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小暮満寿雄 Art Blog

ダジャレbotと間違われますが、本職は赤坂在住の画家です。作品の他お相撲、食やポリティカルな話も多し。右翼ではありません

はっきりさせたい! 日中友好と南京事件

2012-02-29 11:41:06 | Weblog
南京での柔道交流中止に 河村市長の虐殺否定発言が影響

河村氏「組織的大虐殺なかった」 発言撤回せず


レバノンには「恥知らずに唾を吐きかけると、”雨が降っている”という」という言葉があるそうです。

この言葉には2つ意味がありまして、
ひとつは言葉通り、侮辱されても抵抗しない恥知らずを揶揄する意味で、
吐きかけられた「唾」という事実を、「雨」に差し替えてしまうことですね。

もうひとつは真逆で、殺されそうな時は侮辱されてもじっとガマンしろ、という意味だそうです。

生きていくのに厳しいアラブならではことわざですが、
今回の河村市長の南京発言をめぐるやり取りほど、この言葉が当てはまるものはありません。


歴史は勝者が作る、とよく言われますが、
それで済ませてしまうのは思考停止ですし、いわば勝者の思うツボです。
(別に向こうが勝ったわけじゃないけど)。

まして中国側の言う「日中友好」の多くは、あちらの意見にすべてイエスと言った上での友好です。

実際に、事実がどうだったかは別に考えないといけません。


たとえば、(ちょっと違う例になりますが)飛鳥時代の工房跡から紅花の花粉が発見されれば、
紅花染めの事実が推測されるわけで、こういった物的証拠は勝者が作る歴史とは無関係なことです。
物質はウソをつきませんから。

どんなに中国側が「南京大虐殺は事実」と主張しても、
科学的な検証、その当時の一時資料を照らし合わせれば、
30万人の虐殺があり得ないことがわかるわけです。



河村発言をめぐる記事でいちばん問題なのは、事実の検証や議論を飛び越えて、
まず「南京大虐殺ありき」という中国側の主張に、
一部の日本側のメデイアが寄り添っていることでしょう。


記事を見てもわかるように、事実の検証に無関係な、
柔道大会の中止やアイドル歌手講演の中止、そして観光業の悲鳴を、
”日本側”が報道して批判しています。

たしかに自分が観光業の人間でしたら、それは頭を抱えることでしょう。
(でも、中国を相手に商売する場合、申し訳ないですが、
 そうでなくても、いきなりのキャンセルはあるでしょうね)。

しかしながら「この時期に言わなくても」と言いますが、では、いつ言うのでしょう。
政治家という仕事は、すべての人に良い顔はできません。


河村市長とすると、市民の商機を失った点は申し訳ないとしながらも、
発言に関しては、南京事件があったということが、事実として証明されない限り、
政治家としては撤回できないのは当然だと思います。

とにかく、南京事件の事実が実際どうだったのか、白日のもとで証明してほしいものですが、
(実はもう証明されてますが)
これは今の中国が崩壊しないかぎり、あちら側が同じ土俵に立つことはないでしょう。


いや・・・「馬鹿」という言葉の語源を考えると、今の政府がかりに崩壊しても歴史は繰り返すのかなあ。
なんせ、列車事故の車両を埋めてしまう国ですからねえ。


写真は雪の日のなまけ蛙くん。
雪の日もせっせとなまけていますねえ♪
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オスカー受賞「アーティスト」と「もののあはれ」

2012-02-28 10:23:36 | Weblog
昨日はアカデミー賞の発表があり、何とフランス映画でモノクロ無声作品、
アーティスト」が作品賞を含む5部門を受賞しました。

見る前から言うのも何ですが、
今の時代、あえてモノクロトーキーにした作品がオスカー受賞・・・
いや、何となくわかりますねえ。

土曜日に「J・エドガー」を見た時、本編の前にいっぱい予告編をやりましたが、
「ホビット」「タイタンの逆襲」「ジョン・カーター」といった、
CGタップリの特撮作品は、正直言ってあまり見る気がしませんでした。


スピルバーグは、
「今のCG技術なら、”アラビアのロレンス”で行った砂漠のロケをスタジオで完全に再現できる。
 だが、なぜか観客には砂漠で撮影した温度や空気がわかってしまう」と言いました。

たしかにそうですが、ちょっと違うと思うのは「完全には再現できない」ことかな。


鬼のような労力を費やして制作するCGスタッフには申し訳ないけど、
CGというのは、あくまで脳内アクションなんですね。

だから同じ合成でも、レイダース1作目で大岩が転がってくるアクション、
映画館で見ると、本当におっかないけど、
CGの特撮だと、あの勢いはなかなか表現できません。


個人的にはアクション云々よりも、CGの使用方法が「カーズ」や「トイストーリー」みたいな、
CGアニメーションというのは、完全に脳内世界の再現なので、
おぢさんとすると閉ざされた空間に疲れてしまうというのはあるのですね。

「J・エドガー」などでも、大統領のパレード場面などはCG合成をしているに違いないのですが、
脳内世界の再現ではなく、リアルな世界を再現するためのものなので、
善し悪しは別にして、そのあたりはまったく違います。


ちょっと違う話になってしまうけど、
本居宣長じゃないけど、アートには「もののあはれ」というものがほしいというのが、
わたくしの個人的な気持ちです(自分にそれがあるかどうかは別ですが・・・)。

もののあはれ、というのはすごく抽象的な言い方ですが、
ここでは「何かを深く感じる心」とでも言いましょうか。
(みなさん、勝手にご解釈を!
 別にそんなものいらん、という意見もアリだと思います)。


わたしの知る短歌の先生で、村松和夫という万葉集の研究者がおります。

村松先生はお弟子さんに言うのですが、
「孫の歌などお詠みなさんな。
 もともと短歌は悲しいこと、辛いことを嘆詠するもの。
 可愛い可愛いはわからんではないが、
 人の心はそのようなもので動くものではありません」

先生のご意見がすべてに当てはまるかはわかりませんが、
一面の真実・・・というよりは、少なくとも短歌の本質に近い言葉に違いありません。
さらに言うと、芸術というのもそうではないかと。


先に書いた記事のイーストウッド作品も、苦手な人がいる一方で、
多くの人の心をとらえるのは、この「何かを深く感じる心」ではないかと思います。

作り手も幸福だと、良い作品ができない・・・なんて人もおりますが、
それはそんな意味があるのでしょう。
幸せだと良い作品ができない、というのも辛い気はいたしますが。


余談ながら、映画「ジョン・カーター」は、
”ターザン”の原作者エドガー・ライス・バローズが1917年に発表した大ベストセラー
「火星のプリンセス」が原作です。

今ではあまり使われなくなった「スペースオペラ」というジャンルの先駆けで、
実はスターウォーズの第一作目は、
当時、スペースオペラを映画ではじめて成功させた作品として話題になったのですが、
すっかり主客転倒して死語になっちゃいましたねえ。
本来なら見たくなる作品のはずなんですが・・・。

写真は写真は有楽町、国際ビルB1Fキッチン・マ・メゾンのクレーム・ブリュレです。
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南京事件、胡主席への質問状

2012-02-27 08:51:59 | Weblog
昨日の東京マラソンを見てましたら、河野洋平氏が大会委員長だったのですね。

河野洋平さんといわば、戦後になって従軍慰安婦問題をお作りになった張本人。
石原知事とのツーショットは、大人同士の話なんでしょうが、なかなか笑えました。


で、今日の話題はその東京マラソンではなく、
先日のブログに書いた、石原知事も支持した河村市長の南京発言の続きです。

この検証に関しては、「南京事件の真実を検証する会」という方々が、
胡錦濤主席へ送った公開質問状を平成20年に出したものがあって、
たまたまその会のひとりに知り合いがいて、わたしのところにまわってきました。

「拡散してください」ということで、先日のコメントでも掲載したのですが、
今回はこの全文を記事として掲載しました。

なかなか良く書けていて、たしかにこれを反証しないと「南京事件があった」とは言えそうもありません。

河村市長の言いたいことも、ほぼこんな意味なのでしょう。
河村さんも、言うタイミングは良くなかったとは言ってますが、撤回するとは言ってません。

ちょっとご興味ある方は、ご参考までにお読みいただければと思います。

写真は東京マラソン、飯田橋付近の風景です。




胡錦濤国家主席閣下への公開質問状


このたび中華人民共和国国家主席胡錦濤閣下のご訪日に当たって、日中両国の友好を願う者として心より歓迎申し上げます。

さて、われわれは1937年12月に行なわれた日中南京戦に伴って起こったとされる所謂南京事件を検証すべく、研究して参りましたものです。貴国のこの事件に対する見解とその取り扱いにつき、深刻な憂慮を感じております。昨年南京記念館が大規模に拡張改装されましたが、一方で友好を唱えながらこのような非友好的なことを平然と行なう貴国に対して強い不信の念を感じざるを得ません。そもそも南京で大虐殺があったという論拠は最近の研究によって根本的に否定されつつあります。

以下重要な5つのポイントについて閣下のご見解を伺いたく、謹んでご質問申し上げます。


1、 故毛沢東党主席は生涯にただの一度も、「南京虐殺」ということに言及されませんでした。毛先生が南京戦に触れているのは、南京戦の半年後に延安で講義され、そして『持久戦論』としてまとめられた本の中で「日本軍は、包囲は多いが殲滅が少ない」という批判のみです。30万市民虐殺などといういわば世紀のホロコーストとも言うべき事件が本当に起こったとすれば、毛先生が一言もこれに触れないというのは、極めて不自然で不可解なことと思います。閣下はこの事実について、どのようにお考えになられますか?

2、 南京戦直前の1937年11月に、国共合作下の国民党は中央宣伝部に国際宣伝処を設置しました。国際宣伝処の極秘文書『中央宣伝部国際宣伝処工作概要』によりますと、南京戦を挟む1937年12月1日から38年10月24日までの間に、国際宣伝処は漢口において300回の記者会見を行い、参加した外国人記者・外国公館職員は平均35名と記録されています。しかし、この300回の記者会見において、ただの一度として「南京で市民虐殺があった」「捕虜の不法殺害があった」と述べていないという事実について閣下はどのようにお考えになられますか。もし本当に大虐殺が行なわれたとしたら、極めて不自然で不可解なことではないでしょうか?

3、 南京安全区に集中した南京市民の面倒を見た国際委員会の活動記録が『Documents of the Nanking Safety Zone』として、国民政府国際問題研究所の監修により、1939年に上海の英国系出版社から刊行されています。それによりますと、南京の人口は日本軍占領直前20万人、その後ずっと20万人、占領1ヵ月後の1月には25万人と記録されています。この記録からすると30万虐殺など、到底ありえないとしか考えられませんが、閣下はいかがお考えでしょうか?

4、 さらに『Documents of the Nanking Safety Zone』には、日本軍の非行として訴えられたものが詳細に列記されておりますが、殺人はあわせて26件、しかも目撃されたものは1件のみです。その1件は合法殺害と注記されています。この記録と30万虐殺という貴国の主張とは、到底両立し得ないと考えますが、閣下はいかが思われますか?

5、 南京虐殺の「証拠」であるとする写真が南京の記念館を始め、多くの展示館、書籍などに掲載されています。しかし、その後の科学的な研究 (『南京事件の「証拠写真」を検証する』(東中野他・草思社)など) によって、ただの1点も南京虐殺を証明する写真は存在しないことが明らかとなっております。もし、虐殺を証明する写真が存在しているのでしたら、是非ご提示いただきたいと思います。そのうえで検証させていただきたいと思います。


以上述べました5つの点は南京で大虐殺があったなどということを根本的に否定しているものとわれわれは考えざるを得ません。上記5つの点につきまして、閣下のご見解を承ることができれば幸いです。この問題は多くの日中国民の関心事と考えますので、公開質問状として提出させていただきます。子子孫孫までの日中友好を願うものとして、閣下のご高配を、衷心から期待しております。

平成20年5月5日

南京事件の真実を検証する会委員一同

(会長)加瀬英明 (事務局長)藤岡信勝 (監事)冨沢繁信 茂木弘道
(委員)阿羅健一 上杉千年 小林太巌 杉原誠四郎 すぎやまこういち 
高池勝彦 高山正之 西村幸祐 花岡信昭 東中野修道 溝口郁夫 宮崎正弘
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J・エドガー~イーストウッド作品、苦手な人がいる理由

2012-02-26 11:12:26 | Weblog
昨日、丸の内ピカデリー1で「J・エドガー」を見てきました。

終わったあとで「いや~つまんない映画だったな~」というおじさんがいたり、
「何度も泣いちゃった」という女性がいたり、見る人によってものすごい温度差でしたが、
わたくしの感想は、やはりさすがはクリント・イーストウッド監督!
138分の長尺を堂々と見せてくれました、というところです。


それにしても、世間にはイーストウッド作品が苦手という人が少なくありません。
なぜなんでしょう?

・・・実はかく言うわたしも、ごく最近までイーストウッド作品が苦手でした。

それというのも、この人の作品・・・
「ミリオンダラー・ベイビー」では、安楽死。
「ミスティック・リバー」では子供時代の虐待経験。
「チェンジリング」では子供の失踪と幼児殺しなど、
普段、人があまり見たくないと思っているものをアッサリ見せてくれるからでしょう。

ところが不思議なもので、イーストウッド作品は自分の中で何か苦しいことがある時ほど、
苦しいブブンを吐き出してくれる働きがあるようで(癒しとは違う何か)、
この「J・エドガー」もまさしく、そういうジャンルに入る作品です。
(ノレないと、逆に苦しいかも)。


さて、ディカプリオ演じる「J・エドガー」のフーパー長官といえば、
わたしが子供の自分に見ていた「FBI/アメリカ連邦警察」といかいう番組で、その名を知った記憶があります。
今回、J・エドガーを見てわかったのですが、あれはフーバー長官の差し金だったのですね。
フーパー長官メディアを通じて、FBIと自分のプロパガンダを行っていたというわけです。

この少し前、クリント・イーストウッドは「ローハイド」や「荒野の用心棒」などで売り出しはじめたばかり。
リアルタイムでよく知っていた人物なのでしょう。
物語の後半、ジョンソン、ニクソン大統領という、私の子供の頃の記憶とも合致する人物が登場します。


驚いたのは、そんなに前の時代じゃないのに、科学捜査というものがそんなに信用されていなかったこと。
フーバー長官がそれお取り入れたこと。
この時代・・・資料、ファイルの整理が系統だって行われおらず、それを取り入れたのがフーバー長官だったこと。

まだ、左翼組織によるテロに対し、取り締まりのかたちがまだ形成されていないなど、
この時代、米国の社会システムが、まだ現在のように管理された姿になっていなかった点が興味深いところです。

そういった社会システムの形成にフーバー長官が貢献したことと同時に、
ご本人は現場にいなかったのに、いたような顔をして、
さらに自分の手で逮捕したような顔をしてことなど、
あくまでイーストウッド監督の目はニュートラルです。


この人、一時ハリウッドでは「右翼」とか「タカ派」と目されたことがあるのですが、
実はニュートラルな視点を持った人で、
そこがイーストウッド作品を苦手にする人を生んでしまう理由なのだと思います。

「父親たちの星条旗」と「硫黄島からの手紙」のように、米国側と日本側から見た両方の視点で、
2本の映画を作ったというのは、その典型と言えます。

映画というのは勧善懲悪とか、メッセージ性といったフラッグをはっきりさせ、
見る人にそれを訴えるのが普通です。
ところが、イーストウッド作品のいくつかは、
生きていく上での不可解な部分や、人間の矛盾した面を丸ごと観客に見せています。

半身不随になった女性ボクサーを安楽死させるという、
「ミリオンダラー・ベイビー」の何ともいえない後味のわるいラストや、
行方不明になった息子を一生探す「チェンジリング」のラストは、まさにそういったものに違いありません。


ドストエフスキーが自らの作品に回答を出してないように、
イーストウッド作品もまた、自らの作品に答えを出していないのですね。

それにしても演技には定評があるディカプリオですが、
映画の最後で土左衛門みたいな姿で出てきたのは、どうなんでしょう。
「タイタニック」からのファンはさぞ失望するでしょうが・・・。


イーストウッドはまだ売れる前のジム・キャリーや、
「バーン・ノーティス」のジェフリー・ドノバン(この映画にも出てます)を見いだすなど、
役者の選球眼にも定評ありますが、
今回の注目はフーバー長官の右腕役を演じていた、アーミー・ハマーでしょう。
「ソーシャル・ネットワーク」にも出ていた役者だそうです。


写真は有楽町、国際ビルB1Fキッチン・マ・メゾンのフィッシュ&チップス。
同じ階にタニタ食堂があるせいでしょうか、この日も満員でにぎわってましたが、ホントに良い店ですね。
私の絵も「オシャレな絵があります」と米されていて満足(ヤラセじゃないです!)。
値段もお手頃なので、ぜひ一度足をお運びくださいませ!
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ムンクの「叫び」~凄さの秘密とは?

2012-02-25 09:39:38 | Weblog
今日も気分を変えて、またまたアートの話題です。

本日は昨日の南京事件の続きをUPするつもりでしたが、
今朝方、NHKでムンクの「叫び」がサザビーズのオークションにかけられる、
というニュースをやっていたので、自分の専門に近いそちらの話をいたしましょう。

南京事件の検証については、
昨日のコメント「胡錦濤国家主席閣下への公開質問状」にしてありますので、
そちらをご覧いただければ幸いです。


さて、その番組の中でムンクの「叫び」を動画にした「Scream」というアニメ作品が、
あまりに面白かったので、ネットから探してここにUPしました。

しかもクリスマスバージョンまである!

BGMは何と、あのピンクフロイドの"The Great Gig in the Sky"(邦題・虚空のスキャット)。
以前からムンクの「叫び」を思わせると言われていた曲ですが、
あまりにマッチしているので、かえって笑えます。
両方会わせて5分そこそこの動画なので、ぜひご覧くださいませ!


ミュージアムショップなどでは、ムンクの叫び人形が人気だったとか、
こういうスピンアウト作品ができてしまうのが、この絵のすごいとこですね。

武蔵野美術大学の教授も「わかりやすい」のが魅力の絵だと言ってましたが、
まさにその通り。
(途中、お不浄に行って見てないので、
 以下テレビと同じことを言っていたらご容赦のほど)。

さらにスピンアウト作品でも、原画の持ち味がそのまま生かされるのが「叫び」の持つ魅力です。


私の知り合いで絵の好きな方が、
「叫び」を模して、同じような空の線、
同じような人物や橋を試しに描いたところ(もちろん同じ絵にはならないのですが)、
この絵の持つ不安感や空気はそのまま出せた、というのです。

最初は「まさか」と思いましたが、
実際にその絵を見せてもらったら、たしかにその通り。
そのままムンクの原画の雰囲気が出てたので、びっくりした覚えがあります。

これはどういうことかというと、
ムンクの「叫び」はデザインとしてもひじょうに上手く出来ているのです。

つまり「叫び」の中で構築された線や色を使うだけで、
すぐさま、この絵の持ち味を出すことができるのですね。

ムンク自身が描いたものとしては、一番有名な「叫び」を含め、油彩が4点。
(オークションに出されるのは、そのうちの1点だそうです)。
そして多くの版画作品を残しています。


これは、ピエロ・デルラ・フランチェスカのような、
原画を見ないとその神秘性が伝わらないという絵とは大きく異なります。
またモナリザのように、どんなに真似をして描いても、その絵に近づけない作品とは
なおさら違うのですね。

フランチェスカの絵は本人以外に、描くことのできないものなのですが、
ムンクの「叫び」は、実は似たようなコピーは誰でもできる
「デザイン性」「記号的」な作品なのです。

コピーできるというと、言い方は良くないですが、
ある意味、ドラえもんは誰が描いてもドラえもんに見えるように、そこに記号としての凄さがあります。
つまり、見ている方と描き手の距離が近いとでも言いましょうか。

ただ、いちばん有名な原画にある凄さは、原画にしかあり得ないもの。
あとのコピーはどちらかというと、「怖いけど笑ってしまう怖さ」というところでしょうか。


写真はムンクの「叫び」とは似ても似つかぬ拙作「招き猫孔明」。
おなかの石は諸葛亮孔明が祀られてる四川省で購入したものです。
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河村名古屋市長、南京発言に波紋

2012-02-24 10:34:55 | Weblog
河村名古屋市長、南京発言に波紋

あ。
巻頭のマンガは本文に関係ありませんよ。


昨日の東京新聞もそうだったけど、メディアの取り上げ方は、
「河村市長が南京発言したから、中国の対応が云々」って話ばかりです。

では、いったい南京大虐殺はホントにあったのか、なかったか、
あったとしてらどの程度だったのか、いったい事実はどうだったのかという話は、
完全にスッポ抜けていますなあ。



わたくしが南京大虐殺の話を聞いたのは、小学校5年か6年生の時のこと。
担任の先生から、日本軍が南京市民の両足をそれぞれ縄でくくり、
馬を走らせ引き裂いたなどという話を聞き、大いに衝撃を受けたものです。

この先生からは元寇の話も聞いていまして、
モンゴル軍(実際は高麗軍?)が当時の日本人の股を馬で引き裂いたという、
同じようなエピソードを同じ時期に聞いて、これまた衝撃を受けたものです。
(足に縄をくくり引き裂くのは馬賊の殺し方ですね)。


よく言われるのが、当時人口25万と言われていた南京で30万人殺せるのかということ。
もちろん戦時下ですから、1人も殺さなかったということはないでしょうが、
かりに戦時下において中国人の便衣兵(ゲリラ)を殺したとしても、
衣装が民間人のものですから、兵士でなく民間人を殺したことになってしまいますし)。


河村市長の最初の発言は、南京大虐殺を否定してるわけで、
本来はその点に焦点が絞られるべきです。

この発言に中国側が反発するのは、政治的には当然の流れですが、
朝日新聞などは中国紙「名古屋行くな」呼びかけ 河村市長発言に反発という記事を掲載してます。


これは逆に河村市長に対する、国内の圧力ですね。

河村さん、見た目が上品とは言えないし、
減税政策も如何なものかとは思いますが、今回の南京発言については、
言うべきことを言ったと思います。

この人は言ったことを撤回するタイプじゃなさそうだし、
政治家ならば、この発言は撤回すべきではないでしょう。


中国の工場に派遣された私の知り合いは、工場での仕事の非効率を指摘したら、
「南京大虐殺! 南京大虐殺!」というコールをされたそうですが、
こんな理不尽な外交カードを相手にいつまでも持たれるのは如何なものでしょう。

どこかで、このことはハッキリさせる必要があるのではないかと思いますが、
国内の方がそれを拒もうとしているのだから始末がわるいなあ。


とはいうものの、かく言うわたくしも戦後の教育の恩恵を得て育った人間で、
南京大虐殺がなかったという話は、けっこういい年になってから初めて聞き、
これまた大いにびっくりしたものです。

繰り返すけど、この辺でハッキリさせるべきじゃないでしょうか。
南京に日本人との混血が多いという話は、あまり聞いたことないしねえ。


画像は春先、七戸区議と共著として発売予定の本、
青少年用の政治経済ガイドのマンガです。
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歴史秘話ヒストリア~葛飾北斎を見た!

2012-02-23 10:48:51 | Weblog
珍しく、2日続けてアートの話題です。

昨日はなぜかマレーシア戦を見るようなテンションではなく、
NHKの「歴史秘話ヒストリア」で、葛飾北斎の特集を見ていました。

いやはや、画狂人北斎・・・恐るべしです。
なんか自分にはとても近づけないけど、目指すべき人・・かな。


不調法ながら、驚いたのは北斎が狩野派や琳派の門を叩いたこと。
そしてシーボルトらと通じ、西洋絵画も学んでいたこと。

言い訳ながら、私の持っている資料にそのことは出ていないので、
最近になって知られるようになったことかもしれませんが、
その間に画風がものすごい変貌を遂げております。

北斎もまた、多くの画家と同じく成功を目指し、
大衆の人気を気にした浮世絵を大量に描いていたわけですが、
一方でいったん成功したら、名前を変えて引越しを繰り返すという、
誠に奇妙な性癖を持っていたようです。


江戸時代は今より身軽に動けたのか、宵越しの銭は持たずに暮らせたかわかりませんが、
大衆の人気を気にすることと、己の画業の研鑽は同じだったのかもしれません。


それにしても富嶽三十六景、古希を過ぎてからの画業とは驚きだな・・・。

番組ではビッグ・ウエーブと呼んでいた「神奈川沖波裏」、
たしかに不断の精進を続けてきた結果、到達した極地ともいうべき作品ですね。
(言いやすいけど、なんだかサーフィンみたいですな)。

水の動きは絵を描く際に、もっとも表現の難しいもののひとつですが、
写真などなかった時代に、あの一瞬を捉えるためにどれだけの研鑽を積んできたのか。
その目と絵筆の流れには驚嘆です。

あのディズニーの名作「ピノキオ」の海のシーンは、
何度描いてもうまく行かなかったのを、北斎の「神奈川沖波裏」を参考にして、
はじめて波の動きをアニメ化できたそうで、いやはや北斎、恐るべしです。


よく日本人は外国から指摘されて、国内の評価が上がると言いますが、
反対に北斎を見つけて評価した外国人を褒めるべきでしょうね。

外国人でも日本人以上に相撲のわかる人がいるように、
岡目八目で外から見た方がわかることが多いもの。

数多くの浮世絵師の中から、北斎を見つけた眼力というのは大変なものではないでしょうか。


画像はドラクロアの「ライオンに教われる馬上のアラブ人」と、
北斎の富嶽百景から「武辺の不二」。

資料を見て驚いたのですが、
奇しくもドラクロアのこの絵が描かれたのは、北斎が亡くなった年と同じです。

印象派が北斎ら浮世絵の影響を受けたのは有名ですが、
ドラクロアはそれより前の時代の人。
でも、この2点・・・関係ないという方がムリがありますよね~。
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「モナリザ」最古の模写公開

2012-02-22 11:27:48 | Weblog
「モナリザ」最古の模写公開

すいません、モナリザじゃなくいきなりシチューの写真ですが、久々にアートの話題です。
モナリザの模写は先のリンクから見ることができますよ。



モナリザというのは実におそるべき絵画でありまして、
おそらくはどんな画家がどんなに努力して同じように描こうとしても、
決して近づくことのできない絵であります。

モナリザではありませんが、ルーヴルに行かれて、
同じレオナルドの「岩窟の聖母」をご覧になった方ならわかると思いますが、
葉っぱの一枚一枚、聖母の髪の一本一本の間が、
ミクロン単位でトーン変化していくのが確認できるはずです。

モナリザに至っては、
そうした髪や葉っぱのような細かいものが描かれているわけではありませんが、
まさに何兆という女性の細胞ひとつひとつを描こうとしている、
あるいはそこにある空気の分子までも描こうとしているかのような作品で、
それがあの神秘的な雰囲気をかもだしているのですね。
(レオナルドの時代、分子の存在は発見されてませんでしたが)。

完成までに4年以上の時間をかけ、レオナルドが生涯手放そうとしなかったモナリザは、
単なる人物画ではなく、見る者を深い森の中に誘い込む作品なのであります。


で、この模写作品は、当然そんな深い世界の入り口までもたどり着いてないのですが、
注目したいのは、記事の中でも取り上げられてる色の鮮やかさです。

ボッティチェルリの「プリマヴェーラ(春)」が、
修復を終えてアッと驚く鮮やかな色になっていたのは有名な話ですが、
昔の絵画というのは、描かれた当時は鮮やかな色だったことが少なくありません。

ところが修復された直後は、意外にその鮮やかな色が評判悪かったりします。
経時変化で渋い色調になったものに、人の目が慣れてしまうからですな。


20年ほど前に、ミケランジェロのシスティナ礼拝堂の壁画が修復された時も動揺で、
鮮やかな青や人の肌の色が「軽い」と目に映った人もいたのですね。

ところがナポリのカポディモンテ美術館には、同じ時代にシスティナ礼拝堂を模写した作品があって、
そこには、修復後のシスティナ礼拝堂と同じ青や人の肌の色が描かれています。
(もちろん造作は比較になりませんが、色だけは真似できるのですね)。

おそらくは修復後のシスティナ礼拝堂、同じ色だったに違いありません。
また、鉱物を壁にしみ込ませて描くフレスコ画は、
あらゆる絵画の中でもっとも堅牢で色が変わりません。

人によると、この青はアルマーニと同じ青だと言いますが、
まあ、それは逆でして、アルマーニがイタリア伝統の青を使ったというべきでしょうか。


さて、そこで気になるのがモナリザがはじめに描かれていた時の色です。
はたして、この模写のような鮮やかな色だったのか、そうでなかったのか?

ミラノにある「最後の晩餐」も鮮やかな色でよみがえったことだし、
モナリザも、もしかするとこのような鮮やかな色だったかもしれません。

でも、モナリザの修復となると一大事ですね。
その間、ルーヴルはモナリザを公開できないから、集客力も落ちるわけですし・・・。


写真はモナリザとまったく関係ない赤坂のトルコ料理アセナのラムシチュー。
一見、普通のお肉のシチューですが、食べるとレモンの酸味が何とも不思議。
トルコではシメのラーメンに当たる食べ物なんだそうです。
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木下式音感教育コンサート

2012-02-21 09:35:26 | Weblog
写真は日曜に、大宮ソニックホールで行われた木下式音感教育のコンサートのようすです。

麻奈先生にご招待され、はじめて拝見しましたが規模が大きいのにびっくりしましたが、
それ以上に子供たちの真剣なようすには心打たれるものがありました。

独唱していた女の子の中には、はじまる直前の場内の泣き声に動揺したのか、
途中音程が定まらず、声が裏返ったり、歌詞を忘れたりして、歌声が泣き声に変わってしまったり。

でも最後まで歌ったこの子におぢさんは感動です。

あとで聞いたら自閉っ子も大勢いたそうで、やっぱり発達障害者も発達するんですね。
常識はくつがえるという好例でしょうか。

以下、この記事に関しての麻奈先生のコメントです。
やや長文ではありますが、大変良いことが記されていますので、ぜひご拝読を!



昨日はありがとうございました。
初めて、子どもが大勢いる音楽会に来られて、
幼児がいかにうるさい生き物かと辟易されたのではないでしょうか。

幼児は、言葉を教えなければ、動物と同じです。
できることは泣くことだけ。それは、たとえ発達障害がなくても、同じです。

何の問題もなく生まれても、乳児から幼児になる段階に、
言葉を教え、生きる方法を教えなければ、
健常児も発達障害も動物の子どもとかわらないのです。

そういう意味で、音楽会のロビーは未就園の子どもたちも多く、
うるさかったと思います。

しかし、残念ながら、これが、日本の幼児、児童の教育現場の実情です。
長年、子どもがしたいようにさせるのびのび教育が続いたからです。

それに反して、舞台の上の子どもたちは、45年間、変わらない木下式によって、
「一生懸命、物事に取り組む気構え、意欲、姿勢を教えられているため、
舞台の上では立派な姿を見せることができます。

これが、教育の成果です。


中には、発達障害、自閉傾向がある子も大勢います。

しかし、「この子は自閉症だから」と教育を諦めたら、その子は、一生、そのままです。
人間として生きることを諦めなければなりません。
どんな事情がある子供も、変化をさせられることは、可能です。
但し、それを、一緒にいる大人があきらめてしまったのでは、子どもに未来はありません。

それから、舞台の上で立派にしていますが、舞台をおりて、親元に帰れば、普通の子どもです。
わがままもいい、泣くこともあります。
みんな、ふつうの子どもです。



もう一つ 

独唱で泣いた子・・・。初めてご覧になった方は、とてもかわいそうに見えることと思います。
しかし、私は、抱きしめてヨシヨシしたりはしません。
独唱に選ばれた子どもは、言葉が達者で美声の持ち主ばかりです。

選ばれたということは、同学年の中で、発達の早いお子さんという意味です。
その幼稚園の代表です。選ばれて、「自分は特別」という気持ちを持ったかわりに、
果たさなければならない責任もあります。

そのためには、もっと精神を鍛えておかなければなりません。
自分が万全にできなかったときの建て直しまで、踏み込んで教えられなかった大人の責任です。

音楽で自分の力を100パーセント出すためには、精神力や強さも必要です。
大事な舞台で失敗したのは、かわいそうですが、音楽はやり直しがききません。
それは、子どもでも、同じです(ここが、木下式が厳しいといわれるところですが・・・)。


療育の世界を拝見すると「褒めて、褒めて成功体験を持たせる」と言われますが、
人間、褒めただけでは、成功しません。

おごりが出るからです。
特に障害のある子どもは、顔色を見るのが、うまいです。
誰が守ってくれて、誰が厳しいか見抜いて、すりぬけていく力を持っています。

適時に褒め、適時に叱り、適時に褒めて、成功すると、初めて、成功体験となります。


うちの自閉っこ(と言っても、私は自閉症だと思ってつきあっていませんが・・・)も、
練習で失敗したら、叱り、成功したら褒めて育ててきたので、
独唱は他の子と変わらない立派な姿で上手に歌って見せました。


ただし、合唱では行儀が悪く、一箇所、一人だけ、飛び出してしまいました。

舞台が終わって、家族総出で、私のことを神様に感謝するかの如く、
お礼を言われましたが、
「独唱は上手にできましたが、
合唱の時も、他の人と同じように取り組めるようにしていくのが、私たちの課題です」と伝えました。

これでよしにすると、発達は止まってしまいます。

言葉も分からない幼児たちに、こういうことを求めると、厳しい教育と言われるのですが、
それが、34回、教育の成果を発表できる根幹でもあります。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ところで昨日からの3つの記事は、
私の友人を誹謗する内容に捉えられるのではないか、という声もいただいたので、
削除することにしました。

たしかに酒飲み話の続きをブログに取り上げるのは、
議論する云々は別にして感心できませんものね。


百田さんにも大変失礼いたしました。
今回は、このような形をとらせていただきましたので、
ご容赦いただければ幸いです。

また、書いていただきたコメントも合わせて消えてしまっていますが、
文書は保存してあります。
個人的レス、あるいは何か記事として反映したいと考えています。

ただ、木下式の記事とコメントは、本件に関係ないので、
本日UPすることにしました。

今後とも当ブログを引き続き、よろしくお願いします。



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加害者と被害者~そして死刑廃止論

2012-02-18 09:22:33 | Weblog
先日の奈良自閉症協会の記事にはじまる「加害者と被害者」の話の続きですが、
あ@花さんのブログを読んでいたら、私が昔住んでいた場所の近くであった、
大倉山投げ落とし事件のことが書かれてました。
私もあの辺りには土地勘があるので、どこでどう起ったのかほぼ想像がつきました。

そういえば赤坂に引っ越して間もなくこの事件があったのを思い出しましたが、
被害者の子供は腎臓破裂、それでもやっぱりウヤムヤにされてたんですね。
ほんとに被害者不在です。


以下、あ@花さんからのブログ引用。

ベムは自分の息子が人前で性器露出したエピソードをうれしそうにブログに書き
「おまわりさんにつかまるよ」と言った私を「自閉症に理解がない」と書いた。

私がこういうことを書くのは
きちんと性器を出していい場所とそうじゃない場所を教えている幾多の保護者と交流があるからです。

そして、男性にはわかりにくいことかもしれないけれど
幼女のころ無理やり見せられた被害にあった女性が
それを大人になっても引きずることもあると知っているからです。

それでも事件を起こしたら圧力団体に抗議してもらい、更生施設で更生させてもらい
親の仕事はそれをまたブログのネタにするだけ?


うーむ。


にわかには信じられない話ですが、
障害者に限らず、人をダメにするのはこういった甘やかしでしょうね。

三国志などを読むと、
「男をダメにするのは簡単だ。
 日々宴会を開いて褒めそやし、酒と女を与えればいい」
なんていう台詞が出てきて、実際に登場人物をダメにする場面が出てきます。

昨今、障害のない定型発達の会社員でも、
「わたしって、ホメられて伸びるタイプ」などと、
人目をはばからず仰る方がいらっしゃるようですが、
褒めなくて良いところを褒めたら人間、ダメになりますよ。

落語家など芸人の世界では、嫌いなやつの悪いところを褒めて、
その人の芸をダメにする「ホメ殺し」というテクニックがありますが、
悪いことはキチンと指摘しないとねえ。
(ちなみに、こちらが元の意味の”ホメ殺し”です)。

生きていれば耐えがたいほど辛いことには、一度や二度は必ず出会うものですが、
それをクリアする感覚を得るためには、
「良いよ良いよ」で育てられてるだけでは育ちません。


また、自分の身内には「良いよ良いよ」。
被害者には「理解してください」「ガマンしてください」で納得する人はいないでしょう。



ちょっと話がそれますが、
ネットでは勝間和代氏の「死刑廃止」発言に物議がかもされてるいるそうです。

私が死刑廃止論者を信用できない一番の理由は、
彼らの中に被害者が不在であるということです。

平岡前法相ではありませんが、
事件は起ってしまった、加害者にも事情があった。
人が人を裁いて良いのか、死刑は国家による殺人。

これら百万の理由を並べたところで、被害者の遺族が納得できるかということでしょう。
そんな人たちに限って、「平等」を錦の御旗に掲げるのですが、
そこにどんな平等があるのか聞いてみたいものです。

また、この問題も「良いよ良いよ」の延長上にあるような気がしてなりません。



写真は稀勢の里大関昇進パーティーで配られた引き出物。
稀勢の里の顔をラベルにした牛久ワインです。
ちょっとラベルの作りが甘いのはご愛嬌かな。
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帚木蓬生の「国銅」~塩麹と源氏物語

2012-02-17 09:59:55 | Weblog
帚木蓬生(ははきぎ・ほうせい)の「国銅(こくどう)」、昨日読了しました。
〆切前に読む価値のある、素晴らしい本でした。

実はわたくし、この人の作品を読むのははじめてです。
帚木蓬生といえば、「逃亡」とか「臓器農場」といった社会派の作品で知られますが、
「大仏建立の話だから読んでみたら?」と、あ@花さんにすすめられてポチったものです。

帚木蓬生というペンネームを見てもわかるように、源氏物語の巻名を名前に冠しています。
「帚木」に登場するのは空蝉、「蓬生(よもぎふ)」は天下の醜女、末摘花という、
どちらも地味な女性が描かれた、飾り気のない巻であるところも、
この人のスタンスが想像されます。


「国銅」は奈良の大仏建立を、市井の人足「国人」という架空の人物の視線から描いた作品です。
大仏建立という大事業のために、全国から集められた人足たちの過酷な日々が描かれているのですが、
苛烈な日常の合間に、食べる喜び、文字を知る喜びなどがあって、不思議な感動を覚えます。

また丹念な薬草の描写は、本業が精神科医でもある筆者のなせる技でしょうが、
そこには仏教的死生観が随所に見られ、
登場人物たちが、ごくごく簡単に死に至っていく様子が淡々と描かれています。

そこに悲しみがあり、この人独自の暖かい視線があります。


作品の本筋、本質とは関係ありませんが(そこは深くて、とても書けませんので)、
注目したいのが、奈良時代へとタイムスリップする感覚です。

読んでいて、突然奈良時代の平原や山々が眼前にわき起こる感覚は、
千年前の宇治の落ち葉が眼前にあらわれる、源氏物語と同じ感覚であり、
作者にこれら古典の素養があることを伺わせます。


こうしたタイムスリップする感覚は、古典の原文でないと味わえないものですが、
それが同じ映像で目の前にあらわれるのは不思議です。

余談ながら映像といえば、先に拙ブログで書きましたが、平安時代に書かれた「日本三代実録」には、
東日本大震災の地震と同周期と言われる貞観大地震がありました。
たった3行の文章ながら、ここには如何にその時恐ろしいことが起ったかが、まざまざと描かれています。

古典の一次資料というのはタイムカプセルみたいなもので、
そこには時代のあらゆる要素が凝縮されているのですね。


帚木蓬生さんは、そういった資料をもとに大仏建立当時の様子を掘り起こしたのでしょう。

おそらくはそれら古典に記されていたものが作品の中に組み入れられていて、
それがそのままタイムスリップする感覚を呼び起こさせるのでしょう。


薬草の描写とともに当時の食事やお酒の描写もまた、そんな要素のひとつです。

醤酢に蒜搗きかてて鯛願ふ 我れにな見えそ水葱の羹

(ひしほすにひるつきかててたいねがふ われになみえそなぎのあつもの
 大意ー鯛に蒜を醤で食べたいなあ、ネギのアツモノなんていらないから)。

↑ こちらは万葉集にもある、どうってことない歌ですが、
最近、流行っている塩麹という調味料が、ここに出てくるのが興味深いところですね。


今度はもう少し練り上げて、この本の本筋・・・
大仏建立の手順や鉱物の採鉱、仏教的死生観などについて書いてみますが、
ともあれ、ご興味ある方は一読をオススメします。

地味ですが、遠い将来には歴史に残る古典文学になるかもしれません。
それほどの作品だと感じました。


写真は東京駅の東京ステーションホテル。
もうすぐ完成ですね。
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社会は共存の場~誰あろう、特権階級は疎まれます

2012-02-16 10:17:41 | Weblog
先日から続いている話の続きです。

3日前、「知らない人には触らないで!」の記事を書いた時、
実は自閉症児の父さんのような批判コメントがいっぱい来るかなと思っていたのですが、
そうでもありませんでしたね。

というか、賛同していただけるコメントの方が多く、
しかも自閉っ子の親御さんからいただけるという有り難い話でした。

私などは自閉っ子の絵を少し描いただけの、当事者でもない人間です。
自閉っ子の親御さんはさぞ教育するのが大変だろうに、頭の下がる思いですが、
そんな中、自分の仕事が少しはお役に立てたような気がして、逆に恐縮しているところです。

コメントをくださった方々には、心より感謝いたします!



ところで、先にも申し上げたように「奈良自閉症協会に掲載された記事」の本質は、
実は障害者問題とは少し違うところにあります。

たしかに障害者は保護されるべき存在ですし、何か問題が起きた時の考慮は絶対に必要です。

ただ、それが明らかな被害者が出てきてしまった場合、
保護者を含め、罪を問われないという話になれば、
それは法律を超えた特権階級という存在だということですね。


しかしながら、そういう特権階級になった瞬間、
実はそうでない一般市民から疎まれる存在になってしまうのです。

この世界には何をやっても罪を問われない存在というのは、たしかにあります。

法の網をくぐって何かする人。
第三世界の権力者。
心神耗弱状態の人。

これらは、ある意味法律にはおかされませんが、当然、一般市民からは良く思われません。

だからこそ「デス・ノート」や「必殺仕事人」「ワイルドセブン」みたいな、
”はらせぬ恨みをはらす”、といったドラマが成立するのですが、私はこういう話は好きでありません。

超法規的な処罰などは、逆にとんでもない話だからです。


あの「ダーティーハリー2」では、
警察の幹部がそういったリンチ組織を作る、という話がありますが、
イーストウッド扮するハリー・キャラハンは、
ドラマでこんな台詞を言っています(詳細は記憶違いあり)。

「そんな組織を作ったら、世の中どうなるんだ。
 賄賂をもらったら、即ズドン。
 立ちションベンしたらズドン。
 罰する方は、やりたい放題だ」


ドストエフスキーの「罪と罰」から、
こうした超法規的なペナルティの善し悪しは問われてますが、
それは言うまでもない話ですね。


しかしながら、罪をおかしても問われない特権階級になりたいということは、
普通の市民から見ると、必殺仕事人で最後に藤田まことに斬られる人になりたい、
というのに近いように思えます。
(特権階級の人が、実際に斬られることはありませんが)。

同和問題の先鋒だった松本前復興大臣が、反感を買ったのもこの一件に近いからでしょう。


あ@花さんをはじめ、コメントをくださった人たちが言うように、
障害者の地位を上げていくためには、特権階級の要求は逆に障壁になるだけに思えます。
社会は共存の場なのですから。

 

写真は、いっちゃんが物悲しいと言った都会の風景、もういっちょう。
でも、こっちはそんなにかなしくないかな。

ともかくもいっちゃんからツイッターでもらったコメントがヒントになりました。
たしかに言われてみると物悲しい。

それを絵にしようと思います。
まだキャンバスも張ってないのにタイトルも決まりました。

デ・キリコの名画と同じタイトル、「街の神秘と憂愁」です。
お楽しみに!
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自閉症を知らない人間は発言しちゃいけないの?

2012-02-14 09:36:18 | Weblog
昨日の記事に関して、自閉症児の父という方からこんなコメントが届きました。


簡単に教えられるなら、こんな事件は起きない。
自閉症の方も女の子も気の毒でした。
それよりも自閉症をよく知らずに発言するあなたこそ、恥を知るべきだ。


わたしの書いたレスや、ほかの方から来たコメントは、昨日の記事を見ていただくことにして、
この短いコメントには、奈良自閉症協会に掲載された記事に関する、
本質的な問題が潜んでいると思いましたので、この続きを書くことにします。


少なくとも自閉症児の父さんは、私が「自閉症のことを知らない人間」という前提で書いています。
その上で、自閉症を知らない人間は「発言するな」と発言しています。


うーん。
これは完全なファシズムですね。

自閉症を知らない人は、何も言っちゃいけないんだ。
事件が起っても仕方ないんだ。

また、これは障害に関する人の特権階級要請ですね。


問題は自閉症を知っているか、知らないかではありません。
本論は障害者が、それを犯罪と知らずに起こす事件を、そのまま放置して良いのかという話です。


残念ながら世間は、自閉症と引きこもりを混同してるような人がほとんどです。
それは変えていかないといけませんが、それには限界があります。

人前で股間をいじってはいけない、と教えられずに、
何だかわからないまま警察に連れていかれる自閉症児は、たしかに気の毒でありますが、
では被害に遭った4歳の女の子は、それで仕方ないのでしょうか?


簡単に教えられるなら、こんな事件は起きない。
自閉症の方も女の子も気の毒でした。


↑ この短い一文をみなさまはどう読み解くでしょう?


「自閉症の方」が先に来ていて、被害の程度は同格あつかい。
わたしには、被害に遭った女の子の比重が軽すぎるように思えてなりません。

「簡単に教えられないから、こんな事件が起ったとしても仕方ないんだ」
そんな意識がここでは大きく顕われています。

文は人なりと言いますが、言葉はこわいですね。
おそらくは脊髄反射的に書いた文章でしょうが、この方の考え方が随所にあらわされています。
(語るに落ちたとは、このことでしょうか)。


「簡単に教えられるなら、こんな事件は起きない」という主張は、
自閉症児を子供に持たない人にたいしては、ある程度通用する理屈かもしれませんが、
ひとたび自分が被害者になった場合、それで済ませようという人間はまずいないでしょう。

コメントに来ていただいた親父代表さんのように、
それを克服してきた人たちも大勢いるのです。


ここにあ@花さんのコメント。

たとえ警察の対応がまずかったとしても、まったく自分たちの加害者的側面を無視してひたすら
被害者になるその態度こそが自閉症の理解を阻むのだと支援者からも声が上がってますよ。

私にいえることは、そういう保護者、そういう支援者のほうが、
将来的にこういう不幸な事件とは無縁でいられるだろうねということだけです。


写真は赤坂のある地点から見た東京ミッドタウン。
展覧会では、こういう風景も出そうと思っています。
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奈良自閉症協会~知らない人には触らないで!

2012-02-13 09:16:23 | Weblog
福島第一原発の温度上昇、東電は温度計の故障の可能性ありと言いましたが、
ずいぶん国民をナメた発表をしたものですね。

私は素人なので詳細はわかりませんが、
温度計の一番単純なものは、アルコールの収縮で測れる原始的なものでしょう?
原発のように複雑な仕組みのものに使う温度計は、逆に繊細にできてて、
誤作動しやすいものなんでしょうかねえ。

それとも放射線の影響で、実際より温度が上がって表示される温度計なのか知りたいもんダナ。

発表がウソにせよ、ホントにせよ温度計の誤作動は論外ですが、
どちらにせよ世の中、何かと逃げたがる大人が多くなっているようです。




逃げたがる大人といえば、あ@花さんのブログのコメント欄がたいへんなことになっています。

これは逃げる大人というよりは、死んだふりというか、人のせいにする、という話で、
詳細は、こちら奈良自閉症協会に掲載された記事についてです。

長い記事なんで、かいつまんで言うと、
自分の股間を触っていた自閉症の人が、
小学校の女の子に「こんにちは」「こんにちは」と声をかけてたら、
巡回パトロールの人とトラブルになって、警察沙汰になったという話。

それから37歳の自閉症の男性が、4歳の女の子に自分の体にタッチさせたら、
これまた警察沙汰になったという話なのですが、
何と奈良自閉症協会の記事は、
警察の対応や通報した人たちは自閉症に理解がなくてけしからん、と書いています。


もちろんハンディキャップのある人に対しては、何らかの保護や配慮が必要でしょうが、
コメントにも多く書かれているように、
記事では被害者の心情をまったく考慮していないのに驚かされます。

いきなり大きな男の人に体を触らされた4歳の女の子、
相手が自閉症など・・・いや、自閉症という言葉自体もわからない子が、
どんなに怖い思いをしたでしょう。

もしかしたら、それがトラウマになって一生男性嫌いになるかもしれません。

誤解をおそれずに言うと、石神井公園の駄犬ビンゴでも、
しつければおトイレは覚えてくれますし、人に飛びかからないくらいのことはある程度覚えてくれます。

障害があったとしても、いわんや人の子をや、
股間を人前でいじらないとか、見知らぬ女の子に触らないことくらいのしつけができるはず。


これらの件は、まだ警察沙汰くらいで済んだから良いようなものですが、
世の中にはそれが傷害や殺人に発展する例も少なくありません。

それでも被害者に、相手に障害があるからガマンしろとは到底容認できる話ではありません。

殺した方にも事情があったという、平岡前法務大臣ではありませんが、
どうもこういう話には毎度ながら怒りがこみ上げてきます。

この話、拡散していただければ幸いです。


写真は2年ほど前に本場所でもらった、白鵬&朝青龍のツーショットクリアファイル。
今では貴重品ですが、今年は朝青龍のかわりに稀勢の里が写ったもの希望です♪
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占い通りだった「福島原発、謎の温度上昇」

2012-02-12 10:00:29 | Weblog
福島第一原発、2号機が原因不明の温度上昇

うーん。
昨日は震災からちょうど11ヶ月。

昨年末、占星術師のnicoさんが言ってた通りになってしまったなあ。
あの人の占い、よく当たるって話なんだけど、外れてほしい話が当たってしまいましたね。

おそらくは原発自体、ひとたび事故を起こすと簡単には治まらないんでしょう。
nicoさんの占いじゃありませんが、科学的に見ても今後40年は収拾しないかもしれません。


現実的に見て、今後あらたな原発建設というのは難しいでしょう。
新たなエネルギーを模索しないといけない時代に来ていながら、
お隣韓国では新規原発を建設するとか。

国として近隣のアジア諸国に負けないエネルギーの模索が必要になってくるでしょう。


今や「反原発」「脱原発」をとなえるまでもなく、
時代は原発は縮小、閉鎖に向かっていると思うのですが、
反原発デモや脱原発運動は盛んに行われてるようです。

中沢新一さんら、毎日新聞に「脱原発」意見広告 YMO勢ぞろい

脱原発訴え都心を1万2千人行進 大江健三郎さんも参加


特に前者は豪華なメンバーです。
いかにも反原発を言いそうな文化人、知識人が勢ぞろいですね。

中心人物の中沢新一さんなどは、オウムを支持して一時姿を見せていませんでしたが、
最近また色々活動をされてるようで、個人的にはこの名前を見るのはあまり愉快ではありません。


原発とは関係ありませんが、以前に「日本料理のマイスター制度」を立ち上げようとした時に、
「文化は自由なものだ。国がお墨付きを与えるものではない」と言って反対した文化人が大勢いました。

外国に行くと、日本人ではないオーナーがとんでもない寿司や懐石を出して、
「これが日本料理か」というような、とんでもないまがい物を客に食わせてるケースがあります。

そんなものを「文化」と認めて、まがい物を日本料理と認めさせていいのか?
「日本料理のマイスター制度」によって得られる国益をフイにして良いのか?

一部の文化人がお好きな「自由」という美名のもとに、国益にならないことを選んだよい例です。


話が横道にそれましたが、
どうも、こうした文化人の行動は国のためにならないことを選んでやる傾向があるように思えます。

反原発デモを行うのは個人の自由ではありますが、今必要なのはデモではなく、
原発の稼働をどう収束されるか、
どうやって原発以外のエネルギーを模索するかという議論じゃないかと思います。

いったん動き出した原発は廃炉にしようとしても簡単には収まらないんだからねえ。


写真は既出ですが、前回は集合写真だったのであらたにUP。
大関稀勢の里に何か耳打ちする横綱白鵬。
いったい何を話しているんでしょうね?
コメント (7)
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