社、フランス東インド会社がある。 知名度も悪名も高いのは、何といってもイギリス東インド会社だろう。

女王陛下は勝利の香りがお好き 

インドカレーのスパイス調合は、なかなかに複雑だ。

もちろん基本となるスパイスは3~8種類もあれば、格好はつく(コリアンダー、チリ、ターメリック、クミン。それにペッパー、カルダモン、クローブ、シナモン等)。しかし、それを発展させて、旨いカレーを作るとなると、そいつは結構な技術が必要だ。

ハッキリ言って、普段から大味なものしか食べてない一般のイギリス人に、インドカレーを作れといってもそいつはムリな話だったろう。また植民地時代、料理の類はすべてインド人のメイドにさせていただろうから、その必要もなかったワケだ。

味音痴だが合理的なイギリス人は、複雑なスパイスの調合をすることはせず、はじめから出来上がってるミックス・スパイスを考案した。

最初からスパイスを混ぜ合わせると、どうしてもフレーバー感は失われるが、大味に慣れてる連中にとっちゃ、そんなことは大したことじゃない。それより簡単にカレーが作れることの方が重要だったってわけだ。

 

実際に、現在のカレー粉に近い、ミックス・スパイスを最初に作ったのは(正確に言うと、作らせたのは)、ウォーレン・ヘイスティングズというベンガル地方 ※3 の総督だったそうだ。総督閣下はインド人に、ガラムマサラやカレーペースト用にスパイスをブレンドさせ、イギリス本国に帰った時に食べられるように仕立てたようだ。

それを本国で、かのクロス&ブラックエル社――かの有名なC&B社が目をつけて、さらに改良を加えたのが、現在のカレー粉のはじまりなんだそうだ。

C&B社の前身は、エドモンド・クロスとトーマス・ブラックエルがはじめたケータリング・・・つまり、いわゆる仕出し弁当屋だったそうだ。事業がうまく行くにつれ、彼らは次々に新商品を開発したそうだが、中でも、世界初のカレー粉「C&Bカレーパウダー」は、イギリス本国で爆発的にヒットした。

どうやら、当時のイギリス人にスパイスの香りは、ヨーロッパ列強の植民地競争における、勝利の香りに感じたらしい。

カレーはかのビクトリア女王にも献上され、陛下はその高貴な風味を喜び楽しんだという。やがて英国王室いっぱいに広がったカレーの香りは、イギリス一般家庭にも広まっていったという寸法さ。

※3/ 現在のコルカタ(旧カルカッタ)からバングラデシュにあたる、東インド地方。

ローストビーフのカレーはいかが? 

 C&Bカレーパウダーが発明されたのは18世紀の話だが、残念ながらあまり資料が残っておらず、どんな料理だったか詳しくはわからない。

そもそもイギリス人が残した植民地時代の資料を読むと(英語なもんで、あっしが読んだワケじゃねえけどよ)、どんな食べ物があったかは記されてあるんだが、それは旨かったのか、どんな味だったのかが、まるで書かれていないそうだ。

このあたりにも、連中の食に関する関心の薄さがあらわれているわけだが――この時代のあと、一般家庭ではローストビーフの余り肉で作ったカレーが食べられていたのは、わかっている。

一般家庭でローストビーフなんていうと、いかにもイギリス人が贅沢をしているみたいだが――何も和牛を食べてるワケじゃない。連中にとっちゃ、牛肉は日本人が3度のおまんまを食べるような、ごく普通の食材だってことさね。

大量に買ってきた牛肉の塊をローストビーフにして、そいつをおよそ1週間かけて食べるんだが、さすがのイギリス人も同じものばかりでは飽きてしまったんだろう。

また今ほど冷蔵技術のなかった時代だから、どこかで火を入れないといけなかったというのもあるのかもしれない。そんなもんで、当時のイギリス人は週に1度はビーフカレーを食べていたらしい。

では、今はどうかというと、イギリスの家庭でカレーを作ることは、ほとんどないようだ。カレーは外食で食べるもの。それも英国式カレーではなく、インド料理のレストランで食べるというのが、現在のスタイルだそうだ。

つまり世界の中で、今でも英国式カレーを一般的に食しているのは、日本ってことになるワケだが・・・いけねえ、いけねえ!

夢中になって語りすぎて、時間がなくなっちまったぜ。明治以降、どうやって日本にカレーが入ってきたかは、次回にお話いたしやしょう。

それじゃ、お客さん! 次回をお楽しみに!

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帰国した中村博士の発言 & LEDの課題

2014-10-18 08:54:45 | Weblog

赤坂なかむら食堂のサンマ刺身。ノーベル賞の中村博士とは何の関係もありませんが、私はこちらの方が好きです♪

特許は会社のもの「猛反対」 ノーベル賞の中村修二さん

朝、NHKのおはよう日本を見たら、ノーベル賞受賞後、はじめて帰国した中村修二博士のインタビューがオンエアされてました。

うーん。
やっぱり、この人の発言は好きになれないなあ。

研究者が発明の恩恵を受けるのは当然だろうけど、研究費や資材提供してもらっておきながら「手柄は全部オレのモノ」というのは虫が良すぎるのではないでしょうか。

研究の貢献度に応じてシェアする(といっても不公平感は必ずどちらかに出ますが)のは必要だと思いますがねえ。

こちらはパクチーサラダです♪

こちらは中村博士の講演と、それに対するコメント。

その中で堀さんという方のコメントは、まさに正鵠を射たもの。

↓参考までにここに貼っておきます。

「日本は窮屈だ」とか「日本では突出した才能は抱えきれない」と言うが、事実でないと思う。 日本は、どれだけ多くの自由奔放な突出した才能を輩出してきたことか。

中村教授が米国にいたら、おそらくノーベル賞を受賞していなかったのではと思う。そもそも実績が無い人にはポジションを与えられず、研究資金も獲得できなかったのでは無いだろうか。米国の研究は、そんなに甘くない。日本だから、中村修二さんを自由に研究させたのだと思う。

日本の教育を受けてきて、日本で大成した人が、自らを育てた日本を批判することには、強い抵抗を感じる。日本で成功しないで、米国で成功した人から出た批判ならば、その批判を甘受できる。

自らを育てた環境に謝意を示さないのは、僕は人間的には尊敬できない。
(この記事とは直接関係ないが、最近海外に脱出した人が日本を批判することが多いから、ついつい書きたくなりました)。

さて、中村博士のこととはさておいて、うちもキッチンと仕事場の電球が切れたのを機会に照明をLEDに替えました。

白熱灯はわりとすぐに切れてしまうので、これで10年は替えずに済むと思うと気が楽になりますが、実際家庭にLEDを入れてみて気づいたことがひとつ。

信号機などでは感じなかったことですが、光線が目にキツいってこと。

同じ40Wの電球でも明るく感じる一方で、目に突き刺さる感じがするのです。
これはおそらくLEDが熱などムダなエネルギーに変わらない分、光の周波数の種類が限られているため、それが目に刺さる感じがするのだと思います。
(未検証です。ご存知の方はご教示のほどを)。

ビックカメラの店員さんは「明るさは同じです」と言いますが、計測値は一緒でも、目視したイメージは違います(私の目の方が間違いないはずです)。

間接照明には向いていますが、直接光だと、ややキツいですね。ちなみに40Wの電球を30Wに替えたものも、30WのLEDの方がキツい感じがしました。

電球に手を近づけると、温度はたしかに低く、指で触れることもできます。
ともあれ電気代も安く済むLED。今後ますます普及していくでしょうね。

 
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るるぶ郡山、絵地図が出来ました!

2014-10-17 10:11:54 | Weblog

るるぶ郡山、出来ました。

静岡るるぶと一緒で、市が観光用に頒布するためのもの。
絵地図は2箇所あって、町バージョンと広域バージョンで、本日はとりあえず町バージョンをUPいたします♪

 
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ヤマガタ・サンダンデロでトークイベント!

2014-10-16 09:22:11 | Weblog

昨日はヤマガタ・サンダンデロを貸し切りにした、宇田川敬介氏主催のトークイベント「うだがわBAR@語り尽くせない裏トークLIVE」に出席しました。

奥田シェフも参加してもらい、和やかな雰囲気のあっという間の120分!
立食で大皿に出て来る料理がこれだけクオリティ高いというのもさすがでした♪
次回は12月13日(土)に行います♪

 
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