小暮満寿雄 Art Blog

ダジャレbotと間違われますが、本職は赤坂在住の画家です。作品の他お相撲、食やポリティカルな話も多し。右翼ではありません

フィリピン絵画制作記11 突撃、隣の朝ご飯!

2015-12-30 12:10:47 | Weblog

↑ こちらが、リパに到着して最初にいただいた朝ご飯。

アジに似た魚をパティースという魚醤で水煮にします。パティースは日本でいえば醤油、”しょうゆ”うことです・・・なんて、ウフッ♪

久々のブログアップですが、絵画制作記のまとめがPhotoshopを使ったりと、少しばかり手間がかかるので、本日は平常運転で食日記を掲載します。

アジの塩焼きにフィリピンの家庭スープ、シニガン。
そして瓶の赤いのはアチャーラという甘酸っぱい漬物です。ルーツはインドのスパイス漬け物アチャールなんでしょうけど、まったくの別物。

こちらは豚の血で豚肉をディヌグアン。新築のBlessing Partyでふるまわれたご馳走です。レストランで食べると、もっと濃厚でグロく、主にモツ肉を使うのですが、クライアントの奥さまの好みでカロリーも塩も控えめ。

痛風持ちにはやさしい食事です。

わたしは知らずに食べて「旨い!」と言ったのですが、「豚の血よ」と言われてびっくり。レバーソーセージは苦手のわたくしですが、これは大丈夫です♪


こちら右下はギンダラの一種でしょうか。
唯一不満だったのは、韓国産のお豆腐。凝固剤を使っているのか、弾力がありすぎてゼリーみたい(ただ飯のくせに文句を言う)。

日本産もあるのですが、高いそうで特別な時だけ買うそうです。
お金持ちはお金の使い方に哲学があって、キッチリしていますわ(笑)。


こちらの目玉焼き。
前にも書いたけど、ソースで食べて、昔実家で食べていた味と同じなのにびっくりポン! (実家は昔、ソースで目玉焼きだったのです)。

こっち戻って同じことしたら、卵が濃いので違うものになりました。
昔の日本の卵とフィリピンの卵は近い味なのかも。


左上の黄色いスープは、奥さまのご実家で採れたカボチャを、私が調理したもの。
これはわりと評判よかったみたいです♪

FacebookやブログにまめにUPしてるせいか、だんだん皿数が増えて豪華に・・・。
痛風持ちはもう少し少なくて良いのですが(笑)。
右下は奥さまの作った味噌汁。まったく日本の味噌汁と同じ味でした♪


こちらは目玉焼き with ウスターソースに、シラスのような小魚をバナナの葉にくるんで、パティースで煮込んだもの。この一品はわたしの好きな一皿♪


イカの煮込みとナス焼き。こうやって見ると日本の朝ご飯と変わりません。
ちなみに、だいたい一日を通して、朝昼晩こんな感じ。

昼はよく外食に行きましたが、家飯の方がホッとしますね♪


そしてよく食べるのが春巻(スプリングロール)。
前の日残った食材を皮に巻いて素揚げにします。バナナも入れたりして千変万化!

ちなみにフィリピンの一般的郷土料理はもう少し濃厚。
↓ 前にもUPしましたが、こんな感じです。

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フィリピン絵画制作記10 リパは太平洋の激戦地

2015-12-25 15:39:42 | Weblog

クライアント邸のメインルームに飾る絵は、自然にバタンガス州の風景になっていきました。
なんか、気分だけはタヒチに行ったゴーギャンですな♪

ところで80歳前後の方にとって、フィリピンと聞くと、太平洋の激戦地というイメージが強く、事実フィリピンのあちこちにはそんな戦争の爪痕が数多く残されています。

クライアント邸のあるサクラ・ビレッジは、何と日本軍の駐屯地があったところ。
リパは標高700mの高地で、マニラなどに比べると朝夕は涼しく過ごしやすいのですが、中でもこのビレッジはマララヤ山(上の絵に描いた山)から”おろし”が吹いて来て快適です。

駐屯地が一等地にあるというのは、南方の国にいて一番怖いのは敵よりも疫病。
そんな兵隊さんを休める意味もあったのですが、日本軍も一番ええとこに基地を置いたものです。

↑ こちらが本物のマララヤ山。リパの天気は山に雲がかぶると、必ず雨がマララヤ山からやってきます。

ビレッジはフィリピンに40年以上も暮らしている82歳の日本人建築家が作ったものですが、さすがにこの地のことを熟知していて、街中と比べても快適さが違います。

ところがマララヤ山というのは、人跡未踏の魔の山だそうで、未だに道がなく、毒蛇が至る所にいる危険な山だそうです。

若い頃、マララヤ山を登ったことのあるビレッジの建築家オーナーは、「知らなかったとはいえ、よく登ったものだ」とおっしゃっていました。

毒蛇は現地では「コブラ」と呼ばれているそうですが、実際にはマムシの一種だそうで、昔はビレッジにもしばしば現われたそうです。

建築家オーナーの家にも昔出たことがあるそうで、朝起きると番犬2頭、大きなジャーマン・シェパードが死んでいたとか。
シェパードも噛まれたあと、マムシを噛み殺したようで、蛇と犬の死体が横たわっていたということで、噛まれた犬の足が膨れ上がっていたというから、それは壮絶な戦いだったのでしょう。

コブラは神経性の毒で、マムシは皮膚が腫れ上がる毒だと言いますから、たしかに話を聞いてみても、マムシの一種に違いありません。

こちらが建築家オーナーの庭。クライアント邸と同じ五重塔があります。

ところが終戦間、リパに米軍が上陸してきた時に、このマララヤ山に日本軍が大砲を人力で運んでいったというのです。

近くに見えますが、マララヤ山は標高およそ1700mの山だそうで、車でも20分ほどかかります。
山まで大砲を運んだ日本兵たちは、さらに急峻な道なきジャングルの山へと持ち上げていったというのですから驚きです。おそらくはマムシに噛まれて無念にも命を落とした兵士もいたでしょう。

大砲をマララヤ山に運んだ日本兵は、上陸した米軍に対抗したといいますが、レイテ島やコレヒドール島の戦いのように、ほとんどが玉砕したに違いありません。

未だにマララヤ山には、そうした大砲や日本軍の立てこもった跡があるそうですが、建築家オーナーが登ったという40年前から、変わってないといいますから、今ではどんな恐ろしい様相になっていることか・・。

亡くなった兵士たちに哀悼の意をあらわすほかありません。
↑ この後、マララヤ山の麓まで出かけましたが、養豚場のあるサンホセのような明るい場所ではなく、昔は山賊が出たという昼なお暗いジャングルでした。

南方といっても、その地勢はさまざま。

それにしても、今の日本の暮らしというのは、そうした若くして命を落とした私たちの先祖によって成り立っているということを実感いたしました。
改憲派のわたくしではありますが、かえってそれだけに戦争というものをやれば、どんなことになるのか、背筋が寒くなった次第です。

そんな思いを誰もがしないよう。
クライアント家族がいつまでも平和で暮らせるよう。自分と自分の家族、それに大勢の人たちにいつまでも祝福があるよう。
話を聞いたあとに、願いを込めて改めて筆をとりました。

 
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フィリピン絵画制作記9 授業の成績

2015-12-24 10:34:25 | Weblog

書き忘れてたことがありますので、今回も直接、制作とは関係のない授業のお話から。先ず、こちらはFacebookで来たコメントのやりとりです。

何だろうね、美術でも音楽でも自分を表現する場なのにも拘らず
それを成績として評価するから生徒がざわつくのかな、と思いました。

成績で評価したら少しは静かになると思うので、そうではないかと。やっぱり、面白いと思うと静かになるということだと思います。

わお!話しがかみ合ってない…と思った原因が判ったかもしれない。違うかもしれないが。自分が心のままに表現したもの、絵にしても演奏にしても、それを「54321」や「松竹梅」とランク付けされたくないよ!ヘタとかウマいとか言われて面白くない!もう表現なんてしないよ!という反抗期っぽい心の叫びをコメント欄に書いたつもりです。

そこまで考える子がいたら大したものです

いないもんかね。内心では思ってると思うよ。言語化できないだけで。

評価は気になるだろうけど。
成績つけないって、生徒に言って教えたし。
勝手に描けと。 

ほお。 

簡単に言うと成績はつけないと言って、生徒に描かせたということです。

そこまでの立場じゃないし、 いきなり絵を描けってやらせて、順位をつけるのはおかしいだろうというだけのことです。

わたしは美術に成績不要とは思いませんが、評価するにも順序というものがあると思うので、特別授業をして評価をしようとは思わなかったということ。
これが美術が必修ということになれば、話は別ですがね

明日はリパの話をいたします。

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フィリピン絵画制作記8 360の瞳に授業です(下)

2015-12-23 14:16:26 | Weblog

上の写真のように、モチーフは花と花瓶、それに野菜です。

参加生徒の数が最初に考えていた20名の、3倍近くの人数(ほぼ全校生徒)だったため、モチーフが足らなくなり急遽、校長室に飾られていた造花を持ち出し3つのグループに分けました。

ほとんど絵を描いたこともない生徒に、形の難しい花を描けと言ってもできるワケはない・・ただ、経験させて描くことが大切だと考えていたのですが、意外に生徒はやってくれました。

”形の難しい花”というのは、逆に描写がある程度できるようになってから感じることなようで、生徒たちは自分の脳内で花を単純な線に置き換えて描きはじめたのです。

線の野太い子、繊細な子、カラフルな子、最初にスケッチをしてから描く子と、それは様々。

わたしは描き方を目で見てわかるよう、紙を持ってまわり、どんな風に描いたら良いかを見せてまわりました。

写真の通り、スペースの関係で机の上で描く子もいれば、床に座り込んで描く子もいますが、そのあたりをうるさく言っても絵は描けませんので、なるべく自由にさせました。

退屈する子が出て、騒がしくなるんじゃないかと思いきや、意外に生徒たちはおしゃべりもせず、描くことに集中したのは、こちらがびっくり。

こんな風に授業を受けてくれたら、私の教員時代ももう少し楽だったかなあ(笑)。

学年が上がるごとに、その集中力は上がっていくのを見て、ホリスティック・アカデミーの生徒の質の高さが伺えました。

↓ こちらは、大澤オーナーのコメント。

フィリピンでは、いい学校を出なければ仕事はない、いい学校を出てもいい仕事は少ない、というところが本当です。塾のくもん はリパのような地方都市でも既に二カ所、マニラではそこらじゅうにあります。どこの国でも親は教育熱心ですね。

特筆すべきは、学校ではいじめが本当に少ない、この学校では、それがなく、皆が仲良くしています。学校を始めてまだ高校卒業生はいません、九年前程から十数人からスタートして、いま幼稚園から高校まで二百人程です。近い将来卒業生がどのような進路を取るのか、大学受験の結果はどうなるのか、楽しみです。

日本に比べて、フィリピンの教育環境が優れている・・・ということは、決してないと思いますが、少なくとも子どもにとって居心地は良いようで、教員の数も多く、小さな学校なので目が行き届くというのもあるのでしょうね。

授業以外で何度も学校には足を運びましたが、生徒は楽しそうだったし(泣いてる子はいましたが)、先生が生徒を叱りちらしてる様子も見ませんでした。

まあ、3時間くらい授業したくらいで、中のことはなかなかわかりませんが、悪い学校は行ってすぐにわかりますからね。
明るい校風は、将来この子達の財産になるでしょう。

↓ こちらは大澤オーナーのコメントについての、私のレスです。

高校卒業者がまだいない!
若い学校ですね。

美術をちょっと教えただけで、細かいことはわかりませんが、大学受験はきっと良い結果を生んでくれると思います。

いじめがない、いじめが少ない。
それも納得の明るい校風は、きっと卒業生の財産となるでしょう。
人にとって最大の財産とは教育だと、再認識する出会いになりました。

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フィリピン絵画制作記7 360の瞳に授業です(上)

2015-12-21 16:08:45 | Weblog

本日は絵画制作ではなく、クライアントが経営する学校ホリスティック・アカデミーで特別授業を持った話にいたしましょう。

知らない方のために申しあげると、実はわたくし・・・元教員であります。
大学院を卒業して2年間、厚木市で臨時採用教員と立場で中学の美術の先生をしたことがあります。これは教員採用試験をパスしなくても、教員免許と校長の許可さえあれば出来るもの。

なんと、社会科と国語まで授業を持ったことがあります(神奈川は授業時間数の少ない美術教師を別の授業に当てることがあります)。
もっとも生徒はそんなことを知らず、普通の先生と区別できません。

当時の厚木の中学校はお世辞にも良いといえる環境ではなく、まあ、1年目はラクなところで授業をしましたが、2年目はけっこう大変だったかな。

教員の採用期間が切れたあとインド方面に半年近くいて、戻ってからデザインメーカーに就職してから、フリーランスになったという経歴です。
サラリーマンも10年近くやったというわけで(笑)。

さて、この日は久々の授業。

ホリスティックの校長はオーナーの申し出を快く引き受け、小学校低学年、小学校高学年、中学高校と3時間の授業をすることになりました。

子どもが増え続けているフィリピンでは、教室の広さも十分でなく、授業の数も限られているそうですが、ホリスティックは私立ということもあり、大きくないながらも少ない生徒数で良い環境で授業がなされています。

それでも美術や音楽、体育といった科目はない学校が多く、ここでもいつもなされているわけではありません。

↑ 見ての通り、教室ではなく、いわば多目的ホールみたいな踊り場で授業。
フィリピンは1年を通して寒くなることはないので、屋根さえあれば問題ありません。

最初は粘土でフィギュアを作ってもらう予定でしたが、教材にお金がかかると、参加しないという生徒も出てくるかもしれないということで、イラストボードと鉛筆、絵具で、花と野菜の静物画を描くことにしました。

200人いる生徒の中で参加したのは合計180名。
幼稚園は参加してませんから、全校生徒が殆ど授業を受けたことになります。

美術の授業は初めてという子も多く、もちろん1から手取り足取りです。

驚いたのは生徒が素直で一所懸命なこと。
のんびりした国民性のフィリピンですが、さすがに私立に来る子どもはそれなりに学習意欲が高い。

おお、キミキミ。
なかなかお利口そうな顔をしているねえ。

初めて受けるアートの授業。
好きにならないまでも、きらいになってもらってはいけません。

良いところはとにかく評価する。
できないところはなぜ出来ないか説明する。

いや、なかなか教えていて気持ち良い!

出かけるので、続きはまた明日!

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フィリピン絵画制作記6 セブン区議、リパに来る!

2015-12-20 11:10:37 | Weblog

今回はタイトルと関係のない、わたくしが絵で言われる不満から一言。
日本に戻って絵を見せると「ラピュタみたい」という人がいるのですが、そう見えるのは宮崎アニメが有名だから仕方ないのですが、天空の建物は別にラピュタを模したものではありません。

空中に岩が浮かんでる絵は私の方が先に描いてますし(笑)、そもそもマグリットの「ピレネーの城」以来、空中に重たいものが浮かぶビジュアルは多くの人がやっています。

フィリピンでラピュタはそんな知られていないのか、それを言う人は誰もませんでした。空中に建物が浮いている絵に疑問を持つ人も、あまりいないようです。

もうひとつ、長年絵を描いてきて言われてきた不満の中に、「意味がわからない」「なんでおすもう?」といったことがありました。
それが今回の仕事では、絵の中にあるアイテムの多くがクライアント家族のリクエストによるものだったことによって、その不満が大きく解消されました。

浮かんだ教会もリパに実在するもので、こちらはカトリックの奥さまが一番好きだと言う、リパのカーミラ教会というところです。

不思議なもので、「クライアントのリクエストによって描かれた」というと、誰も意味がわからないとは言わなくなるもの。

これは大きな発見かな。

こちらはリパ最大のショッピングモールSM。
日本でSMというと変な意味になりますが、これは創業者が靴屋から身を興したシュー・マーケットから来るもの。
フィリピンの経済成長を象徴する一大商業施設です。

さて、制作をしてる間、セブン区議こと七戸じゅんさんがリパを訪れました。

クライアントが経営している学校ホリスティック・アカデミーを見学し、 クライアントの大澤邸を訪れて制作中の拙作を見ていただきました。

こちらはそのホリスティック・アカデミー。
屋上に鉄筋が伸びているのは、生徒の増加によって3階に増築するためのもの。
これも絵の中に取り込みましたが、気が早く3階建てにいたしました!


え?
タイトルになってるセブン区議の話が、ほとんどないじゃないかって?

あ、特に面白いことがあったわけでもないので、来たということだけ一言。
三つ子ちゃんに囲まれ、ご満悦のセブン区議でした♪

 

 
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フィリピン絵画制作記5 そんなバナナ!

2015-12-19 09:17:19 | Weblog

絵に着手した当初は、フィリピンと日本の風景を組み合わせたもの・・というものを考えていましたが、農場や養豚場、リパのマーケットをめぐるうちにバタンガス州の風景へと変わってきました。

気分はもう、タヒチ島のゴーギャン!?
…って、三食サンミゲル付きとは、いかにもだらしない。
ゴーギャンを引き合いにするなど五合のひょうたん・・じゃない、言語道断です♪

↓ こちらはリパのマーケット。奥さまは「汚い」と行きたがらないので、いつもクライアントの大澤オーナーがお買い物。私もその荷物持ちでくっついて行きました。
お世辞にもきれいとは言えませんが、置いてあるモノは新鮮でしかも安い! 

こちらは魚と野菜。ハッキリ言ってクサいですが、臭いの元はすべて床から。
モノ自体は漁港や湖から直送されてきますので、スーパーで買うより新鮮です。
↓ さすがに刺身にはしませんが(笑)。

さて、絵の右側に描かれている水辺の部分。
ここをリアルにするために、リパからほど近いタール湖とタール火山を見に行きました。

この仕事の原型となる浜松の絵でも、同じような水辺を描いたのですが、実はそのモデルは浜名湖でした。
今回の仕事はタール湖をモデルにします。

タール湖はタール火山のカルデラ湖で、世界最小の火山だそうです。
そのためか見た感じではどれがタール火山だかわからなかったのですが・・
↑ 地元の人に聞いたら、上写真の突起みたいな山が、タール火山なんだそうです。

タール湖の湖畔は、普通の民家や学校がある一般的なフィリピンの風景でした。

さて、湖畔で見つけたバナナ畑をパチリ!
絵の中のバナナの森のモデルにいたします!

バナナというのは植物学的には木ではなく草だそうです。

↓ クライアント宅にある空き地には、勝手に生えてきたバナナが青々と生えてます。え! そんなバナナ!?・・・なんて、ウフッ♪

このバナナ、ゲストハウスのベランダの真正面に生えているのですが、もうすでに実がなっていて、もう少しで食べ時だとか。

実が出来るとバナナは枯れてしまい、そのすぐワキからタケノコのように新しいバナナが生えてくるというわけです。
タケノコほど成長スピードは早くないものの、バナナの新芽は一日経つと、新しい葉っぱが出て伸びてるという感じで、伸びる速度は驚異的です。

生命力の強い植物なんですね。

↓ バナナの房は1本につき、 こんな感じで1房。

意外に少ないようですが、この房がすごく重たく、バナナツリーが傾くほど。
栄養タップリ、食べると力が出るはずですね。

バナナは栄養があって、”えいよう”!・・・なんて、ウフッ♪

 
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フィリピン絵画制作記4 ブタの大きさにピッグり♪

2015-12-17 15:45:43 | Weblog

制作をはじめて10日ほど、ぼちぼち取材をはじめました。

さて、クライアントの最初の依頼はこんな感じでした。1、↑ 浜松の絵をもとに、横に大きな絵を描く。
2、奥さんの実家は養豚場を経営してるので、飛んでいるマグロをブタに変える。

最初はこの2つくらいでした。

それにしても、羽の生えたブタが空を飛んでる依頼とは、頼むクライアントもタダ者ではありません。あ@花さんところは夫婦で10分間、大笑いしたそうですが、頼まれたわたしもピッグり・・・なんて、ウフッ♪

先に頼んだように、10日めくらいには養豚場やリパのマーケットを取材しに行くことにしました。子豚はかわいい♪

母ブタは200kg、逸ノ城と同じという大きさにピッグり♪

よく散らかってる部屋のことを「ブタ小屋みたい」と言いますが、実際のブタくんは清潔好きで、ブタ小屋は常に掃除がなされて衛生にも気を使われています。

私はよくイラストにブタくんを描くのですが、実際のブタは耳が意外に大きいこと。
それに目がけっこうコワいのに驚きました。

あのハンニバルシリーズでは、サルディニアの人食いブタが出てきましたが、小屋の中に入れられたら大けがをするでしょうね。
「あしたのジョー」では、矢吹丈が少年院で飼ってるブタを解放して脱走をはかる場面があり、それを力石徹がパンチでブタを気絶させるのですが、あれは実際のブタを知って書いたのですね。

ブタ小屋を見てると、けっこう色々なアイデアが浮かんでくる気がしました。

それにしても空飛ぶマグロはけっこうリアルに描いたけど、空飛ぶブタはリアルに描けないな。そんな風に感じました。

こちらはブタの厩舎。あとで絵の中に組み込まれます。

ブタ小屋は番犬が放し飼いになっていて、みんな狂犬病の予防接種を受けているそうですが、ワンワン吠えられるのは気分の良いものではありません。

犬は逃げると追いかけてくる習性があるので、ホントはビクついてるくせに、なるべく堂々とふるまって・・・あああ、近づいてくんなよ~。
あっち行けよ~、たのむからああああ!

ブタ小屋は広い農園の一部にあって、マンゴーやバナナが植えられています。


バナナと椰子というのは姿がよく似ているのですが、よく見ると葉っぱの生え方がまるで違う。

それにしても、すぐ描けてしまうかなとタカをくくっていたのが、南方の密林を見ながら、「これを残り2週間弱で描くのは大変だぞ」と思ってしまいました。

どの木を主役にして描こうか。
畑を見ながらそんなことを考えました。


カボチャは和カボチャ、黒川カボチャそっくりです。


こちらは低い木のパパイヤです♪ 青い実を野菜に使います♪

バナナを入れたら、ぐっと南国の絵になりました。
絵の方向性がハッキリとした瞬間です♪ 

 
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フィリピン絵画制作記3 絵のルーティンワークって?

2015-12-15 17:18:27 | Weblog

絵の下塗りをはじめて2日ほどして、ちょっとした腰痛を覚えました。
絵画制作による腰痛に加え、柔道による腰痛など、腰の痛みは初めてではありませんが、限られた日数による制作とアウエーという立場から、過度の痛みはどうしても避けなければいけません。

ぎっくり腰の微妙な角度などは、経験によってある程度避ける所作はわかってましたが、あまり痛みがはげしくなると仕事にも支障が出てきます。
特に大きな絵の制作ならなおさらです。

そこで考えた・・ってほどの話じゃないですが、いわゆるルーティンワークです。

ルーティンワークというとラグビーの五郎丸選手がキックの前に行う所作や、イチロー選手のバッティング前の動きなどで、最近よく言われますが、あそこまで完成された動きじゃなくても、いちおう絵描きさんにもルーティンワークに近いものはあります。
というか、フィリピン滞在中限定の健康管理とも言いましょうか。

幸い、クライアント宅の奥さまは健康意識の高い方で、上のように日本の朝ご飯と殆ど変わらない食材とメニューなのは助かりました。
わたしが毎日FacebookにUPしてたら、だんだん豪華で量が多くなったのは、実はちょっと困ったほど(笑)。痛風持ちには嬉しい食事でした。

夜になると、クライアントが「おーい」と声をかけてくれて、ベランダでサンミゲル・ビールで一杯。
三食サンミゲル付きは嬉しいところですが、はじめの3日くらいは、これで絵ができるのだろうか??っと不安にもなるところでしたが、その分、朝早く起きて作業をすることにしました。

もともと夜はそんなに仕事をする方でなく、むしろ朝方だったので、それは苦労もなし。

ビールを飲んで、夜は9時半。遅くても10時には床につきます。

オプションで持ってきた3号の絵に思い思いの線を描く三つ子ちゃんたち♪

年のせいで早起きというにも早起きな3時起床、4時起床。
ニワトリと番犬の鳴き声も手伝って、暗いうちには目が覚めます。

腰が痛いうちは、ちょっとした動きでギックリ行くことがありますから、階段下るににもジイさまのようにゆっくりゆっくり。それでもフィリピンは温暖なので、日本の冬のようにピキーンとくる心配は少ないかな。

前の日に使った絵皿についた絵具を、ペインティングナイフでグリグリ削り、ボロ布できれいに拭いて、卵テンペラに使うメディウムを作ったり、顔料と混ぜたりと、実際に筆を取るまでの作業をゆっくりゆっくり行います。

そうしてるうちに2度寝をすることもあれば、そのまま朝焼けを見ながら、バナナを食べて、トイレに行き、水を飲み、日本から持ってきた山岡荘八「徳川家康」を読んだり・・・。

↓ 下の写真は以前にも公開しましたが、クライアントの新築をカソリック神父さんに清めてもらうBlessingという儀式とパーティー。

日本神道にも同じものがありますが、カソリックの儀式は念入りで、トイレから屋根裏まで、あらゆる部屋という部屋を聖水によって清めていただきました。

もちろん私が泊っていたゲストハウスも同じです♪

↓ で、3日めでここまでUP。腰痛も消えていき、仕事も順調に進みます♪
大きな絵はイーゼルではなく、レンガや椅子の上に乗せるのですね(笑)。

え?
で、どうやって腰痛を撃退したのかって?

いえ、それがそんなことをしてるうちに、どこかに行ってくれたわけで。
だから南国は好きなんです♡ 

 
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フィリピン絵画制作レポート2

2015-12-14 15:27:35 | Weblog

マニラから高速に乗って約90分、目的地のリパに着きました。
クライアント宅は見ての通りの豪邸で、Sakura Villegeという日本人が作った居住地の一画にありました。東京ではもちろん望めない空間です。

私が絵画制作をするのはゲストハウスの2階。
最初は1階で描いて、2階はベッドルームとして使う予定でしたが、上の方が採光が良いので、そこで文字通り寝泊まりして制作することにしました。

こちらがゲストハウス。五重塔もあります♪

1階にあらかじめ用意してあった120号(195×145cm)のキャンバスを、クライアントと2人で上に上げると、なんとなくアトリエっぽく・・・というより、わたしの家よりはるかにアトリエらしい(笑)。

その日は道具を広げて、アトリエとしてのセッティングをするだけでおしまい。
すぐに夕刻になると、クライアントのお誘いでフィリピンのビール、サン・ミゲルで一杯。

男が2人で飲んだくれている様子は、そこの家の奥さんに一番キラわれるパターンですが幸いというか(??)、広い家なためベランダで一杯。
三食サン・ミゲル付き生活のはじまりです。

朝は早い時は3時頃に目が覚めます。

自然豊かなサクラ・ビレッジですが、実は夜は一晩中うるさいのです。
ラジオが一晩中かかっている家もあり(大らかなのか、誰も苦情を言わない)、そして何より、ビレッジの中に無数に住み込んでいる番犬やニワトリの鳴き声は一晩中泣きやみません。

逆に東京に戻った晩、なんて赤坂は静かなんだと感じたくらいでした。

5時くらいには朝焼けがゲストハウスのベランダから見え、それが毎朝違う様相を呈します。

それにしても番犬もニワトリもうるさい。ニワトリは朝鳴くものだと思ってましたが、1日中声を上げるんですね。イソップ童話の金の卵を生むニワトリを絞め殺したお手伝いさんの気持ちが、少しわかりましたが不思議なもので3日もすると慣れてしまうものです。

さて、最初は大きな壁面に下塗り。
三つ子ちゃん達には、自分らも手伝ったという意識を与えるため、白い地塗り用のジェッソを筆でぬりぬりしてもらいました♪

お絵描きは楽しいぞ~♪

 
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フィリピン絵画制作レポート 1

2015-12-13 10:47:09 | Weblog

ようやくフィリピン絵画制作レポートを開始いたします。
普段はヒマなんですが、東北出張があった上に仕事が溜まってしまい、さらにどこから書いたら良いものか、迷っていたもので、戻って10日も過ぎてしまいました(笑)♪

実はクライアントは旧知の友人(日本人で、奥さんがフィリピンの方です)。
フィリピンで成功し、今は社会還元としてHolistic Academyという学校を設営した人です。今回はその方の新築の大広間に飾る絵を、という依頼でした。

モデルは、上にある浜松のクライアントに依頼されて描いたもの。
このブログの読者にはもうお馴染みですね。

最初は私に日本で描いてもらったものを持って帰る予定だったようですが、なにしろ大きい家なので絵も大きなものが欲しい。

「大きい絵ってどのくらいのサイズかな?」

「壁面は横が2mちょいかな。なるべく壁いっぱいくらいのものが欲しいんだよ」

ええ~!
さすがにフィリピンで成功した人は依頼も豪快です。それがまったく欲のない人というのが人生の不思議でありますが(真顔)。

そのサイズだと巻いて持っていっても空港でチェックされます。美術品は税金がかかりますから、私本人が行って現地で描くのが、絵のためにもコスト的にも一番効率が良い。

↓ というわけで描いたのが、こちらのラフ画。
こちらも拙ブログでは何度もUPしたかな(笑)。

クライアントは3月に1回ほどは日本に戻り、お父様と温泉に行ったり、必要な買い物や手続きをするそうで、同じ便の飛行機を取り、行きは一緒にマニラまで行くことになりました。

マニラの治安はだいぶ良くなったとは聞きますが、やはりあまり良い評判は聞きません。初めて行く国なので、それは心強い限りでした。

絵具をタップリ詰めた荷物は40kg近く。積載ギリギリというほどではありませんが、今まで運んだことのない大荷物を運んでマニラ到着。

無許可でベンツのエンブレムをつけた「ジープ」と呼ばれる乗り物が行き交う中、暑くほこりっぽいマニラで一泊。

まず最初にミッションは、絵具や筆たちを無事にクライアント宅に持っていくこと。
悪名高いマニラのニノイ・アキノ空港ですが、どうやら何も盗られることなくセンチュリーパークホテルに到着。

世界3大夕日と呼ばれるマニラ湾の夕日を、馬糞の臭いを嗅ぎながら、客引きとゴミを横に堪能♪

夜は頤和園(Emerald Garden)というフィリピンチャイニーズを頂きましたが、甘口の味付けにびっくり!

フィリピンの味付けは甘く濃いめが基本。
南国なのにスパイスは殆ど使わないのが面白い。


食後はマニラホテルのバーに行き、昔話などに花が咲きました♪
翌日はマニラから高速で1時間半ほどの地方都市、リパというところに向かい、そこのクライアント宅で制作を開始です。

 
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モネ展、行きました!

2015-12-12 14:06:14 | Weblog

昨日はいただいたチケットで上野にモネ展を見に行きました。
いや、平日の昼間だというのに、その人手のすごいのすごくないのって!

日本人の印象派人気は大したものですが、わたし個人はモネは何10遍と見てますので、あまり期待をしないで行ったのですが、コレクションの豊富なことと、もしかしたらフィリピンに行って見方が変わったのか、十分堪能できる展覧会となりました。

今回の展覧会で再認識したことが2つ。

1、モネは最初にカリカチュア(西洋マンガ)を描いていて、似顔絵など人の顔の特徴をとらえるのに長けていたこと。

2、わかっていたことだけど、おそらくは筆が早く、見る見るうちに絵が出来上がっていっただろうということ。

この2点の特技を活かして、モネは刻々変わりゆく夕刻の色を、素早くとらえて、その場の空気を絵の中に封じ込めようとしたのではないか。
そんなことが、今回初めてわかりました。

とにかく空気感がすごいのです!

もし、モネ展にこれから行かれる方がいたら、絵の前に立って、モネが実際にどんな風景を見てその絵を描いたのか、想像していただくと面白いと思います。
きっと、その絵の前で、モネが見た睡蓮やクレマチスの様子が頭の中に浮かんでくるのに違いありません。

行く前に上野のインド料理店ハリマ ケバブ&ビリヤーニで腹ごしらえ。
実はここ、ハラルフードのお店で、レベルの高さにびっくりでした!

余談ながら、面白かったのは会場に入ってすぐ展示されていた、ルノアールによるモネ夫人カーミユを描いた肖像画でした。

どう見てもひきつったような表情で、ほっぺたのあたりは何度も絵具を塗り重ねたあとがあるのです。

うーん。こ、これは・・・!??

どう見ても、好かれている表情ではなありません。モネ夫人はルノアールのことがきらいだったのでしょうか?

そうして展覧会を見終わったあとカタログを見て、この絵について書かれた文章を呼んでびっくり。

「カーミユは視線をそらし、 幸せそうにはにかんだ表情を浮かべている」だって。

ウソ書いてるじゃないか、ってわたしは思っちゃいましたけど、まさか「ルノアールは嫌われていたんでしょう」とはカタログに書けないしねえ(笑)。

ともかくもモネ展、ご興味ある方は混んでますが足をお運びください。

フィリピンレポートは明日以降(どんどん伸びる)

 
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東大学食のカルボうどん

2015-12-11 09:25:39 | Weblog

今日はフィリピン絵画レポートをしようと思いましたが、時間の関係で明日以降に延長です。ご了承のほどを。

昨日は勉強会の座長の追悼&懇親会。
座長が教鞭をとっていた東大に初めて入りました。

いや、さすが東京大学!
建物の風格が違います♪

加賀藩ゆかりの赤門。

そしてあの安田講堂。

円形の学食も立派なのにびっくり。
忘年会の前でしたが、友だちとシェアして「カルボうどん」なるものを食べてみました。

味は・・・カルボうどんでした(笑)。

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フィリピンのカレー南蛮

2015-12-10 09:18:15 | Weblog

このカレー南蛮、実はフィリピンで撮影したもので、サクラ・ビレッジを作った寺田さんのお宅でご馳走になったものです。
フィリピン家庭料理の食材はほとんど日本と変わらないので、和食が食べたくなることは一度もなかったけど、カレーだけは無性に食べたくなる現象がありました。

これ、わたしだけじゃなく日本人のクライアントもそうで、月に2度ほどはカレーを作るみたいです♪

日本に戻って1週間、明日くらいから写真を整理して詳しいレポートをいたします。

お楽しみに!

 
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多賀城を知ってますか?

2015-12-09 10:15:53 | Weblog

昨日と一昨日は仙台市の隣、東側にある多賀城市に行ってきました。

市の観光プロモーションの仕事ですが、この多賀城市・・・奈良時代前期という歴史を持つにも関わらず、全国的にはあまり知られてません。

かくいうわたしも、先の震災と同じ周期の貞観大地震が、1000年前にあって、多賀城の記録があるということで聞いていましたが、どの場所かはよくわかってませんでした。

行ってきて規模の大きいのにびっくり。

震災でもここまでは津波が来なかったところのようで、見れば高級住宅地で、昔から良い地の利だったようです。

ただ歴史的に人気の有名人はあまり見あたらず、さて、どうやってビジュアル化していくか・・・そんなことを市の文化財科の方と打ち合わせをして煮詰めていきました。

小冊子が出来上がるのは来年。
さて、どのようになりますやら♪

 

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