小暮満寿雄 Art Blog

ダジャレbotと間違われますが、本職は赤坂在住の画家です。作品の他お相撲、食やポリティカルな話も多し。右翼ではありません

江戸東京博物館の大浮世絵展

2014-02-28 11:41:50 | Weblog
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昨日は2日連続クライアントさんのご招待で、展覧会2つ行ってきました。
両国の江戸東京博物館でやっている「大浮世絵」展と、上野の西洋美術館で開催されてる「モネ」展です。

どちらも気合いの入ったイベントで見応えありました。
たまたま浮世絵と印象派という、絵画史の中で接点の強い2者を見たわけです。

サラッと見る予定が、クライアントが好きな人だったので、朝の11時に両国に着いてから、色々話をしながら見ているうちに、上野を出たのが5時半という濃厚な鑑賞会になってしまいました。

「大浮世絵展」は文字通り、浮世絵を時代ごとに並べて展開したもの。
浮世絵の歴史を知る上でも、実に興味深い展覧会でした。

見てわかったことは、単なる役者や花魁のブロマイドだった浮世絵ですが、江戸300年という長い時代を経て洗練されていったということでした。

浮世絵初期・・・というか、原型になるのでしょうか。
洛中洛外図で名高い岩佐又兵衛の風俗画などは、制作年代を見ると1624年。
あの関ヶ原の合戦から、わずか20余年後ですから又兵衛を含めて戦乱の世を知る人たちが大勢生きていた時代です。
(と、話をしていたら、『ワシはこの300年後に生まれたんじゃよ』と、見知らぬ翁が話かけてきました。え? 今年は2014年だから90歳ですか、お元気でけっこう!)



あの見返り美人の菱川師宣は又兵衛より30年ほどあとに生まれた人でしたが、よくよく見れば、桃山時代の壮麗な絵柄の名残があるではありませんか。

不調法ながら今回の展覧会を見るまで、私は浮世絵が江戸300年の中でどんな作家がどんな時代に生きて活躍していたのかをよく知りませんでした(実は、全然詳しくない)。

鈴木春信、勝川春章、鳥居清長。
この辺りの作家は、北斎や歌麿の後発隊だと思ってましたし、絵と名前が正直あまり一致しなかったのですが、実は浮世絵の礎を築いた人たちでした。

そうした先人たちのベースを踏まえて、後発隊に当たる歌麿、北斎、広重ら(時代順)という、浮世絵の洗練された完成があったのです。

また、享保の改革、天保の改革などのあとに、絵柄がガラリと変わるのも興味深いものでした。



歌麿は洗練の極致。

日本人が自分たちの文化に気づかなかったと批判する声もありますが、グリーンランドの人がオーロラで観光誘致するのを理解できなかったように、当たり前にあるものは、そんなものです。

まず歌麿に目をつけた海外のコレクターたちに「いいね!」。
所蔵先を見ると大英博物館、ベルリン国立アジア博物館、ギメ東洋美術館、シカゴ美術館など。

いや~連中、 大変な目利きですわ。

歌麿以降の浮世絵作家を見ると、特に北斎などは、積極的に西洋絵画の技法を取り入れていたことがわかります。

↓ 以下、美術学校では予備校でも教えてる程度の話ですが、一般の方は知らない人も多いと思うのでご覧ください。

え~、エラそうに説明できるほど上手い絵じゃなくって恐縮ですが、モノが立体的に見える西洋絵画のセオリーを図示しました。

何が言いたいかというと、上のようなことを知らないと、モノを立体的には描けないということです。
幕末近くに当たる北斎や歌麿、広重からの時代は、こういう西洋絵画のセオリーを どこからかで学んだのでしょう。

北斎に至っては、はっきり学んだという記録があります。

面白いことに平面な日本の絵画の技法を捨てることなく、一部だけちょこっと取り入れてるんですね。

印象派が日本の浮世絵から影響を受けたというのは有名な話ですが、その中のエッセンスには西洋画から学んだ技法も入っていたというのが興味深いところです。

知らないと描けないこと。

特に歌麿などは、ホンの少しだけ取り入れるところが見えかくれしているという、そのセンスの良さには脱帽でした。

モネ展については明日以降のブログ記事にUPいたします。
お楽しみに!
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ストーンズ 行ってきました!

2014-02-27 09:25:40 | Weblog
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昨日は東京ドームにローリング・ストーンズの公演に行ってきました。
いや~、良かった~凄かった~♫

と言っても実はストーンズ、私そんなに知りません。
音楽も曲名と名前が一致したのはジャンピング・ジャック・フラッシュとサティスファクションくらいのもの。

昨日の貴重なコンサートも、クライアントの相方がいきなり来れなくなったとかで、一昨日声をかけられたものでした。

でも、さすがにロックンロールの大御所。
7万の観客を見せて、聞かせて釘付けにします。

私、東京ドームのコンサートってはじめて行ったのですが、ステージのスクリーンにリアルタイムでメンバーの姿が映るんですね。



ミック・ジャガー、古希になるというのに格好良かったですわ♪
昔ほどは声が出なくなったそうですが、それでも2時間のステージを駆け回り、ほぼフルに歌いきるのはさすが。

メンバー以外の女性ボーカルやサックスソロも良かったです。

コンサートに来るのはおじさんばかりと思いきや、若い子の姿が多かったのは意外でした。

今はネット配信があるから、時代に関係なくファンを取り込めるんでしょう。
↑ ちなみに、この革ジャンの主は推定還暦というところでした。



それにしても、もらったチケット値段が18000円でびっくり。
それでもアリーナ席じゃないんです。

おすもうの2人マス席2人分と同じではないですか!

ステージ近くの席はいくらするのか聞いたら、8万やて。

8年ぶりのコンサートは東京で3回だけだそうですが、まあ、これなら十分モト取れるでしょう。

それにしてもロックスターというのは格好良いものです。

2時間のコンサート、堪能した次第です♫
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才能とは何か

2014-02-26 10:11:40 | Weblog
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前回の記事の続きになりますが、新横浜の「花風社創立18年記念おしゃべり会」では、”才能と資質”ということが出てきました。

これから書くことが才能に分類されるのか、資質に分類されるのかは、読み手の方に委ねるとして、今回は「才能」について書いてみたいと思います。

先日、小学校時代の友だちと会った時に「小暮くんは才能があるんだから良いじゃない」と言われ、うーん、世間で言う才能の意味って、そういうことなんだなあと感じました。
私がどうかは別にして、才能が変にあっても、それで飯が食えるとは限らないし、食えたとしてもギリギリの生活を送らなければならなかったりするわけだしね。

たしかに私はその道で何とか糊口を凌ぐ幸いに恵まれました(”糊口を凌ぐ”と”幸い”は反対語というとこがミソ)。
ただ、サラリーマン時代もあったわけで、どのみち今の方法で生きていくしか道はなかったかなとも思います。

若い頃は自分は天才だと思う時もありましたが(この道で飯を食う人は、ほぼ例外なくそうです)、今は自分が天才かどうかにはあまり興味ありません。
もちろん、人に描けない絵を描ける自負はありますが、 そういう人はそう多くないにせよ、けっこうこの世の中にいます。

大したことでもあるし、大したことではないかもしれない。

才能はある程度あると思いますが、もっと優れた人は世にいくらでもいるというところでしょうか。ともかくも「代わりがいない」人間にはなりたいと思っています。



でも、例えばモーツアルトとかアインシュタインみたいな天才は、本人はかえって辛いものだと思います。

他人からは理解されないし、そういう人は当然凸凹も激しいから、人が簡単にできることもできなくて誤解されることも多い。

それに才能というのは、その人の目立つところに集中しますが、実はトータルな肉体や人格、精神を含めたすべてを指すと思います。

たとえば生まれつき体が大きい、背が高い、逆に小さいというのも才能(これは資質になるか?)であります。
力士であれば、体が大きいのは立派な才能(やはり資質か)になりますし、逆に小兵であるのも、場内を沸かせる才能になり得ます。

いずれにしても人間というのは、持って生まれたもので勝負しないといけない。

美人で得することもあれば、不幸になる人もいます。
コメディアンであれば不美人をネタに成功する人もいる。



だから最近はとみに思うのですが、「才能がある」なんてことは、そんなに取り立てて自慢すべきことでもないし、逆に卑下することでもない(あ、卑下するというのは、才能の反面に持ってるマイナス面のことを指してますが)。

やはり大切なことは「精進」、あるいは「稽古」でないかと思うこの頃です。

よく「結果がすべて」「人は結果しか見ない」という人もいますが、それなら結果を出すためなら何をやっても良いのかという話にもなります。

社会というのは、ある程度のお金がないと生きていけませんから、良い結果を出して、それ相応の生活を送ることは大切ですが、それも精進なしにはあり得ない話です。

神田橋先生は最近「ぼくは最近、治療がますます上手になってねえ」とおっしゃっているそうですが、それはきっと本当でしょう。それは先生のたゆまぬ精進の賜物であるのです。

先生を引き合いに出すのは甚だ不遜ではありますが、私も最近絵がとっても上手になりました。本当ですよ、先日も絵をお渡ししたクライアントは、感激して泣いていました。

しかしながら葛飾北斎が「神奈川沖波裏」を描いたのは72歳。
しかも江戸末期の72歳です。

いやいや、いかんいかん。自慢してるヒマがあったら精進せんといけません。
続きはまた、いずれ。
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花風社創立18周年記念おしゃべり会

2014-02-24 11:12:18 | Weblog
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昨日は新横浜で花風社さんの講演会。

畏れ多くも皇太子殿下と同じ誕生日の花風社さん、あ@花さんのトークに交えて、愛甲さんや木下音感協会の麻奈さんらのトークも入りながら、和やかに会は進行しました。

花風社の講演会、客筋が良いというのは前にも申しあげた通りですが、やはり前向きに物事を考えて実行しようとする人たちの集まりは清々しいですね。

笑い声の絶えない本当に楽しい会になりました。

今年は自閉っ子シリーズがはじまって、丁度10年ですから、ちゅん平こと藤家寛子さんに最初に会ったのも10年前になるのですね。
経つと早い10年でしたが、その間のちゅん平さんの進化というのは、実に驚くものがありました。

こちら、右から2人めの鳥がちゅんちゅんさん。

10年前はこんな感じ。
身長は166cmあるのに体重40kg足らずという体型で、花風社で初対面した時は疲れてオフィスの床に寝転がってしまったのに、びっくりした記憶があります。

それが今では、こんな感じ。



スズメのちゅん平では似なくなってしまったので、人間のちゅん平に変えたというわけです。
もちろんアスペルガーでなくなったわけではありませんが、今ではドラッグストアのスタッフとして後輩を指導するまでになったわけですから、「治った」という言葉を使っても差し支えないと思います。

藤家さんがどうやって良くなっていったのかは、彼女の著書「30歳からの社会人デビュー」を読んでいただくとして、講演会であ@花さんが言っていたのは、「治ってみたら、藤家さんはミーハーな女の子だった」ということでした。

おしゃれなもの大好き、韓流スター大好き、お金を溜めて高級シャンプー(ブランド名忘れた)を買ったりという、どこにでもいる20歳くらいのミーちゃん、ハーちゃんですね。

10年前は珈琲のにおいを嗅ぐだけで倒れてしまうような人だったのが、そこまで治ったわけですが、丁度10年を追いかけているような感じでしょうか。

でも高級シャンプー、お金を溜めて買うというのは、ちゃんと社会に出て働いてないとできないこと。そこまで「治った」というのが素晴らしいことです。



嬉しかったのは、先日発注した「饗宴カラーバージョン」が講演会の直前、あ@花さんのモトに届いたこと。手前味噌ながらみなさまにお配りして、喜んでいただけたと勝手に嬉しく思っているところです。

当初は3月9日の大阪場所講演会に間に合わせる予定でしたが、思いのほか早くできました。ただ、このブログでのカラーバージョン全体UPは大阪場所(相撲じゃないよ)にいたします。

帰りは新横浜で一杯。これもまた楽し♪

ちょいと一杯のつもりが、いっぱい飲んでしまい、こりゃ乗り換えて帰るのはムリと新幹線を使いましたが、案の定東京駅で起こされ、さらには丸ノ内線で寝過ごして赤坂見附で乗り換えるところ、四谷三丁目で目覚めました。
起きた場所が荻窪じゃなくて良かった・・・。

講演会でお会いしたみなさま。本当にありがとうございました!

トップの画像は、講演会にきていただいた方の本に描いた拙画、あさみリトルちゃんです。自分の著者ではないので、名前は書かずイラストと日付のみです♪
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泣く子は餅を二つもらえる~慰安婦と全体主義

2014-02-23 11:14:40 | Weblog
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【ソチ五輪】キムヨナの銀メダルに不服 再審査を求める署名活動が行われる

昨日も書いたように、朝鮮半島の諺には「泣く子は餅を二つもらえる」という言葉があるそうです。意味は読んで字の通り、ゴネれば得するという意味ですね。

何かあると、一部の集団がこうやって一斉に行動するのか、彼の国の国民性でしょうか。素人の私の見方なので何とも言えませんが、見るかぎり金メダルをとったソトニコワの演技は圧倒的に素晴らしく、キム・ヨナに劣るとはどうしても思えませんでした。

かりに百歩ゆずって、キム選手の方が高かったとしても、再審査を求めていIOCのFacebookにまで書き込みというのは、いささか常軌を逸した行動と言わざるを得ません。



かの慰安婦の話も、まさに「泣く子は餅を二つもらえる」、あるいは「嘘も100ぺん言えば本当になる」ということを実行した彼の国独特な行動と言えましょう。

言うまでもなく従軍慰安婦問題というのは、朝鮮半島と朝日新聞、そして河野洋平氏らをはじめとする日韓の一部が共同で作り上げたファンタジーです。

そのことは先日、拙ブログで記事にしましたが、今さらながら、こんなひどい話を一蹴できずにいちいち取り上げ、訂正していかないといけないのは、実に面倒なことです(まあ、私が書いても書かなくても、そんなに影響はないって言えばないかもしれませんが)。

しかしながら先日あった粘着くんの一件のように、放置しておいたことで、米国国内に慰安婦像なるワケのわからないものを建てられる結果となったわけであります。

韓国は2017年を目標に、従軍慰安婦を世界遺産にすると言ってるそうで、鎌倉でさえ世界遺産になれなかったものをどうするのか。調べれば、何一つ証拠の出てこない慰安婦問題を、どう世界遺産に持って行けるのかは甚だ疑問であります。

しかしながら、あの国の人たち(あくまで一部)の粘着質な情熱と行動力を考えると、間違ってならないとも限りません。ファンタジーでしかない慰安婦問題ですが、仮に世界遺産指定でもされたら、アウシュビッツ収容所や広島の原爆ドームと同等になるわけですから、日本人として堂々と世界を歩けないということにもなりかねません。

ここで考えないといけないのは韓国だけの問題ではないのですが、全体主義ということであります。

つまり、ことの善悪や事実はどうでも良い。
最終的な目的やゴールのためであれば、何をやっても構わない。

そのためにジャマになる意見や人間はすべて排除する、あるいは否定するという考え方です(全体主義にはまだほかの意味があるのですが、それは別の機会に)。

全体主義の典型はナチスですが、残念ながら戦時中わが国の軍部もそのような行動をとっていました。

韓国は常に「正しい歴史認識を持て」と日本に促していますが、日本人は逆の意味で正しい歴史認識を持つべきではないでしょう。

余談ながら日本ではテロリスト、韓国ではヒーローの安重来ですが、ご存知の通り、この人は明治維新後、日本の初代総理となった伊藤博文をハルビンで暗殺した人です。

しかしながら、伊藤博文は朝鮮併合に反対していた人であり、なぜ彼を殺すことが祖国のためになるのか辻褄が合いません(韓国では博文が併合に反対していたことは言われてない)。

朝鮮併合にしてもロシアの脅威から逃れるため、当時の李朝の王さまが、日本に向こうから併合を頼みに来たというのが事実です。だからって併合が正しかったとは言いませんが。

それをあちらで言ったらエラいことになりますがね(日本で言っても、場所によってはエラいことに・・・)。

そのことを知ってか知らずかわかりませんが、韓国の人たち(しつこいようだけど、あくまで一部)にとって、慰安婦問題かどうかは、どうでも良いことに思えます。

他に同じような材料があれば、同じ行動をとるでしょう。

これは、まず結論ありきということなのだと思います。これは日本人の一部の左翼系にも言えることでもあります。

最初は「泣く子は餅を二つもらえる」と賠償を求めてきたわけですが、最近では慰安婦問題を叫ぶことが目的になってきたようです。

慰安婦のウソを世界に詳らかにすることを願います。
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きせ関の嫁に真央ちゃんを?

2014-02-22 09:18:38 | Weblog
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スミマセン、タイトルは妄想です。

あ、私のじゃなく、あ@花さんをはじめとする稀勢の里クラスタの、妄想を”申そう”・・・なんて、ウフッ♪

先場所の綱取りからいきなりカド番になった稀勢の里関と重なったのか、私は浅田選手のショートプログラム、見ませんでした。なんかヤな予感がしてたんですな。

はたして朝起きて、浅田転倒のニュースをネットで見てがっかり。
なんか、先場所の初日に稀勢の里が豊ノ島に敗れた一番を思い出しました。

あのリアルタイムで見るドキドキ感と失望感。
おすもうだけで十分という感じなので、今回はあえて結果だけ見て、リアルタイムでは見ないことにしました。

ちゅうか、時間帯的に見ようと思うと、けっこうな決心がいるものね。



それにしても、浅田選手のフリープログラム。素人の私には何もわかりませんが、感動しました。

とにかく人の心を打つものがありました。

浅田選手はSPで16位でしたから、メダル圏ではなかったでしょうけど、だからこそポイントとか競技を別にして、芸術作品を鑑賞するような気持ちで見ることができたように思えました。

こんなこと、私があらためて書くことでもないのですが、 フィギュアのような採点競技にある、あのスッキリしない感の中で、あれだけ人の心を打つ演技ができたというのは、大変なことだったように思えます。

浅田選手、本当にお疲れさまでした。

あ@花さんたちの妄想につき合うようだけど、これできせ関のところに真央ちゃんが嫁に来て横綱にしてくれたら嬉しいんだけどな~(ホントに、妄想を申そう♪)。



ところでロシアの15歳、リプニツカヤの「キムヨナ、知らない」発言も、あの人たちを激怒させたっていうけど、別に言ったって良いじゃない。

日本人が「浅田真央、知らない」って言われても、あそこまで怒らないし、まして行動には出ないと思うけどね。

金メダルは同じロシアのソトニコワ。
キムヨナは銀で、それに不満な韓国のネットユーザーがロシアに抗議してるとかですが、どうしてあの人たちって、いつもああなっちゃうんでしょうね。



朝鮮半島には「泣く子は餅を二つもらえる」という諺があるそうで、一種のゴネ得文化があるそうですが、これについては明日以降UPすることにいたしましょう。

あまりいつも一所懸命に見ない冬のオリンピックですが、はじまると見ちゃいますね。浅田真央の演技、見られて本当に良かったです。
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饗宴カラーバージョンしかできませんでした

2014-02-20 10:40:20 | Weblog
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ブログには取り上げないつもりでいましたが、自分を整理する意味でもUPします。

拙ブログをお読みの方はご存知かもしれませんが、ここんところ、私の書いた記事に連日、粘着質に非難をするコメントが書かれていました。

浅見淳子・著「自閉症者のの犯罪を防ぐ提言」の書名に関して、「自閉症者=犯罪者」という図式が成り立つからやめろといった非難ですね。

確かに、私は花風社さんの多くの本のイラストやマンガ、カバーまわりなどビジュアル関係を担当し、自閉症の世界とも少なからず関わりを持っています。

もちろん自閉症の専門家じゃありませんが、その方面に関してまったく無知とわけはありません。ましてやそれが犯罪に直結するなど考えたことも、言ったこともありません。

浅見さんのブログでは、このコメントのことが取り上げられていて、それを読めば私の言いたいことも、その周辺のこともすべてわかるのですが(とにかく自分の言葉で言いたいので)。
そちらのブログでは「粘着くん」と呼ばれている彼ですが、驚いたことに、長文でタイトルを非難する一方で、どうやらこの本を読んでいないというのです。

加えて言えば、私はこの本に関しては珍しく一切ビジュアルに関わっていません(内容を読めばわかりますが、私のイラストが関わるところがないからです。読みゃわかる話なんだけど、読んでないんですから、知ってるわけありませんが)。



花風社さんの書物に多く関わっているとはいえ、この記事に関して言えば、責任のがれをするわけでなく、単に私は一読者として書評を書いただけ。

それが、いきなりやってきて、浅見さん(今回はあえてハンドルネーム不使用)の言葉を借りれば、気に入らない本を取り上げたブログがまた気に入らず、しつこくしつこく書き込みをすれば、仕事に差し支えるくらいいやな思いをするわけですわ。

一部を引用いたしましょう(読まなくてもけっこうです)。

試しに「○○の○○犯罪を防ぐための提言」というテンプレートで色々書いてみましょうか

「イスラム教徒のテロ犯罪を防ぐための提言」
これは「イスラム教徒はテロリスト」という偏見ともとれる発言になりましたね
ただ、イスラム教徒の自爆テロは他の3大宗教よりも実際多く起こっているので、「一部の過激派の」と頭につけて対処法を述べる分には許されるでしょう
それでイスラム教徒全体への差別的視線が許されるわけではありませんが

以下、延々とこのような書き込みを繰り返し、

国際人権規約に調印・批准した国ではごく当たり前の考え方です
むしろ日本及びあなた方の方が時代遅れです

と、国際人権規約とやらを金科玉条に持論を展開しているのですね(国際人権規約なんて、わしゃよう知らんわ。なんで、そんなもんがいきなり出てくるの)。

削除しても良かったのですが、浅見さんとの関係もあったし、本名でブログを立ち上げている以上、どんな相手でもとりあえずは話を聞いて答えるというのが、このブログの主義なので、しばらくは受け答えしてましたが・・・・

いや、実際に仕事には支障がありました。
(書かなくてもいいこの記事書いてること自体、支障があるのですが(笑) 。

こんな時に限って、普段ヒマなのに〆切が重なりあっていて、その中のひとつがカバー絵と装丁を両方やるという仕事。

人さまが精魂込めて作った作品の化粧をするという大切な作業は、けっこうな神経と準備が必要なのですが、神経を使う作業は、気分が悪くなってはなかなかできません。

ま、そういうわけでモノクロイラスト「社会とは饗宴である」のカラーバージョンをポツポツ制作していたのですが(笑)。
昨日UPして発注したので、3月9日の花風社大阪場所へいらっしゃる方々にはお披露目できると思いますので、お楽しみに!

ところで、この記事のかきかけで、浅見さんのコメント欄を見たら、私の想像していたことと少し違う大事なことが書かれていました

書いてる途中だけど、まだ整理がつきません。中途半端ですが、本日はここまで。続きは後日。 これから装丁とかえるくん磨きをしないとね。
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芸術に“品格”は必要ですか? カラヴァッジョ ~愛と男と激情の人生~ 

2014-02-19 11:19:12 | Weblog
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芸術に“品格”は必要ですか?
カラヴァッジョ ~愛と男と激情の人生~ 

珍しく〆切が重なり久々のブログアップになりますが、今回はサイト・トカナの記事からの転載です。

テーマは破天荒なアーチストのイメージを、これ以上満足させてくれる画家はないという、あのカラヴァッジョです。
実際にモノを作る人というのは、内にあるモヤモヤを常に吐き出しているので、わりとすっきりしちゃってるものですが、中にはこういう物凄く業の深い人もいるってわけです。

なんせ人2人ばかし、殺しちゃってますからね~。アーチストの中でも超弩級に激しいので、ここまで有名なわけであります。

反対の意味で、最近話題になったニセ難聴の作曲家・佐村河内守ですが、世間がアーチストに期待するするアーチスト像を見事に演じきった人だというわけです。

プロデュース能力あるんだから、そちらで売り出せばよかったでしょうけど、この人は自分が表舞台に出ないと気が済まない人だったんでしょうね。やってはいけないことをやってしまいました。

ウガンダはエピゾードに左右されない・・・
じゃない、コンゴはエピゾードに左右されないアーチストの評価を期待します・・・なんて、ウフッ♪

↓ こちらは過去に掲載されたトカナの記事です。
もう1本、早く新しい記事を書かねば・・・。

日本アート界にはびこる権力闘争、不正審査!

画家ジョット・ディ・ボントーネが見た”あの星”の謎

死体をモデルにして描かれたキリスト像~ホルバイン恐怖の絵

こんなの私じゃない! 名画をいらないと言ったわがまま娘たち
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中韓の教育~戦前の日本と同じでは?

2014-02-15 09:36:44 | Weblog
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東京はまさかの2週連続の大雪。
先週は浜松だったので大雪は体験できませんでしたが、そのため今回の大雪は何となく得した感じです。

加えて羽生くんの金メダル。冬期五輪に関心のない私ですが、このニュースはさすがに嬉しい。

でも、今日も大雪にもソチ五輪にも関係ない、昨日の話の続きから。

今放映中の「ごちそうさん」。
話の舞台は先の大戦中で、うちの母などはいやがって(見てないわけではない)ますが、戦時中はあんな感じだったみたいです。
むしろもっと貧乏で暗かったかもしれません。

先の大東亜戦争。
近年はやむにやまれぬ戦争だったという声も公然と上がるようになってきましたが、一方で、一般市民の生活はだいたいドラマの通りか、それ以下であったと思います。
(第一、主演二人をはじめとして、出演者の体格が良過ぎます)

言論統制が入っていて、食料事情も本当に逼迫していたというのは間違いありません。

うちの父などは旧制中学から高等学校でしたから、大本営発表はウソだと思ってたそうですし、変だとも思っていたみたいです。

よく父は、戦争で何が一番イヤだって、今まで普通の八百屋さんとか近所のおばさんだった人が、ドラマでやってるような婦人会の長などになった時に、いきなり威張りだすことだと言ってました。

戦争を舞台にしたドラマでは、やたら威張りちらす上官とかおじさんおばさんが出てきますが、水木しげる先生の「総員、玉砕せよ」などを読んでも、そのような人たちがいたことは間違いないようです。
(でも、水木先生は軍隊を否定してませんし、それがイヤだったも書いてません)。



さて、源氏物語を英訳したサイデンステッカー博士は、戦時中、海兵隊として日本に駐留していました。

敵を知り、己を知れば、百戦危うからずという、孫子の言葉をそのまま米国は実践し、日本という国がどういう国かを調べさせていたわけですが、一方でわが国は敵国の言葉を禁じるとして、野球のストライク、ボールも「だめ、よし」と言わせるような言論統制をしていました。

これでは、もともと勝ち目のない戦にせよ、ますます勝てるはずはありません。
(ここまで、親父の受け売り。常に言っていたことです)。

今の社民党や共産党のように、日本のやったことはすべて悪かったというのも問題ですが、国民に「ストライク、ボール」を禁じ、「だめ、よし」と言わせるのは、本質的に社民党、共産党の思考回路と何ら変わりません。

と、朝ドラを見ながら、ふと思いました。

今の中韓が「慰安婦」や「南京大虐殺」で騒いでいるのは、「鬼畜米英」「露助のスパイ」とか、国民に「ストライク、ボール」を禁じ、「だめ、よし」と言わせるのとよく似ています。

真実よりも相手が悪いことが肝心で、日本を悪く言えば言うほど、日本を攻撃すればするほど、その社会では賞賛される点も、日本の戦時中の鬼畜米英と一緒です。

実際のところ、韓国人すべてが反日なのかというと、別にそういうわけでもないそうです。ただ、日本を擁護するような発言をすると、後ろからケリが飛んできそうな雰囲気が韓国社会全般にあるとのこと。

日本の戦時中、いくら上層部が「鬼畜米英」「露助のスパイ」と宣伝しても、うちの父のように間に受けなかった人間はいました。

同じように、中韓両国にも自国の政府の言ってることはどこかおかしい、世間の言ってることは、どうも変だと疑問に思う人はいくらでもいるでしょう。
一方で、中韓もけちな権力をもらって威張りちらす人だって、同じようにいるわけで、韓国パク・クネ大統領の一連の発言も、日本の言ってた鬼畜米英みたいな気がします。

それにしても日本人は忘れるのが早い。
いつまで経っても切り返しをせずに、昔のことをほじくり、さらにフィクションにしてまで言い続ける彼の国の人たちの余分なエネルギーには驚くばかりです。

そんな捏造やフィクションに力を使わず、地道に独自の科学研究でもしたらどうでしょうね。そしたら、中国や韓国でもノーベル物理学賞を取る人も出て来ると思うのですが。

ちなみにインドは湯川博士がノーベル賞を受賞する前の1930年に、チャンドラセカール・ラマン博士が同賞を受けています。インドはえらいね♪
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村山訪韓~怖いという人間が一番怖い

2014-02-14 11:01:11 | Weblog
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村山元総理、わざわざ訪韓して土下座外交です。

朝日新聞が創作した慰安婦問題に謝罪して、韓国サイドにそっぽ向かれ・・・いや、晩節を汚すというレベルではありません。

慰安婦問題。

これは橋下さんが言ったように、今では許されることではありませんが、昔は実際にどこの国でも行われていたことです。
問題は強制連行があったかどうか、その1点だけであります。
もちろん強制して日本に連れてきたという証拠や記録はありません。

吉田清治の告白証言に至ってはまったくの捏造(以下、Wikipediaより)。

『私の戦争犯罪』(1983年)などの著書を上梓し、済州島などで戦時中に朝鮮人女性を慰安婦にするために軍令で強制連行(「慰安婦狩り」)をしたと告白証言を行いその謝罪活動などが注目されたが、後に日本と韓国の追跡調査から創作であることが判明し、本人も慰安婦狩りが創作であったことを認めた

かりに問題があったとして、この問題は日韓条約で決着済みなのですが、第三国の米国に慰安婦像を設置したりと、話がややこしくなるばかり。

こんなことに情熱と労力を費やせる朝鮮半島の人たちには、開いた口がふさがりませんが、ありもしない慰安婦のフィクションに外国まで行ってアタマを下げる元総理って、いったい何なのでしょうか。



村山さんは阪神大震災の時に、自らの軍隊を否定ずる信念のもと、自衛隊を出動させずなかった人です(村山談話然り)。
その結果、大勢の人命をなくしたのは、震災から19年経った今でも記憶してる人は多いと思います。

自衛隊=軍隊、軍隊=悪。
悪を出動させてはならない。使ってはならない。

当時の村山さん、こんな思考回路だったのでしょうか。

先ず結果ありき、結論ありきというのは、こうしたサヨク脳の人たちの特徴であります。「日本は悪かった」という結論のためには、本当のところはどうだったのだろう、ということを考えません。

よく見たくないものは見えない、なんて言いますが、それで人命が失われてはかないませんし、今回の慰安婦謝罪についても、わざわざ外国に行ってフィクションに頭を下げに行くのですから、逆に言えば、どんなウソでも平気でつけるということになります。



村山元総理は風貌を見てもわかる通りですが、どう見ても悪い人には見えません。

恐ろしいのは、そういう人のために間接的に大勢の人命が失われ、日本の名誉や国益も失われているということです。

それはなぜかといえば、村山さん本人には「悪い」という意識は露ほどもないからで、その一方でウソも平気でつけることであります。

社民党の今の党首が、「若い世代の田母神人気、大変怖い」と言ってます。
でも、これは「お前は人の話を聞かない」と言ってる人間が、一番人の話を聞いていないように、「怖いという人間が一番怖い」のではないでしょう。

怖いって、誰にどう怖いのでしょう?

ウソに頭を下げる人間の方が、よほど恐ろしいと思うのですが。
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田母神候補の60万票をどう見るか

2014-02-12 09:11:15 | Weblog
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予想通りだった舛添知事。
インタビューを見る限りは、さすがにバカではありませんね。少なくとも宇都宮候補、細川候補じゃなくて良かったかなというところです。

奥さんが創価学会ということで、色々言われるところはありますが、この人が信仰に熱心でなさそうなのは、この場合良いことでもあるでしょう。

この人の不惜身命が感じられない、熱くない、利にさといというのは、個人的には不満なところなのですが、 言い方を変えればクールであるとも言えるので、なった以上、舛添さんにはキチンと仕事をしてほしいと思います。

知事がコロコロ変わるのは好ましくないので、なるべくなら変わらずに安定した都政をしてくれれば良いと思います。

それにしても46.14%という過去3番目に低いという投票率は問題ですな。

選挙に行かないというのは、政治について口を出せないという意味でもあるのですが、働きざかりの20代から40代の投票率が低いというのが問題です。

今回も投票率が高かったのが60代70代だそうですが、田母神候補に投票したのが、20代30代が多かったというのが、興味深いところ。

うちの母などは、私が「田母神さんに入れた」というと、「自衛隊でしょ、あの人」と、あまり良い顔はいたしません。

丁度、今朝ドラ「ごちそうさん」で戦争の場面をやっているのですが、そこもあまり見ないとのこと。
そういえば、一昨年。一緒に知覧に行った時も、特攻平和会館の手紙が見てられなかったようで、「早く出よう」なんて言ってました。

母の世代は小学生の時に戦争が激化し、終戦を迎えた時代だったため、戦争にも軍隊にもトラウマがある世代なのですね。

軍というのは本来、国を守るためのものなのですが、あの時代に育った人は戦後の教育も相まって、軍隊に対して強い拒否感を持ってる人は少なくありません。

また、それ以降の世代は(私たちの世代も含めて)、戦争と一緒に軍を否定する教育を受けていることもあるでしょう。



しかしながら、実は軍人ほど戦争をしたがらない人種はないとも言います。
そりゃそうです。

彼らは戦というものを知ってますし、ひとたび戦争が起きれば、自分はもちろん、手塩をかけた部下やその家族がどんなことになるかを知ってるからです。

それでも自衛隊の人に聞けば、「自分は司令が出れば、それに従い何処にでも行く」と言います。

兵隊さんはもともと国を守るために命を捧げる立派な仕事なのですが、それが戦後になって、「人を殺してお金をもらう仕事」という言い方に変わってしまいました。
あ@花さんなどはご祖父が軍人だったため、学校の先生から、そのことを責められたというのですから、教育というのはずいぶん歪んだものになってしまったということです。

戦争を知ってる世代はだんだん少なくなってきましたが、その世代にしても、なぜ先の戦争が起ったか知っている人はほとんどおりません。
子供でわけもわからず戦争に巻き込まれていたわけですから。

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶという言葉もあるように・・・
村山元総理はあの阪神大震災の時に、「自衛隊=戦争」というアレルギーでもあったのでしょうか、自衛隊を出動させずに大勢の人命をなくしました。

今回の選挙は20代30代の人が田母神さんに投票したそうで、ようやく戦後の自衛隊アレルギーから変化のきざしが出てきたと言えると思います。

ちなみに「軍人ほど戦争をしたがらない」というのは、湾岸戦争の時にTVで舛添さんから聞いたことがありました。都政の手腕や如何に。

それにしても舛添知事、あれほど女性に不人気で当選ですから、組織票というのは手堅いものだと思った次第です。
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木下音感協会 東京合同音楽祭2014

2014-02-11 08:56:07 | Weblog
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今年も木下音感協会による東京合同音楽祭が開催されました。

前日、東京は1969年以来の大雪でしたが、当日2月9日は無事開かれることになりました。沖縄や仙台、愛知や富山から参加する人たちは、早めに到着していたおかげで、全員が参加できたようです。

ただ、一番近場だった埼玉県妻沼の人たちは、道路状況がわるく、午前の部に出る予定を繰り下げ、午後の部に参加。

すべて予定通りというわけにはいかなかったようですが、40数年ぶりの大雪だったわりには、大過なく開催されたのではないでしょうか。
その分、開催者側の木下音感教会のみなさんは大変だったと思いますが、それだけにコンサートの内容は例年以上の仕上がりだったように感じました。

木下音感教育の根底にあるのは、向上心だということは、あ@花さんのブログに書かれていますので、こちらぜひお読みいただければと思います。

今まで36回、開催された東京合同音楽祭。
その中にはあの小沢征爾の後継者と呼ばれる山田和樹指揮者もいるわけですが、もちろん、それだけでなく、そこには音楽を通して豊かな人間を育てていくという目的があるのです。

私も今年で3回めを見せてもらったわけですが、歌声のクオリティの高さは言うまでもないことなのですが、毎回新しい発見があるのには驚かれます。

今さらながら驚いたのは、子供たちの姿勢の良さ、歩く時に頭の位置がズレないという体幹の良さ、体軸の安定性でした。



↑ 音楽祭に一見関係ないようですが、こちら先日浜松に納品した作品の一部。

昨日も申し上げたように、この絵のこの部分は、亡きクライアントの奥さまが宝塚ファンだったことによるオマージュです。

近日上演予定の宝塚歌劇団「眠らない男ナポレオン」、こちらのポーズはルーヴル美術館の中で、フランス人に最も人気のある、ナポレオンの戴冠式を描いたダヴィッドの絵をもとにしています。

なにより驚くのは宝塚トップスターの姿勢の良さ。
そして体幹の強さが、ちょっとしたポーズにあらわれています。

宝塚はあらゆる演劇がそうであるように、総合芸術であり、歌を歌うだけでなく、踊りやセリフ、立ち居振る舞いなど、すべてにわたって5感を駆使して表現する点で木下式に通じるものがあるのですね。

立っている時の姿勢や、歩き方の姿の良さ以外に関心したのが「おじぎ」ですね。
おじぎは日本人独特のものというわけでもなく、クラシックの演奏家や指揮者は演奏後に深々と聴衆におじぎをするのですが、個人的な意見として「良いおじぎ」と『良くないおじぎ」というものがあると思います。

おじぎは土下座ではないので、謝罪ではありません。

来てくれた人、聞いてくれた人に感謝の意を表現する、ひとつの言葉でもあると思うのです。

おじぎの角度や姿勢というのはもちろんですが、演奏後にする子供たちのおじぎは、「来てくれた人、聞いてくれた人に感謝するんだよ」ということを、キチンとおしえられているものでした。

木下式の「五感を通じて人間性を高めていく教育」を強く実感した次第でした。

演奏の内容については、特に5人の小学生による独唱と合唱が素晴らしかったのですが、そのことについてはまた後日書くことにいたします。
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松の絵、納品完了です!

2014-02-10 09:43:49 | Weblog
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都知事選は田母神候補は及ばず、思った通りの展開になってしまいましたが、本日は別の話題。

先週は金曜の夜、浜松に絵の納品に行きました。

本当は2時にクライアントの車が拙宅に到着して運ぶ予定だったのですが、愉快犯に中野でタイヤを串刺しにされたため、夜の8時近くになって東京赤坂を出発しました。

本当に愉快犯・・・こういうことをやる人間は許せません。そんなわけで浜松の新居に到着したのは夜の11時半。ともかくも事故がなくて良かった。

さて、絵を注文する際に依頼主がつけた注文は3つだけ。

1つは大きさは50号(116cm×91cm)で、タテに描いてほしいこと。
2つは亡き妻を偲ばせるものをどこかに入れてほしいこと。
3つは完成するまで絵は見せないこと。どんな絵かも言わないこと。

簡単に言うと、展示する場所に合わせたサイズ以外は、ほぼ勝手に描いて良いという条件なのですが、実は「自由にやって」というのは、一番大変なんですよね~。だもんで、絵は浜松に到着するまでは額装した箱の中にあって、ずっとシークレット。



もちろん自信を持って描いてはいますが、絵の好き好き、善し悪しを決めるのは私ではありません。

ドキドキしながら絵の箱を開けてお見せしたところ、はたしてクライアントさんは感激して涙を流してくれました(ほっ)。

いや、良かった。まさに絵描き冥利につきることです。

絵にはクライアントの亡き妻をしのぶ意味もありますが、それはあえて説明しませんでした。ご本人はゆっくり楽しんで”謎とき”をしたいとのことです。

依頼主はネットを見ない方なので、ここで少しだけ種明かしをいたしましょう。
Facebookにこの絵をUPしたら正鵠を射る書き込みがありましたので、ここに転用させていただきます(青字はコメント、赤字はレスです)。

もうすぐすると、東京宝塚劇場で「眠らない男ナポレオン」というのがかかるのですが、それにもジョゼフィーヌとナポレオンのこのシーンがあるみたいです。私は、この絵を拝見してそれを想起したのですが、ご依頼の方にはそういうストーリーがあったのですね。

素晴らしい洞察です。奥さまは無類の宝塚ファンでした。宝塚歌劇団の「眠らない男ナポレオン」はルーヴル美術館の中で、フランス人に最も人気のある、ナポレオンの戴冠式を描いたダヴィッドの絵をもとにしています。この絵は宝塚とダヴィッドの原画、その両方のオマージュなのです。



なんせ額を入れると15kgもある絵なもので、その日は近くの店で食事とビール。

翌日、2時間くらいかけて、ゆっくり絵を展示しました。

重いのでワイヤーは2本。
この絵を描いたのは誰だ!?  ワイや~!・・・なんて、ウフッ♪

TVをつければ東京は大雪なのに、浜松はしとしと雨が降るだけ。
静岡県って本当に温暖なんですね~。

翌日は木下音感協会主催の「第36回東京合同音楽祭」の取材があって、どうしても行かねばならないのですが、新幹線は一時止まってしまったようで、その日はお願いしてもう1泊することにしました。

翌日は予報通り、関東地方の雪は止み、新幹線は5分遅れ程度で9:30には東京駅到着。
木下音感協会の東京合同音楽祭には余裕を持って行くことができました。

こちらはご一緒したあ@花さんのブログに素晴らしい記事が書かれていますので、ぜひご一読ください。とても私はここまで書けませんが、明日、別の観点から合同音楽祭についてUPする予定です。

↓ こちらは東京大雪の日にいただいた、浜松で一番旨いと地元の人がいう加和奈のウナギ。関西風の蒸さずにこんがり焼いた食感がたまりません
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田母神俊雄を都知事にしたい理由 PART2

2014-02-07 09:05:49 | Weblog
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↑ その前にこちら。
キャットタワーの絵が完成し、額装しました。本日、浜松に納品予定です。

設置したのち、ブログやhpにUPする予定です。合わせてお楽しみに!


さて。明後日になった都知事選ですが、舛添候補有利と伝えられる中で、女性票の不人気ぶりがタダ事でありません。まあ噂とはいえ(噂じゃないと思いますが)、DVや愛人、隠し子など、かりに知事になった後も何か出てきそうな気はいたしますが。

ネットではダントツで田母神候補が人気と伝えられる中で、舛添候補有利とされるのは、何と言っても組織票と呼ばれるものであります。

よく、選挙の際に「行かない選択もある」とか「白票を投じる」という人がいますが、これはまったく意味がなく、投票率が下がるほどの組織票に貢献するという現象が起ります。

つまり、投票しないという行為は、確実に選挙に行き、投票する公明党や共産党に票を投じるのと同じだということですね。

特に前者は与党ですから、安倍総理としても公明党が舛添候補を推せば、支持せざるを得ないんでしょうが、後足で砂をかけるように自民党を出ていった舛添さんを推薦しろとは、ずいぶん自民もナメられたものです。



公明党は党員に手厚いそうで、一定の社会的評価はできるのでしょうが、政党としていざという時に国を向かず、自分たちの組織を向くという最大の欠陥があります。

それは、よく「地球市民」などという言葉を聞きますが、人類愛が高じて、自分の国のことに目が行かない人たちに同じですね。

これは共産党、社民党にも共通しているのですが、本質的に忠誠を誓う対象が、政治家でありながら自分の国でないということが一番の問題だということでしょう。

不思議なことに「地球市民」を自称する人ほど全体主義であり、人の意見は聞かない。本質的なファシズムであるのは(人間を均一化したがるという意味で)であるのは興味深いことであります。



また驚いたことに、田母神候補以外はみな「外国人参政権に賛成」をしています。

外国人参政権・・・聞こえは平等を旨にしていて、口当たりの良い言葉ですが、これは地域によっては、地元の日本人が特定の国の人たちに占拠され、乗っ取られてしまう危険をはらんだ売国法だとも言えます。

事実、新潟や北海道など、日本の多くの地域で、そのような外国人による占拠が公然と行われているわけで、これで外国人参政権などが通過したりすれば、どんなことになるのか・・・。

外国人参政権に賛成する政治家を信用していいのか、ということでもありましょう。

これは田母神候補の外国特派員会見でも、「どの国でも自国民と外国人の権利は同じではありません」と答えていることです(長い会見ですが、お時間のある方はぜひご覧ください。田母神候補の人柄や頭の良さが一目でわかります)。

まさに田母神さんは都知事でも、もったいないくらいの人物ですが、組織票とやらに勝てないとあらば、民主主義のひとつの欠陥と考えざるを得ないでしょう(誤解のないように申し上げると、民主主義を否定してるのではありません。現状は民主主義が一番の選択肢であるとは信じています)。

というわけで、本日はこの後、期日前投票に行ってまいります。

是非とも、みなさんも2月9日(日)は選挙に行きましょう!
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都知事が田母神候補でなければならない理由

2014-02-05 09:47:10 | Weblog
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昨日からの続きです。

都知事最有力候補と言われる舛添候補ですが、私にはこの人が心に響きません。

もちろんDVや愛人、隠し子といった俗な噂もその理由なのですが(特にDVは論外ですが)、それ以上にトップになる人間に必要不可欠な「不惜身命」「滅私奉公」という気構えが、舛添候補を見ていても感じられないのです。

それを感じたひとつが、靖国神社の「戦犯は分祀する」という彼の方針です。

舛添さんほど教育を受けた人間ですから、「戦犯」の意味は当然わかってるはず。
靖国神社に祀られてる、所謂戦犯とは、東京裁判という事後法によって不当に裁かれた人たちですから、そういう意味で「戦犯」という言葉の使い方はおかしい。

おそらくは靖国問題は彼にとって、どうでも良いのだと思います。

ネットでは舛添候補を在日指定してますが、彼の出自を見る限りそれはなく(だったとして、だから何というのもありますが)、どうも日本という国に関しても、東京という地方自治体に関しても、どこか冷淡です。

また、応援演説にローソンの新浪社長が駆けつけた、とありますが、この人も国益にかなうことを必ずしもしてるように見えません。何か「同じ穴の狢」とでも言いましょうか。



私が舛添候補に疑問を持った別の理由がもうひとつ。

以前、イラク戦争の時だかTVに出ていた時のこと。

舛添氏が担当のアナウンサーに「厭戦気分が広がってないですか」と聞いたところ、曲アナは「厭戦」という意味がわからなかったらしく、何度も聞き返しました(生番組です)。

「厭戦」という単語も知らないアナウンサーも論外ですが、舛添氏は意味を教えるでもなく、蛇の生殺しみたいに何度も同じことを繰り返してました。

生放送はその人の人柄がノーカットで出てきますが、ああ、この人はこういう人かなと思った記憶があります(たぶんドSとかいうやつでしょうか)。

もちろんこういうキツい性格がトップとして不適切かというと、一概にそうも言えないのですが、トップとしての「不惜身命」な覚悟があるかというと、自民党を離党した時のように、いざとなるとアテにならない感じもします。

靖国発言はそのひとつでもあります。

そう考えると、やはり都知事は田母神俊雄しかおりません。田母神さんだったら、都政に対して不惜身命に働いてくれるに違いありません。

みなさまはどうお考えでしょう。
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