小暮満寿雄 Art Blog

ダジャレbotと間違われますが、本職は赤坂在住の画家です。作品の他お相撲、食やポリティカルな話も多し。右翼ではありません

稀勢の里、笑顔なしの大関昇進!

2011-11-29 09:23:01 | Weblog
稀勢の里、大関昇進へ。
それにしても、こんなに嬉しそうじゃない大関昇進というのをはじめて見ました。

ネットの記事では「稀勢の里はお情け昇進で強引に期待を負わされた
なんて書かれていますけど、期待の大きさなんてすでに誰もが認めているところだし、
文中の”協会首脳が琴奨菊より稀勢の里の方にカリスマ性があるとみた”なんて一節も、
今さら何を言ってるのかって感じです。


まあ、11勝当確と言われ、千秋楽に琴奨菊に負けての10勝。
しかも苦手の把瑠都と菊には負けており、琴欧洲には星を拾ったような勝ち星があったり、
(ほかにも対・臥牙丸戦のような、ツキに助けられたような相撲が何番か)
相撲内容を見ても、大関昇進を見送られても不思議はなかったでしょう。

しかしながら、見ての通りガラガラの九州場所。
協会に客寄せの目玉がほしいのは当たり前ですし、
では稀勢の里に大関に相応しい技量がないかといえば、
今年の勝ち星や、あの最強の横綱に五分五分の星だったことを考えれば、
十分すぎるほどと言ってよいと思います。


過去に相撲協会は、双羽黒こと北尾光司を優勝経験なしで横綱に昇進させ、
挙げ句、親方とのゴタゴタで廃業させたという苦い経験がありました。

ほかにも微妙な昇進をしていった力士は大勢いますが、
15歳の時から、あの厳しい鳴戸親方に育てられた稀勢の里です。

今回の笑顔なしの大関昇進は、誰もが言うように通過点でしょう。
とかく大関は上を目指すより、下に落ちないことに安住してしまう地位ですから、
来場所は誰にもモノを言わせぬ相撲で、一気に綱まで駆け登ってほしいものです。


甚之助さんのブログにもありますが、逆に心配なのは白鵬かな。
相撲もそうなんですが、稀勢の里と一緒に出た千秋楽の夜のニュースの顔が妙にゆがんでいたのと、
ソファにすわる時に何やらよろけていたのがちょっと気になりました。
どこか悪くないと良いんだけどね。

また、立ち合いの手つきは今後の相撲界の課題でしょう。
相撲不人気の時は決まって、手つき不十分などの立ち合いに問題のある時です。

ともあれ、大関になった稀勢の里を国技館で見られるのは嬉しいなあ♪
また大声で声援を送りたいと思ってます。
がんばろう、稀勢の里関!


写真は山梨は甲州市の道の駅でいただいた”ほうとう”。
これでもかという、野菜ばかりの具だくさんほうとうは、
寒中でも食べ終る頃には汗が吹き出てきます。
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笹子でキジ打ち!

2011-11-28 12:10:16 | Weblog
金曜の週末から昨日にかけて、山梨は甲州市に行ってきました。

中年から初老にかけてのおじさんたちが1ダースほど集まって(若干の若者あり)、
年に2回、下手の横好きな柔道火曜会合宿で、
土曜は柔道の稽古、日曜は山登りといういつものメニューです。

土曜はきちんと稽古をこなし、日曜は好天に恵まれた中を山登り(ちゅうかハイキングかな)。
矢立の杉という樹齢千年(そんなに経ってないけど)を起点に、尾根に沿って山道を歩きました。



めざすは笹子トンネルの真上にある、笹子雁ヶ腹摺山(ささごがんがはらすりやま)。
笹子峠の尾根を通りながら、1時間あまりの優しい登山と聞いていましたが、
実際に歩いてみると、素人にはけっこうキツイ山道で、
切り立った傾斜のワキを上がり下りしながら、行きは2時間の行程でした。

難儀だったのは、あまり有名な登山コースではないのか、
起点終点のどこにもトイレがないことでした。

なにせ前の日は、稽古のあとの宴席。
そのくせ朝はメンバーの水産会社が提供してくれた、
イクラやウナギ、シラスなどを腹いっぱい食べてます。

行く前に二度ほど用は足したものの、山歩きをして1時間ほど経過したところで、
いきなりズズンとイヤな波が、下半身から肩にかけて押し寄せてくるのを感じるではありませんか。

まだ目標である笹子雁ヶ腹摺山の頂上までは、1時間ほどの距離とのこと。
帰路を考えると、どう考えても2時間3時間のガマンは不可能です。

そう躊躇してるうちに、ズズン、ズズンと容赦なく第二第三の波動が押し寄せてきます。

さらに頂上に近づくにつれ、風の通り道のような寒気がピューピュー流れてきては、
もはや為す術もありません。

ここは意を決し、メンバーのひとりに「キジ打ちをしてくる」と告げ、列を離れること、あいや暫く。
いやはや自分の体でありながら、内臓関係のコントロールはきかないものでございますなあ。
出物腫れ物所嫌わずとはよくぞ言ったものです。


さて一度はすっきりさせたものの、焦ってそそくさとすませたせいか、
頂上寸前で、再びガマンできない波動が襲ってきて、仕方なくもう一度キジ打ち。
恥ずかしながら、これも立派な環境破壊なのですが、そうも言ってはいられません。

わるいものを外に出したあとは、頂上に到達。
写真の笹子雁ヶ腹摺山の頂上からの富士山は、昔の五百円札に描かれていたそうで、
八ヶ岳も望める絶景でした。
(富士の雪が少ないのが、なんだか心配ですが)。

さて、帰りの車の中で友人にその話をしたところ、
どうやらキジ打ちは私だけでなく、数名いた模様。
(おめーら、山をナメんなよって)

真面目にガマンしていた女性(小用ですが)は手がむくんできたそうで、
いや、ひとたび文明生活に浸かると、なかなか自然というのは厳しく感じるものです。
笹子の神さま、ごめんなさいまし。
どうか我らが無礼を許しておくんなさいまし。

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オウムと死刑廃止論 ~ レベント組長、明日にも出所?

2011-11-25 09:09:56 | Weblog
数日前のニュースの話ですが、
オウム裁判がすべて確定し、今度は”刑の執行”について注目されるとか。

うーん。
刑が確定して、執行が注目されるなんて、何だか意味がわかりませんね。
確定した刑を執行しなきゃ、裁判の意味なんてないのにね。

オウムは20tものサリンを作って、東京上空から空中散布しようとした連中です。
米国では銃身を切った散弾銃を持っていただけで、死刑もしくは終身刑に相当するそうですが、
サリン20tを空中にばらまいたら、いったい日本はどんなことになったのでしょう。

世の中には、情けをかけて良いことと悪いことがあると思うのですが。


死刑廃止論というのは、ある意味の原理主義です。

死刑廃止論は「死刑は悪」ということが大前提になっているので、
被害者が何を望んでいるのか、犯罪抑止としての意味がどうなのか、
犯した罪の重さに対する対価がどうなのかという話をしても、
死刑はいけないことだからダメだということになり、まるで議論になりません。

だから平岡法相のように、息子を殺害された母親の前で、
「殺した側にも事情があった」などと平気で口にできるのです。

とかく死刑廃止論は、死刑を執行される人間のみに感情が移入され、
被害者やその親族、また社会全体に対するバランスを甚だ欠いているのが問題です。


その昔、米国の心理学者ゴードン・オルポート(1897~1967)は
「熱心に教会に通っている人の方が、黒人に対する偏見が強い」という調査結果を出したそうです。

これは神を熱狂的に信じることで、それ以外のものに対する寛容さが失われ、
自分のエリア以外の人間に対して(ここでは黒人)に対して、偏見を持つようになったということでしょう。

なんだかこれは、死刑廃止論者の持つバランスのわるさに共通しますが、如何なものでしょう。


さて昨日はnaotさんからメールがあって、アセナのランチに行ってきました。
親分の出所が近いので花を買ったそうで、私にメッセージとイラストを描いてくれとのことでした。

綾子さんの話では亜瀬奈組のレベント組長、回復は順調だそうで、
検査の結果次第では、土曜(明日・・・かいな?)にもシャバに出てこれるそうです。
しばらくは重いものを持ったりと、ムリはできないそうですが、
口で指示して味見をするだけでも違うはず。

写真はnaotさん撮影のキョフテに、お見舞いの花とイラストです。


さて明日から日曜までは、山梨は甲州市に出かけますのでブログはおやすみ。
かまわずコメント、いただければ幸いです!
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法然と親鸞

2011-11-24 10:18:48 | Weblog
昨日は上野の国立博物館に「法然と親鸞」展を見に行きました。

仏教やら仏像と、この手の展覧会は本当に日本人に人気です。
「空海と密教美術」展の時もそうでしたが、この日も休日とあって長蛇の列でした。

それにしてもさすがに浄土宗や浄土真宗は、密教とは対照的です。
密教がプロ相手の仏教なら、浄土教は幅広く一般大衆を相手にした仏教と言えましょうか。

「絶対他力」「他力本願」の言葉通り、
ひたすら南無阿弥陀仏とお念仏を唱えれば、
いかなる者も阿弥陀さまの手によって救われるという実にシンプルでわかりやすい教えは、
文字を知らぬ民百姓からお武家まで、幅広く大衆の心をとらえました。

特に親鸞の浄土真宗は肉食(にくじき)妻帯を許すという、ほとんど何でもありの教えです。
仕事や生活様式は生真面目なのに、こと宗教となるといい加減さを好むのが日本人ですが、
浄土教の寛容さは、われらが国民性には合ってるんでしょうね。


展覧会では法然、親鸞の肖像や直筆が多く展示されてますが、
風貌も書も丸っこい法然上人にくらべ、
眼光鋭く、まるで剣のような文字を書く親鸞上人は対照的でした。
それは親鸞上人の寛容な教えとは、背反するものだったのが興味深いところです。

法然も親鸞も驚くべき碩学で、どちらも比叡山で徹底的な修業と研鑽を積んだ人です。

展覧会ではそれらを示す直筆が数多く展示されていました。

特に親鸞の字は、空海のような能筆ではありませんが、
彼の直筆による「教行信証(きょうぎょうしんしょう)」は、
世にあまたある仏典の教えを、親鸞自身の教えをまじえて解釈したもので、
徹底した推敲のあとがあってすごい迫力です。


けっきょく、そうした研鑽から「他力本願」の教えは生まれたのでしょう。

私自身の解釈で「他力本願」は、自助努力をしたあとの「他力」と思っていたのですが、
法然や親鸞の本当の教えとは、ナムアミダブツと唱えた瞬間、どのような罪人も、
極楽浄土の道へと開けるという、いやはや・・・恐ろしいほど大らかな教えです。

もちろんそれは「自助努力をすることさえもできない人」に対する教えなので、
何もしないで口を開けていれば、ご飯が食べられるという教えではありません。
(ひろさちや先生が言うように、仏さまは自動販売機じゃあないですからね)。

法然や親鸞の残した書を見ると、
教えを信じる人の心や魂は、何があろうと絶対救ってみせるという気概のようなものを感じました。


鎌倉時代ほど人が殺された時代はないそうですが、
殺した方も、殺されかかった方も、今で言うPTSDになった人は少なくなかったようです。

法然に帰依した武将・熊谷直実などは、自分の息子くらいの年だった平敦盛を殺めたことが、
出家の理由のひとつだといいますから、
精神的にも肉体的にも鍛えぬかれた鎌倉武士でも、殺生には相当な抵抗があったようです。

この時代の高僧は、法然や道元のようにお武家出身という人が多く、
それはやはり数多くの人の生き死にを目の当たりにしてきたこともあるでしょう。


展覧会は仏像も素晴らしいものが多く展示されていて、
なかでも鎌倉の浄光妙寺にある高さ4mもある阿弥陀三尊像は本当に美しい。

余談ながら、浄光妙寺はかの足利尊氏が後醍醐天皇に弓を引く決心をした場所として有名です。
尊氏が創建させた寺として、同じ鎌倉に覚園寺(かくおんじ)があり、
ここに同じ仏師(伝・朝佑)による薬師三尊像と十二神将像があります。

尊氏は死ぬまで、後醍醐天皇に手をかけたことを悔いていたそうで、
浄光妙寺と覚園寺の仏像は、尊氏みずからの命で彫らせていたのではないか、
そう私は勝手に考えています。

また、同じ鎌倉にある長谷観音の金箔修復も尊氏による事業。
戦時中は大逆臣とされた尊氏ですが、きっと信心深いインテリさんだったのだと思います。

ともあれ「法然と親鸞」、12月4日までやってます。
まだの方はぜひご覧くださいませ!


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ブータン王国 ~ 一寸の虫にも五分の魂

2011-11-23 09:49:48 | Weblog
昨日のデジカメ紛失は、たくさんのコメントをありがとうございました!
結局は自分のポカなんですが、色々ご意見を聞いて切り替えができました。
デジカメはあきらめ、次回からは肩にぶら下げます。


さて、つい先日帰国されたブータン国王夫妻ですが、見ての通り美男美女のご夫妻。
好感度抜群で、お帰りになったあとも余韻が残っているようですね。

ヒマラヤの小国ながら、
ダライラマよりはるかにクローズアップされた、ブータン国王夫妻の来日ですが、
実はブータンの人口の80%がチベット系(20%がネパール系)で、
ワンチェク国王ご自身もチベット系、チベット仏教の信者なようです。

うーん。
ダライラマの来日を中国に気づかって報道しないなら、
チベット系のブータン国王だって一緒だと思うけど、そちらはどうでも良いわけですね~。

ほとんどの日本人が知ることのない、ブータンという国の過剰な取り上げられ方を見て、
メディアに何か政治的な意図があると思いましたが、これはちょっと違いますね。

おそらく前ブータン国王が提唱したGNH(国民総幸福量)という言葉が、
メディアにとって口当たりが良いのかもしれません。

たしかに先進国のようにモノが溢れている国は、うつや自殺者が多い傾向があります。
そんな意味でブータンはうつや自殺者の数は少ないんだろうな。

だから幸福度はお金とかモノじゃないっていうのはわかりますが、
ブータンの人は、生まれた時からブータンに住んでますから、
その意味では幸福度は高いだろうけど、先進国の人がいきなりブータンで暮らせるわけじゃありません。

また、ブータンはネパール系の住民を大勢追いだしてしまったり、
幸福度世界一ということとは裏腹の一面もあるので、一概に言葉通りも取れない気はします。


もっともチベット系とネパール系住民というのは、けっこう事情が複雑です。
ネパールもブータンも地政学的には、インドと中国に挟まれており、
小国ながら重要なポジションにあります。

中国はネパールを援助していて、インドはブータンを援助しており、
しかもチベット系が多いということで、おそらくブータン人は中国には好感を持っておりません。
(加えて、文革時代の中国にだいぶ領土を取られたそうです)。

今回、ブータン国王の来日というのは、
「ブータン、ここにあり」という、小国ながらキチンとした独立国家なんだという主張を(当たり前ですが)、
内外にアピールしたという意味あいが強いのでしょう。


彼の国などは「ブータンは歴史的にわが国の領土」なんて言いかねません。
一寸の虫にも五分の魂・・・虫という比喩はひとつの国に失礼かもしれませんが、
若いながら立派な国王ご夫妻でした。
小さな国なのにどこの属国にもなっていないのも立派です。


画像は「山形山水図屏風」の「鳥海山」です。
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セッティング完了!~でもデジカメ紛失!

2011-11-22 10:22:57 | Weblog
昨日はヤマガタ・サンダンデロで「山形山水図屏風」のセッティングでした。

昨年、セッティングした日をチェックしたら12月20日ですから、丁度11ヶ月経ったというわけです。
先に用意したものは182×46cmのパネルが6枚(それで”山形六双図”)でしたが、
今回のものは一番長いもので130cm。

前回はライトバンをレンタルし、えらい思いをして絵を運びましたが
今回はパネルの数は6枚でも、面積的にはパネル2枚弱くらいといったところ。

梱包した絵を風呂敷に包んで、タクシーで銀座に向いました。

定休日に来てくれた中村店長さん。
昨年も一緒に手伝ってくれたので、要領もわかっていますから、
前回、6時間半かかったセッティングが、今回は3時間半ほどで無事完了!

絵の絵の間も見事につながり、自分で言うのも何ですが素晴らしい出来です。
絵と絵が連結して、1枚の長い絵になることで、まったく違う作品になりました。
どうぞ、みなさま!
ヤマガタ・サンダンデロにお越しいただいて、
素晴らしい山形イタリアンと一緒に「山形山水図屏風」をご堪能ください。

人気店ですので、行かれる時は予約をされる方が間違いないでしょう。


さて、肝心の話はこれからです。
セッティングを無事に終了し、時計を見れば2時を回っていたので、
さっくり丼めしでも食べるか・・・と思ったところ、
サンダンデロの近くにしんせんというラーメン屋があるのを思い出しました。

ふだんラーメンなんて大した食いモンじゃない、なんて言ってるくせに、
なぜかこの時はムショーにここの雲呑麺を食べたくなりました。


ここはサラリーマン時代に、時々通っていた四谷こうやの姉妹店。
肉団子がたっぷり入ったワンタンと分厚いチャーシューがこれでもかと入った雲呑麺は、
肉体労働のあとにはまたとないごちそうです。

何年も行ってなかったけど、はたして店は開いており、
玄関を入ると、中国人か東南アジア系の店員のみが切り盛りして、四谷のこうやとは別の店。
ニカワを煮込んだような、スジ肉系たんぱく質のにおいがプンとします。

店員は雑談してたりと、あまり感じが良いとはいえません。

イヤな予感がしたものの、ほかを探すのも面倒だったので、
早速、雲呑麺を注文し、デジカメで今日撮影したばかりの「山形山水図屏風」を見ながら、
「うんうん、良い出来だ」とバカ面をしながら悦に入ります。

雲呑麺はやや大味。
自分の年齢が上がったのか、丼に並々入れられた麺とスープ。
そしてこれでもかというチャーシューとワンタンはあまり有難くありませんでした。

すぐに家に戻って一服したあと、デジカメで写真をアップしようとバックを開けると、
はたしてデジカメの姿はどこにもありません。

(そんなバカな・・・)
と思いつつ何度も確認しますが、やはりないものはない。


で、京橋のしんせんに電話したところ、アリマセンとの返事でした。
デジカメは1度しか出してないし、ほかで忘れてきたはずはなし。

うぬぬぬ。
疑いたくはないが、雲呑麺なんか食べるんじゃなかったと後悔してもあとの祭り。
そのあと、ずっと消化されずに胃に止まっていた雲呑麺が不愉快な一日でした。

せっかくきれいに撮ったのに残念なことですが、
絵がなくなったわけじゃないので、また撮影しないといけません。
セッティングが最高の出来だっただけに、味噌がついた一番ですが、
このくらいは厄落としと考えた方が良いかもしれません。

写真は当ブログ初公開、パノラマになっている「山形山水図屏風」のうち、
唯一、別の場所に飾られた「最上川」です。
手前のカップルは奥田シェフ夫妻。
こちらで結婚式を挙げたので、ぜひ描いてほしいというシェフたってのリクエストによるものです。
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どうする、ガラガラの九州場所?

2011-11-21 08:50:59 | Weblog
日本シリーズ、やってたんですね。

ちゅうか、連日僅差の熱戦で、内容的には良い試合をしていたようですが、
視聴率では女子バレーに惨敗だったそうです。

元バレー選手だった白くま母さん(中田大地くんのお母さん)は大興奮だったそうで、
ツイッターから「ママ、うるさい」と大地くんのつぶやきが流れてくるほどでした。


それにしてもわれらが大相撲も連日ガラガラで、よそのことはあれこれ言えません。

新大関、石臼ガブちゃんこと琴奨菊関は絶好調で、
昨日も苦手の鶴竜(かくりゅう)を倒して、中日に土付かずの勝ち越し。
型を持ってる力士は強いと言いますが、本当に強いですね。


しかしながら苦言を申しあげれば、新大関・琴奨菊が好調というのは、
日本シリーズが良い試合をしてるのに、視聴率低迷というのと似ています。
(野球、見てもいないのにこんなことを言うのも何ですが、
 逆に見てないからこそ言えるのですが)。


素人にとって、見ようという気にさせる魅力に欠けるんだな。

琴奨菊の相撲が完成形に近づいてきただけに、それを強く感じます。
いや、完成形に近づいたからこそ「出来上がりはこんなもんか」という感じで、
たとえば、作る工程は面白いけど出来上がりはちんまり完成した工芸品みたいで、
イマイチ面白味に欠ける感じなんだよね。

今場所はご当地の九州場所ということもあって、
相撲界もNHKも琴奨菊で盛り上げようという気風が強いのですが、
まだまだ地元の英雄・魁皇に代わるべくもないし、残念ながいかんせん華がありません。
誰かが相撲のガラパゴス化なんて言ってましたが、たしかにそんな感じかな。


さて、われらが稀勢の里といえば、昨日は琴欧洲相手に完全な立ち合い負け。
押し出されたと一瞬ドキリとしましたが、欧州の手が出るのが早く、
首の皮一枚で勝ち星を拾った感じです。

完成形に近づいた大関に比べると、まだまだ安心して見てられない相撲が多いけど、
そこが稀勢の里の伸びしろですね。
大関昇進はやってくれると信じてますが、
それ以上に、このガラガラの会場をいっぱいにするのがきせ関の役割でしょう。

それにしても稀勢の里といい、高安といい、相撲が粗削りなところがありますが、
もしかすると、故・鳴戸親方はあえて粗いところを残しておいたのかな(そんな筈ない?)。

神田橋先生じゃありませんが、長所と欠点は表裏一体。
相撲の粗いところは、伸びしろとして残しておいて、
長所として伸ばそうとしていたのかもしれません。


大相撲の不入りの原因は、単純に八百長問題でしょうが、
取り組みを面白くすれば解決するほど単純ではないかもしれません。
いずれそのことについて考えてみたいと思います。


写真はヤマガタ・サンダンデロのランチメニュー、バーニャカウダ。
今日、これからセッティングです。
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しのぶ会~入院する人、回復する人、帰らなかった人

2011-11-20 08:38:14 | Weblog
昨日は西武池袋線の清瀬で、11月恒例の「しのぶ会」。
34歳で夭折した池永忍さんを文字通りしのぶ会でした。

亡くなった原因は子宮ガンだったのですが、
10数年前と今と比べると、医療は格段の進歩をしていますから、
今であれば、助かっていたかもしれません。

先日のレベントシェフの入院の場合は、搬送先で6割が亡くなるケースが、
たった2週間ほどで元気に回復し、退院がどうこうという話になっているのですから、
(ガンとはケースが違うとはいえ)隔世の感があります。

毎年やってくるメンバーの子供の最年長は、今年二十歳。
お酒もおじさんおばさんに混じって、堂々と飲むことができるようになりました。


若い頃、年長の人が自分のことを見て、
「いや~、こっちが年取るわけだよな~」なんて言っていたのが不思議でしたが、
人間って、その年にならないとわからないことが多いものですね~。

年々、故人の話題はだんだん出なくなるものですが、
今年は何だかいっぱい出てきました。

「しのぶちゃん、ドーナツでも食べ切れないほど大量に買ってくるんだよね」

「うちでカレー作る時でも、上手にできると、すぐに食べさせてくれないの。
 で、勝手に食べると怒るんだよね」

なんせ、食べるのが大好きなイタリアのマンマみたいな人でしたからねえ。

それにしても最近私のまわりでは、レベントシェフの入院と回復や、
浪人時代の悪友の脳梗塞・・・その他、ここでは書けない入院や病気の数々など、
色々あった年でした。
(まだ本年は、あと1ヶ月あまりありますが、これ以上何かないことを祈るばかりです)。

不幸中の幸いというか、その中で世を去った人はいないけどね。

しのぶ会に出るたびに思うけど、人間ってだんだん年を重ねて、最後には土に還るわけだけど、
しのぶちゃんのように、いきなり人生を断ち切られてしまう人もいるんだよね。


写真は「しのぶ会」のホストである妹さんが飼っているトカゲくん。
アフリカはマリ共和国の砂漠に生息する、マリトゲオアガマとかいう種類だそうで、
見かけによらず大人しく良い子でありました。

ちょっとメタボじゃないかね、キミ。
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「山形山水図屏風」完成しました。

2011-11-19 10:20:10 | Weblog
2年あまりにわたって描かれた山形六双図が完成しました。

え、もう出来上がっていたんじゃないのかって?

いえいえ、すでに6枚のパネルはヤマガタ・サンダンデロの店内に飾られておりますが、
そのうちの5枚の間には大きな隙間が空いておりました(1枚は別室)。

つなげて270度の山形パノラマ絵巻を完成するという意味で、
今回の仕事を請け負う形になったわけであります。

リンク先の画像で色鉛筆で描かれたラフ部分が、アップした写真にあたるわけですね。


山形六双図、正確に言うとパネルが12枚になったから、山形十二双図かな。
しかし、いかんせん十二双図というのも語呂が良くない。

それでは「山形山水図絵巻」とでも言いましょうか。
しかしパネルに張られて巻くことはできないので、正確に言うと絵巻ではない。
”絵巻風”とい呼び方は中途半端で、みっともないし・・・。
それなら、いっそ「山形山水図屏風」と呼びますか。

まあ、この際タイトルは大きなことではありません。
昔の絵画や小説などは、もともとタイトルがなかったものに、
後世の人が勝手に名前をつけたものが多いものです。
(私の作品が後世に残るかどうかはわかりませんが)。

源氏物語しかり、モナ・リザしかり、
ベートーベンの月光も運命も(運命は日本だけの呼称)、
ショパンの子犬のワルツも、みな人が名付けたものであります。

それでも名前がないと、何を指してるのかわからないので、
とりあえず、拙ブログでは”山形山水図屏風”と呼ぶことにいたします。
屏風じゃないけど、パネルものはみな”屏風”と言いますから良いでしょう。


つなげるべき絵が手元にないため、風景をどう繋げていくかは苦心しました。
2度ほど店に持っていき、合わせてみるとけっこう違っていたりして。

絵の継ぎ目はまだしも、2回目に行った時にはパネルのサイズが違っていたので、
いったん絵をはがして、パネルの木を削って修正しました。

また、先ほどのリンク先では「山形十二双図」ではなく、
「山形十一双図」となっていたのは、パネルのうしろに微妙な凹凸があって、
もう1枚、割らないと入れることができないというわけで・・・。

多分、大丈夫ですが、21日に絵のセッティングをするまで、キチンと入るか心配です。

入ると良いな、いや入らんと困るぞ。

写真の下は仕上げに捺した印泥です。
今回の仕事から、これから自分の作品には書道や日本画のように、
サインは漢字と印泥を捺すことにしました。

印泥だけに、これでい”いんでい”・・なんて、ウフッ♪


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アセナのレベントシェフ、順調に回復!

2011-11-18 09:09:08 | Weblog
昨日はブログ仲間が集まりアセナでランチ。

レベントシェフが倒れて10日あまり、
いみじくも昨日のメンバーは綾子さんを含めて、
倒れた翌日、ICUに見舞った4人と同じメンバーでした。

シェフは順調に回復。
高い個室が良いだの何だのと、すでにワガママを言いはじめてるそうですから、
思ったより早く復帰できるのではないかと思います。

あの日、綾子さんは営業するかしないかを迷ってましたが、
大きな段ボールに山盛り入っていた、大きなタマネギやナスなど、
大量の野菜を見て、2日目からランチを含めた営業をはじめましたそうですが、
いや~、変にギブアップしないで良かったですね。


昨日、ツイッターで綾子さんは「私はトルコで”太る子”」なんて自虐ネタを披露してましたが、
(おおお、失礼)開き直ってはじけてくれたらと思います。

昨日はアセナが5丁目で営業していた時の大家さん(お頭さんです)から、
色々知らない話を聞くことができました。
以下はその抜粋(お頭さん、不正確だと思うのでチェックのほど)。


アセナが開店した当初は赤坂5丁目にあり、日本人の夫とブラジル人の妻がオーナーだったそうです。
そのブラジル人が浅草サンバカーニバルをはじめたメンバーで、
飲食店は素人ながら、お店を開きたくて、なぜかトルコ料理に手をつけたのです。

そこにホームレスだったレベントさんが知人を通じて雇われたのですが、
なにしろ本物のトルコ人シェフですし、腕前はあの通りで、
たちまち店を支える人材になったわけですね。
(ホームレスになった経過はマンガ(ラフ)を参照のこと

しかし、ブラジル人夫妻のオーナーは長続きせず、
あとからやって来た別のトルコ人オーナーとは折り合いがわるく、店を辞めてしまいます。
(レベントさん、同国人に騙されてホームレスまでやってますし、
 多民族国家のせいか、同国人どうしの仲がかなり悪いですね)。

出ていったあとも、なぜかレベントさんはその店
(店名もアセナから、トルコ語で”乾杯”を意味する”シェレフェ”に名称変更)に出入りしていて、
そのトルコ人オーナーが出ていったあと、自分にオーナーのお鉢がまわってきたらしい。

レベントさんにはお金がなかったので、トルココネクションが後ろ盾になったり、
当時のお客だった自衛隊仲間が出資して、彼をオーナーシェフにしてくれたそうで・・・。

いやはや、レベントさんの波乱の人生。
羨ましいというか、あまり真似したくないというか、
綾子さんの気苦労や如何にといった感じですね。

今回の入院、また新たな伝説を作ってしまったというわけですが、
命あっての回復待ちは何よりのニュースでした。


昨日の午後は、美大に入る前からの悪友が闘病生活を送ることになって、そのお見舞い。
2時間以上も話し込んでしまいました。
病人から学ぶことは多く、その日帰ってからもはずっと彼と話したことを自問自答していました。

あきらめてはいけない。
ピンチはチャンス。

巷でインフレを起している、陳腐で単純な言葉なようですが、そこには一面の真実あり。
ばかにしてはいけない言葉だと思いました。

いずれ、そのことはブログにアップします。


写真は奮闘するブーチンチーフのクイマルユムルタ(牛ひき肉の卵のせ)。
お店は繁盛していますが、みなさま、どうぞ引き続き応援してあげてください。
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行司、審判~人の判定はたいへんです

2011-11-17 08:39:51 | Weblog
昨日の記事で、審判があの雰囲気の中で”飲まれていた”と書きましたが、
ほかの記事を見ると、”よく見て裁いていた”とありました。

とてもそうは見えなかったけど、こちらもたまたまチャンネルを回して見ていた程度で、
キチンと全体の流れを見ていたわけではないので
私の方が間違っているかもしれません(まあ、どっちでも良いんですが)。


そんな意味で、審判というのは大変な重責です。
港区柔道連盟の審判をしている、私の友人は「試合より審判の方がイヤだ」と言ってまして、
これが子供の大会などでも、選手の方は一所懸命にやってますから、
審判の判定に親や応援団から不満やヤジが飛ぶことも少なくありません。

ましてオリンピックやワールドカップ予選など、頂点に立つ試合ではなおさらです。

シドニーオリンピック柔道の決勝、篠原とドイルの判定で、
篠原がかけた内股すかしを、ドイルの技ありとされ、
逆判定で金メダルを持って行かれたことがありましたが、
審判をしている彼に言わせると、あれは現場にいたら、
あのように判断しても仕方ないと言っていました。

柔道では、かけた方が投げられたように見える現象というのは少なくありませんが、
(両方飛んでしまうことがありますからね~)
それを見てキチンと判断するというのは、相当な経験と目が必要というわけです。
(私はまったくできません)。


さて。
そんな意味で、大変な重責だなと思うのはお相撲の行司です。

よく相撲好きだった亡き父が、
「あの行司というのは何のためにいるのか。
 ノコッタノコッタと声をあげて景気づけをしているのは良いが、
 けっきょく微妙な判定では、物言いがついたりして、何の権限もないじゃないか」
なんて冗談で言ってましたが、
そんな行司の大変さは世間では理解されていないかもしれません。

よく「物言い」に笑う人も少なくありませんが、
あれは通常のスポーツにはない、審判のダブルチェックシステムです。

普通のスポーツには主審と副審がいたりしますが、
多くの場合、主審に決定権があり、
大相撲のように、まわりで見てる方に最終的な決定権があるのは珍しい。

さらに判定が微妙な場合は、「両者同体とみて、取り直し」。
いや~、お客さんは一番儲けて見られて、大喜びという寸法です。

そんな意味で、相撲ほど最終的な判定に不満が出ないものも少ないのではと思います。

野球では、ボールとストライク、タッチアウトとセーフをめぐって、
審判と監督が口論になって、監督が退場・・・なんてケースが目立ちますが、
大相撲で、力士が行司に食ってかかるのは見たことがありません。
(やっちゃいけない規則があるのですが)。

行司が差している脇差は、間違った判定をしたら切腹をするという覚悟の顕れだそうです。

さて今場所から結びの一番を締める、三十六代立行司木村庄之助さん。
お、行司が変わったなっと思わせる存在感、見事な口上。
鹿児島出身らしい、濃い顔とまゆげが立派です。

実際に本場所を見に行くと、平安時代のお武家装束と言われる行司の衣装は、
何とも華やかで相撲の雰囲気をもり立ててくれます。

どうぞ、九州のみなさん。
空席の目立つ本場所ですが、足を運んであの雰囲気を味わってくださいませ!

画像は先場所、横綱と稀勢の里の取り組み前。
横綱白鵬と遜色ない、というかそれ以上の風格でした。
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北朝鮮より稀勢の里

2011-11-16 10:25:39 | Weblog
ザッケローニジャパン、初黒星。

目標はブラジル・ワールドカップなので、昨日の負けは良い教訓にするとして、
昨日は相撲を見ていて良かったなあ。

日韓戦は白熱して面白いですが、基本的に北朝鮮との試合は、
不愉快になるので見ないようにしています。

そうは言いつつ、取り組みの合間にチャンネルを回してチラ見しましたが、
日の丸にブーイングしていたり、あちこちにラフプレーがあったり、
いやはや見ていられませんでした。

岡野(だっけ?)がイエローもらった場面も、
あれは明らかに北朝鮮のラフプレー。
審判もあの雰囲気に飲まれていたような感じです。

餓死者が出ている北朝鮮だけど、5万人もサッカーを見に来れる余裕があるのかね?

フェアプレー精神などを北朝鮮に求めるつもりは、さらさらありませんが、
その場面を見た段階でサッカーは見ない決心をして、お相撲に集中。


BSはサッカー、地上波は国会中継とふさがっていますが、
BS102というチャンネルは1日中、
大相撲中継をやっているという夢のようなチャンネルです。

われらが稀勢の里といえば、対戦相手は今場所大関2人を倒している豊の島。
ちょうど5月の技量審査場所を見にいった時は、豊の島に倒されるところを見ていて、
何となくイヤな予感。

しうへいさんの「今日勝つことは、優勝することくらいの意味がある」みたいな発言。

そうだと思うけど、この人の発言、なんかうるさいんだよね~。
現役の時は小兵が大きな相手を倒すので人気があったんだけど、
あのトリッキーな相撲が、解説にそのまま出てしまっていて、
ツイッター相撲部でも評判は今ひとつです。

(昨日は北の富士勝昭さんがいなかったもんだから、
 トークも全開で、ちょっとイラっとしました)。

一方、キセノンといえばそんな雑音はどこ吹く風。
あわてさせようとした豊の島ですが、よく見て突いて、付け入るスキがなし。

「自分は慌てさせてなんぼ。
 でも慌ててくれなかった」

と、豊の島。

今場所はやってくれるという期待感とともに、心配なのはガラガラの館内。
九州出身の力士はいっぱいいる筈ですが、やはり魁皇の引退は大きかったのですね。
それから八百長報道はもちろん。

良い相撲をいっぱい見せてくれて、早くお客さんが戻ってきてほしいものです。
画像は今日の東京新聞の稀勢の里の記事です。
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TPP推進は、ほんとうに売国奴なのか?

2011-11-15 09:58:26 | Weblog
今、日本を二分して大騒ぎになっているTPPですが、
何がどうなってるかわからないけど、これはズルズル行っちゃいそうですね。

この手の話のこわいところは、交渉がすべて締結したあと、
何ごともなかったように世の中が動いていくことでしょうか。

そして、「ホラ、TPPで日本の農業が壊滅するなんて言ってたけど、
けっきょく何も起こらなかったじゃない」なんて能天気なことで話が済んでしまう。

見えないところで、美味しいところはごっそり米国に持って行かれるというところでしょうか。

私たちの年代は、3分の1は米国の小麦で育ちました。
今よりはるかに子供の多かった時代、全国の学校給食に使われたパンは、
大半がアメリカから輸入した小麦だったわけですが、
あの分、日本の米を使っていれば減反政策なんてしなくて済んだかもしれません。

そんな意味では、ずいぶん日本は米国に美味しい思いをさせてるわけですね。


米国は比較的若い国家で、一般的な国民は単純な直情径行型の傾向がありますが、
ユダヤ人たちをはじめとする、中枢にいる人たちは歴史の波に揉まれていて、
実に計算高く執念深い人たちです。

(逆に言うと、日本人みたいにアッサリして忘れっぽい国民は、
 世界中見渡しても、そういないわけですが)。


ユダヤ人に限って言うと、イスラエルの公用語ヘブライ語は、
2000年間死語であり、使われなかった言語です。

それが戦後、彼の地にユダヤの国が建国されると同時に、
世界中のユダヤ人が終結し、ヘブライ語を公用語として復活させようということになりました。

元の言語の発音は誰もわかりません。
聖書をひもとき推測し、
聖書にない単語は英語やフランス語(場合によっては敵の言語、アラビア語も)を導入し、
現在のヘブライ語を完成させたのです。

また、2000年経った今、人種的に言うユダヤ人は混血が進みすぎて、すでに意味がなくなっており、
(母がユダヤ教徒だとユダヤ人になるそうですが)
外国でイスラエル人に会うと、見た目も黒人から白人、アラブ系と、
さまざまな容貌の人が混在してるんですね。

それでもユダヤを再構築しようって言うんですから、
その執念深さは到底私たち日本人には理解できません。


ユダヤ人イコール米国政府じゃないけど、確実にそういう遺伝子は受け継いでいるはずで、
TPP交渉だって、日本国民にわからないよう、自国の有利に持っていくに違いありません。
なんせ三宅島の噴火の時には、防毒マスクを売りに来た人たちですからね~。

(断っておきますが、私はユダヤ陰謀説なんて信じてませんよ。
 あくまで、こういう一面が米国政府・・・
 あるいはTPPを推進する人間に反映されてるだろうってことを言ってるだけです)。


ここまで言うと、私がTPPに反対しているように感じられると思いますが、
それでも自由貿易はした方が良いと思っています。
(ただし第一次産業に限ってかな。
 米国の目的は、むしろ著作権やら何やら関わる第三次産業じゃないかって気もするんで)。

先日もテレビで、若い農家が奮闘する番組をやってましたが、
作物の値段、農家で決められないのね。

農家や漁師がキチンと儲けられる仕組みを作るには、
競争ができる環境を用意する、というのもひとつの選択だと思うのですが如何でしょう。
(うーん、そんなに甘くないかな~?)

写真は土俵前、初日の稀勢の里。
相手は苦手の旭天鵬、取り組み前と取り組み後の表情をお楽しみください。

写真提供はいっちゃんでした♪
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稀勢の里・・童子から如来の顔へ!

2011-11-14 08:27:59 | Weblog
昨日は大相撲九州場所の初日。
こちらツイッター相撲部は大盛り上がりだけど、場内はテレビで見ても不入りですね~。

魁皇が現役の時も少なかったけど、やっぱりまだ琴奨菊のガブちゃんでは役不足。
日曜の初日がこのありさまでは、先が思いやられますが、
これからの盛り上がりに期待しましょう。

福岡に出張中のあ@花さんも初日に見ていたそうで、
大勢の目撃情報があった中で、私は発見できず。

作業をしながらということもあったけど、
私は同じビジュアルでも観察や転写は得意なんだけど、
動体視力が良くないのと、ウオーリーを探せみたいなことは、
苦手な方なんで、それで見つけられなかったのかもね。


それはさておき、当然ながら今場所最大の注目といえば、
われらが稀勢の里の大関取りですが、
今までさんざん肩透かしをくってきたみなさまも、今場所は期待大だと思います。

場所前には鳴戸親方の訃報という、驚きの事態があったのは周知のこと。

親方の弔い合戦ということがあるのでしょうか、
今場所、稀勢の里がいちばん変わったのは、相撲云々というより「顔つき」であります。


あえて、稀勢の里の顔を仏像にたとえて言いましょう。

仏像のランクを言うと(ホントはみな宇宙の化身で同じなのですが)、
一番上が如来で、次が菩薩。
それを”護る”仏が天部であり、童子であるため、
護衛という意味で、多くの力士の顔や体つきのほとんどが、天部や童子系であります。

今までの稀勢の里の顔ですが、仏像でいえば「なんとか童子」といった、
童子の顔に過ぎませんでしたが(童子には”鬼”の意味もありますが)、
今のきせの顔というのは、それが明らかにランクアップしています。

どうランクアップしたのかと言えば、明王や仁王といった天部の顔をとび越えて、
飛鳥大仏や、観音菩薩や大日如来に見られる、何かが宿ったような顔に変わったのであります。
(あの切れ長の目は明らかにそれですね。
 昔の仏師は、稀勢の里のような顔をモデルに仏を彫ったのでしょうね。
 北の湖親方の目にも似てますが)。


京都や奈良に行くと、豊真将や日馬富士のような顔が山門の護衛をしているのを、
よく見かけることと思います(仁王や四天王のことですわ)。

そんな力士たちの中、稀勢の里は菩薩や如来の顔をしているのです。
鬼の顔と言いたいところですが、そこに菩薩の顔が入っているところが凄い。
(観音菩薩でも馬頭観音なんて、怖い化身の菩薩もおりますが)。

今場所のきせの顔、きっとやってくれる筈。

今日の相撲も苦手な旭天鵬相手に、いつもなら負けるパターンになりながら、
よく攻め込んで白星をもぎ取ったと思います。

きせよ、今場所こそはやってくれないと、
天国の鳴戸親方が出てきて、”ぶつぞう”・・なんて、ウフッ♪


写真は滋賀県向源寺にある十一面観音菩薩。
特に似てるわけではありませんが、菩薩や如来というのは、
このように切れ長の目をしております。
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大地くん新刊、ダジャレ・キャンペーン!

2011-11-13 08:39:05 | Weblog
中田大地くんの新刊、「僕は社会(みんな)の中で生きる」が上梓されました。

読者優先なもので、私の手元にはまだ届いていませんが、
すでに購入された方、完読した方の声も届いており、評判は上々!
いや~、嬉しいかぎりですね~♪

今回の本はカバー絵の通り、アスペルガーと診断された大地くんが、
これからどのように社会と関わっていくのかが、主なテーマになっています。

昨今では増える生活保護が大きな問題になっていますが、
「社会的弱者は、社会が丸抱えにして然るべき」という考え方から脱却し、
保護される部分は残すとして、
障害者も独立して生活できるようにしていこうという大きな流れが出てきています。

実際に、ちゅん平こと藤家寛子さんのように、カレーのにおいを嗅いだだけで倒れるほど重度だった人が、
さる企業で採用され働けるまでに発達した人もいます。
(しかもボーイフレンドまでできました!)

また、障害者補助にあずかりながら毎日コツコツ働いて、
家まで建てた真行寺英司さんのような人もいます(そういう意味で、補助は保護は大事)。
それらの本はこちらを参照のこと

大地くんの場合、これから彼の人生を切り開いていくわけですが、
きっと彼のもとには、素晴らしい未来が拓かれるに違いありません。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
さて、私にとってもうひとつ嬉しいことがひとつ。
あ@花さんのブログをご覧高原、あの花風社さんが動いたんですね~♪

それは本のイラストに入っているダジャレを発見した人の中から抽選で、
街のイラストの原画をプレゼントするというキャンペーンをしてくれたのです。
(原画は墨一色で、大地くんは入ってません)。

絵を生業にしている人間としては、
原画を送るというのは、それなりの気持ちで差し上げるのですが、
反対に「原画? そんなモン、いらねーよ」って、応募者が誰もいなかったら、
ダジャレのスルー慣れしている私でも、
そりゃあ、いくらなんでも寂しいなと思っていたのです。

でも、昨日で12名ほどの応募があったとのこと!

まだ応募者が増えるかもしれないので、
プレゼントの原画を見繕うことにしました。
今のところ5等くらいまでは、何か差し上げることができそうです。

当選枠がグンと増えましたので、みなさま、奮ってご応募のほどを!


あ@花さんは以前、私がダジャレを飛ばすと、
ジロリとこちら見てから無視していたのですが、最近は完全スルー。
二人で決めたルールでは、5秒無視できたら私の負けですが、
最近は白鵬と同じ、あ@花さんの63連勝でした。
(最近、一度笑ってくれたのですが、あまりに下らなすぎて何で笑ったのか覚えてない・・・)。

イラスト原稿でも、書き文字にさりげなく挟んだ、エスプリ香るダジャレをことごとく発見し、
(残らず見つけ出します。警戒しとんのかな?)容赦なくボツにするという鬼のごとき所業。
そりゃあんまりやで~、お代官さま~!


そこで今回はダジャレ入りのイラストと、ダジャレ抜きのイラストを送り、
「選んでください、お代官さま」と申しあげたところ、
何を思ったのか、今回のキャンペーンに至ったというわけです。

生ダジャレと違って、最近ツイッターではにわかにダジャレ人気なのもあるのでしょう。

自閉っ子とダジャレというのは相性が良いみたいです。
「ご飯食べに行きましょう」と言われ、「え~、おかずはどうするんですか?」
と聞く、何でも言葉通りに捉える自閉っ子にとって、
ダジャレは意味が2つ以上あるので、面白く感じるみたいですよ。

花風社さんとしても、無視できない勢力になってきたのか。
もっとも”無視”されてもダジャレって、”むし”ょーに言いたくなるもんですが・・なんて、ウフッ♪
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