数枚ある竜ノ口邸絵図の内、唯一地震之間の書き込みが確認できる「享保初比ニ而茂可有之哉」絵図である。
○印で囲んだところの下段に「地震之間」とあり、その上には「御次之間」とある。建物全体が、地震屋としての構造であるのかどうかは判断できない。
(この絵図に於いては右手(北)が道を挟んで道三堀に面している。上がいわゆる大名小路、左手に玄関がありお向かいは松平伯耆守屋敷である。
玄関をでて西(上)に向かうと竜ノ口で、そのまま直進すると和田蔵門、和田蔵門の手前を右折して内堀にそって道なりに進むと大手門となる。)
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