小暮満寿雄 Art Blog

ダジャレbotと間違われますが、本職は赤坂在住の画家です。作品の他お相撲、食やポリティカルな話も多し。右翼ではありません

映画「ツリー・オブ・ライフ」を見て

2011-09-02 09:17:19 | Weblog
昨日、原稿の締め切りが少し延びたのをいいことに、フラフラと映画館に足を運びました。
(たまたま昨日は映画の日。1000円だと思ったら、9月までは900円♪)

選んだ映画はあの「ツリー・オブ・ライフ」。
作った映画がこれを入れて5本という、幻の巨匠テレンス・マリックの最新作で、
賛否両論といいながら、誉めてる人の話をほとんど聞かない芸術映画です。

私もこの人の作品は、正直苦手。
いちばんエンターテインメント性がある「シン・レッド・ライン」すらも、
途中で寝てしまったほどの男です。

面白い映画であることは期待せず・・・でも、いちおうマリック作品だからと足を運んだところ、
最初の20分ほど、ストーリーのない瞑想的な自然描写には完全に爆睡!
時々、目を覚ますとNHKスペシャルの科学ドキュメントさながらに
恐竜が映っていたり、地球誕生のCGが映っていたりと、意味不明な描写が続きます。

目が覚めると子供の葬儀の場面になっていて、旧約聖書「ヨブ記」の一説が詠まれています。
ああ、マリック作品とはわかってはいたが、
この人・・・とうとうここまで来ちゃったのね、
なんて思っているうちに、次第に不思議と画面に引き寄せられていきました。

ブラッド・ピット演じる横暴な父。
小さな子供たちの反抗と、その間に挟まる母。
自然豊かなアメリカの田舎町。

私が育った環境とはまったく違う人生がそこにあるのですが、
見てるうちに、自分の家族や友人にあったことが、走馬灯のように思い出され、
なぜか涙さえ流れてくるではありませんか。
(どこがどうと説明できないところが不思議)。


映画に直接関係ない話になるのですが、以下、おそらくはこの映画に流れる本質的な話になると思います。

最初の地球誕生の描写は、ない方が良いという声も多いのですが、
これは宇宙が出来あった時に生まれた物質、成分が、
私たち人間を含む生命体を構成しているという考えによるものでしょう。

日常にある家族の軋轢も、実は宇宙の営みのひとつである。
エンターテインメント性は別にして、マリック監督にとっては外せない描写だったにちがいありません。


また、神が苛烈な試練を次々にヨブに与える、旧約聖書の「ヨブ記」は、
もっともキリスト教、ユダヤ教の根幹となる教えであり、
横暴な一神教の神の姿が克明に顕されてるもの・・・
私は今まで、そう思ってきましたが、実はそうでないことに気付きました。

昨日、たまたまヒンドゥー教の話をしましたが、
多神教に思われてるヒンドゥーですが、実は宇宙全体が神であると考える一神教です。
(俗に言う汎神論。シヴァやヴィシュヌは宇宙の一部の化身と考える)。

これはキリスト教、ユダヤ教のように、
神から人間にダイレクトに命令するトップダウンの一神教とは違うのですが、
実は「ヨブ記」に関しては、横暴な神の話であるにもかかわらず、
宇宙全体が神であるという、
ヒンドゥー教的、密教的な考え方が色濃く出た教えではないかと思いました。
(そこに、かのユングがあれほど「ヨブ記」にこだわった理由があるのでしょう)。

そして、マリック監督自身もそうした考えを持つひとりではないかと思った次第です。

そうは言うものの、最初の20分は寝てしまったわけで、
この映画を評価しないという人が多い理由もわかります。
間違いなく素晴らしい作品ですが、人にはすすめられません。

おそらくは、この映画の真価は、私を含めて理解していない人が多く、
もう少し時代が下ってから評価されるのかもしれません。
覚悟して、もう一度見てみようかな。

汎神論については、世界でいちばん美しい物語をオススメします。
拙著「シエスタおじさん」のベースにもなった書物です。


レオナルド・ダ・ヴィンチにしても、空海にしても、宇宙や世界の本質に近づける人は、
人里離れた僻地で生まれ育った人が多いのですが、
自然を相手に日々、子供時代を過ごした人は、そんな力が身に付くような気がします。
マリック監督はどうだったのだろうな?
コメント (6)
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