八九八「度支彙凾 文政元より五迄 法令條諭・十九」
口上書
一右者御家老職被仰付候
藪 内蔵允殿 (7代政純 2,800石)
三淵永次郎殿 (10代澄湍 5,000石)
右者御中老被仰付候
右之通ニ付觸支配方えも相知せ可申旨、御用番被仰聞候
條、左様被相心得、御支配方えも可被相知候、以上
(文政四年)四月七日 御奉行中
御中老とはかっては旅家老とも呼ばれ、江戸詰の家老職をいう。
薮内蔵允は「文政七年甲申三月二十三日 奉藩命赴于江都 四月七日病歿于赤石舟中 於」(藩命を奉じて江戸に赴き、帰国の途中四月七日明石沖の船中で死去)したとある。
奇しくも就任から三年目の同じ日に職に殉じたことになる。遺骸は付き添っていた家臣により熊本に運ばれ、四方池の山地に葬られた。
現在この地は、四方を民家に囲まれ行く手を阻まれている。何方かのご了解を得て入るにしても、斜面地であるだけに入るのが困難である。大いに憂慮している。
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