元和という年は、十年二月三十日改元され寛永となる。しかし小倉細川藩の「日帳」での最終記録が上記の如く残されている。先に存在しない日付での「お書出」をご紹介したが、藩庁の記録さえもこのようなことがある。(一部閏四月、五月などの記録が混入している)
実は、元和十年三月十二日の「日帳」の記録には、「年号替申事由、式部殿(松井興長)より被仰下候、寛永、二月朔晦日」とある。朔晦日というのがよく分からないが、「朔」の字の脇にチェックが入れられているところを見ると間違いであろう。三十日=晦日が正解である。
現代に於いては、改元ともなると大騒動になるところだが、何ともゆったりした話でこんな具合である。
実は、元和十年三月十二日の「日帳」の記録には、「年号替申事由、式部殿(松井興長)より被仰下候、寛永、二月朔晦日」とある。朔晦日というのがよく分からないが、「朔」の字の脇にチェックが入れられているところを見ると間違いであろう。三十日=晦日が正解である。
現代に於いては、改元ともなると大騒動になるところだが、何ともゆったりした話でこんな具合である。
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