小暮満寿雄 Art Blog

ダジャレbotと間違われますが、本職は赤坂在住の画家です。作品の他お相撲、食やポリティカルな話も多し。右翼ではありません

ヤマガタ・サンダンデロ「クジラの会」第二回に出席しました〜来年発刊予定の奥田シェフ新刊『クジラレシピ』の壮行会でしたが、まさにクジラはスーパーフードでした!

2024-04-30 11:22:57 | Weblog
▲さらしクジラのマンゴージンジャー酢
2月に開催されたクジラの会、好評につき先週の金曜に第二回が行われました。
クジラは下ごしらえに手間がかかるため、今回も江戸料理の草分け・うすいはなこシェフとの共同作業。
はなこシェフ自らの工房で調理したものを、ヤマガタ・サンダンデロに持ち込んで、奥田シェフが仕上げた圧巻の12皿でした。
▼くじらのオイル寿司。

左からニタリクジラ、ミンククジラ、イワシクジラ、ツチクジラ。
同席したドクターと意見が一致したのは、この中でミンククジラだけが給食で出たお味で、ほかのクジラはどれも記憶がなかったことです。
前に聞いた話では、昭和40年代に給食に出た鯨はナガスクジラという、一番大きくて旨い鯨だったそうですが、なぜ味の記憶があるのかは、まったくわかりませんでした。わかったことはクジラは種類によって、まったく味が違うということかな。
▼クジラのトマトフォンデュと半生フリット。

▼ゆでうねす。いわばクジラベーコンです。

▼クジラロースト、生コショウ・レフォール。

私はステーキでもウエルダンが好きなので、クジラもやっぱりローストが良いですね。パクチーとバルサミコ酢のバランスが素晴らしい!
▼さえずりと紅白ハリハリスープ。

下ごしらえに24時間かかるというさえずりのスープ。
これは珍味!
▼クジラのハンバーグ

▼クジラベーコンとキャベツの煮込み。

キャベツといっても黒キャベツ、いわゆるカーボ・ネッロです。
強い食材には強い野菜を!
▼くじらのガツトリッパ風

食べるのに夢中で2品ほど撮影を忘れましたが、どれも素晴らしいお皿でした。
また、食べてる時のパンチの強さに比べて、食後の負担がまったくなく、翌日の体調も素晴らしいのは、まさにクジラがスーパーフードたる所以でしょう。
クジラの脂というのは融点が低く低温でも固まらなかったので、昔は重宝されたようです。かのペリーが黒船に乗ってやってきたのも、鯨油を求めての寄港地を探していたからですね。
昔はさんざんクジラを獲っていながら、今になって捕鯨は残酷だというのも不思議な話ですが、それはまた別の機会に(笑)。
来年発刊予定の奥田シェフ新刊『クジラレシピ』ですが、もちろん私がイラストを担当いたしますので、そちらもお楽しみに!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東上野のフレンチの名店ランビアン・ドゥースで夕食をいただきました。

2024-04-26 11:24:46 | Weblog
今年になってブログ更新が遅れています。
多忙というほどでもないのですが、ヒマというわけでもなく(笑)、なかなか更新に時間を割くのが難しくなってきています。
とはいえ、お店に行ってご飯を食べてる時間くらいはあるので、まずは書きやすい食事情報から書いていきましょう。
こちらは東上野のフレンチのランビアン・ドゥース。
店主がワンオペでまわしてるお店です。
味、コスパとも最強!
すみません、今日のところはこんな感じで…。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ブランクーシ〜本質を象る」見てきました〜素晴らしいの一言ですので、みなさま是非見に行ってくださいませ!

2024-04-15 09:36:15 | Weblog
週末、京橋のアーティゾン美術館で開催中の「ブランクーシ〜本質を象る」を見てきました。
ブランクーシは美大時代から好きな彫刻家でしたが、まとまって開催するのが難しい作家なようで、こうした個人の展覧会ははじめてでしたが、いや、素晴らしいの一言ですね!


ブランクーシは一般的には抽象彫刻、モダンアートの部類に線引きされやすい作家です。しかし実は作品すべてが具象作品であり、さらに一般的なモダンアートにあるような難解な作家ではありません。
「現代美術はよくわからない」
ブランクーシ展は、そう思ってる方にこそ見てほしい展覧会でした。
私は展覧会を見終わったあと、妻に「ブランクーシのどこが良かった?」と聞かれたのですが、しばらく考えてこう答えました。
「ん〜、つるつるしてるところ」

モジリアニを象ったような彫刻!
むずかしいことはヌキにして、彫刻のつるつるした材質感はたまりません。
金属の彫刻は、見る角度によって輝きが変わり、時にレーザービームのような光が目に飛び込んでくるのは何とも言えない快感です。



シンプルな中に、さまざまな物象が入り込んだ作品とでも言いましょうか。
ブランクーシ展は7月7日まで開催。
必見です!
それでは以下、ネットミュージアムをお楽しみくださいませ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どこまで線引き?〜ジェンダーフリー。

2024-04-11 10:56:18 | Weblog
一昨日、子供に絵を教えていた時のこと。
やんちゃな男の子Aくんがクマのプーさんのぬいぐるみを、女性の先生の顔めがけて投げつけていました。昭和の時代…20代の教員時代でしたら大声で叱っていましたが、そこは令和の世。大きな声で叱るのは避けないといけません。
さりとて、投げつけたものが硬いものであれば、大人であってもケガする危険があるので注意は必須です。
とっさに私は、Aくんの目をじっと見て「女の人の顔にモノを投げつけたりして、キミは男として恥ずかしくないのか?」と言いました。
するとAくん…意外と素直に「恥ずかしい…」と言って、おとなしくなりました。
言った直後、(ありゃ、これってジェンダーフリーの立場だったら、NGな注意の仕方かな?)なんて…。いやいや、間違った指導だとは思いませんが、人によってはクレームをつけるかもしれません。
ぬいぐりみを投げられた先生は、そのあと懲りずにいたずらするAくんに「何も持ってない女の人に、そんなことしていいの?」と注意してました。悪い指導ではなかったと思います。
もちろん何も問題が起こってないので、これは私の勝手な想像をふくらませて書いてるだけですが…。
令和の世になり、昭和の理不尽なパワハラが解消されつつあるのは良いことですが、一方でこうしたジェンダーフリーについて、どこまで線引きされて良いのか昭和生まれにはわからないところです。
たとえば最近の新しい商業施設のトイレは、男女を色別にしてませんから、わかりにくくていけません。急いでる時などはたいへん難儀します(真顔)。
また「男らしく」「女らしく」などが言葉狩りの対象になりますけど、それは平等が大好きな人が口にする「みんな違って、みんないい」と矛盾するのではないか?

まだ5〜6歳の子を見ていても、女の子と男の子は明らかに違います。
クラス会では「男子があまりにバカなんで、びっくりしていた」なんて言われますが、男の子というのは、そういうものです。
ところで新しくスタートした朝ドラ「翼と虎」、面白く見ています。
劇中では法律家を目指す女性たちを揶揄する男たちが出てくるけど、こんな人たちって、ほんとにいたのかな?
今の世の中で、彼らみたいなこと言ったらエラいことになるなと思いながら、楽しく見ています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

教えている子供たちを見て思いました〜私は生まれ変わっても、若返っても、同じような道を歩むのだろうな…と。

2024-04-10 10:54:12 | Weblog
▲子供の教材用に私が見本に作ったダルマくんです。出来は…(笑)♪
新聞紙を丸め、その上にお花紙をフノリで貼っていく工作です。
お子さんに絵画造形を教えはじめて2週目になりました。
よく「負うた子の教わる」と言いますが、色々な意味で子供に教わることは多いですね。
「栴檀は双葉より芳し」という言葉があります。
意味は「白檀 (びゃくだん) は発芽のころから香気を放つ。大成する人は幼少のときからすぐれているというたとえ」とありますが、この言葉…解釈のしようでは“すぐれてない人”にも当てはまるのです。
というか、すぐれた人、普通の人、すぐれてない人。
すべての人は最初の発芽の頃から持っているものがあるのです。
「栴檀は双葉より芳し」は、すぐれた人に使う例えですが、実は「三つ子の魂百まで」とよく似た言葉です。厳密には違いますが。
外では「ママがいない、ママがいない」と泣き叫んでいるのに、教室の中に入って、おやつを食べ終わったらいきなり威張りだす子。
おしゃまで先生に命令する子
黙々とずっと作業をする子。
さっきまで一所懸命作業していながら、いきなり乱暴をし出す子。
いや、これはセンダンかどうかわからないけど、みんな新芽ですよね。
一方で私はこんなことを思いました。
昔から「ファウスト」みたいに、若返ったり生まれ変わったりして、別の青春を歩み出す物語があるけど、自分は意外と同じような道を行くんじゃないか。
世間では、若い頃にこれをわかっていたら、もっと違う人生があるんじゃないかなんて言う人もいますけど…いやいやアンタ。
そんなことわかってたら苦労しないんだって!
さっきまで「ママ、ママ」と泣いていながら、おやつ食べたら威張り出す子を見て、そんなことを思いました。ああ、自分もこうだったなって(笑)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

巨匠マウリツィオ・ポリーニさん追悼〜作曲家の内面にここまで入り込めるピアニストはいないだろうなあ。

2024-04-04 11:13:48 | Weblog
誰もが現代最高のピアニストと認める巨匠、マウリツィオ・ポリーニさんが3月23日にミラノの自宅で逝去されました。残念です。
享年82歳は、今ならまだ活動できる年齢に違いありません。
18歳でショパンコンクールで優勝し、かの大ピアニスト、アルトゥール・ルービンシュタインに「彼はここにいる我々審査員の誰よりも上手い」と言わしめたほどの才能の人でした。
しかしながら、そのあとコンサート活動を一切せず、10年くらい音楽家としての研鑽を積んでいたのは、この人らしい生真面目でストイックさです。
これは私たちがイタリア人に持っているイメージとは真逆の性格ですが、 けっこうイタリアってこういう人が多いんだよね。
でもポリーニさんの音はクリアで明るく理知的、芸術の国イタリアらしくもありました。若い頃の演奏は、冷たい、硬質と評されることもありましたが、それは音楽の持つ数学的な分割を忠実にしていたからだと思います。
マウリツィオ・ポリーニの名演は数あれど、私にとって一番はやはりベートーベンのピアノソナタ全集です。
1975年から2014年という39年間かけて完結させたという、ベートーベンのピアノソナタ全集は、まさに空前絶後です。
これはポリーニさんの演奏すべてに言えることなのですが、作曲家が伝えたかったことが細胞レベルで伝わってくることです。
もちろん演奏技術とか、音の美しさなどは言うまでもなく素晴らしいのですが、聴くほどにベートーベンが何を音楽で言いたかったが伝わってくるのです。
特にベートーベンのように、人が立ち入ることのできない高みに到達した作曲家には、特にそれが際立って伝わります。
森を散歩するベートーベンの姿、星空を見上げるベートーベンが思い浮かぶとでも言いましょうか。
それはショパンやシューマンなどでも同様ですが、これだけ人の内面に入り込める演奏家は、なかなか出てこないだろうな。
というわけで、最近は毎日のようにポリーニさんの演奏を流しています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

知識やスキルは必ずしも人間を成長させない〜「キレる老人」になってしまうのはなぜ?

2024-04-03 13:54:09 | Weblog
昨日のブログの続きです。
昨日のブログ記事の中で…
仕事に関しての技能的なことや、処世術みたいなことは年齢を重ねて覚えていくものですが、それとは別に人間は性根の部分では変わらないものなようです。
…と書いたのですが、 この話を妻にしたところ、「それは水平的成長じゃない?」と言われました。
そこで妻に話を聞いて調べてみたところ、「成人発達理論」というものがあることを知りました。それが昨日ブログで書いたことと、腑に落ちたので記事にいたします。
成人発達理論では、成長には「水平的成長」と「垂直的成長」の2つがあるとされているのですが、
で、両者を要約すると以下のような感じ
1、水平的成長とは知識量の拡大・技術の質の向上につながる成長のこと。知識や技術、専門性を獲得するのが水平的成長に当たります。
2、垂直的成長はものごとを柔軟に判断していける状態で、いわば人間としての器の成長。多様な価値観を受け入れ、多角的な視点を持ってものごとを進めることができるようになります。
知識量が増えると成長したように感じられるかもしれませんが、それは水平的成長であり、垂直的成長ではありません。
そうですよね。
知識やスキルが上がることと、人格的なことって、同じようで違います。
物知りになったり、歳を重ねたりすると、それなりに人間が出来てくるような気がしますが、そうとばかりも言えない。
反対に「能力のない人格者」というのも困ったものですが、知識や能力は訓練なしに身につくものではないので、そういうケースは少ないのかな。
そういえば友人のドクター(歯科医)が、「自分は子供の頃からまったく変わってないようだ」と言ってましたが、それは長年かけて知識やスキルを身につけたことは置いておいて、この垂直的成長のことを言うてたのでしょうな。
近年とみに増殖中の「キレる老人」というのは、この垂直的成長がなされないまま年を重ね、年齢が高くなって自分はエラくなったと、勝手に勘違いしていることから来るのかもしれません。
そう言えば先日、子供さんとこんな会話をしました。
「せんせ、日本で一番最初にバナナを食べたのは誰だか知ってる?」
「いや、知らない」
「ヒントね。ほんのうじでころされた人」
「え? 織田信長?」
「そうだよ、信長が日本で最初にバナナを食べたんだよ」
びっくりして、あとでネットを見たら、ルイス=フロイスから献上された…という説があるそうです。
聞いてみれば、この子…歴史が大好きだそうですが、信長がバナナを食べたかの真偽は別にして、知識はこうして積もっていくのでしょう。
続きはまた後日。写真は昨日の上野公園です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新年度から週二回、お子さんに絵を教えることになりました〜三つ子の魂百まで。

2024-04-02 11:26:35 | Weblog
新年度になりました。実は縁あって、昨日から週二回ほど、お子さんに絵を教えることになりました。
ご存知の方もいらっしゃると思いますが、私が一番最初に職を持ったのは、神奈川県厚木市で2年間の中学校教員(臨時採用職員)生活を送ったことでした。
はからずもウン10年ぶりの“先生”をすることになったわけですが、その時とはまったく子供に対する視点が変わったことに自分で驚いています。
中学校の教員をしていた時はまだ20代で、自分と生徒の年齢がひとまわり前後しか違いませんでした。そのため、生徒にナメられまいと本気で怒ったりと、何かと粋がっていたですが、さすがに今回はそういうことはまったくありません。
もちろん教える相手が中学生から、8歳未満の子供に変わったということもありますが、それだけではありません。
当たり前の話ですが、「三つ子の魂百まで」という言葉があるように、人間にはいくら幼くても人格というものがあります。
その人格というものが、教員時代に比べてなにやら見えるような気がしました。
しかしながら、そう感じたのは私が人間的に成長したのが理由ではありません。
理由は正反対。自分自身が子供の時に比べて、少しも進歩していない点があることが、この年齢になってわかったからなのです。
いや、もちろん20代の時に比べて進歩したことはいっぱいありますよ。
絵は…少しは上手くなったかな(笑)。
たとえば仕事に関しての技能的なことや、処世術みたいなことは年齢を重ねて覚えていくものですが、それとは別に人間は性根の部分では変わらないものなようです。
昨日、前の先生の引き継ぎでモビール作りをしました。
出来合いのモビールキットがあるのですが、ビーズの穴に糸を通す作業や、結び目を作る作業が小学校入学前後の子供にとってはハードルが高い。
あきらめてやらない子、黙々と作業を続ける子、先生に全部やってもらおうとする子、歌う子、難しい作業のなのに、アッという間に完成させてしまう子。
ああ、人とは最初からここまで違うものなのか!
年齢が幼いうちは、まさに素の部分が隠されずに出ます。
それを人格と呼んで良いのかどうかはわかりませんが、もとから持っているものが幼いうちはハッキリとあらわれるものなんですね。
そういえば、私も亡き父によく言われたものです。
「お前のやることは、やることなすことしまりがねえ」
瓶の蓋をキチンと閉めない、油彩の絵の具の蓋も閉めない、もとあったところに戻さない。
いやはや、三つ子の魂百までとはよくぞ言うたもの。
この子たちも、素の部分はきっと百まで変わらないんだろうね。
そんなことを思いながら、どんな大人になるのか想像したりしてみました。
とにかく楽しいお絵描きを一緒にしたいと思っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新年度になりました〜久々のブログアップは『アチャールくんカレー』です。

2024-04-01 10:20:08 | Weblog
写真は石川県白山市のイオンモールにできた、『奥田シェフプロデュース うどん&カレーのお店・イノベーティブ白山うどんとアチャールくんカレー』の入り口です。
ちょっと長い店名かな(笑)。
ここ1ヶ月は2〜3回のブログアップが激減していたのは、この新店舗のポスターやらメニューなどの仕事を突貫工事で行なっていたというわけでした。
いや、忙しくてもブログアップできる方法は色々あるのですが、怠けてしまって反省かな。
奥田政行シェフにより『アチャールくんカレー』は近日発売予定ですが、それに先立って、誕生秘話のマンガをご紹介いたします。
続きはまた明日以降、お楽しみに!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする