津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■「拾集物語」を読む (六)

2014-07-13 17:47:52 | 史料

                          一、萬治改元つちのへいぬの年
                            此年之正月朔日におびたゝしき大風ふく 此年之
                            正月三日の夜ゟ丑寅の方向に赤雲毎夜たつ 此年之
                            正月七日の夜熊之庄町甚助と云油荷之子念之敵三
                            人害す 此年之正月又々江戸に大火事 此年之二
                            月九日に糸田村次郎右衛門と云人之女房邊田見村に
                            なわれうちする 此年之二月十七日に邊田見村彦
                            七と云者之後家の馬石子をうむ石大小六つ自分慥
                            に見之候邊田見村之田畑有之候石のはだあひ石
                            の様子同前之石にて候彼馬の子御奉行所に被召上
                            候 此年之三月五日ゟ西光寺堂之棟上祝自他之旦
                            那其外おもとしたる人々不残祝に酒飯の振舞有之
                            三月五日より同廿三日迄 此年之三月九日寒風冬
                            とひそしく山々におびただしき雪見ゆる 此年之
                            三月廿七日さるの刻より同ゐの刻迄熊本坪井大火
                            事本家四百餘軒やくる 此年之四月五日の夜横野
                            村之方に大だひこにてがくする音きこゆるよこの
                            ゝ方へは早川村之方に左の如く聞ゆる 此年之五
                            月十二日大洪水 此年大小麥わろし 此年六月五
                            日の夜やま下孫左衛門宅へ盗人忍入候てかけ硯之
                            小箱取所中之者其庄屋に寄合彦山之牛王をやき面
                            々身はれにのむ同廿五日之日御舟市にて盗人とら
                            ゆる 此年之六月廿七日の夜大風ふく 此年六月
                            六日より大雨ふり出し同十二日迄ふりつゞき候其
                            うちに折々洪水同十二日に古今無類の洪水鵜之瀬
                            ひぐりさぶたきるゝ有安村之前川のともきるゝ七
                            十餘間 此年夏ひやし六月土用に大寒田をむしく
                            ふなり 此年七月大日でり 此年御船町に川尻正
                            行寺隠居寺初て建立寺號法光寺 此年かみなりす
                            くなし 此年八月廿日に北の大風吹大洪水 此年
                            より當所権現十月十日前々之祭日に祭取立はじむ
                            る 此年之十月比より大きゝん 此年木わたすた
                            る此年比より惣而木綿すたる此年之十一月九日い
                            ぬの時に東の方より火いで候て西の方にとふ空中
                            よりいで空中にいる 此年之冬よりくずね山に諸
                            郡村々深山廣野に参候 此年の暮に銀百目に大麥
                            四石小麥二石斗米二石二斗粟三石うりかひ 其砌御惣
                            庄屋手永/\より人夫立之覺
                               一、豊内手永之人夫三千九百五十人
                               一、横田手永同三千九百二十八人
                               一、木倉手永同三千七百八十四人
                               一、鯰手永同四千三百二十四人
                               一、沼山津手永同二千九百四十四人
                               一、矢部手永同二千四百五十五人
                               一、河江手永同三千七百四十六人
                               一、杉島手永同二千五百九十一人
                               一、砥用手永同二千三百一人
                               一、廻江手永同二千三百一人
                               一、中山手永同二千三百七十三人
                           此年あそ神主友貞公御初御参内之御奉加御座候此
                           年延壽寺出雲國より歸寺 此年上嶋村神々一所に
                           宮建立 此年より當所天満宮之御祭禮むかしのま
                           ねかたにはじむる
                         一、同三すちのとの亥の年
                           此年自分落髪 此年きゝん春銀百目に米一石七斗
                           大麥三石八斗小麥二石八斗粟二石七斗 此年四堂
                           崎いびに成る當所いでさき所はじめていびになる
                            此年之二月廿五日大寒雪ふる 此年三月廿六日
                           大あられふり麥いたむ 此年大小麥悪し 此年い
                           せ宮火事并御鹽焼太夫殿一人火事 此年夏きゝん
                            此年八月五日中之大風ふく 此年太守様御用木
                           砥用山より川下し六百人かゝりの大木壹本 此年
                           八月ゟ十一月迄日でり 此年より甲佐三宮御神事
                           踊はじまる 此年甲佐宮寺前々之通にたつ住持に
                           は大信坊早川村圓福寺より神宮寺へ入寺 此年之
                           十月下益城守山村八まん社邊の者の子熊本に小者
                           奉公致居候がおやの處に参候に原道にて無量の童
                           部來り候てすまうを可取とてねぢかかりつかみか
                           ゝり致候に付すでに気をうしなひ可申様有之候處
                           に向より侍一人被参候のがおびにつぶてをゆひつ
                           けて是にて打拂ひ/\致候へと教へて通られ候に
                           其通に致候へはわらべ共迯ちり歸り候て親に此事
                           申候に親八まんの法印に語り聞せ候へば法印被申
                           候はそれは八まんの御使にて可有之候其帯を可見
                           とて見被申候にわにぐちの緒にて候産神故悪魔を
                           はらひ被下候と仰候て其帯八幡の寶殿に納められ
                           候由常樂院の咄にて候 此年疫病はやる 此年之
                           冬従公儀疫病退治之御祈祷阿蘇宮藤崎宮に被仰付
                           阿蘇宮よりは一千座の神楽藤崎宮よりは護摩之御
                           礼緒郡村々に御たて被成候 此年之十二月極日子
                           の刻より西の方に火飛ぶ 此年大豆高し銀百
                           目に二石 此年米たかし
                         一、同三かのへ子の年
                           此年正月十七日之夜無頼之大雷鳴 此年之正月十四
                           日江戸大火事 此年右同月同日に尾張駿河御城下
                           も火事と申候沙汰有 此年豊後鶴崎に大火事 此
                           年の春より大力もの相撲取申候者共従公儀秘遊御
                           穿鑿被召出候人々   
                             一、はりがね          南郷           権太左衛門
                             一、よこ車            鶴崎          半太兵衛
                             一、大竹             同            蔵太左衛門
                             一、ねざゝ            久住           門太兵衛
                             一、内の牧            同            久太左衛門
                             一、朱山             熊本新壹丁目    源太兵衛
                             一、有合             同うる山町      清太兵衛
                             一、こざらし           同鳥屋町       針之助
                             一、からくさ           同            雲右衛門
                             一、そろり            同出京町       徳太左衛門
                             一、おきのかもめ       宇土           浅太左衛門
                             一、八角            たかはし         三五太兵衛
                             一、十八            菊池           傳右衛門
                             一、小町            玉名           三郎太夫
                             一、吉野川           同            三太左衛門
                             一、大せひ           同            左市太夫
                             一、かいのくち         同            善太兵衛
                             一、うと山            宇土          六郎太夫
                             一、たぐりなわ         たまな         安太左衛門
                             一、たかはし          うと           一二太夫
                                江戸より御やとひ被遣候御すまう取
                             一、七夕
                             一、ともはる
                                此両人松平出羽守様之御相撲取
                             一、ふじなわ
                             一、こみだれ
                                    此両人は殿様江戸にて被遊御抱被遣候
                                    右同
                           此年熊本成満寺御流罪被遊御免歸寺 此年五月よ
                           り七月迄大日でり 此年太守様御座船横四間長サ
                           十八間に川尻にて被成御作候 此年之五月廿八日
                           に大坂之御城雷火人多く死す此年之六月より十月
                           迄豊後國に切支丹あらはれ數百人はこにいり長
                           崎へ通る 此年松平陸奥守様御行法悪敷御座候と
                           て御隠居従 公方様被為 仰付候 此年天下に恠
                           事多し 此年甲佐三宮之鳥居たつ鳥居木は津志田
                           村八幡の杉八まん修造の為にうる 此年の八月圓
                           福村に大慈寺道心者自休入院 此年の九月十二日
                           に川尻大慈寺へ参候て寒巌和尚の御直筆大渡橋之
                           御勘文拝見舎利并からのきんのだい色々中にも第
                           一之寶物は綸旨右拝し候 此年江戸一のあやつ
                           り太夫喜太夫といふ者熊本かうらい門にて太平記
                           をあやつりにいたし候
                           此年の九月比米大豆高直銀百目に米壹石七斗大豆
                           二石 此年の九月圓福寺前田之中に前々よりたこ
                           ゝ有之候六地蔵石圓福寺内に自休司取引入被置候
                            此年之十一月十五日之夜晴天に此わちがへあ        
                           ざ/\と見ゆる
                           
                           
                                  

                                

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「拾集物語」について (Sagawa)
2014-07-13 19:57:24
申し訳けありませんが、今までの(一)から(六)まで、印刷させて頂いてます。お許し下さい。私も「肥後古記集覧第四集」を見て「一太郎」で響原合戦記など書き起こしています。大変勉強になります。
ご活躍をお祈り致します。
返信する
Unknown (津々堂)
2014-07-13 20:29:19
ご覧いただきありがとうございます。お役に立てば何よりです。
返信する

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