最近はテレビをつけても、YouTubeかCSを見ることが多いのですが、後者に特に多くて閉口するのが「若見え商品」のCMです。
「この人、いくつに見えます?」
「40歳? 45歳?」
「実は73歳なんです」
「ええ〜、見えない〜!」
「ぷるんぷるん」
「イ⚪︎マイマリ、ななじゅうろくさい」
いや、この手の広告…あまりに多いので、実はもう慣れたのですが(笑)。
もちろん、そりゃ男でも女でも若く見えるに越したことはないでしょうけど、この手の広告を見るちと、長く生きていながら…今までの人生の中で、何をしようとしていたのかと、しばし疑問符を打ってしまいます。
もちろん、年齢を重ねて年相応に身ぎれいにするのは大切なことです。
そのために、これらの商品を買う買わないは、もちろん本人の自由でしょう。
良い商品だったりするかもしれないしね。
ただ、70代の人が自分を40代に見せたいというのは、失礼ながら浅ましい気がします。そもそも、中身はもちろん容姿的なことでも、70代の人が40代より劣っているのかといえば、必ずしもそうとは言えません。
桃太郎のおじいさん、おばあさんは40代だったそうですから、時代で年齢の見え方は変わりますが、今も昔も人の寿命が有限であることには変わりません。
なんか、人生が有限であることを忘れているのではないかなあ。
若見え商品のユーザーと重ならないかもしれませんが、高齢者が暴走老人となって、若者を轢き殺したり…「死ぬのがコワい」と言って、若者の行動を制限するのは、何か根っこが同じところにあるように思えます。
また、トイレットペーパーを買い占めた高齢者や、ブチ切れてドラッグストアやコンビニの店員さんに暴言暴力をふるう人も然りですね。
そんな意味で、「人生百年時代」などという言葉を間に受けてはいけないと思います。
それは運が良ければ、100歳まで生きられるということでしょう。
長生きするなら、それなりの分別は持ちたいものです。
自分もそういう年代に近づいてきたので、「後が詰まってるんだから、ジジババは早く死ね」とは口が裂けても言えません。
でも、社会に向かって「お前ら、年寄りは早く死ねって言うのか?」と言うような老人にはなりたくないなあ。
第四回の「半沢直樹」を見て、あまりにおなかいっぱいだったので、しばらく見ないでいましたが、最終回くらいは見ておこうということで視聴してみました。
いや、さすが高視聴率を叩き出してるだけあって、面白かったなあ。さすが香川照之の大和田さんはもちろん、柄本明や江口のりこ、筒井道隆など、役者も気合の入った良い演技は、やや暑苦しさに閉口したものの、見せてくれたという感じです。
前回まで、超悪役だった香川照之の大和田常務が、何となく良いヤツになって味方になるあたりは、ターミネーター2を思い出しました。
ゴジラもガメラもそうだったように、ターミネーターでは冷酷非情な殺人機械だったシュワちゃんが、続編ではヒーローに変わるという、連ドラのセオリーですね。
白井大臣が胸にさした桔梗を、箕部幹事長が踏み潰すのも、ターミネーター2のオマージュかと思えるもの。
加えていうと、 ラストで香川照之演じる大和田常務の顔芸が、不仲と言われた父親の先代・市川猿之助そっくりだったのは、そんな縁を深く感じさせてくれました。
なんか、宙乗りでもはじめそうな感じで、血は水より濃いという言葉を実感させてくれました。
機会があれば、見逃した回も見てみたいですが、あの土下座はイヤだなあ。
自分がするのもイヤですが、されるのもイヤです。
土下座なんかされても腹がふくれるわけでなし、一文の得にもならないものね。
みなさまは、嫌いな人に土下座してほしいと思いますでしょうか?
ともあれ面白かったです。
写真は赤坂中華の名店、うずまき改め、うず担の担々麺と冷やし担々麺です。
ルーロー飯をつけて1200円。
今まで食べた担々麺の中でも一位と言って良い美味しさでした♪
家畜窃盗事件で初手柄 自転車に血痕「不審、追及」
コロナ禍の昨今、お米が盗まれたり、家畜が盗まれたりする事件が多発しているようです。その中で、外国人による犯行は少なくないのですが、それを指摘すると「差別だ」と叫ぶ人たちも少なからずいます。
この「差別」という言葉、誤解を恐れず申し上げると、犯罪者にとって誠に都合の良い言葉でもあります。
私はこういうシチュエーションで「差別」を使う人を聞くと、30年以上前、厚木で中学校の教員をしていた時を思い出します。
中二病などという言葉が、まだなかった時代ですが、その年代の子供は今も昔も変わりません。時に授業を抜け出して良からぬことをするので、教員の義務として注意するのですが、その時に出てくる常套句がこんな言葉です。
「サベツだ!」
「どうしてオレばっか」
「ショーコがあんのかよ」
「なんでオレだけ注意して、アイツらに言わねえんだよ」
この言葉に対して、彼らを諌めることができる言葉はなかなかありません。
だって、最初から注意を聞く耳がないんだもん。いわば確信犯ですね。
もちろん、その時の生徒さんたちはとうに四十路を過ぎているので、社会に出て今でもこんなことを言っている筈はありません。
しかしながら、明らかな窃盗や破壊行為を目の前にして、「差別」という言葉を使っている人種…それは犯罪者か、あるいはその片棒を担いでいる人間です。
推定無罪は近代法の原則ですので、法や治安に関わる人間なら遵守すべきですが、農家や畜産家は、それを待っていては泣き寝入りをしないといけません。
まあ、不必要な先入見を持つのは正直良いことではありませんが、日本人相手でも外国人相手でも明らかに、“これは危ない” とわかる感覚は大切です。
十把一絡げに人を差別をするのはいけませんが、明らかな犯罪を前に「差別」をタテに取るのは、被害者に対する差別とも言えます。
まあ、こんなことはブログ記事にすることではなく、各々が思っていれば良いことですが、差別の問題はなかなかややこしい。
みなさまは如何お考えになりますでしょうか。
写真は玉造温泉・長楽園で昭和天皇がお泊まりになった部屋のものです。
出雲大社詣で最終日の三日目。
長楽園の朝ご飯をたらふく食べたにも関わらず、せっかく松江に来たのだから日本海の魚を食べて帰ろうということになりました。
何軒かあるうち迷った結果、有名店の呉竹鮨で食べることに。
不思議なもので、腹一杯食べたはずなのにお昼時になると「お寿司くらいなら」という気になり、おなかがすいてくるのです。
実際にはお寿司って砂糖も塩もけっこう使うので、カロリーはそんなに低くないそうでなんですが(笑)。
お願いしたのは2300円のお任せです。
腰が低く陽気な大将が握ってくれました。
王道のウニとイクラ。いくらでも食べられます・・・なんて、ウフッ♪
そしてウナギ! 東京は鰻屋と寿司屋はハッキリ分かれてますが、松江は鰻を扱う寿司屋さんが多いようです。
鰻は串打ち三年、裂き八年、焼きは一生と言われる、扱いが難しい魚。
素人は身に串刺しをすることすら難しいそうですが、さすが老舗のお寿司やさんは違いますね。
いや〜馬勝った! 牛負けた!
次回松江に来る時も、 ここに来ようっと♪
出雲二日目、足立美術館の後は安来駅に戻ってから、タクシーで和鋼博物館に行きました。
ガイドブックには「地味そのものですが」と書かれた和鋼博物館ですが、けっこうオシにされていた上に、安来鋼を使った刃物を売ってるとあり、購入目的もかねて出かけることにしました。
和鋼博物館はその名の通り「鉄のミュージアム」。
日本で唯一のたたらの総合博物館だそうです。
物理学者だった父は、よく鉄のことを「特別な物質」と言ってました。
鉄は宇宙誕生の時の核融合、最後に生まれた究極の物質だそうで、ほかの物質と結びつくことで千変万化な姿を現します。
単純に酸素と交われば赤い錆になるし、炭素と結びつくことで鋼など鋼鉄に生まれ変わる。
安来鋼は大量の砂鉄と木炭を結びつけることで生まれた、刃物に使う最高の原材料なんだそうです。
▼3トンもの砂鉄と木炭を粘土で出来た炉の中に入れ、人力で三日三晩ひとときも休むことなく火入れをして生まれるのが、こちらの安来鋼。
労働基準法など通用しない神の世界ですね。
こうして出来た安来鋼は全国の刀鍛冶に届けらるだけではありません。
同じ工程を踏んで、工場で作られた鋼もまた、燕三条や岐阜の関孫六などに届けられて、立派な刃物となるそうで、良い刃物は原材料からして違うのですね。
お、重い! な、長い!
よく日本刀を持つと人を斬りたくなる、なんて言いますが、小心者のわたくしはとてもそんな気にならず。
究極の芸術品、工芸品でもありますので、むしろ魂を清める目的…あるいは戦わずして敵を制する抑止のパワーが、そこにみなぎっておりました。
さて、このミュージアムに来た目的は、安来鋼で作られた包丁とペティナイフを購入することです。
先ずはなまくらしか置いてない実家のために三徳包丁を購入。
そして、かねてから妻が所望しておりました、切れるペティナイフを拙宅に購入。
その切れ味たるや、驚くものでした。
うちの包丁は関孫六の貝印と、土佐の石鎚という、かなり切れ味の良いものを使っておりますが、それと比べてもダントツの切れ味です。
良い包丁がなまくらにならぬよう、 手入れを怠らずやらないとね〜♪
▲こちら枝豆と葛のお豆腐など、いわばお通しにあたるお皿です。
日本のお宿は食事つきなので、自由に店を選べないと外国人に不評だなんて聞きましたが、京都みたいにお店がいくらでも選べる観光地ならいざ知らず。
お湯に浸かり、飲み食いしたらすぐ床に入れるのは日本旅館の魅力です。
こちらは柿を牛肉、大根などでくるんだサラダ。
予約したJTBさんには二日目は肉でなく、魚介を中心にとリクエストしたところ、期待以上の御膳でおもてなしをしてくれました。
こちらはアワビのしゃぶしゃぶ。
コリコリした食感と思いきや、下ごしらえのおかげでしょうか。
柔らかくて旨味たっぷりでたまりません♪
白身魚を中心にしたお造り。
魚は釣りたては何でもプリプリして同じ味ですが、落として適度な時間を置くと、旨味が出てきて、その魚本来の味が出ます。
いや、絶妙な食感のお造りですね!
さて、こちらは…
松茸、鯛、海老の三種盛り。
日本海名物のノドグロの塩焼き。
シジミの炊き込みご飯、汁と香の物。
板長さんの本気が伝わる素晴らしい御膳でした。
玉造温泉でまた食べたい晩御飯です。
食後は玉造温泉を散策。
籔内佐斗司先生のフィギュアが随所にあります。
ご馳走さまでした!
コロナ禍で大変な時期ですが、がんばってください。
出雲大社詣での翌日、かねてから行きたいと思っていた足立美術館に行きました。
ここの日本庭園は美術館のウリでありますが、広大な面積と借景を自慢にしているだけあって、交通の便は不便な場所にあります。
最初はレンタカーも考えましたが、ペーパードライバーでもあり、運転すると周りの景色が見えないことで、時間を合わせて電車とバスを乗り継いで行きました。
石見銀山に行った時に乗れなかった山陰本線に乗り、玉造温泉駅から安来駅、そこから送迎バスで足立美術館に行ったのですが、思ったより簡単に行けました。
庭の素晴らしさは聞いていましたが、聞くと見るとは大違い。
これを見るだけでも行く価値がありますね!
昔、北大路魯山人は好きでなかったのですが、料理と合わせてみると、趣のある作家ということがわかりました。
知識と教養がないと、この作品は作れませんね。
充実のコレクションに堪能。
思ったより品の良い金の茶釜にびっくり。
さてさて、肝心の収蔵された日本画作品ですが、もちろんこれらは素晴らしい!
横山大観展も、以前生誕150年記念で開催された近代美術館以上のものでした。
この週末、出雲に行って参りました。
出雲大社に参拝するのは、今回で3回目です。
最初に行ったのは大学3年の時で、 巨大な本殿に驚愕し、昔はさらに巨大だったことを知り、2度びっくりした覚えがあります。
2回目は2011年で、うどんチェーン店どんどんの壁画の仕事で行きました。
もう9年も前のことになるのですね。いや、時の経つのは早いものです。
その点、今回の旅は出雲大社へのご挨拶が目的。
前々から計画を立てていて、春くらいに行こうかという話になっていたのですが、コロナ禍など想定外のことがあって、今回の旅となりました。
GoToキャンペーンに合わせていく予定が、東京だけ外されるという、さらなる想定外のことが起こりましたが、「行ける時行っちゃえ!」と勢いで決めたわけであります。
心配していた天気は曇りのち晴れという感じで、暑いくらい…というか、暑くてたまらないほどでした。
出雲大社は見えない世界の祀りごとを司るところだそうで、縁結びの神様というのは、そんな意味もあるんだそうです。
面白いもので、出雲の神様は結びつかない方がよい人とは、決して縁を結んでくれないそうです。人が望むものと、神様が良かれと思うことは違うというわけですね。
そんな意味で、今回の出雲参りで良かったことは、神様に何もお願いしなかったことでしょうか。望んでお願いしても、神様の世界は人智の及ぶものではありません。
とにかくご挨拶だけをしに詣でることが出来たのは、良かったと思います。
いや、邪心がなかったわけではありませんよ。
単にお腹が空いていただけなんですが(笑)。
参拝後は大社前の田中屋で出雲そばと冷やし善哉をいただきました。
それにしても、東京モンが地方に行くと石を投げられる…なんて話がありましたが、島根の人たちはみんな親切です。
観光に携わる人たちはもちろんですが、電車であった地元の人も、イヤな顔ひとつせず、行き方や道など教えてくれました。
「東京モンは来るな!」と言うのは、ほんの一部の人だけに思えました。
東京もGoToキャンペーン、解禁になりますから、どんどん利用して経済をまわしましょう! 今日は100人、200人なんて報道、ほんとにバカみたい。
アカデミー賞作品賞、2024年から新たな基準
出演者・スタッフなどの多様性を求める
昨日、たまたま見かけた記事ですが、作品の中身と関係ない、出演者やスタッフの人種の数の平等性などが、作品賞候補の基準になるという話です。
特定の人種しか出てこない映画だってあるだろうに…まあ、そういう場合も考慮しての基準なんだと思いますが、「差別」に対して歪んだ忖度をしているように思えます。
さすがは、禁酒法を実行してしまった国。
ハリウッドは俳優もスタッフも民主党よりが多いので、2024年からは本当にこの基準が実行される思いますが、どこに行こうとしているのやら…ですね。
ジョン・ウエインの時代、映画「駅馬車」で、インディアン(現在の呼称はネイティブ・アメリカン)は悪役でした。
今では、そんな映画は間違ってもできません。 もっとも、「駅馬車」の中身は変わらないわけで、「ああ、昔はこうだったな」というのが健全な感じ方なんだと思います。
そういえば昔、かのマイルス・デイヴィスが、自分のアンサンブルに白人のビル・エバンスを入れた時に、黒人仲間から「何で、アイツは白人を入れたんだ」と揶揄されたそうです。
これは逆差別のひとつの例ですが、なんか、このアカデミー賞の基準に近い気もいたします。
ちなみにマイルスの歴史的名盤「カインド・オブ・ブルー」で、バックのピアノを弾いているのは、たしか白人のビル・エバンスと黒人のウイントン・ケリーでした。
雨の土曜日、買い物に上野に行く予定でしたが、どうせなら遠回りしても、その前に十条商店街にあるカレーリーブスに行こうということになりました。
去年の9月は十条梅の木で展覧会を開催、その期間中3回のイベントコンサートをしたのですが、入りたいと思っていたカレーリーブスには時間が合わず行けずじまい。
1年ぶりのリベンジ訪問となりました。
本格 南インドのカフェ&レストラン。
看板に偽りなしです。
私たちが注文したのはベジミールスとノンベジミールス。
ノンベジは、ベジにチキンビリヤニ とタンドリーチキンが加わった豪華版。
タンドリーチキンもナンも、もとは北インドはパンジャブ地方の料理。
南に住むインド人の中には、存在すら知らず「それはいったいナンだ?」と聞く人もあり・・・なんて、ウフッ♪
でも、そこは日本人相手の商売ですから、こだわらず出すのですが、タンドリーチキンの旨いのにびっくり!
パッと見、タンドリー窯は見当たりませんでしたが、多分置いてるんでしょう。
タンドリー独特の香りがたまりません。
サンバルもラッサムもトーレンもバターミルクも最高のお味!
それにしても、つい10年ほど前は南インド料理はポツポツあった程度です。
この形式の大皿定食は、北インド式にターリー(大皿)と呼ぶことが多かったけど、最近はミールスという呼称が主流かな。
ともかく、噂通り十条のカレーリーブスは最高の南インド料理店でした。
夜もアルコールが出ないのは残念ですが、これはもちろん再訪アリですね♪
先日、渋谷の若者が昔に比べてまともになったという記事を書きましたが、それじゃ、昔のバカモノ(若者)はどうなったかといえば、いなくなったわけじゃなく、そのまま年を重ねただけなんですね(含私)。
昨日も86歳が高校生の孫を「カッとなって刺した」というニュースがありました。
裏事情は知らねど、さすがに86歳といえば私の親の年代なので、そこまでカッとなる高齢者は珍しいですが、60代70代でブチ切れる年配の人は少なくないようです。
そういえば、私が小学校3年生くらいだった時…今の赤坂5丁目交番の先で、当時20代くらいの男性から首にチョップされたことがありました。
その時の状況を文章で説明するのが難しいので、マンガにしてみました。
▼こんな感じでした。
まわりにいた女性たちが「ひどい」「ひどい」と言っていたのは、よく覚えてますが、ものすごく悔しかったのを覚えています。
この時の若者がどうなったか、知るよしもありませんが、普通に生きていれば70代前後になっているでしょうか。
天下の大道で、子供にこういうことをする人間が、年を重ねてマトモになるとは考えにくい。たぶんこういう人がキレる高齢者、暴走老人になっていくんだろうな。
それにしても、私が子供の時分には、けっこうこういう若者がいましたね。
実際に暴力をふるわれたのは、この時だけですが、若者転じて老人になる。
海苔漁師がリストの難曲「ラ・カンパネラ」を弾いてる動画が話題になっている。
そんな話を妻から聞いて、最初は意味がわからなかったのですが、早速YouTubeを見てびっくりしたのが上の動画です。
本当に漁師のおっさんが「ラ・カンパネラ」を弾いとるわ。
かのフジコ・ヘミングの「ラ・カンパネラ」に感銘を受けたという、佐賀県川副町の海苔漁師・徳永さんが、一念発起して7年間、毎日8時間の練習をして弾けるようになったというリストの「ラ・カンパネラ」…。
いやいや、いくら努力しても7年間、毎日8時間の練習程度で、この曲を弾けるようになる人はいないでしょう。
これを見て、いちばんびっくりしたのが音楽関係者じゃないでしょうか。
それまでになるまで52歳まで、ピアノも音楽もまったく縁がなく(奥さんは音大主審)、楽譜が読めないので、耳と鍵盤を当てはめる動画で練習したそうです。