津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■細川護美の大村益次郎評

2024-02-23 06:58:51 | 人物

 一體先生は淡泊無我な人であって、一寸私が見舞に出ても直ぐに戸棚から『シャンパン』でも出して、今日は一杯上がらんかと云う塩梅で、極く感心の人である。然るに軍事上の事ことに付ては、実に・・・其結果即ち今日の陸軍の制度のなったのでございませうが、軍事上に就ては、如何にも卓識で、軍略上の其他軍制上に関しては、どうしても何人よりも一番能く分って居る。例へば、北越の戦ひに幾ら兵を出す、之は弾丸は幾らで宜しい、弾薬は幾らで宜しい、此戦ひはどう云も具合にすれば勝てると云うことをちゃんと前以て極められる。私は陪席して実に驚いた。果していつでも先生の言はれる通りになる。それから上野の彰義隊の戦さにしても、総て元講武所で先生が勉強されて、東京に近い所の地理は、畢竟軍事の考があるから、詳しく知られて居る。東京の一寸言へば裏道でも承知して居られる。そこで兵の配置抔でも能く出来る。戦争が始まってから先生はどうかと云うて人が見舞ふて見ると、先生は却て昼寝をされて居ると云う様なことであった。あの頃の人で所謂西洋の戦争、今日の軍事的の考を持って居った者は珍らしいと思ひます。その性質は洵に純粋の人で何も世情に頓着ない。併し軍事上になると熱心に注意してやられる。さうして極、無口である。先生の軍事的兵事上に詳しいことは、先生のやうな人は、其頃は無論だが今日に於てもさう沢山はあるまいと私は考える。『大村先生逸事談話』P5

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