津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■天皇家に入った谷家の血

2024-06-14 06:53:52 | ご挨拶

 実は後光明天皇のことを少々調べていた。
後水尾天皇の御子らしく中々面白い天皇で、仏教や和歌を嫌い、源氏物語や伊勢物語などは軟弱だと排し、朱子学に傾倒されるなど
激烈・直情径行的な性格であったとされる。

生母は園家12代当主・基任女、園光子(壬生院)である。
光子の弟・基音の女も又後水尾帝の仕えた国子であり、その子が霊元天皇であり後光明帝の後を継がれた。
そんなこんなことを考えていたら、ここから横道にそれた。細川藩士・谷家へと導かれていった。

 丹波山家藩の谷衛友は細川忠興の盟友ともいうべき人物で、衛友の没後その遺言にある五男・衛長の遺蹟相続の実現のために幕府への
働きかけなどに尽力している。

しかしながら、幕閣の理解を得られず四男・衛政が相続した。そのために細川家は衛長を召し出し、細川幽齋の末弟・好重の末娘・幾久
を娶らせている。

谷衛友の末娘が公家・園基音に嫁ぎ、その娘が後水尾天皇の典侍となった藤原国子(新広義門院)である。
そして国子が為した御子が後の霊元天皇である。

後水尾帝については以前取り上げたことがあるが、徳川秀忠女・和子(東福門院)が入内し、女一宮を生みこれがのちの明生天皇である。
その後異腹の弟宮・後光明天皇が即位され、その跡を霊元天皇が即位されている。

           2500石内分
 谷衛友---+--衛成---衛之
     |
     +--吉長
     |      2000石内分
     +--衛勝---衛清
     | 16000石相続
     +--衛政(大学)・・・・→丹波山家藩主・10,000石
     |                
     +--衛長・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→肥後細川藩・谷家
細川幽齋弟 |  ‖ 
三淵好重ーー●幾久
     |     1500石内分
     +--衛冬(宇兵衛)
     | 後水尾帝典侍
基任ー+ーーー園光子(壬生院)----後光明天皇     |
   | |       

   | +--●  後水尾帝典侍
   |   ‖-------藤原国子(新広義門院)----霊元天皇
   +ーー園基音

   【其の他衛友には、娘(谷某室)、娘(沢瀬某室)、娘(藤江元園室)がある】

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