天草島原の乱に関する古文書を読んでいたら、「なた長刀」という言葉が出てきた。
一揆軍がこれで襲ってきたというのである。なんとなく想像はついたのだが、一応ググってみると上の図が紹介されていた。
また下の写真のような品物が現存しており「筑紫鉈長刀」と紹介してある。名前からすると九州北部ではこういう形のものが古くから存在していたらしい。
こうなるともう立派な武器である。
天草島原の乱に関する古文書を読んでいたら、「なた長刀」という言葉が出てきた。
一揆軍がこれで襲ってきたというのである。なんとなく想像はついたのだが、一応ググってみると上の図が紹介されていた。
また下の写真のような品物が現存しており「筑紫鉈長刀」と紹介してある。名前からすると九州北部ではこういう形のものが古くから存在していたらしい。
こうなるともう立派な武器である。
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