小暮満寿雄 Art Blog

ダジャレbotと間違われますが、本職は赤坂在住の画家です。作品の他お相撲、食やポリティカルな話も多し。右翼ではありません

羽黒山五重塔のお姿は

2010-05-08 10:30:18 | Weblog
イル・ケッチァーノで食事した翌日は、奥田さんの案内で羽黒山の周辺に行きました。
どーでもいいけど、この人の運転・・・普段はすげー飛ばすんだよね。
「お手柔らかに」とは言いましたが、
こちらは滅多に運転しないゴールド免許なので、ついて行くのがやっとです。
農道を通ると、タイヤと車体の間に木の枝や小石がガリガリ入る音が聞こえます。
うう、レンタカーに傷でもついたら大変じゃ。
(などと、大自然を背景にセコい心配をする私でした)。

この日はあいにくの曇りで、山のスケッチはできなかったので
「このあたりも見ておいてください」ということだったようです。
奥田氏とはそこでご挨拶を済ませ、
私たち夫婦は、この機会に羽黒山山頂の出羽三山神社まで行くことにしました。

出羽三山とは、羽黒山、月山、湯殿山の総称。
昔から修験道など山岳信仰の聖地として知られるところです。

以前から山形は東北文化圏とは少し違うなと思ってましたが、
伝・平将門の創建という羽黒山の五重塔を見て、それを確信。
平安時代までは朝廷文化圏の最北端だったのですね。

歴史は勝者の歴史、などと言われますが、
坂上田村麻呂の蝦夷征伐にあるように、東北地方は朝廷に反逆する一族の集まりでした。
アテルイという蝦夷の指導者は、坂上田村麻呂との闘いに破れ処刑されたと言いますが、
その名は当然ながら教科書に出てくることはありません。
アテルイは現在の岩手南西部出身の武将。
名前からして、当時の日本人の発音と違います。

その点、羽黒山五重塔のお姿は完全に奈良や京都にあるものと同じ系統です。
こんな凄い五重の塔が1000年も前の東北地方にあったなんて驚きです。
(現在のものは600年前に再建)。
でも、山形って古いお寺や神社がいっぱいあるんだよね。


なんて能書きをよそに2446段の石段を登り、羽黒山山頂に向います。
はじめは神秘的な杉林に感動しましたが、二の坂を登ったあたりでだんだんキツくなり、
景色どころでなくなり、ダラダラとみにくい汗を流しはじめます。
これは石段のキツさによるものなのか、私自身の肉体の加齢によるものなのか?
帰りの下りでは完全に膝が笑いだし、体を横向きにしながら降りていきました。

山頂でお抹茶をいただいたりしてウロウロしていたこともあり、
往復で3時間くらい山中を堪能したでしょうか。
都会のネズミたちは、濁った体が何となく浄化された気分になったのでありました。

ところで帰り道で見かけた女性。
派手なピンクのハイヒールを履きながら、ヒイヒイ言いながら登ってましたが、
その靴じゃアンタ・・・素足で歩いた方がまだマシかもよ。
山を完全にナメてますな。
コメント (4)
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