小暮満寿雄 Art Blog

ダジャレbotと間違われますが、本職は赤坂在住の画家です。作品の他お相撲、食やポリティカルな話も多し。右翼ではありません

沖縄のクリミア化を懸念する

2015-03-31 09:39:48 | Weblog

昨日、カツカレーの話題が出たら無性に食べたくなり、3年ぶりくらいに食べました(写真はCoCo壱のカツカレーです)。

安倍総理が就任前、3700円のカツカレーを食べたのをマスコミが批判したことがありましたが、その時、表参道の”まい泉”で食べて以来かもしれません。

というわけで、本日はこの記事から。

リー元首相中傷で少年逮捕=ヒトラーになぞらえる―シンガポール

普通の独裁国家ならこうなりますね。シンガポールはきわめて安定した独裁国家ですが、やはり何かやると、すぐにこうなるようです。

シンガポールは、いわばローマ時代にあった「有事に全権を握る独裁官」を常時置いた形の独裁国家だと思います。物事がトップダウンでスピーディーに決まるので、国民が裕福であるうちはうまくまわるわけですが、言論の自由の制限はこのように当然のこととしてあるようです。

日本なら訴訟にはなるかもしれないけど、いきなり逮捕にはなりません。

ところが、社民党や共産党、民主、マスコミの一部は安倍総理をヒトラーなどの独裁者にしたがってるわけで、ほんとの独裁国家だったらいきなり逮捕か死刑ですから、ほとんどデマを広げている行為であります。

私はそんなに安倍総理を支持するわけではないですが(消去法で支持)、そもそも独裁者といえば安倍総理をヒトラーと呼ぶ人たちほど、よほどファシズムが浸透しているように思えます。

内田樹氏と白井聡氏が安倍総理を批判した記事はネットでも話題になりましたが、こうした人たちの批判は、まず「安倍はヒトラー」という結果ありきなので、理屈もなにもありません。

そんな意味で懸念されるのが、沖縄の辺野古移転問題でしょう。

沖縄は江戸時代には独立国家で、未だに「島津にやられた」ということを言うくらい、もともとの歴史は日本の朝廷とは遠いところにありました。
戦後はアメリカの領土で、私の世代では沖縄返還を覚えてますから、地政学的に複雑な事情のロケーションにあります。

しかしながら、沖縄が独立して一本立ちできるかといえば、そういうわけではありません。まして懸念されるのが、台湾は中国の一部と主張し、沖縄を喉から手が出るほど欲しがっているお隣の大国です。

来月に沖縄知事は、この時期に中国に訪問するとのことで、いったいどこの国を向いているのか疑問に思うこの頃。
ロシアがクリミアを併合したように、中国が虎視眈々と沖縄を狙っているのは今にはじまったことではありませんが、これを好機と見てることは間違いありません。

中国に併合された異民族がどうなっているかは、チベットやウイグルを見ればわかること。日本をチベット化したいのか、この人たちは?・・・と首をひねる次第です。

それにしても国会にもマスコミにも、中韓に向き過ぎた人たちが多過ぎます。
沖縄は知事がこれですから、始末がわるい。

 

いったい何を守りたいのかということであります。

 
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桜咲く

2015-03-29 10:30:27 | Weblog

別に受験の話じゃありません。言葉の通りです。

マンションの地主さんの庭に咲いた桜。
ニュースでは三分咲きと聞いていたのに、こんなに開いていてびっくり!

今年の花見は八重になるかなあ・・

先日、ははじめて念願の(笑)、吉野家・すき焼き御前を頂きました。
680円で肉の量も多く、コスパ良し。さすが吉野家です。
お昼時でしたが、ほぼ満席。半分くらいの客がこのすき焼き御膳を注文していましたから、吉野家の業績回復も納得です♪

 
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フミくん物語秘話

2015-03-27 11:20:59 | Weblog

秘話というほどのものではありませんが、昨日、木下音感協会の麻奈先生からブログを見たコメントとツイートが入ってきました。

ブログを読んだので。一部訂正を。 フミ君はアメリカ在住ではなく、現在、北陸の都市にお住まいでコンピューター関係の仕事をしているはず、そして、二児の父になっていました。(数年前の年賀状では)

おお、なるほど。
ドーマン先生のもとで渡米したことや、ロボットの会社でカナダに行ったことなどで、すっかり北アメリカにいるイメージだったのですが、今は北陸にいるのですね。

結婚されてお子さんがいるのも素晴らしい!

と、思ったら、さらに驚きのツイが。

実はフミ君自身、脳障害を持っていたことも、ドーマン法の訓練を長く受けたこともな~んにも知らずに成長していたようです。父が本に書いて機関誌で取材したら「もしかしてぼくって有名人なの?」と言ったとか言わないとか。障害を意識せずに成長したいい例かも。

おおお、それは驚きです!

「フミくん物語」の原作は、おんかん創設者・木下達也先生のご著書「わたしの音感教育」と、過去の機関誌に掲載された先生の文章をもとにしていますから、すべて事実としてあったことを書いているのは間違いありません。

ただ、ご本人がどう思っていたのかは聞いたことがなかったので、ああ、こういうこともあるんだなと驚き、また、そのおおらかさに微笑んだ次第です。
「治る人」って、そうなのかもしれませんね。

このツイによる、別の方のツイートです。

そういうエピソードもまた驚き&感動です。障害があるからと諦めずに頑張れば、道は開けるというとても素晴らしい例を教えていただいてありがとうございました。そしてマンガの最後に書いてあった「次回作」にも期待してます!

↓ 以下、機関誌おんかん最新号のイラストエッセイを掲載します。木下麻奈先生の出版記念パーティーの様子を絵にしたものです♪

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PIZZAはどこから来た?

2015-03-26 09:29:37 | Weblog

マンマミーア・イタリアンーと来たもんだ! 17

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今日の「医食同源・マンマミーア・イタリアンーと来たもんだ!」の17話めは、いよいよナポリピッツァの登場です。

この記事が掲載された10年前は、まだ東京にも本格的なナポリ風もちもち生地のピッツァは少なかった頃でした。

本場ナポリのピッツァは日本人の舌には、やや塩味がキツく、生地も肉厚なので端っこを残す人も多く、そのあたりは日本風に修正する店も出てきたようです。

写真は神谷町にあるナポリスタカのピッツァ。店主のペッペさんは生粋のナポリっ子ですが、やはりそのあたりは日本人向けにアレンジして出してると言ってました。たしかに日本で食べるには、ナポリと同じではやや胃もたれするかなという感じです。

では、お楽しみくださいませ!

マンマミーア・イタリアンーと来たもんだ! 17
PIZZAはどこから来た?
掲載日:2005年2月15日

 まいど、まいど、イダテンのゲンさんです!

世の中、バレンタインで大にぎわいのようだが、こちとらゲンさんは、先日の節分で売りさばいたエビやシャケの補充で大童さ。そう、あの節分の太巻きの具に使う原材料だよ。

なんでも節分に太巻きを一気食いするってえのは、こいつは大阪の慣しだとかって話だ。そいつが全国区に広まったものだそうで、その年の恵方(えほう/今年は南南東)を向いて太巻き寿司を食べると福がこちらにやってくるんだとよ。

何だい、お客さん。実はそれってゲンさんたち商売人が、太巻きの材料を売るのに仕掛けた話じゃねえかってか?

やだねえ、そんな天の邪鬼(あまのじゃく)な見方をしてよ。

だがまあ、おっしゃる通り、太巻きさまのおかげで、エビやシャケ、イクラだのって食材は、ここんとこ売り上げが伸びたことはたしかだ、へっへっへ。何にせよ、健全に商売が伸びるってえのはわるいことじゃねえやな。

あっしのような中小の経営者にとって、何より大切なのは日銭ってヤツさ。いくらきれいごとや御託並べたところで、その日のおまんまが食えねえようじゃあ仕方ねえ。

そんなワケで、お客さまがた――特に中小企業を経営する方々の気持ちは痛いほどわかるつもりだ。時々、旅館やホテルのお客さまから、スイサンドンヤ・ドットコムさんのおかげで立ち直ったなんて、有難てえお言葉を頂戴すると、年のせいか涙腺がゆるんじまう。

これからも、この白髪頭に笞打って、お客さまがたのために誠心誠意、安くて旨い食材をかき集めてくるもんで・・・よろしくお願いいたしやす!  

ナポリのくいだおれ

今回のマンマミーア・イタリアンは、いよいよナポリ料理(※1)と行ってみよう! 何つってもナポリはイタリアの中で、あっしがいちばん好きな町のひとつでもある。

ナポリは食い物が旨えのはもちろんのことだが、この町のもうひとつの魅力ってえのが、住んでる連中にあるだろう。これまた個人的な感想だがナポリの町ってえのは、あっしが育った深川あたりの下町に、なんだかよーく似てやがるのさ。大阪に似ているなんて人もいるが、それは同じような意味だろうな。

イタリア人に「ナポリ」というと、たいていそれだけで「プッ」と吹き出すところ。本音で生きているところ。人なつっこい・・・いや、なれなれしいところ。トトカルチョに夢中の親爺が、広場で暇そうにたむろしているところ。子供をどやしつける太ったおカミさんが、どこにでもいるところ・・・などなどだ。

ローマを「永遠の都」と呼ぶならば、ナポリは「永遠の劇場」だ。まさにナポリ人は一人一人が役者さながら・・・まあ、何だろうね、人情溢れる「寅さん」の世界っていうところかな(その反面、向こう三軒両隣り、まるで仕切りもプライバシーもねえんだな~)。

港町独特のガラの悪さはあるものの、兎にも角にも、ここの食い物はバツグンに旨い。

その中でも名高いオススメは、何と言ってもナポリ・ピッツァだ。

どのガイドブックを見ても「ナポリはピッツァ発祥の地、本場のピッツァを一度は堪能したい」なんて書いてあるけど、味に関して言えば正に看板にいつわりなしだ。

もしもこの町がピッツァの特許をおさえていたら、世界有数の財産をイタリアにもたらしただろう・・・なんて言われているほどで、ピッツァに対するナポリ人の情熱は、大阪人のタコ焼きも太刀打ちできぬほどなのさ。

今回はそんなナポリ・ピッツァのお話を、腹一杯聞かせ倒しやしょう!

※1 ナポリもイタリアのカンパーニア州に属する1都市だが、カンパーニア料理という呼び方はせずに、ナポリ料理、ナポリ風などと言う。この点はローマ料理と同じである。

PIZZAはどこから来た?

これまでもスパゲッティ・ナポリタンやミートソース、粉チーズ(パルミジャーノ・レッジャーノ)が、アメリカ経由で日本に来たと申し上げたが、アメリカンスタイルのPIZZAほど、世界の市場を席巻したイタリアンはないだろう。

もともとアメリカでのピザは、ジェンナーロ・ロンバルディとかいうナポリのピッツァ職人が、1895年にニューヨークで店を開いたの始まりだそうだ。あっしにとって逆に意外だったのは、本場のナポリ人がアメリカに持ち込んだことなんだが――それほど両者は違う食べ物だってことなんだがね。110年の年月を経て、すっかりピッツァはピザへと変貌してしまったというワケさ。

もっとも、それじゃあ本場のイタリアン・ピッツァには何かスタンダードがあるのかと言えば、そいつはちょっくら事情が違う。さきほど、あっしは「ナポリはピッツァ発祥の地」と申し上げたが、実はナポリはピッツァの生まれ故郷でも何でもねえ。

――おっと、こいつは嘘じゃあねえよ。何ってったって、ナポリの歴史家もそれを認めてるくらいだからな。

じゃあガイドブックが嘘八百並べているのかというと、そういうワケでもねえ。

つまりイタリアにおいて、比較的最近までピッツァとフォカッチャ(塩味の強いイタリアの平型パン)を厳密に区別しなかったんだ。ガイドブックに見られる「古代ローマ人も食したピッツァ」というのは、実はフォカッチャのことで――ピッツァはナポリで生まれたフォカッチャ(※2)の一種と見るのが本当のところだろう。

古代ローマ人が食したピッツァは、オーブンのない時代だったため、よく熱した灰の中に入れて焼いており、フォカッチェと呼ばれる、トマトもチーズも乗っていないシロモノだったんだ。だから、現在の形のピッツァがナポリで生まれたというのは、当たらずしも遠からず――くらいの感じかな。

それにしてもピッツァほど世界中に広まったファストフードはない。ある意味、ハンバーガーをしのぐシェアの大きさだと思うが、あっし個人とすると、寿司もそのくらいのビジネスに育てていきたい――なんて思うこの頃さね。

※2 フォカッチャの本場ジェノヴァでは、トマトやオリーブなど、具をトッピングをして焼いたフォカッチャをピッツァと呼ぶこともある。ちなみにフォカッチャ(foccacca)の語源は、ラテン語で炉端を意味するfocus。現代イタリア語で炉端はfocolareと言う。

ナポリピッツァは「目黒のサンマ」だった?

イタリアでピッツァを食べた人ならご存知だろうが、どの地域で食べるかによって、そのスタイルはまるで違う。たとえば、ローマ風のピッツァはカリカリに焼いたものが一般的。また、ナポリよりさらに南下するとパンツェロッティなんていうフライドピッツァがあったりと、その食べ方は一口では語れない。

その中で、ナポリのピッツァってえのはクラスト(ピッツァ台)がモチモチしているのが特徴だ。柔らかいのに餅のような歯ごたえがあり、やや塩味が強く、噛めば噛むほど深い味わいが口の中に広がっていくんだ。

これはドウ(練り生地)を十分に発酵をさせ、ドーム型の窯に薪を入れて燠火(おきび)で焼くからこそ、こういう食感に仕上がる。ピッツァってえのは窯と薪さえ使えば美味しくなるほど、簡単なものじゃねえが――窯と薪を抜きにナポリのピッツァを語ることはありえねえ。

この食べ物の誕生には、ちょいとしたナポリの歴史が関わっていて、そいつがこのモチモチっとしたピッツァを生んだのさ。なんせナポリは港町の宿命で、昔から入れかわり立ちかわり、さまざまな民族の支配を受けて来たからな~。

ピッツァのルーツ、フォカッチャの発祥は古代ローマにまで遡るが、15世紀のナポリには、すでにピッツァらしきものがあった。当時はチーズや野菜などを詰めて焼く、パイみたなもんだったそうで、すでに一般大衆に絶大な人気を集めていた。港町の荒くれ者も、この立ちながらどこでも簡単に食える、世界最初のファストフードをそこいらでほおばっていたんだ。

やがて時は18世紀と移り変わり、ナポリはブルボン王朝(※3)の支配下に置かれることになる。

下賤な食べ物だったピッツァだったが、ところがどっこい古今東西を問わず、そんな食い物は旨えモンが多い。落語「目黒のサンマ」で、大名・松平さまがサンマの塩焼きに舌鼓を打ったように、ナポリを治めていた国王フェルナンド4世も、この下品な食い物が大のお気に入りだったらしい。

なんせこの王様、ピッツァ好きが昂じたあまり、世界初のピッツァ専用窯を作らせちまったってんだから、松平さまも呆れかえるコンコンチキさね。なんでも、王宮のあったカポディモンテの丘には陶器窯がたくさんあって、それらを改造してピッツァ窯を仕立てたらしい。

現在のピッツァ窯は600度くらいの高温に達し、1~2分ほどで焼き上げるというが、なるほど、もとが陶器の窯じゃ温度が高いのもうなずけるわな。

※3 16世紀末から19世紀初頭にかけてフランスに君臨した王朝。

マリナーラは港町のピッツァ 

その後、19世紀になると、南米からやってきたトマトがナポリ人に熱狂的に迎えられるようになる。「オー・ソレ・ミオ!」とふり注ぐ太陽に、ベスビオ火山がもたらしたサン・マルツァーノの沃野が、トマト栽培にうってつけだったこともあるだろう。

濃い赤をしたプラム型のトマトは、ピッツァやパスタのソースとして、瞬く間に南イタリアに広まっていき、それがナポリピッツァの原型を作ったって寸法よ。

その原型がマリナーラとマルゲリータの2種類なんだ。

古典中の古典といえるピッツァ・マリナーラ(船員風)はその傑作で、トマトソースにオリーブオイルだけのシンプルなもの――この名はオリーブオイルもトマト、ニンニク、オレガノなどは船積みがきいてトッピングできるからだそうだ。

まあ、まさに港町ナポリならではピッツァだろうな。この上なくシンプルなので、ゴマかしがきかないピッツァの中のピッツァと言えるだろう。

マルゲリータは愛国のピッツァ?

もう一つのスタンダード、マルゲリータはご存知の通り、トマトソースにモッツアレラ・チーズ、バジリコとオリーブオイルの、これまたシンプルなピッツァだ。

この名前は、当時のイタリア王妃・マルゲリータに由来しているんだが・・・実はイタリア国旗と王家を巧みに利用したナポリ人のネーミングでもあるんだ。

さまざまな支配者のもとで統治されてきたナポリだったが、1859年にガリバルディのイタリア統一によって、ようやくひとつの区切りを迎える。そしてイタリア統一から40年後――国民から敬愛されていたマルゲリータ王妃が、国王ウンベルトとともに、ピッツァ窯の発祥地・カポディモンテに滞在していた時のこと――。

ラファエッレ・エスポジトと名乗るピッツァ職人が、「トマト、モッツァレラ、バジリコ」。すなわち「赤、白、緑」という、イタリアの三色旗をトッピングした試作品をお出しした。マルゲリータがこのピッツァをいたくお気に召したことから、このシンプルなピッツァに王妃の名が冠されたってわけだ。

実はこの試作品、エスポジトの創作でも何でもなかったんだが、そいつを堂々と王妃の前にお出しして、国旗で心をくすぐるお手並み――さらには、プリンセスの名前を勝手に使って、王家ですらダシするあたりは、まさにナポリ人の真骨頂というべきだろう。さすがに2700年もの間、歴史の荒波に揉まれてきた連中のしたたかさと言うべきだろうな~。

エスポジトの店が、未だにナポリにあるかはわからねえが、ナポリに行った際は、ぜひ本場のピッツァを食べほしいもんだ。スパッカ・ナポリの周辺にはダ・マッテオとか、ダ・ミケーレなんて名店があって、それこそ滅多に食えないような旨いピッツァを出す。

常に行列していて整理券を配っているが、値段も安いし一度は食べてほしいもんだ。

ナポリには「真のナポリピッツァ協会」があり、厳しい審査をくぐり抜いて認定された店が何軒もある。ここに認められた店は世界でも全部で200軒ほどしかなく、日本では10軒ほど。あっしはそのうち東京のパルテノペ(恵比寿、広尾)とアル・ソリト・ポスト(外苑前)には行ったことがあるが、ここのモチモチピッツァはオススメだ。

ナポリまで都合がつかねえ方は、ぜひ一度、本場のピッツァとやらを食べておくんなせえ。あっしもこれから、どちらかの店でピッツァをビールと赤ワインで流し込みに行くからよ!

じゃあ、お客さん。次回をお楽しみに!

マンマミーア・イタリアンーと来たもんだ!
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フミくん物語、感動の最終回をUPします!

2015-03-25 09:34:59 | Weblog

本日は先日配信された木下音感協会の機関誌「おんかん」に好評連載中だった「フミくん物語」その感動の最終回をUPいたします。

最初からお読みになる方は、こちらから!

先日、ツイッターでも「フミくん物語、次回は最終回か~。残念」「感動の最終回か~」などというお言葉をいただき、嬉しく感じていたところです。

意外に多くの方がフミくん物語が実話をもとにしてるということをご存知ないようですが、フミくんは実在の人物で、現在アメリカ在住でロボット開発の会社に勤務しています。

たとえ障害を持つ人でも、フミくんのようになれる可能性があるということで、これは花風社さんが再三言っている「治る」ということであり、それは大きな希望の星と言えるのではないでしょうか。

合わせてお楽しみいただければ幸いです。

 
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七戸じゅんの「港区から日本の未来にできること」

2015-03-24 08:32:59 | Weblog

4月下旬の統一地方選挙に向け、支持している七戸じゅんさんの政策ポスターがUPしました。

ラフはけっこう前に仕上げってはいたのですが、昨日「できたら至急上げてください」とお願いされ、怒濤のペン入れで仕上げました。

候補者と絵師の体質を反映し、たいへん爽やかで涼しげな(笑)ものが上がりましたが、見ての通り七戸区議、やることやってますね~。

こちらはチラシとして配布される予定ですが、区議の許可なく勝手に拙ブログにUPすることにしました。

4月のはじめくらいまでは怒濤のペン入れ天国ですが、告示されてからは、お手伝いできるかな。

みなさま、どうぞ七戸じゅんさんのことをよろしくお願いします!

 
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<大相撲春場所>白鵬勝利にやじ

2015-03-22 08:22:10 | Weblog

トマトとブロッコリー、ルッコラのスパゲッティ。
特に季節の野菜を使ってるわけではありませんが、なぜか春めいた仕上がりになりました♪

<大相撲春場所>白鵬勝利にやじ

拙ブログ、稀勢の里の星が上がらないこともあって、今場所はいつもに比べて大相撲の記事が少ないですが、昨日の相撲には思わずがっかり!

変化は「食らうのがいけない」のは勝負の鉄則。

リンク先の記事にも「敗れた大関は『情けない』と自分を責めたが、真っ向勝負を期待したファンは興ざめだ」とありますが、私も大阪で見てたらヤジ飛ばしますわな。

まだ尾を引いている「物言いは子どもでもわかる相撲」発言は、拙ブログでも取り上げた次第。

まあ、白鵬にとっては稀勢の里はやりたくない相手なんでしょうな。
最近は、立ち合いで策を弄したりなど、負けてないはずなんですが、まともにやって勝ってないというのは、おそらく白鵬自身が一番わかっているんだと思います。

それにしても、われらが稀勢の里・・・もっとピリッとしてくれよって感じですが(苦笑)。

↓ どちらにしても誰かがツイしてた通り。

これが白鵬。情けない。あれで落ちる稀勢の里も情けない。14日目に見せる横綱大関の一番ではない。

一方で大相撲になった照の富士と逸ノ城の一番、水入りとなった熱戦にはなりましたが、決めてを欠く大味な相撲。

水入りの後は良い相撲でしたが、稀勢の里vs白鵬の相撲があまりにひどかったので、際立ったということでしょうか。

好きでない照の富士ですが、こうなったら優勝してもらってもいいかな。
そんな感じの、荒れるんだか荒れないんだかわからない春場所でした。

赤坂は山ね家と同じビルにある隠れ家、紫月のカレードリアです♪

 
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宇宙に飛び立つユダヤ料理?

2015-03-21 10:19:31 | Weblog

マンマミーア・イタリアンーと来たもんだ! 16

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ここのところ週イチペースでUPしている「医食同源・マンマミーア・イタリアンーと来たもんだ!」ですが、本日はその16話めをUP。

お楽しみいただければ幸いです!

マンマミーア・イタリアンーと来たもんだ! 16
宇宙に飛び立つユダヤ料理?
掲載日:2005年2月1日

 まいど、まいど、イダテンのゲンさんです!

年が明けて早くも1ケ月になろうとしているが、お客さんがたはどうお過ごしかい? こちとらインド洋大津波の影響で、正月も返上して現地の情報を集めていたが、いやはやあっしの友だちも家を失ったり、家族や友人をなくしたとか、そりゃ胸が痛くなるばかりさね。

ただ、津波の影響は少なからず出てきているものの、あっしらの商売は差しあったって、悪い方に行っていない。津波自体はマイナス要因だが、ビジネスはむしろプラス傾向へ向っていると言って良いだろう。ここはなんとか、しっかり稼いでインド洋の養殖業者さんたちに還元してやりたいと思うこの頃さ!

ところでお客さん。スイサンドンヤさんのトピックス――「スマトラ沖地震・・分析について」がいかに精査されて信頼できる情報か、わかっただろう?

ニュースや新聞の情報ってヤツは、時としてとんでもない間違いもある。あっしから見ると、素人情報を、そのまま鵜呑みにして流しているケースも少なくない。プロなら少なくとも、そのあたりをしっかり見極めねえといけないんだが、その辺はなかなか難かしいもんだ。

ともかくもピンチのあとには、チャンスがあるというのはスポーツの世界に限った話じゃねえ。今年はあっしにとっても勝負の年――津波に負けない食材をご提供しやすぜ!

ローマのユダヤ人

 さて前回は古代ローマ料理だった、マンマミーア・イタリアンだが、今回は現代のローマ料理に戻ってお聞かせいたしやしょう。

今までに何度か話したけど、食い物ってえのは一過性のもの。一度食べてしまうと厳密な意味で、まったく同じものを口にすることは二度とできない。だからこそ、あまりに昔の料理というのは伝わりにくいんだ(なんせ、食材そのものは後世に残らねえからな)。

そんなワケで、古代ローマ料理と現代のローマ料理に、どれほどの繋がりがあるかはわからねえが、どうやらその中で一番、ローマ時代の匂いを残していそうなものがある。

そいつがユダヤ人の料理なんだ。

イタリアのユダヤ人って言うと、シェークスピアの「ベニスの商人」が有名だが、シャイロックのような北部イタリアのユダヤ人は、せいぜい中世頃に移り住んだ新参者。それに対して、ローマのユダヤ人ってえのは、2000年前から住み着いているという、それこそローマの主みてえな連中だ。

今じゃあユダヤ人も混血が進み過ぎて、民族的な意味は希薄になったというが(※1)、どうやら宗教的に引き継いでいる遺伝子は濃くなる一方で、そのためか大昔から堅持しているものが少なくない。それは食生活にも同じことが言えるわけさね。

余談になるが、以前ユダヤ人の友だちに話を聞いて、あっしは驚いたんだが――ヘブライ語(※2)ってえのは、モーゼの時代に国を失って数千年――ずうっと死語になっていた言葉なんだそうだ。

それが第二次世界大戦の後、1948年のイスラエル建国に合わせて、世界中に散らばっていたユダヤ人が結束し、彼らの神の言葉である旧約聖書をもとに――数千年前のヘブライ語を読み解き、発音などを研究して公用語に定めたというんだ。

それほどにヤーヴェ(エホヴァ)の神は絶対で――熱しやすく醒めやすい、あっしら日本人には想像もできない話だが、そんなユダヤ人の料理は、きっと数1000年前から変わらないものがあるかもしれねえ。もしかして、古代ローマ料理の残り香が感じられるのかもしれないのさ。

※1  イスラエルの法律では、母親がユダヤ人であるか、ユダヤ教に改宗した人のことを「ユダヤ人」としている。

※2 イスラエルの公用語。ローマのユダヤ人は、当然ながらイタリア語を話す。

宇宙に飛び立つユダヤ料理?

ユダヤの教えでは豚肉を食べちゃいけないとか(※3)、ウロコのない魚(タコやイカなども含まれる)はダメといった禁忌が多いため、連中は独特の食文化を持っている。

同じような宗教的な理由があるのか、連中は何でも食材をペースト状にすり潰す傾向がある。食材の原型がわからくなるレシピは、シンプル・イズ・ベストを旨とするイタリア料理と対極にあるもんだが――ただ、さすがにローマのユダヤ料理はそこまでしない。

今でも下町の方へ行くとユダヤとローマの折衷料理を食べることができるが、ユダヤ人も食いしん坊なイタリアの遺伝子と同化したのか、宇宙食みてえなレシピは少ないようだ。

豚肉ならぬ牛肉や鶏肉で作ったソーセージやサラミをのせて、カリカリに焼いたローマ風のピッツァ。アーティチョークやズッキーニの花のフライ。干しダラやチコリとイワシの料理などは、その代表で、どうしてなかなかイケるもんだよ。

ちなみにイタリア料理の話じゃねえが、近頃、都内などで見かけるニューヨーク・デリは、聞くところによるとユダヤ料理が原型だそうだ。こいつは、お総菜にサンドイッチやサラダなどを合わせて食べるカウンター形式で、若いOLに人気のレストランさね。

言われてみれば、たしかにニューヨーク・デリにはペースト状の食い物が多く、経営者もユダヤ人が多いという。もしかすると、宇宙食もユダヤ人の考案なのかもしれねえが・・・いやはや、あのペースト食を形を変えただけで、若いOLに売り付けちまうお手並みというのは、さすがは世界の大商人だ。ちょっくら、あっしらも見習いてえもんさね。

ローマのイースターエッグ

ユダヤ人の食文化として、いまでもローマに残されてる代表は、復活祭(イースター)の食事だろう。

なに、イースターといえば、イースターエッグだろうって?

そう。春のイースターに卵料理は必ず出されるメニューなんだ。

それに加えてアバッキオ(仔羊の肉)をあしらった料理――これが春の定番料理なんだが、イースターに卵と羊を食べる習慣は、もともとユダヤ教のものだそうだ。そもそもキリスト教ってえのは、ユダヤ教の弟分だから、ユダヤの慣習が残っていたとしても何の不思議もないわけだがね。

ともかくもローマでは卵料理が出されることが多い。ローマ時代からの人気の食材であることに加え、イースターの主役ということもあるんだろう。

リストランテの前菜でも、たいていフリッタータ(オムレツ)が出されるし、結婚式でも卵料理は定番メニューだそうだ。オムレツはプレーンのものより、炒めたタマネギや茹でたジャガイモ、トマト、サラミ、ペコリーノチーズや魚介類など、具を入れて出される場合が多い。これはシンプル好きのイタリア人にしては意外だが、冷まして出すことが多いので、味を強くしておく必要があるからだ。

オムレツって言葉は、もともとイタリア語だそうで、こいつは「卵にはじまり、リンゴに終わる」と言われた古代ローマの人気メニュー、ハチミツと卵のオムレツ――オヴァメリータ(ovamerita)に由来するらしい(※4)

ハチミツ入りのオムレツがどんな味がしたのか知るよしもないが、当時はゆで卵にオリーブを添えたシンプルなレシピが多かった中で、オムレツ(現在のイタリアでフリッタータと呼ぶ)は変わったメニューとして喜ばれたのかもしれないな。

※3 定説ではないが、イスラム教における豚の禁忌も、ユダヤ教をルーツとするものと考えられる。なぜ豚を不浄として忌むのかは定かではないが、おそらく古い時代に不十分な調理をした豚肉によって、疫病などが流行ったのであろう。

※4  イタリア語で卵はウォーヴォ(uova)という。古語のオーヴァ(ova)に由来する言葉で、楕円を意味する英語のovalも卵から来ている。

ローマに「パスタの三位一体」あり!

内臓料理やユダヤ人の料理のほかに、ローマ料理の定番といえば、パスタ料理がある。

パスタはイタリア人なら当たり前と言いたいところだが、前にも申し上げた通り、連中が持っているデンプン類の選択肢は広い。

パンも食べるし、米も食べる、ピッツァも食べる。ポレンタというトウモロコシの粉を使った料理。パスタに使うデュラム小麦以外にも、そば粉に大麦、スペルト小麦、ジャガイモを練り込んだりと、傍若無人なバラエティなんだ。

そんな中で、ローマっ子は1日に1回はパスタを口にするという。星の数のようにある、イタリアのパスタだが、ローマっ子は生パスタでも乾燥パスタでも

小泉さんじゃないけれど、ローマには「パスタの三位一体」と呼ばれるものがあるんだそうだ(おっと、三位一体って言葉はあちらが本場でい! 失礼いたしやした)。

そいつはブッカティーニのアマトリチャーナ。つまり太めのロングパスタにトマトソース。

スパゲッティ・カルボナーラ。ベーコンと生クリーム、卵黄、チーズのスパゲッティ。

そしてフェットチーネのスーゴ。平パスタと煮込みソースの3つなんだそうだ。

まあ、これは江戸前寿司の三位一体、マグロ、コハダ、アナゴみてえなもんなんだろう。あくまで地元ローマっ子が言う3点セットで、ツーリストとしてイタリアを訪れた時に、よく食べるものとはちょっくら違う。

ローマのリストランテに多いパスタの代表は、あっしにとってはペンネ・アラビアータだ。

日本でも最近は人気の一皿だが、ペン先型をしたパスタに、トマトソースをオリーブオイルとニンニク、ペペロンチーニ(トウガラシ)で炒めたソースで和えた、シンプルなパスタだ。

シンプルとは言っても、トウガラシの辛みやニンニクの匂いがキツいので北部の人は好まないそうだがね。あっしには、このあたりの濃いめの味ってえのが、どうやらローマの味なような気がしてならねえのさ。

さーて、時間が来やがった。次回からは、あっしがいちばんイタリアで好きなナポリ料理をお聞かせするよ。ガラは良くねえが、食い物はやたらと旨いところだ。

それじゃ、お客さん! 次回をお楽しみに!

マンマミーア・イタリアンーと来たもんだ!
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オウムとチュニジア、されど今年は家康公薨去400年

2015-03-20 10:20:47 | Weblog

↑ こちら、JR静岡駅北口にある竹千代君(徳川家康の幼名)像です。

家康公の生まれたときは、応仁の乱以降の戦乱が100数十年にもわたって、この国で繰り広げられてきました。
今年は家康公薨去400年にあたる年、大阪夏の陣を最後に(家康薨去も同じ年)長きにわたった戦乱の世は終わりを次げ、その後300年近くもの長きにわたって、この国は太平の世を享受することになりました。

徳川家康は戦のない世を誰より望んでいたと思いますが、こと世界を見渡すと、そういう世の中にはなっていないようです。

2001年の911以降は、国と国との戦争というよりは、宗教や領土問題がからんだ、局地的な小競り合いやテロといった戦いが中心ですが、その点だけとらえてみると、20年前のオウム事件というのは、世界の中で最初にこういった局地戦、テロが行われたことになります。

昨日起ったチュニジアの乱射事件も、本質的にはオウムの地下鉄サリン事件と変わりません。
というよりオウム事件によって、アメリカがテロ対策に本腰を入れはじめたことを考えると、IS(イスラミック・ステーツ)による一連のテロは、オウム事件が飛び火したものと考えて良いかもしれません。

ただ両者に関連があるかないかは本質的な話ではなく、要はこういう危険な連中を野放しにして良いかということです。

ISが現地で掃討作戦に遭っている一方で、わが国では、同じようなことをしたオウム真理教が野放しになったままであります。

名前を変えいくつもの分派に分かれ(中心はアレフというそうですが)、結局は首謀者の麻原彰晃を崇拝するという無反省ぶりに加え、なんとオウム事件を知らない若者を中心に信者を増やしているというのですから、この国の治安はどうなっているのか驚くばかりです。

誤解をおそれず言えば、外国であればオウムはIS同様、掃討作戦に遭って殲滅されても不思議ありません(殲滅しろ、というのではありません。日本以外の外国なら、そうなるよという意味です)。

地下鉄に猛毒のサリンをまいて無差別テロをおかす団体に、一般市民と同じ人権を与えて良いものか。怒りを覚える次第です。

ところで徳川家康公が「殺さない」ということは有名だったようです。

征夷大将軍になったときの最初の命令が「百姓むさと殺し候こと、ご停止(ちょうじ)なり」というものだったそうで、これは間違いのない真実だったのでしょう。

しかしながら、そこは戦乱をくぐり抜けた人。
必要とあらば即断を下したと思います。
今の日本でそれをすることはできませんが、こういう団体を野放しにすれば未来の被害者が増えることは間違いありません。

チュニジアの博物館で命を落とした人も、まさかクルーズ船でテロに遭うとは夢にも思わなかったでしょう。まさに朝の紅顔、夕べの白骨・・・ご冥福を祈るばかりです。

家康公薨去400年に合わせてというわけでもありませんが、たまたま静岡市のhpに竹千代君を描いたマンガを掲載することになりました。来月UP予定です。

 
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大阪は音声場所で楽しんでます

2015-03-19 12:34:27 | Weblog

タイトルですが、正しくは「大阪場所は音声で楽しんでます」ですね。
でも、それじゃつまらないので、文字を入れ替えました。

大阪場所、2年前に行ったらけっこうガラガラだったのに、今年は月曜から満員御礼が出ている模様。

われらが稀勢の里はというと、初日二日目の相撲を見たら来場所はカド番かなと思ったけど、ここのところ持ち直ししてきてる・・・ちゅうか、最初からこういう相撲を取れよという感じですね~。

ペン入れがいくつか重なっているので、肝心の取り組み以外は音声のみですが、それなりに楽しんでいます。

ところで、昨日の照の富士。
腸炎で「もれちゃう」から力入んなかったんだって。

ホントにそうだろうけど、言うなよ。そんなこと。
ちばてつや先生の「のたり松太郎」に、ほとんど同じネタがあるんですが、そういえば照の富士、坂口松太郎にキャラがかぶります。

マンガはすごい傑作なんですが、アニメにすると松太郎の品のないところばかり目立ってしまいますが、照の富士ってアニメの松太郎に近いんだよね。

今場所も白鵬で決まりそうだけど、調子の上がってきた稀勢の里に一矢報いてほしいところです。

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プーチンの核

2015-03-18 10:30:25 | Weblog

こちらお馴染み「ケララの風」のミールスランチです♪

クリミア併合時に「核の用意も」 プーチン大統領

数日前の記事ですが、さすがプーチン。やりますな~(ほめてません)!

まさにこれが世界というもの。ましてロシアなら当然のことでしょう。

こちらにいくら戦う気がなくても、核兵器まで準備してクリミアを併合しようという、ある意味断固たる意志の顕われです。

核を本当に用意してたかどうか(たぶんしてたでしょうが)はわかりませんが、世界に対して「ロシアはやる」という意思表示ですね。

これをわが国に当てはめれば、尖閣や竹島はもちろんですが、沖縄だって彼の国は核兵器を持って占領することだってあり得ない話ではありません。

なんでも平昌オリンピック、開催不能を見越して中国とロシアが朝鮮半島を狙ってるなんて話があって、戦前、朝鮮が日本に併合を申し出て来たときと同じシチュエーションを思わせます。

プーチンの核、教訓にすべしとおもいますが、如何なものでしょう(見習えという意味ではありません。世界はこういうことするんだよという意味です)。

 
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芋本で花粉緩和をTRYちう(続々々)

2015-03-16 09:14:39 | Weblog

昨日は大阪のチットチャットで指導者養成講座が行われた模様。
ツイッターでは参加者のツイが次々に流れてきて、それなりにみなさん満足して変えられたようです。

で、今朝ちゅん平のFacebookのタイムラインを見たら、ちゅんちゅんも講座に参加していたようで、早速コメントをしてみました。

ちゅんちゅん、大阪で”なんば”しよるねん・・・なんて、ウフッ♪

画伯、朝御飯ば食べよるとよ♪

おおー、ちゅんちゅん絶好調とね~(ふろむニセ九州人)

ばり絶好調たい! 朝御飯はカレーばってん、ここのは辛ぇ~!(笑)

ええええええ~!? 朝からカレーとね!?

画伯、強くなったでしょ? しっかり食べよります!

ちゅん平、やるな~!(もりしー風に)  
驚き、桃の木、山椒の木です!まあ、さすがに三升は私も飲めないですが・・・なんて、ウフッ♪

 

いや、驚きました。
ちゅんちゅん、ますますパワーUPですね。

コーヒーのにおいだけで倒れていた藤家寛子さんとは、もはや別人です。

体を楽にする、快適にすることで、ここまで進歩するということですね。
これがまさに「治る」ということでしょうか。

さて、私の花粉症。

もちろん治ったわけではありませんが、最盛期の今、鼻もつまらずクシャミも少なく(目は時々カユいです)なったというのは、快方に向かったと断言して良いと思います。

芋本の119ページからをお読みください。

なぜかここからわたくしが勝手に登場し、栗本さんのレクチャーを受けるですが、今年は実際に受けたことを実践してみました。

栗本さんはワニ体操推奨でしたが、この体操はやや苦手ということもあり、もっと本質的な「体を緩める」ということに主眼を置くことにしました。

ジム以外ではあまりしなかったストレッチ(ヨガのチャイルドポーズ)を、ペン入れで肩が凝るとこまめにするようにしました。

アレルギーというのは抗体が過剰に反応することなので、花粉を感じなくなることはないと考え、根本的な体質改善ではなく軽減策にシフトしました。

いわば複合的な緩和策ですね。

再三、このブログでも申し上げてるように、体を緩める以外にできることはすべてしました。

・外出時にはマスクを必携。

・ジムでは筋トレより、ヨガのように体を緩める運動を。

・鼻の中の水洗い。

・洗濯物は内干しにする

・部屋の掃除をこまめにする

・花粉の薬は朝夕飲む

こうやって取り上げると、面倒なようですが、花粉の症状が緩和されるなら楽なもの。今日はやや目がシバシバしますが、真っ赤な散布量を見ると良い方でしょう。

さあ、これから部屋の掃除だぞう!

滅多に見せない姿を友だちに撮られてしまい、先週Facebookにタグ付けされてしまいました。私は自分の姿をなるべく晒さないことにしてますが、今回は証拠写真としてUPいたします。

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アナゴのエサになったローマの奴隷

2015-03-15 07:59:16 | Weblog

マンマミーア・イタリアンーと来たもんだ! 15

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本日は1週間ぶりに「医食同源・マンマミーア・イタリアンーと来たもんだ!」のUPをいたします。

2005年の掲載ですから丁度10年前になりますが、丁度その前の年にインドネシアで大地震と大津波が発生した年だったのですね。
この時は当然ながら、2011年の震災も起きておらず、うちの祖母が言っていた「一寸先は闇」という言葉を思い出してしまう次第です。

UPされている写真データの小ささにいつもながらびっくりです。
とはいえ、それ以前のものは写真も掲載されてなかったのですから、意外に世の中目まぐるしく変わっているもの。

とはいえ、イタリア料理に関する情報は古くなっていない模様。
本日もお楽しみいただければ嬉しいです!

マンマミーア・イタリアンーと来たもんだ! 15
アナゴのエサになったローマの奴隷
掲載日:2005年1月19日

まいど、まいど、イダテンのゲンさんです!

みなさま、明けましておめでとうござい・・・って言いたいとこだが、昨年末に起きたインド洋大津波の被害が、時間が経つにつれ想像を絶する規模だってことがわかってきた。最初はのんびり報道していたテレビや新聞も、ここにきてようやく本腰を上げて来た感じだ。

被災された方々のご無事とお悔やみを、心よりお祈りいたしやす。

被災地のインドネシアやタイには、あっしが取り引きしているエビの養殖所があって――知り合いの安全だけは確認できたけど、そうそう素直に喜べないってえのが実感さ。まったく、現地で働いている人の不自由を考えると胸が痛くなるばかりだ。

ところでお客さんがたに申し上げるが、こと水産に関して言えば、テレビや新聞の情報と分析は、不確かなソースを鵜呑みにしているものが多いようで――そのことを、老婆心ながら申し上げておこう。

あっしの立場からは、あんまし相場に影響する発言はできないが、ともかくもニュースだけの情報に頼っていちゃいけねえよ。もちろん常識的に考えると、今年のエビは上昇傾向にはあると思うがね。

ともかくも、このイダテンのゲンさんは、あくまでお客さまがたの味方だ。エビの原価が上がったなら上がったなり――下がったなら下がったなりに、お客さまが要求する以上のクオリティで商品を提供していきやすぜ。なんせ値段も味のうちだからな!

てなワケで、どうぞ本年もご贔屓に――何卒お頼み申し上げやす! 

質素を旨としたローマ人

さて、今回のマンマミーア・イタリアン。前回はローマ料理って切り口でお話をしたが――今回は同じローマでも、古代ローマの食ってヤツを取り上げみよう。

昔の中国では、そいつがいかに大勢の人間を食わせらるかが、英雄の基準だった。

また、「すべての戦争の原因はエネルギーと宗教に集約される」(昔から言われていることだが、なぜか学校では教えないことだな)ってえのも、同じ話さね。ま、食料問題もエネルギーのうちと考えられるわけだが、人類存続&種の存続というのは、ひとえに食い物にかかっていると言っても過言ではないだろう。

それにしても最盛期にはヨーロッパ全土のみならず、北アフリカからトルコ、中東地方まで平らげていたローマ帝国――その胃袋を、どんなもので満たしていたんだろう?

そんなことを、あっしが素人の手すさびで調べたお話がある――ちょっくら聞いておくんなせえ!

今までに何度かお話したが、ローマ帝国の食卓にはトマトがなかった(※1)・・・なんてえ具合に、いくつかの「有名な意外」がある。

もともとローマ人は農耕民族だったことは、前も紹介した通りだが、黎明期のローマ人は意外に質素な食事をしていたんだ。満腹になると、羽毛をのどに押し込んで、吐いてはまた食べるローマの饗宴は、最盛期を過ぎてからの話なのさ。国家の礎を築いた先人たちは、ローマを護るために質実剛健な暮らしをしていたというのが、本当のトコなんだ。

紀元前753年を建国とするローマだが――もともと、平地に7つの丘があったローマの地は、防衛上は決して有利な地勢じゃなかった。だからこそ、ローマが築いた道が外の世界に向かい、大帝国となったわけだが、それは結果としての話。そこまで辿り着くには、エトルリア人やギリシャ人、ガリア人、サビーニ人など、近隣の民族との小競り合いに勝たなければいけなかったのさ。

何でも紀元前4世紀くらいまで、ローマの一般市民ってえのは、丘の上に掘立小屋を建てて暮らしており、水で溶いた大麦粉の粥とか、ニンニクやタマネギくらいしか食べられなかったという。戦に出れば、さすがに少しは良いものが食べられたそうだが――それでも、火を入れた小麦の粥に干し肉でもあればマシな方だった。

もともとローマ人は粘り強く、質実剛健、堅忍不抜(けんにんふばつ)を旨としていたそうで――今の日本でもそうだが、豊かになると堕落するというのは、人の世の常かもしれねえなあ。

※1 トマトはもともと南米原産で、17世紀頃の大航海時代に観賞用としてヨーロッパに持ち込まれたもの。当然、ローマ時代には影も形もない。

アナゴのエサになったローマの奴隷

紀元前202年――ローマの若き闘将スキピオが宿敵カルタゴの名将ハンニバルを破り(※2)、その後東方諸国を制服すると、さすがのローマ人も贅沢の味を覚えてきた。むしろ何100年にもわたって、水溶きの大麦粥で我慢していたウップンが、一気に弾けたのかもしれない。

もとより豊かな土地と風土恵まれたイタリア半島に加え、ローマ人の持つ勤勉さと忍耐、努力が実を結び、農業生産力は著しく向上した。

すでに紀元前1世紀頃にはパン屋という商売が登場していたし、生活の糧であった小麦や大麦以外に、より収益の高いブドウやオリーブの栽培をはじめる農家も出てきたんだ。

そして植民地から運ばれてくる富と、遠方からやってきた珍しい食材は、たちまちローマ人の欲望を目覚めさせた。2000年前の美食家アキピウスが残した、古代ローマのレシピをひもといてみると、その食材の豊富さには驚かんばかりだ。

クジャクやフラミンゴ、ツルやガチョウ、ダチョウ、ツルやインコといった珍しい鳥たち。

はるばるペルシャやダマスカスから運ばれてきたサクランボやアンズ、桃、マルメロの木などは、そのまま食べるだけでなく、甘味料としても使用された。

また牡蠣の養殖や、ローマ人の好物・オオヤマネ(※3 )の飼育で大儲けする貴族が出てきたり、チーズやソーセージ、生ハム作りなどもこの時代からはじまったってえんだから、今の時代顔負けのバラエティだ。

いかにもローマ人らしいのは、ヘリオガバルスとかいう美食家の皇帝で――この人は、当時最高の美味とされていた、アナゴやウナギを捕獲する漁船団を持っていた。そして捕らえたアナゴを太らせるために、コロセウムの闘技で殺された奴隷のキリスト教徒をちぎっては、エサにしていたってえんだから、いやはや何とも、おそれ入谷の鬼子母神ってなもんさね。

アナゴが悪食で凶暴なのは有名だが、そんなアナゴがどんな味だったのか・・・いくらあっしでも、食べてみてえとは思わねえけどな~。

※2 カルタゴは現在の北アフリカ・チュニジア周辺。紀元前264~146年にかけて、ローマは宿敵カルタゴと3回にわたって、ポエニ戦争と呼ばれる戦いを繰り返す。紀元前146にローマの遠征軍がカルタゴを壊滅させ、120年にわたる戦争に終止符を打った。「ポエニ」とはローマでのカルタゴの呼び名。

※3 リスとネズミを合わせたような、げっ歯類の動物。前回を参照。

伊勢エビはローマ時代も高級食材!

ローマ時代の調味料として有名だったのは、何といっても魚醤ガルム(※4)だが、ローマ人ってえのは、今のイタリア人以上にサカナ好きだったそうさね。

当時は、今のような冷蔵技術が望めるはずもなかったが、それでも海の近くには新鮮な魚介類が入手できただろう。

有名なアントニーとクレオパトラの晩餐会では、ムール貝や伊勢エビ、イソギンチャク、ヤツメウナギ・・・そしてイルカの肉などがさまざまなソースに漬け込まれて出されたという。

また美食家のアキピウスは、巨大伊勢エビの噂を聞きつけ、嵐の中を帆船で北アフリカまで出かけていったエピソードまで残している。実際にその伊勢エビを手にすると、陸にも上がらずローマに引き返した、なんて・・・まあホントかウソかはわからないが、ともかくもローマ人ってヤツは今の日本人以上のサカナ好きだったことだけは確かなようだ。

それにしても、今も昔も伊勢エビは高級食材だったことは、変わりなかったんだな~。あっしはちょっくら嬉しいトコさね。

基本的な食べ方は基本的に茹でたり網焼きにしたりと、これも今とそれほど変わらないが、松の実や胡椒、クミンやコリアンダー、ハチミツ・・・そしてガルムで味を整えたソースを使うなど、味付けに関してはずいぶん今と嗜好が違っていたようだ。

※4  ガルムはローマ時代の万能調味料で、しょっつるやナンプラー、ニョクマムなどと同じ魚醤。瓶にアンチョビー(イワシ)と塩を交互に重ねて発酵させ、天日にさらした上澄み液を使ったというが、詳細は不明。古代ローマ人は、日本人が醤油や味噌を使うように、何にでもガルムを使った。

ローマ人はハチミツがお好き

食というのは、時代によって嗜好が変わる。

新鮮な伊勢エビのような海の幸なら、シンプルな調理法がいちばんだろうが、保存方法が限られていた時代は、すべてそういうワケにもいかなかった。

そこで塩やスパイス、ハチミツなどを使って「持ち」を良くするため、味はどうしても濃い目の、塩辛いか甘い味つけになったことが考えられる。

だからこそローマ時代に好まれていた、もうひとつの調味料はハチミツで――肉でも魚でもハチミツは使われていたんだな。当時、サトウキビがとれるインドは遠過ぎたため、甘みはもっぱらハチミツか果物の煮汁だったという事情がある。

肉などはハチミツに漬けておくと1年くらい保存できるというが、現在でも北京ダックなどの中華では、肉にハチミツが塗られることが多い。これは肉を柔らかく、味をまろやかにする下ごしらえとして、なかなか有効な方法なのさ。それに取り過ぎなければハチミツほど体に良いものはないからなあ。

ローマ時代の医食同源

ローマ時代は直接肉を火にかける「焙り焼き」は野蛮なもので、「茹でる」というレシピが進歩的なものとされていたらしい。血のしたたるようなステーキは蛮族の食べるものだったんだ。ローストをする場合は、あらかじめ茹でて血の気を抜いた肉を焼いていたらしい。

あらかじめ茹でたりしたら、肉の旨味が逃げてしまうというのが、今の考え方だが――おそらく当時は食材になる肉に臭みがあったんだろう。今だってローストして旨いのは、モトが良い肉の場合で――アクや臭み、塩気などは、一度茹でた方が良かったんだ。

茹でる時の水は、雨水を貯めたものが良いとされた。当時の医学では、雨水は体に良いとされ、ガルムやワインを薄める時でも、雨水が使われていたようだ。

中華料理の東坡肉(トンポーロー)は、豚のバラ肉をいったん茹でて臭みを抜き、醤油をしみ込みやすくさせているが――もしかすると、よく似た考え方なのかもしれない。

一度茹でた鶏や子豚に、オリーブだのナツメヤシ、松の実、ポロネギ。場合によっては塩ウニなんぞを詰め物にして宴会料理に用いていたという記述もある。

茹でた肉にハチミツをたっぷり塗って、ガルムとスパイス、ハーブのソースで味付け。そんな食べ方が古代ローマ料理では好まれていたのだろう。クミンは下痢止め、ハーブ類は整腸作用や食欲増進などと、そういったスパイス類は婦人病や解毒の薬として、今で言う薬膳の働きをはたしていたそうだ。まあローマ時代の医食同源ってことだったワケだな。

まあ、食い過ぎて糖尿や高血圧で死んだローマ人も多かったろうから、本末転倒の感じがしないでもないけどな。

さーて、時間が来やがった。

それじゃ、お客さん! 次回をお楽しみに!

マンマミーア・イタリアンーと来たもんだ! 
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レオナルド・ダ・ヴィンチは内臓フェチで、グロが大好き? 天才の謎とモナ・リザの秘密に迫る!

2015-03-13 07:50:01 | Weblog

レオナルド・ダ・ヴィンチは内臓フェチで、グロが大好き?
天才の謎とモナ・リザの秘密に迫る!

トカナ掲載のアート記事を転載します。

アート記事の掲載は、前回のボッティチェルリの記事から4ヶ月ぶり。
しばらくサボってしまいましたが、春先から新連載と引き続きアート記事の継続をする予定です。

今回はかのレオナルド・ダ・ヴィンチ。
とんでもないタイトルをつけられてしまいましたが、トカナのテイスト上、これは仕方ないかな(苦笑)。

ともかくも、お楽しみいただければ幸いです!

鶏つくねと根菜カレーを作りました。
今回は日語学院の卒業式でいただいた引き出物のお皿を使いました。使い勝手が良くすごい気に入ってます♪

↓ 過去のトカナ掲載はこちらからどうぞ!

第14回 メディチ家に愛された画家、ボッティチェルリの栄光と晩年 ―
 怪僧サヴォナローラに魂を奪われるまで

第13回 【故宮展】中国・宋時代の青磁の素晴らしさを知ってる? 繊細な技術と超絶技巧に迫る!

第12回 台北故宮展の「肉」と「白菜」がナゼお宝なのか
理解しかねる人のために、素晴らしさを説く!

第11回 「台北 國立故宮博物院」展の謎ーなぜ、中国の”とびきり”の秘宝が台湾にあるのか?

第10回 ヒトラーの嘘と絵画ー彼はなぜ芸術家になれなかったのか?

第9回 ドビュッシーやディズニーも影響された葛飾北斎!!

第8回 名画「富嶽三十六景」ができるまで

第7回 エッ、日本に鎖国はなかった!?
浮世絵で読み解く江戸時代~66年ぶりに公開、歌麿「深川の雪」~

第6回 レンブラント作品、作者は本人ではなかった!
17世紀の“ゴーストペインティング”問題とは?

第5回 芸術に“品格”は必要ですか?
カラヴァッジョ ~愛と男と激情の人生~

第4回 日本アート界にはびこる権力闘争、不正審査!

第3回 画家ジョット・ディ・ボントーネが見た”あの星”の謎

第2回 死体をモデルにして描かれたキリスト像~ホルバイン恐怖の絵

第1回 こんなの私じゃない! 名画をいらないと言ったわがまま娘たち

久々に大森の「ケララの風」に行きました。

ミールスのほかにもワダを注文。
和田さんじゃありません、ワダは緑豆から作った南インドのスナックです♪

 
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怒濤のペン入れちう

2015-03-12 09:01:23 | Weblog

昨日は震災から4年の311。

思い出すことは多いので記事にしよるとしましたが、ペン入れの原稿が山積ちう。震災については後日書いてみることにします。

普段はヒマなのですが、日頃の怠け癖がたたったのか、ここに来て〆切が重なり一緒に攻めてきました。と言っても、お酒も適当に飲んでますし、酒を美味しく飲むためのジムにも行ってます。

私は松本零士先生の「マンガ家になろうと思ったら、歯を磨きたいとか風呂に入りたいとか思ってはいけない」という言葉には、どうしても賛同できませんので・・ということは、言うほど忙しくないってことですね(笑)。

昨年の忘年会では、大学時代の友だちに「どうせお前、ヒマなんだから」と失礼なことを言われてしまいました。

2年ぶりくらい会うのに、どうして人が忙しいかヒマなのかわかるんだと思いましたが、ブログやFacebookをチェックしてるのね。

というワケで、ヒマなしるしか元気のしるしかわかりませんが、本日もブログUPです。ペン入れしたものは近く公開される予定なので、みなさまお楽しみに!

 
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