今朝方、Facebookを見ていたら、去年の今頃はカレンダーを入稿してたんですね。
考えてみたら、すでに描き上がっていた原稿のレイアウトですから、それは早いわけですが…昨年はオリンピックに合わせて、年末に暦が変わるというドタバタがありましたので、今年は何となく急ぐことないやと思っています。
今月10月も体育の日がない、という事態に後から気づく人も多かったようで、言っちゃなんですが迷惑な話です。昔は暦を司る者が、政治を担っていたわけですが、今回のやり方は少々お粗末だったかな。
まあ、出勤日を間違えるくらいで済んだから、それで良しとすべきでしょうか。
「アチャールくんリメイクバージョン」は順調に仕上がっていて、11月下旬に上梓すべく、準備を整えている最中です。
それに合わせ、KOGURE FACTORY展も同時期、11月30日(火)〜12月6日(月)に開催されます。今回は母子コラボ展ではなく、小暮ファクトリーとしての立ち上げ展の意味があります。
まあ、見る人にとっては同じことですが(笑)、そんな節目を作家本人なりに感が増した。
【音楽談話⑧】ショパンコンクール!過去最大のスキャンダル!ポゴレリッチ事件の真相とは?音楽は競うべきもの?続編
昨日からの続きです。
音楽って競争するものか、そもそも芸術って競争するものか? ということについて、私の意見を申し上げましょう。
それは、ほぼ車田和寿さんの動画で語りつくされているのですが、ともかくもメリットとデメリットがあるということに尽きると思います。
車田さんの意見をかいつまんで言えば、以下の2つに集約されましょうか。
メリットはアーチストにチャンスが与えられること。
デメリットは審査員の好みに左右されること。
これはアートという、基準を定めにくいものに常についてくる事柄でしょう。
一般の人でショパンコンクールに興味のある人の意見を聞くと、実に的確で、観客というのはごまかせないものだと思います。
一方で、世の中にはショパンに何の興味もない人もいて、そういう人には「コンクール入賞」という肩書きがあれば、わかりやすいですね。
そもそも、基準が定まりにくいものは芸術に限ったことではありません。
サラリーマンの社内評価も同様です。
ショパンコンクールなら、審査員は一流のピアニストがしますけど、多くの会社の上司にそこまでの人は、そうそうは見当たりません。
もっとも、ショパコン優勝まで行く人の評価が正しいか、 必要かは別の話ではありますが(笑)。
最初に言うべき結論を最後に申し上げます。
芸術は本来は競争するものではないが競争は必要で、あったほうが面白い。
競争の結果は重視すべきだが、それがすべてではない。
なんだ、当たり前のことじゃないかと思う方も多いかと思いますが、人が決めるものはすべてそうですね。
ただ、ショパンコンクールに参加するほどの人のレベルは、やっぱり尋常じゃありませんね。芸術ってすごいと、つくづく思った次第です。
話題のショパンコンクール、すべて結果が出ましたね。
私にとっては日本人の贔屓目もあるでしょうが、一位は反田さん、二位は小林さんでした。このレベルになると、好みだという声もありますし、審査員そのものが個性のキツい人たちですから、どうしても平等というわけにはいきません。
吹奏楽のコンクールなどの常勝校は、審査員に合わせて対策をするそうで、それが勝つことへの近道でもあります。
その一方で、芸術は本来競い合うものか…という声もありますね。
【音楽談話⑩】ショパンコンクール終了!審査の裏話を紹介!ブーニン優勝、アシュケナージ2位の裏話を審査員の視点から紹介!リヒテルの信念とは?
▲こちら、車田和寿さんという声楽家の動画なのですが、さすが現役の音楽家の言ってることだけあって、実に面白い。
この動画だったか記憶が定かでないのですが、コンクールで競い合うことのメリット&デメリットを述べてるものがあって、実に面白いので、興味のある方はぜひご覧くださいませ。
音楽のコンクールに比べて、美術のコンペなどは、さらに基準が定まりにくいもの。
私自身の意見は後日述べますが、この機にそんなことを思った次第です。
ショパンコンクール、楽しませて頂きました。
それにしてもショパコン(と言うそうです)が、こんなに盛り上がったのは初めてじゃないかな。
今回のことでわかったのが、世間には意外にクラシックファンが多いこと。
それもオリンピックやW杯やプロ野球の優勝に多い、にわかファンじゃなくて、 昨日今日じゃないリスナーが多いということですね。
まあ、SNSで集まる人は似たカタマリになる傾向があるから、不思議じゃないのでしょうが、聞く方もレベルが高いなと思った次第です。
それにしても反田恭平さんのピアノは素晴らしかった。
どのピアニストもファイナルともなると、もう順位の欲もないのか、素をそのまま出していた感じですが、反田さんのピアノは天にも駆け上がるような演奏でした。
ここまで出し切れば、順位はおのずとついてくるものでしょうが、2位は本当に立派。
私は一位のカナダのピアニストより、三位スペインのガルシアさんのピアノより、反田オシですが、このレベルだと好みでしょうね。
あのアシュケナージもショパンコンクール 2位 (ミケランジェリが1位じゃないのに怒って審査員を降りたとか)だったし、シフさんもチャイコフスキーコンクール2位。
小林愛実さんともども、これからが楽しみです。
ところで、私が中学の時に初めて買ったアシュケナージのチャイコフスキーのピアノ協奏曲では、あの大巨匠は30代の若手でした。
まさに、少年老い易く学成り難し…かな(笑)。
昨日の夕方、ジムに行こうと自転車に乗り込んですぐ、家にケータイを忘れたことに気づきました。普段ならそのまま行ってしまうところ、なぜかその時は気になって引き返し、再度家を出るとすぐに母から電話が…。
「ちょっと、アンタ。今どこにいるの?」
こういう時の母の言うことは決まってます。
「家の鍵忘れて、入れないのよ。わるいけど来てくれる?」
行くも行かないもありません。
いや〜、なんか気になる時って、無視して行動したらいけませんね。
寒くなりかけのこの時期、高齢の母を外に出しておいてはいけませんわ。
私が実家の鍵を開けて程なく、弟が戻ってきたのですが、なぜか激怒。
私に言わないだけで、しょっちゅうあるんでしょうな。
まあ、こんなのいつもの小暮家の風景ですので、気にすることはありません。
今週末は母と弟は、前から楽しみにしていた東北旅行。
仲良く楽しんで行ってきてね♪
5年ごとに開催されるショパンコンクールですが、昨年延期になったためか、6年ぶりの開催。一次予選では日本人8名が残り、しかも動画配信でリアルタイムで見られるとあって、いつにない盛り上がりですね。
最終予選に残った日本人は小林愛実さんと反田恭平さんの2名でしたが、牛田智大さん、角野隼斗さんなどの演奏もあまりにレベルが高く、私の耳では、どこがどうやって選ばれているのか、まったく見当もつきませんでした。
そんな中、昨日NHK・Eテレでは「ショパンコンクールのレジェンドたち」という番組をオンエアしていました。
アシュケナージ、ポリーニ、アルゲリッチ、ポゴレリッチ、ツィンマーマン、小山実稚恵、ブーニン、ダンタイソンなど、錚々たるピアニストたちがひしめいていて、未来に巨匠となる若いピアニストたちの攻めの演奏に堪能しました。
その中で、2005年にポーランド人として30年ぶりに優勝したという、ラファル・ブレハッチの演奏を聴きながら、以前テレビで見た「駅ピアノ」のポーランドのピアノ奏者を思い出しました。
駅ピアノという番組は、時々プロにしても上手い人が弾いてるのですが、そのポーランドの銀行員ピアノ奏者がハンパでなく上手い!
聞けば、15年くらい前にショパンコンクールで競ったことのある人だったそうですが、親友だったポーランド人の天才に、どうやっても及ばないと悟り、ピアニストの道をあきらめて銀行員になったとか。
その親友はショパンコンクールで優勝したと言っておりました。
「僕が銀行員になるとは思ってもなかったよ」というその方ですが、どうやらその親友の天才がラファル・ブレハッチだったようです。
人生いろいろですね。
さて、今日からファイナルの演奏がはじまるようですが、とても私のレベルでは、どの人がどうなるとは予想できません。日本人の小林愛実さん、反田恭平さんが選ばれたら嬉しいなと思う次第ですが、その後の人生って、誰にもわからないですよね。
▼さて、こちらは私が最も尊敬する巨匠マウリツィオ・ポリーニのイラストですが、妻の言葉に毛ばかりが気になり、肝心の演奏が頭に入らなくなりました。
ちなみに曲は24の前奏曲でした(笑)♪
昨日は河童橋に行く予定が、天気がイマイチで盛り上がらず、近所で食事を済ませて買い物というコースに変更しました。
候補に上がったのはインド料理、ラーメン、蕎麦、中華、すしざんまいという比較的ありきたりのところ。遅めの時間だったので、晩が食べられないのはもったいないということで、インド料理、ラーメンなどは却下。
かねてから気になっていた蕎麦屋、沙伽羅(さがら)さんに入ることにしました。
店内は清潔そのもの。
汚い店が旨いなんていうのは単なる都市伝説で、年季が入っているのと、汚いのはワケが違いますが、きれいなお店は、それだけで期待が高まります。
出されたお茶も美味しくよく知ってるお味だったので、尋ねてみたところ、やはり赤坂の老舗・土橋園のお茶でした。地元のお店のお茶を使っているのも好感度が高いですね。
私たちが頼んだのは、柚子、二八、田舎蕎麦の三色盛りセット。
挨拶がわりに出てきた柚子をいただき、美味しいのにびっくり!
濃い味のかえしに、妻は少しだけつけて食べていましたが、私は最初から全開でどっぷり蕎麦をつけてみますが、どうやっても美味しいですね。
こんなに旨い蕎麦は初めて…と言って過言ではないでしょう。
同じ赤坂砂場さんの蕎麦も美味しいけど、好みからいうとこちらの方かな。
▼スミマセン、写真を撮り忘れ、最後の方で思い出したように撮影しました。
ほのかに蕎麦の香りのする二八も最高!
こちらもかえしをどっぷり浸けて頂きます。
▼そしてシメの田舎蕎麦はびっくりするほど味が濃い!
なるほど、あのかえしの濃さは、この田舎蕎麦の強さに合わせるためだったのですね。どっぷり浸けてもまだ足りないほどの味の濃さにはびっくりです。
そうすると、柚子蕎麦、二八蕎麦は少し浸けるだけの食べ方もアリかな〜。
一昨日は新横浜の芳香園で、花風社浅見社長と新刊本の二人打ち上げを致しました。
浅見社長とは仕事のやりとりは頻繁にしていましたが、リアルでお会いしたのは昨年末の忘年会以来。別に人の交流を避けていたわけではありませんが、そうでなくても行き来することの少なくなるご時世でしたから、仕方ないことでしょう。
積もる話は色々あったのですが、私の方からは前日の柔道稽古で、PCR検査やマスク稽古をしましたよ、という報告をしました。
道場が中央区の施設だったので、お役所の規制でいっぱいだったのですが、稽古後の一杯でもつ鍋を食べたと言ったら、「意味ないじゃん」と二人で大笑いでした。
いや、もつ鍋…あとで雑炊までいただいて美味しかったんだけどね(笑)。
店の中にはテレビがつけっぱなしになっていて、普段は二人ともまったく見ない昼のニュースとやらが目に入ってきて、ちょっと物珍しかったかな。
よく見る凡医も画面に映っていて…たしか…こんな顔の医者でした。
「医者が教えてくれない 発達障害の治り方」では凡医の顔をずいぶんと描きましたが、テレビに出てる医者の顔というのは、およそ人相が良くありませんね。
中川シャンパーニュ然り、西浦、尾崎然りで、まあ何ともいかがわしい雰囲気です。言うては何ですが、映画なら詐欺師の役で使いたいキャラクターですね。
まあ、上記3名はそれとなく花風社新刊本ではお世話になりましたが、それとは格の違うボスキャラは何と言っても尾身医師でしょう。
餓鬼草子や地獄草紙に出てくる亡者を思わせるお顔で、暗黒面の強さが違います。
若い頃の顔と比べると、この人にいったい何があったのだろうと考えてしまいます。相当に悪いものを見て、実際に手を染めないとあのようにはならないでしょう(あくまで個人の意見です)。
そんな意味で、花風社さんの本に尾身爺の顔を入れる気にはならなかった、と浅見社長に申し上げました。
さて、先ほど聞いて嬉しかったのが、「医者が教えてくれない 発達障害の治り方」が、たちまち増刷したということ。自分の仕事が多少なりとも貢献できたのであれば、それは本当に喜ばしいことです。
それにしても久しぶりに芳香園の中華は美味しい!
今度は栗本夫妻や花風社読者の皆様と、中華テーブルを囲みたいものです。
浅見社長、ありがとうございました!
柔道仲間で行なっている火曜会では、先月から柔道の稽古が再開されていたのですが、用事が続いて出られず。昨日、2年弱ぶりに柔道の稽古を行いました。
いつも使っていた海洋大学の柔道場は使えなくなっていたので、火曜会主催者が探して水天宮のあたりにある道場で稽古を行いました。
勝手が違ったのが、道場を使う決まりとしてマスク着用とPCR検査が必須であるということ。私が通っているジムでもスタジオではマスクが必須ですが、それがイヤでプールに行っているというのに、いやはや道場でマスクとは…。
とはいうものの、中央区が運営する運動場なので、そうした決まりごとは守らねば使わせてくれません。あらかじめ用意した通気性の良い、ウイルスにはなんの効力もないアリバイマスクをして道場に入ります。
唾液を採取し、横に赤い一本線が出たら陰性。
二本戦が出たら陽性なので稽古ができず、 そのまま帰るという決まりでしたが、昨日参加した11名は全員陰性。
海洋大学の学生も何人か参加してくれましたから、平均年齢がグンと下がりますね(笑)。
でも陽性でも道場まで来れる元気があったら、関係ないと思うのですが、そこはお役所の運営するところで仕方のない話です。
マスクをしたままの稽古は不本意ではありますが、それでも2年ぶりの稽古は格別だな〜。
ちゃんとついていけるか心配でしたが、体が覚えていて意外によく動いてくれました。でも動ける分、受け身をすれば痛いし、打ち込みや乱取りの疲労は甚だしい。
稽古のあとは、水天宮にある中華屋さんで久しぶりの飲み会。いつもの柔道談義とダジャレに花が咲きます。
それにしても、稽古に参加してくれた海洋大学の学生は、みんな素直で良い子だな。稽古熱心だし、「鬼滅の刃」の炭治郎みたいなキャラクターが生まれる時代背景を感じた次第です。
昨日、花風社さんの新刊、大久保悠さんのご著書「医者が教えてくれない発達障害の治り方1 親心に自信を持とう!」が私の手元に届きました。
先ずは、自分が描いたマンガやイラストがどうなっているのかドキドキでしたが、自画自賛になりますが、良いじゃないの!
少なくとも花風社25周年の企画に貢献できたかなと、ホッといたしました。
マンガもイラストも大きめに入っていて、とっても良い感じです。
それにしても、この「医者が教えてくれない発達障害の治り方」については、何度も何度も原稿を読み返したはずですが、あらためて本になると、また違った形で良い感じになりますね。
大久保さんと浅見社長のやりとりも、ゲラで読んだ以上にすんなり頭に入ってくるし、何より手にとった時の感触が何とも心地いいのです。
本の内容についてはもう一度読み返してから、再度記事に致しますが、ともかくも良い本が出来上がったと自負しております。
▼こちらは新刊発売記念のミニクリアファイルです。直販でお申し込みの方にお届けいたしますので、お申し込みのほど、お待ち申し上げます!
昨日は溜池山王のサントリーホールに、“若き音楽家によるフレッシュオペラ「ヴェルディ:ラ・トラヴィアータ(椿姫)」”の講演を見に行きました。
友達のお嬢さんが桐朋学園に在籍していて、オーケストラのコンサートマスター(第一ヴァイオリン)をされるということで見に行き、実に素晴らしい公演に心底感動したところです。
若き音楽家とは、出演する歌手たちもそうですが、楽員は文字通りの桐朋学園オーケストラ。学生と言っても、過去に小澤征爾、尾高忠明、ダニエル・バレンボイムなどの一流指揮者の指導を受けてきた名門です。
いや、若いだけあってオケの音に張りがある!
また、村上寿昭さんの指揮が素晴らしく、若き歌手や楽員をグイグイ引っ張って縦横無尽の音を奏でているのが圧巻でした。
往年のゲオルグ・ショルティを思わせる骨太な演奏で、弱音からいきなりフルオーケストラが鳴り響く、ヴェルディ独特の響きが印象的でした。
それに応えられる桐朋学園オーケストラの技量もすごいですね。
ホールの中は撮影禁止なので、入り口とその周辺だけアップね♪
「ラ・トラヴィアータ」を生で見てあらためて思ったことが、このオペラ…徹頭徹尾、主役の椿姫ヴィオレッタを聴かせる作品だということです。
私もオペラは好きで制作時によくかけてるのですが、声だけ聞いていると、どういう配役なのかわかりません。
それが生の公演になると、誰がどう歌っているのか分かるのが面白いところですね。
よくオペラ歌手のプロフィールを見ると、トラヴィアータで注目される、などとと書いてあるものも多いのですが、本当に聞かせてどころ満載の役でした。
ヴィオレッタ役の大田原遙さんの声は変幻自在。
役に入り込んだ表現がなんとも素晴らしいかったのですが、カーテンコールで出てきた時に小柄だったのにびっくり。
役を演じている時は大きく見えるのですが、それも本物だということでしょう。
でも、トラヴィアータのヴィオレッタ役…今まで見てきて、結核で死にそうなプリマドンナは一人もいませんけど、小柄な大田原さんですが、それでも可愛くて健康そのものな感じはご愛嬌ですね。
あの役は病気で死にそうだったら、もちろん出来ないんだろうけど(笑)。
また、役の中でヴィオレッタの小間使いアンニーナや、医師のクランヴィルの役どころが地味ながらアクセントになっていて、劇とはこういう脇役が大切だなとも感じました。
圧巻は最後、ヴィオレッタが結核で亡くなる第三幕のフィナーレ。
友人のお嬢さんがコンマスとして弾く、ヴァイオリンソロの美しいのにびっくり!
子供の頃の音しか知らなかったのですが、若いってすごい…。
ここまでの表現を身につけていたのかと感慨無量でした。
もちろん本人の努力と才能もあるけど、周りのサポートが素晴らしかったのですね。
この年齢になって、あらためて気づきことシリーズ。
一昨日、昨日に続き、今日は3日目です。
最近になって思うのですが、地球上に暮らしてる誰もが200年前、1000年前の風景や様子を見た人はいません。そういう意味で私たちは全員、後から来た人たちです。
世界と過去が先にあって、人はそこに乗っかっているだけの存在にすぎません。
もちろん人類の歴史には暗い過去が厳然として存在していますが、その一方で、輝かしい過去や、私たちが行きていく上での知恵もいっぱいあるわけです。
良いもの悪いもの、どうでもいいもの、すべてがあって私たちが存在してるわけですね。
人類の歴史はそのような積み重ねで成り立っているのですが、ある意味、それを破壊したのがフランス革命でしょうね。
周知のように、王政を倒した後の議会で、左側に座った革新の人たちを指して左翼と呼ぶわけですが、新しいものこそ尊いという、過去を壊す考え方ですね。
長くなるので、続きは明日以降ということで。
昨日の続きです。
これまた、前から自分ではわかっていたつもりなのですが、タイトルの通り。
どうやら私は後者に属すタイプのようです。
タイトルにある通り、 「これをしないと、こんな目に遭いますよ」で響く人と、「これをやれば、こんなに良いことがある」で響くについては、以前から妻に指摘されていたのですが、前者ではまったく私は響かないようでした。
そーなんだよね。
子供の頃から「勉強しなさい」と言われる時の動機づけが、だいたい前者でした。
いや、勉強しなかった言い訳をしてるワケじゃないですよ。
おかげで行きたかった絵の道で何とかやってるし、 「勉強しなさい」と口を酸っぱくして言っていた人と今年も展覧会をやるわけですから(笑)。
このことは今回のコロナ禍で見られる、人々の行動にも関連するかもしれませんね。
たとえば「いつまでも自粛をしたい人」と、「もういい加減うんざり」という人の違いも、このことに関連するかもしれません。
どなたか分析してくれないかな、なんて思ったりして♪
「アチャールくんカレンダー2022」
ただいま絶賛制作中ですが、作りながら「自分は飽きっぽい」ことが、この歳になって今さらわかりました。
絵画のようにコツコツ描かないと出来上がらない仕事をするのに、“飽きっぽい”というと、適性がないと思われてしまいそうですが、実はそうでもありません。
一枚の絵を描くのに、どのくらい時間がかかりますか?
よく絵に関して聞かれる質問で「1枚描くのにどのくらい時間がかかりますか?」と聞かれますが、わたしは飽きっぽいため複数の絵を並行して描くので、よくわかりません。
ですから聞かれた質問には、そのように答えて「この絵なら何日、この絵は半年かかりました」というように答えることにしてます。
絵描きによっては一点集中で描き上げていく人もいるでしょうけど、たいていは並行して描くんじゃないかな。
そしたら飽きっぽくても、そうでなくても適正は関係ないですね。
ところで「アチャールくんカレンダー2022」…時間も押し迫っているので、作業用のパネルの数を増やしたところ、なんとなんと、効率がグンと上がったではありませんか!
水彩画の場合、絵の具が乾く時間は作業できませんから、それを待っている間に別の作業をする。絵描きにとっては当たり前のことだったのですが、それをパネルの枚数を増やすだけで効率が上がるなんてビックリです。
自分の飽きっぽさは、自分でわかっていたつもりですが、そうではなかったのですね。