小暮満寿雄 Art Blog

ダジャレbotと間違われますが、本職は赤坂在住の画家です。作品の他お相撲、食やポリティカルな話も多し。右翼ではありません

麻布十番のチーズ&サラミ専門店「Fior di More」に行きました!

2021-06-30 09:03:11 | Weblog

日曜のお散歩に麻布十番に向かったところ、妻が「Fior di More」というチーズや生ハムのお店を見つけました。イタリアで言うSalmeria、いわば食肉加工品店ですね。

高そうだけど、入ると買ってしまいそうなので、外からものほしげに眺めていたら、お店の人が「どうぞ」と中に入れてくれました。

あらあら、なんだか旨そうなチーズが並んでいるじゃありませんか♪

こちらは熟成途中、まだ固まるのゴルゴンゾーラ。抜群の旨さです♡(買っちゃったのね)

地下にカーブがあると聞き、案内してもらいました。これがすごい!

パルミジャーノ・レッジャーノが熟成期間別に丸のまま並んでいます!

大のチーズ好きの妻が、素通りできるはずはありません。
これで購入したのが、5年熟成のパルミジャーノ・レッジャーノです!

これを購入すると、ななんともれなくバルサミコ酢でない、モデナ産バルサミコがついてきます! パルミジャーノ・レッジャーノにこれを数滴垂らすと…ををを!

そして固まる前のゴルゴンゾーラは、まるでカスタードクリームのようなふんわりした食感♪

本社はベネト州にあるイタリアの会社だそうです。お近くにきたらぜひお立ち寄りを!

 

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日曜美術館「三島喜美代 命がけで遊ぶ」〜新聞紙や空き缶のアートは好きでないのですが、この人の作品は素晴らしい!〜でも、作者が思ってないことナレーションで入れるなよ。

2021-06-28 09:17:45 | Weblog

こちら、六本木のメルセデスミー東京内にあった、ナムジュン・パイク風のインスタレーション。三島さんの作品とはなんの関係もありません。

昨日の日曜美術館はモダンアート作家の三島喜美代さんの特集でした。

三島喜美代さんは昭和8年、大阪の十三(じゅうそう)のご出身ですから、私の母と同じ米寿になりますね。ご本人は現代美術作家とは微塵も感じさせない、小ちゃくて明るい、いかにも大阪のおばあちゃんでした。

若い頃は、独立展の画家だった夫の影響で、油彩で静物画を描いていたそうですが、四十路くらいから徐々に、雑誌や新聞紙を使った現代美術をはじめます。

リンク先をご覧になればわかるように、三島さんの作品は、陶器を使った新聞紙や雑誌なのですが、本物の新聞紙を使おうと思って、新聞社に行ったところダメだと言われたのがきっかけだったとおっしゃっていました。

こちらも三島さんの作品に関係ない、赤坂アークヒルズのマルシェです。

なるほど、それがかえって良かったんですね。

個人的な好みの話になりますが、私はペットボトルや空き缶、新聞紙などを使った廃材アートというのが好きではありません。全部じゃないけど。

廃材アート作家の方には申し訳ないようですが、もちろん廃材アートのすべてがそうだとは言いません。

でも、その多くは「環境のことを考えてます」「このくらいなら私もできる」みたいな…いかにも凡庸で素人くさい根性が感じられて、どうも好きになれないのですね。
そう言うと、おまえの方が虫が好かないと言われそうですが(笑)。

それに廃材のように、誰だかわからない人間が触れたものって、中には妙なものがついてる感じがします。少なくとも自分の部屋に置きたい気分になりません。

ところが三島喜美代作品には、陶器を使って新聞紙を一つ一つ丁寧に作り上げているためか、そんな汚れた感じが微塵もありません。1から作ってるから当たり前なのですが、それにしても、これ…本物を見たら、さぞキレイだろうな。

古新聞を形取っているのに、手元に届いた新品に触れるようなフレッシュな感じが素晴らしい。

番組で残念だったのは、三島喜美代さん自身は「環境のことを考えてます」とか「消費社会へのメッセージ」だなんて、ただの一言も言ってないのに、ナレーションでは、そう言っていたことでした。

三島喜美代さんは、目の前にある「やりたいこと」を、ひとつひとつこなしていった人ですから、このナレーションが仮に自分の意図と違っていたとしても、怒ったりはしないでしょうけど、これは作者に対して、実に失礼だと思いました。

 アートの説明やト書きって、こういうのが多すぎるんだよね。
 
国語の授業で「作者は何を言いたかったか」という問題を、作者にさせたら✖️印がついちゃったみたいな。
 
ともあれ、この米寿のおばあちゃん現代美術作家には、いつまでもお元気で!〜と思わせる番組でした。それだけに、あのナレーションは残念だったなあ。
 

 

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行列で有名な赤坂「とんかつ まさむね」は、塩とレモン&醤油で頂くとんかつだったのでびっくりでした!

2021-06-27 08:03:29 | Weblog

昨日は久々に赤坂アークヒルズマルシェに行き、新鮮なお野菜をげっと♪

帰りは食べログで「無休」と表示されるようになった赤坂ヴェヌスキッチンへ、喜び勇んで向かいましたが、まさかの休みじゃありませんか(泣)。

無休はたぶん7月からなんでしょうね。かなりのがっかり。

 口がすっかり南インド料理モードでしたが、赤坂でここより美味しい美味しいスパイス料理は考えられなかったので、急遽方針転換です。

もしかしたら、いつも大行列のとんかつまさむねに入れるかなと思って行ったら、行列はなし…これは入るしかありませんね。

ちょっとお待ちくださいと言われて、数分。私たちのうしろはには、たちまち長い列ができました。時間は12時15分、これはツイてますね。

▼せっかくなので、私は上ヒレカツ定食を注文しました。

ただ撮っただけ、才能のかけらもない写真でスミマセン(笑)。

▼こちらは妻の注文した上ロースカツ定食です♪

写真も上手。生意気な!

赤坂に住んでいながら、行列に恐れをなしていた私は、とんかつまさむね初体験だったのですが、驚いたのが塩とレモン&醤油で頂くということです。

私はとんかつと言えばソースだと思っていて、山ね家さんの塩とんかつにも驚いたクチなのですが、強烈に塩とレモン&醤油オシというのにびっくり。
でも、テーブルを見たらソースもあって一応安心でした。

食べてびっくり、たしかに塩とレモン、醤油が美味しい!

ソースでも頂きたけど、食べるほどに塩レモン醤油が美味しく感じるのです。
また、驚いたのが、ヒレとロースの違いですね。

まい泉のとんかつなどは、ヒレとロースの味の違いはさほどでないのですが、 まさむねのとんかつは脂のつき方が際立って違う!
特にロースはソースで食べるより、塩レモン醤油が素材の味がハッキリわかって美味しいのです。

いや〜、これは確かに行列してでも食べたいわ。ヴェヌスに振られて、かえってよかったかも。でも、近日またヴェヌスには行きますけどね♪

いや〜、美味しかった、ご馳走さまでした!

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江戸東京博物館「北斎と広重」〜見られなかった人のためのネットギャラリー(其の三)〜「神奈川沖浪裏」の実物を見てから、ドビュッシーの交響詩「海」が頭の中をめぐりました。

2021-06-26 09:03:06 | Weblog

1905年に出版されたドビュッシーの交響詩『海』初版スコアの表紙。Wikiより転載。

人にとってはどうでも良い話なのですが、この展覧会で「神奈川沖浪裏」を見てから、会場を出るまで、ずっとドビュッシーの交響詩「海」が頭の中をめぐりました。

この現象、ディラン効果とかイヤーワームなどと言うそうです。

ドビュッシーが交響詩「海」を作曲するに当たって、北斎の「神奈川沖浪裏」が基になったというエピソードは有名ですが、実際にそれを証明する資料は、この初版のスコアの表紙以外はありません。

ともあれ自分の曲の表紙に、いきなり縁も所縁もない絵を飾ったりはしないでしょう。美術好きで、自らも絵を描いたというドビュッシーですから、作曲している間にも、神奈川沖浪裏をイメージしていたのではないかな。

海からすぐのリューベック出身のトーマス・マンの小説を読むと、 スイスはアルプスのふもとのサナトリウムを舞台にした「魔の山」でさえ、波のどよめきが脳裏に響きます。源氏物語の「宇治十帖」では、全編を通して宇治川の流れと風の吹きすさぶ音が聞こえてきます。

水の響きは人体に直結しているので、イメージしやすいこともあるでしょう。

ドビュッシーの「海」が、北斎の「神奈川沖浪裏」からインスピレーションを受け、全曲にそれを反映されたというのは、何か個人的に感じるものがありました。

さて、ここからは広重の作品です。

▼永谷園で知られる「庄野」。こちらは雨音が聞こえくるような作品ですね。

▼こちらも永谷園のお茶漬けシリーズで人気の「蒲原」です。現在は静岡市の中にある蒲原ですが、温暖なこの地で雪の絵というのは、今でも謎です。大雪でもあったのか、それとも脳内再生された雪景色か?

▼ここからはベロ藍を使った富士山のシリーズです。鯉のぼりに富士山という、北斎のアイデアに対抗したかのような作品ですね。

▼こちらは亀に富士山。めでたい!

ベロ藍は、絵の具でいうとプルシャン・ブルー。

1704年、現在のベルリンで発見された、フェロシアン化第二鉄を主成分とする人工顔料がこの色だそうです。当時のプロイセン王国の名を冠して、プルシャン・ブルーと呼ぶそうで、この時代の名うての浮世絵師はこぞって、この絵の具を使いました。

ただ、当時は高価だったので、有名絵師のみが使えた色でした。

海外ではホクサイ・ブルー、ヒロシゲ・ブルーなどと呼ばれるベロ藍ですが、ほかにもベルリン・ブルー、伯林青(べれんす)、紺青(こんじょう)などと、様々な呼び名があるのは、人気のシルシだったのでしょう。

▼非常口が写真に写り込んでいるのはご愛嬌ということで(笑)。

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江戸東京博物館「北斎と広重」〜本日は富嶽三十六景のアップ!〜見られなかった人たちのためにネットギャラリーを致します(其の二)。

2021-06-24 09:29:05 | Weblog

江戸東京博物館「北斎と広重」 富嶽三十六景全てが揃った、
予想を超える凄い展覧会でした!〜富嶽三十六景は全部で46枚あった?

先日アップした上記ブログ記事ですが、こちらを読んで展覧会に行った方もいらっしゃたようで嬉かったです。

展覧会は昨日20日で終了しましたが、撮影OKでしたので、本日は富嶽三十六景のご紹介です。大ヒット作ゆえ、追加10点制作され合計46点となった富嶽三十六景。
ここでは、撮影したもののみをアップいたします。

画家にとって富士はもっとも難しい画題のひとつと言って過言でないかもしれません。富士山は実物があまりに圧倒的ゆえ、人間ごときがいくら知恵を絞って描こうとしても、富士そのものを凌駕することはありません。

ところが、北斎や広重が描いた浮世絵では、富士山をデザイン化することで、実物と比較する必要がなくなっています。それが現実の富士に似せて描いた日本画となると、やはり本物と比べてしまうのですね。

そんな北斎翁、御年72歳に発表したという富嶽三十六景はさすがと言うばかりです。

▼尾州不二見原(びしゅう・ふじみがはら)。尾張の国ですあら、実際の富士はもっと大きく見えたはずですが、樽の中に富士を入れたかったのでしょう。

▼武州千住。隅田川は千住大橋だそうで、あの芭蕉翁もここを通ったのでしょうか。

▼赤富士として知られる凱風快晴。

▼青山円座松(あおやま・えんざのまつ)。円座松とは現在の東京都渋谷区神宮前にある龍岩寺の庭中にあった笠松のことだそうです。神宮前からこんな大きく富士山が見えるわけありませんが、脳内再生された富士でありましょうか。

▼こちらは甲州、石班沢(かじかざわ)。甲州ですから、海でなく川ですね。石班沢という表記は誤植だそうです。
▼深川万年橋下(ふかがわ・まんねんばしのした)。現在の東京都江東区で、当時からこのあたりはゼロメートル地帯で、防災用に建てられた橋だそうです。

▼赤富士に対して黒富士と呼ばれる「山下白雨」です。

▼信州諏訪湖。富士山から離れてますが、意外によく見えたそうですよ。

▼遠江山中(とおうみさんちゅう)。有名な材木の構図ですね!

▼駿州江尻(すんしゅうえじり)。波が描けるんだから、風だって描けちゃうぞ♪

▼こちらは北斎翁のアトリエを再現したもの。左の女性は最近、脚光を浴びてきた北斎の娘、お栄こと葛飾応為(かつしか・おうい)でしょう。

 

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御徒町の寿司屋さん、4人なら良くて、5人はなぜいかんのか?〜客が来なくても何も困らない行政よ。どうせなら、オリンピックもお店もみな解禁にしろよ!

2021-06-23 08:58:19 | Weblog

昨晩のこと。

久しぶりに、さる勉強会が終わって、御徒町で予約している寿司屋さんがあるというので、誘われて行ったところ、なんと「5人はダメだ」と門前払いされかけました。

勉強会が終わった時間が夜8時過ぎだったので、すでにマンボウ指定の時間は過ぎてますし、7時過ぎてもお酒を出すわけですから、この店が国や東京都が要請したルールを守っているわけでもありません。

そんな意味で、4人なら良くて、5人はダメというのは、お店が勝手に決めたルールなんだけど、実は飲食店にも客を選ぶ権利があるのですね。

普通のお店はこんなことはやらないので、「なんとかならないか」と頼んでみたところ、ここの大将がものすごい頑固者で、5人は絶対ダメということでした。

私もそこまでして店に入りたくないので、誘われた身として帰ろうとしたところ、誘った方が「オレ、ガンの治療中だから」と、譲られてしまいました(苦笑)。

ご一緒したのが、全員私より年長者だったこともあって、 まさか帰るとも言えず。

みなご不満な様子でしたが、この場は仕方なく案内された二階でチビチビ飲みながら、刺身やお寿司を頂きました。

こんな店二度と来るかと思いながら、寿司をつまむと、これが悔しいことに美味しいじゃありませんか(笑)。

頑固者の大将の態度は問題だけど、多分なんか言われたんでしょうね。
店員さんたちは、私たちをフォローするかのようにお酒のサービスなどをしてくれたので、気分も持ち直してきました。

店の俺ルールは感心しませんが、もとはといえば、守れないルールを押しつけてくる行政が一番いかんよね。

昨日もオリンピック会場で酒を出すと言った、舌の根も乾かぬうちに、やっぱり出さないという混迷ぶりにはあきれ返るばかりです。

さて、この御徒町の寿司屋さん。
もう一回行くかと言われたら、自分からは二度と行かないでしょうな。でも、そうやって客を失っていくのが、お店の自己責任とばかりは言えないところが痛し痒しです。

そんなわけで、お寿司の写真も珍しく今回は撮りませんでした。
代わりに御徒町周辺の南インド料理の写真をお楽しみ頂ければ幸いです♪

 

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ゴージャスなピンク箔の「なまけ蛙ちゃん」誕生!〜その制作過程を公開いたします!

2021-06-22 08:46:07 | Weblog

なまけ蛙くんの部屋

小暮ファクトリーの人気商品「なまけ蛙ちゃんシリーズ」ですが、最初に誕生したのがいつだったのか調べてみたところ、今年でひとまわりになるんですね。

上記リンク先にも記されてあるように、私の古巣ジーイー企画センターから、30体の発注を受けたのが丑年の2009年のことでした。

さて、上と下の写真を比較すればわかるように、最初のものと最近生まれた“なまけ蛙くん”と比べると、初期のものはだいぶ痩せてますよね。

これは、実は最初に作ったシリコンの型をずっと使っているのですが、使っているうちに、だんだん緩くなってサイズがふくらんで来たという、実にだらしない理由からなのです。

▼写真右上がシリコンの型ですが、もはや足先は取れて消失しております(笑)。

型抜きが下手くそということあるのですが、そこを逆手に取って「一体一体、一つとし同じものはない」のが、“なまけ蛙ちゃんシリーズ“です。

口の悪い友人などは「型抜きの意味ねーじゃん」と言いますが、たしかに型がなくても、手間暇も変わらずできるのですが、そこはご愛嬌ということで♪

さて、なまけ蛙ちゃんシリーズ12周年記念というわけではありませんが、図らずも「ニュータイプのメタルピンクのかえるちゃん、お口の中は金箔でお願いします」との発注が、アート関連会社「オフィス城山」の城山千景社長からありました。

▼小暮ファクトリーで制作したオフィス城山のロゴはこちら。

▼メタルピンクは一度だけ制作したことがありますが、それがこちらエストレージャ(Estrella)ちゃん。

メタルピンクは色の配合が難しく、今回のイメージはよりメタル感を出してほしいというニュアンスだったので、エストレージャちゃんとは違ったものを作ろうと思いました。

▼最初のお試しはこちら。メタルピンクって、すぐに色がくすむんですね。

▼次に試したのがラメ絵の具でしたが、これはもっとダメ!

なめらかな肌具合が、なまけ蛙ちゃんシリーズの持ち味なのに、ゴツゴツザラザラした鮫肌ちゃんになってしまい、これではとてもいけません。
普通の絵の具のように拭き取ろうと思っても、粒子が粗い分、固着力が強く取るに取れません。

仕方なく、もう一度粘土でモデリングし、乾いてから磨く作業をいたしました。
▼おかげで、その分、ふくよかになりました♪

そこで考えたのが、奥の手の箔です。

もとより口の中は金箔で、というご依頼だったので、どうせなら全身を箔でまとってしまおうと思いました。早速、日本画専門店に行ったところ、ピンクの虹彩箔があったので迷わず購入しました。

ただ、これを作るにはけっこうな技術が必要です。立体に箔を貼るのは、平面よりはるか忍耐と技術が必要です。また全身、箔を打ったあとに目を入れたりする作業も一発勝負。やり直しはできません。

型抜きもロクにできない私ですが、絵についての一発勝負は好むところなので、ここは虹彩箔で勝負ですね。

▼先ずは小手調べ。意外と楽しい作業です。

▼あら、カエルちゃんらしい感じが出てきたぞ〜♪

▼あ〜、気持ち良いなあ♡

…というわけで、 なまけ蛙Shinyちゃんの誕生。
城山社長は、これでかえるちゃん三姉妹をお持ちということになりますが、ご満足頂けたようで、よかったです。

いずれ三姉妹一緒に撮影したものもアップ予定です。そちらもお楽しみに。

城山社長、今回も誠にありがとうございました!

 

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江戸東京博物館「北斎と広重」〜展覧会は終わりましたが、見られなかった人たちのためにネットギャラリーを致します♪

2021-06-21 09:17:25 | Weblog

江戸東京博物館「北斎と広重」 富嶽三十六景全てが揃った、
予想を超える凄い展覧会でした!〜富嶽三十六景は全部で46枚あった?

先日アップした上記ブログ記事ですが、こちらを読んで展覧会に行った方もいらっしゃたようで嬉しく存じました。

展覧会は昨日20日で終了しましたが、撮影OKでしたので、その中からピックアップして公開したいと思います。

▼先ずは広重10歳の富士山。広重は終生、この絵を肌身離さずにいたんだとか。

▼こちらは北斎の描いた「仮名手本忠臣蔵」

▼北斎の万歳図

▼江戸の風景八景。高輪が海ですね。

▼かの有名な北斎漫画。波の絵が「神奈川沖浪裏」につながります。

続きはまた後日!

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花風社新刊「医者が教えてくれない発達障害の治し方」巻頭マンガを公開いたします!

2021-06-18 09:42:46 | Weblog

花風社創立25周年記念の新刊、「医者が教えてくれない発達障害の治し方」のイラスト作業が佳境に入ってきました。

たまたまですが、私がフリーランスになったのは花風社さん創立と同じ年の4月でした。創立間もない頃から、大切なお付き合いを初めて、あっという間の25年でしたが、そんな思い出にふける余裕もなく作業をしております(笑)。
有難いことです。

今回は、そのペン入れが完了した巻頭マンガを特別公開いたします。
書籍全体の大切な部分なので、かなり緊張しましたが、著者の大久保さんと浅見社長からは評価をいただき、安心して公開できることになりました。

お読みいただければ幸いです。

「アチャールくんリメイク版」の流れから、透明水彩で描いたアナログ原稿をデジタル加工した仕上げになっていますので、そちらもお楽しみいただければ嬉しいです。

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江戸東京博物館「北斎と広重」 富嶽三十六景全てが揃った、予想を超える凄い展覧会でした!〜富嶽三十六景は全部で46枚あった?

2021-06-17 07:39:00 | Weblog

原稿に後ろ髪を引かれながら(笑)、江戸東京博物館「富嶽三十六景への挑戦・北斎と広重」展が20日までということで行ってまいりましたが、予想を超える凄い展覧会でした。

先ず驚いたのが版画とはいえ、江戸東京博物館が「富嶽三十六景」すべてを持っていたこと。それに加えて、富嶽三十六景は全部で46枚あったということです。

えええええ?〜三十六景なのに、なんで46枚もあるの!?
そう思ったら、富嶽三十六景は大ヒット作品だったので、あとから10枚追加されて摺られたんだそうです。

最初の36枚を表富士と呼び、後からの10枚を裏富士と呼ぶんだとか。
最初の36枚は輪郭線が藍で摺られ、後の10枚は墨で摺られています

藍は、当時流行しはじめた化学染料ベロ藍と呼ばれ、いわゆる絵の具で言うプルシャン・ブルーです。海外では逆輸入の形で、ホクサイ・ブルーとかヒロシゲ・ブルーと呼ばれているみたいですね。

当時は効果だった染料ですが、ベストセラー作家だった北斎や広重は、このベロ藍を多様しています。

▼絵の上の青いグラデーションはベロ藍だったと思われます。

それにしても江戸東京博物館はん、ええもんお持ちやな〜(ふろむニセ関西人)♪

「富嶽三十六景への挑戦・北斎と広重」は20日の日曜まで。
予想外の大展覧会ですので、ご興味ある方はぜひ!

撮影も自由なので、ここに一部アップしました。
残りは展覧会終了後に残りを上げますのでお楽しみに!

 

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映画「ラ・ボエーム」見ました〜グローバル・ダイニングのラ・ボエームは、プッチーニへのオマージュなのかも。

2021-06-14 09:02:12 | Weblog

テレビは見ないと言いつつ、見ないのはニュースとワイドショーなどの時事ネタです。
昨日は、NHKのEテレでオンエアしていた、プッチーニのオペラ「ラ・ボエーム」を見てしまいました。

音楽はよく知ってはいるのですが、「蝶々夫人」「トスカ」「トゥーランドット」と違って、そういえばどんなストーリーだか、よく知らなかったな。

知っていたのは、パリの屋根裏で貧しい芸術家たちが、ミミやムゼッタといった女性をめぐってムチャムチャしてる話だということくらい。
それで、実際に見てみたら、それ以上でもそれ以下でもない、イメージ通りの話でした。

時間のない方のための「ラ・ボエーム 」あらすじはこちら。

先ず、驚いたのが第一幕の冒頭で流れる美しいメロディが、屋根裏に住む四人の貧しい芸術家たちが議論したり、貧乏を嘆いたり、家賃の催促に来た大家を追い出したりする場面だということ。

音楽と内容が合ってないじゃないか! でも音楽は素晴らしい(笑)。

そして、次の場面。
詩人のロドルフォが、下の階に住むお針子ミミと、なんの脈絡もなく恋に落ちること。あの有名な「私の名はミミ」は、ここで流れる音楽なんですね。

昔の劇や小説というのは、現代の視点で見ると、とんでもなく理解不能だったりするものですが、この「ラ・ボエーム」も然りですね。

男女関係があまりのスピードで、くっついたり離れたりするのを見て、昔の人の方が奔放だったなと驚くばかりでした。

それにしても詩人、音楽家、哲学者、画家たちは人の金で、深夜まで飲み食いを続けて図々しいにもほどがある。

そういえば、あのグローバル・ダイニングが経営するカフェ「ラ・ボエーム」も、昔から午前4時すぎまで営業しているお店で、メニューや内装を見ると、なるほど名前の通りプッチーニのオペラへのオマージュではないかと思えます。

今では六本木店はありませんが、30年ほど前に独り身だった頃、友人たちとベロベロになった後で、行き着いた店はラ・ボエームでした。そんな時にこそ、至極心地の良いお店だったかな。

東京都の要請なんか、聞けないはずだよね。

そんな話なのに、最後まで見てしまったのは、ひとえにプッチーニの音楽によるものでしょう。今でも人気の演目というのも納得でした。

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「クールベと海〜フランス近代 自然へのまなざし」展、行ってきました。海のどよめきが聞こえてくるような良い展覧会でした。

2021-06-13 08:01:00 | Weblog

先日、未納の原稿に後ろ髪を引かれる思いで(笑)、パナソニック汐留美術館で開催中の「クールベと海〜フランス近代 自然へのまなざし」展〜行ってきました。

面白かった日曜美術館「クールベ〜私は世界でもっとも傲慢な男」だけど、
何だ美術館が閉まってて見れないじゃないか!

この展覧会は、以前ブログで紹介した時には閉まっていて見られず。ようやく再開したのですが、すみません…本日が最終日です。まったく泥縄式の行政に翻弄されるこの頃ですが、見られなかった方のためにもご紹介をいたしましょう。

驚いたのが、絵の本質とは関係ありませんが、展示作品のほとんど国内の美術館が収蔵していたものだったことです。コロナの影響があるのでしょうが、日本でクールベは人気があるのですね。

多かったのが山梨美術館 、島根美術館、新潟県立近代美術館など。
ポーラ美術館はいつもように、粒よりの1点が燦然と輝いておりました。

いや〜、みなさん。ええもんお持ちやな(笑)。

クールベといえば自然の描写で知られる画家ですが、絵はほぼ独学で習得したとあって、初期の作品を見ると、たしかにアカデミックな教育を受けた画家とは明らかに違う筆致でした。

同じく展示されていたコローなどの絵と比べると、その違いは一目瞭然。
クールベは、後から技術が上がっていった画家で、その点ダリなんかと同じですね。
傲慢さも一緒かな(微笑)。

また、この時代に開発されてきたチューブ入りの油絵具を使用しており、それまでの絵には見られなかったペインティングナイフを駆使した筆致が目立ちました。

スイス国境近く、フランスのオルナンという村の出身なので、当然海を水に育ったクールベですが、初めて海を見た時は驚いたようです。

「ついに海を見た。地平線のない海を。それはとても奇妙なものであった。」

海なし県に生まれた人が、サーフィンに魅せられて湘南の海などに移住することは、多々あるようですが、クールベもそうやって海に惹かれた人だったようです。

また、当時パリとノルマンディーの海が鉄道でつながり、大ブームとなったようです。
海のないパリにいながら、すぐにノルマンディーまで行くことができたのも大きかったようです。

水を描くのは難しいもの。
波といえば北斎ですが、クールベも北斎の波は目にしていたでしょうが、彼の描いた波はもっと写真に近い、別の意味でリアルな海でした。

絵の前に立つと、クールベ自身の目で見た海の風景が広がってきて、画家が長い時間海と対峙していたことが伺えます。
さながら海のどよめきが聞こえてくるような絵でありました。

晩年、フランス革命の余韻から亡命したスイスで描いた波の絵は、その海のどよめきは聞こえてこず、ひたすら海を懐かしむようで寂しさを感じました。

でも展覧会で絵が見られるのは嬉しい。つまらない自粛がなくなりますよう。

 

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「子どもがウソをついている」とウソをつく教師〜卑怯な人間は、無能な人間より始末が悪い。

2021-06-12 10:15:22 | Weblog

汗だくで苦しくてクラスメイトと『辛い、苦しい、テレビでもマスクして亡くなった子がいるから外したい』と訴えたら、うちの学校で死んでないのにそう言う事言わないでと言われたそうです。本当に許せない。

まずは、この一連のツイートです。

これはひどいですね。

これが本当なら、教師が「子どもがウソを言ってる」と、ウソをついてることになる。このお子さんのメモを見れば、そうでないのはわかることなのに。

私が本厚木で中学校の教員をしていた1980年代の後半、先生のあり方には色々問題を感じていましたが(自分自身も含めて)、ここまで教員って卑怯だったかな?
それとも、その頃と今もそんなに変わらなかったのか。

その頃の中学生だった生徒たちも今では、人によっては教育の世界で上に立つ立場になっていますから、今の教員が、その流れを受けてることは間違いないでしょう。

さて私自身は、臨時採用職員を2年間だけやっただけでした。
自分自身に問題なかったと言えば、決してそんなことはありませんが、当時の他の先生たちを見て疑問に思うことは多々ありました。

その筆頭が「見て見ぬフリ」かな。

中学生も2年3年となると、体格も大きくなる一方で、知力や社会性がそれに伴うわけでない、いわゆる思春期の一番むずかしい扱いに差し掛かります。
1年と3年では、体力に雲泥の違いがあるので、当然いじめまがいのこともある。

先生にはタメ口でも、先輩には不思議な敬語を使う。
そりゃ、先輩の方がはるかにコワいもんね(笑)。

実際に先輩が後輩に危害を加えてないとしても、2年生が1年生を大勢で囲んで因縁をつければ立派ないじめです。

私はそれを見つけると注意しました。
ロクな先生ではなかったけど、それはしました。
そして、よく加害者の生徒から「殴ったりしてねーよ、ショーコがあるのかよ」と言われました。
まあ、子どもなりの開き直り、屁理屈には困ったものでしたが、もっといけないのは、多くの先生は注意しなかったんだよね。

見て見ぬフリはいかんだろ。

この頃と今と違うのは、さきほど挙げたツイートの例が小学生ということもありますが、結果的に…ですが、子どもが先生にいじめを受けているような状態だということです。

これは小学生の子どもは、どうすることもできず、理不尽な言いつけを守るほかない。守れるのは親だけですね。

それにしても卑怯な人間は、無能な人間より始末が悪い。
それが教員ならなおさらです。

考えてみれば、このコロナ禍で起こっていることは、無能ではない、ある面で有能だが卑怯な人たちが上に立ち、自分たちの保身や利益に腐心しながら、見当外れの手段を打ち出していることでしょう。

医療然り、行政然り、教育然りです。

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クラシックTV「クイーンとクラシック〜オペラの香りを添えて〜」〜お猿の駕籠屋は“ホイサッサ”の元はモーツァルトの「魔笛」だった?

2021-06-11 09:12:39 | Weblog

BSでオンエアされていた「ボヘミアン・ラプソディ」を見ました!〜
劇中流れていたマリア・カラスの声が、
フレディ・マーキュリーの孤独感とかぶりました。

先日、クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」について書いたばかりでしたが、昨日もクラシックTVでクイーンを取り上げていました。

私の場合、クイーンはリアルタイムで聞き、ビートルズだとリアルタイムは覚えてない世代なので、どうしてもビートルズファーストになるのですが、それを知らない若い人たちだと、もしかしたらロックといえばクイーンファースト…なんてことになるかもですね。

フレディ・マーキュリーの音にインド系のサウンドが入っているのは、映画「ボヘミアン・ラプソディ」の公開時に初めて知りましたが、その一方でフレディがあそこまでオペラファンだとは驚いたな。

“ボヘミアン・ラプソディ”が収録されてるアルバム名が「オペラ座の夜(A Night at the Opera)」ですから、ファンだろうくらいには思ってましたが、スペインのソプラノ歌手モンセラート・カバリエさんと共演されていたとはねえ。

それも二人とも凄く嬉しいそう♡
この時、フレディはエイズで余命いくばくもなかったようですが、だからこそ共演の時間が大切だったのかもしれませんね。 

出演していた錦織健さんが、“ボヘミアン・ラプソディ”の一部がリヒャルト・シュトラウスのオペラ「ナクソス島のアリアドネ」の一節からのオマージュだったというのも面白く、たしかにオペラ歌手ならでは指摘でした。

でも、個人的にもっと驚いたのが、錦織健さんが歌ったモーツアルトの「魔笛」の中の歌、“私は鳥刺し”の中で「名物だよ、ホイサッサ 」という一節があったことです。

実際のドイツ語だと、hopsassaで発音はホプサッサ…意味はなく、かけ言葉だそうですが、どう聞いてもホイサッサで、字幕もホイサッサ(笑)。

ありゃ〜、これって「お猿の駕籠屋」のホイサッサは、もしかしたらモーツアルトの「魔笛」からとったんのかな。と、調べてみたら「お猿の駕籠屋」の作曲は1917年の明治時代で、やっぱり「魔笛」の方がはるか先です。

そういえば、今は日本人に当たり前にあるナオミという名前も、実は元は旧約聖書に出てくる女性の名前です。

それを作家の谷崎潤一郎が「痴人の愛」で登場する女性にナオミとつけたことで、一般に広まったのだとか。男をたぶらかす悪女の名前を自分の子供につけたのですから、昔の人もたいがいですが(笑)。

まあ、どうでも良い話ですが、そんなくだらないこと思いながら番組を見ていた次第です。テレビもワイドショーとかやめて、こういう番組をいっぱい作れば良いのにね。

絵は「魔笛」をモチーフにした、一連の拙作です。
詳細はこちらもののけカリビアンの部屋をどうぞ。

 

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英雄たちの選択「藤原道長 平安最強の権力者の実像」〜「望月の欠けたる…」の歌は酔っ払って詠んだ歌?

2021-06-10 09:18:43 | Weblog

昨日は「英雄たちの選択〜藤原道長 平安最強の権力者の実像〜」を見ました。

そういえば、私にとってこの人…「望月の欠けたる…」のお歌と、日本最初の糖尿病認定患者、そして光源氏のモデルの一人だということくらいしか、知らなかったのですが、いや〜興味深い番組でした。

「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の欠けたることも なしと思へば」

望月の欠けたることもないくらい、私はこの世のすべてを手にした、といった思い上がりの代表みたいに言われる道長の歌ですが、私は少しそれに疑問を持っていました。

だって、晩年の道長は糖尿の合併症による飲水症や白内障、そして壊疽にも悩まされていたフシがあるんですもの。最期は背中に出来た乳房ほどもあるデキモノに、医者が針を刺したら悲鳴をあげて、しばらくして息絶えたとか。

藤原道長は権勢のすべてを手にしながら、必ずしも幸せではなかった人だと、個人的には思っていました。

そういえば、昨年の12月に宇治の平等院に行きましたが、あそこは道長の長男・頼通が開基となって建立されたんだよね。

晩年、糖尿の合併症に苦しむわが父の鎮魂の意味も兼ねて建立したのが、平等院鳳凰堂と言いますから、それは気の毒な最期だったに違いありません。この世の権勢をすべて手中にしたかのような父だったからこそ、なおさらだったでしょう。

番組での焦点はズバリ、「望月の欠けたることも…」の歌が、実際に道長の思い上がりを表したものだったかという点ですが、実は少し違うのではないか、ということです。

番組はナビゲーターの磯田道史さんと、歴史学者の倉本一宏さんという、古文書が読めるお二人が出演していましたが、望月の歌は、道長が20年以上にわたって書いたという日記『御堂関白記(みどうかんぱくき)』には記されてないというのです。

それでは「望月の歌」はどこに書かれていたのかといえば、道長と対立していた右大臣・藤原実資(ふじわらのさねすけ)が記した『小右記(しょうゆうき)』でした。

なるほど、「パンがなければ、ケーキを食べればいいじゃない」とフランス革命の時に、マリーアントワネットが言ったと(デマだそうです)いうようなものかな。

敵対勢力が相手を蹴落とすための言葉だったのが、後年、想像だにしたいほど膨らんだ例なのでしょうが、「パンがなければケーキ」と違うのは、どうやら道長本人が、本当にこの歌を詠んだだろうということです。

そうだよね。

磯田さんも倉本さんも「この歌を詠んだ時は、ベロベロに酔っ払ていたんじゃないか」なんて言ってましたが、それはそうかもしれません。

思い上がった歌と言われながらも、これって性格の明るい人が詠んだ歌ですよね。
それも当時の天皇陛下をさしおいてこんな歌を詠むなんて、スキのある人が、気が大きくなって歌ったものかもしれません。

後年になって道長の日記は「御堂関白記」と呼ばれてますが、道長自身は関白にもなっていないのだから、身分の上で言えば最上位でもなかったわけですから。

道長は当時、宮中で大人気だった「源氏物語 」のプロデューサーもしていたようで、政治の手段としても使っていたようです。
なるほど、さめざめ泣いている陰のキャラ・光源氏のモデルと言うには、 道長は陽に傾きすぎてますもの。紫式部がプロデューサーに花を持たせるべく、それらしく見えるようにしたのかもしれません。

それにしても糖尿はコワい。
私も今のとこないけど、父がそうだったから気をつけないと。

糖尿になったら、とう(し)ニョウ(どうしよう)・・・なんて、苦しいけどウフッ♪

 

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