津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■潜伏キリシタン 江戸時代の禁教政策と民衆

2014-07-12 10:39:46 | 書籍・読書

 天草の崎津教会と周辺の集落が、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の世界遺産申請の構成地として脚光を浴びています。
そんな中 「講談社選書メチエ」メールが送られてきた中に、5月9日発売のこの本が紹介されていました。時をえたものと思い読んでみようと思っています。 


                            潜伏キリシタン 江戸時代の禁教政策と民衆 (講談社選書メチエ)
 
                   講談社

内容紹介
キリシタンとはそもそも何か。
近世の「宗教弾圧」と「近代の解放」を再考し、民衆宗教の実態を検証。「隠れ切支丹」の虚像を覆す。

幕藩体制下の禁教政策により、厳しく弾圧されてきたキリスト教徒=キリシタンは、江戸幕府が倒れ、明治新政府下では信仰の自由が認められ、解放された――。一般にこのように思われている「日本社会の近代化」は、歴史の真実といえるだろうか。そもそも、「キリシタン」とは何なのか。従来のような「ひとつの村が、近世初期から明治まで、ひたすら信仰を守り続けた隠れキリシタン」といった平板な理解に再考を促す。
例えば、非キリシタンであったにもかかわらず、領主の苛政への反発から一揆を起こした民衆を「切支丹」として弾圧した事例や、一方で、藩内のキリシタンの存在を隠すために、問題行動を起こさないキリシタン百姓を藩が黙認していた事例、また、キリスト教とはかけ離れた民衆信仰でありながら「切支丹」とされた事例などを取り上げる。これらの事例を見ていくと、西欧語の訳語である「宗教」の名で人々の信仰が管理・統制されるようになった近代が、近世よりも解放されているとはいいきれないという。
「キリシタン」をめぐる宗教政策の変化と実態を丹念に探り、近世における宗教観、歴史と宗教のかかわりに新しい視野を提供する。


目次
序章 キリシタンを見る視座
第一章 「伴天連門徒」から「切支丹」へ
 1 キリシタンの登場と近世日本の統一権力
 2 「伴天連門徒」という認識
 3 島原天草一揆の性格
 4 宗門改制度の成立
 5 踏絵の二面性
第二章 「異宗」「異法」「切支丹」
 1 異端的宗教活動への規制
 2 浦上崩れと天草崩れ
 3 異端的宗教活動という枠組み
第三章 島原天草一揆と「切支丹」の記憶
 1 近世社会における“異端”の象徴
 2 「切支丹」イメージの貧困化
 3 近世人のキリシタン知識
第四章 異端的宗教活動から「切支丹」への転回
 1 「切支丹」の登場
 2 「切支丹」たちの人生
 3 京坂「切支丹」一件の位置
第五章 信仰共同体と生活共同体
 1 潜伏キリシタンの信仰共同体
 2 潜伏キリシタンの生活共同体――天草の場合
 3 潜伏キリシタンの生活共同体――浦上の場合
 4 属性の重層性
第六章 重層する属性と秩序意識
 1 キリシタン禁制と「仁政」
 2 信仰隠匿から信仰表明への転回
 3 村社会における宗教的確執
 4 キリスト教は解禁されたか
終章 宗教は解放されたか?
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