津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

忠興公年表から(三)

2013-06-24 08:39:20 | 熊本史談会

・天正七年(1579)七月~十月 丹後国に出陣

・    同年     十一月    伊丹城兵降を乞う。一族の多くが誅殺さる。 
                     城主荒木村重去る九月密かに逃亡す 

・天正八年(1580)四月二十七日 於青竜寺嫡子忠隆誕生 熊千代・与一郎・従四位下侍従・休無

・    同年     七月     藤孝丹後国拝領、八月入国

・天正十年(1582)三月     信長に従い武田勝頼を攻める。(武田家滅亡す)

・    同年     六月二日  明智光秀織田信長本能寺に於いて弑逆

                                

             六月九日 忠興父子に対し、光秀味方を乞う(上記書状)

             期日不明 藤孝剃髪して隠居す、忠興室・玉味土野に幽閉さる

             六月十三日 明智光秀山崎の合戦にて敗走、土民に誅せらる

 

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