2006年に書いたブログ「田邊籠城衆・上羽氏」にコメントをいただいた。本名を名乗られてのことで、ご連絡いただくようにお願いをしている。
田邊城の籠城衆に上羽新兵衛、小右衛門の二人の名前が見える。
昨日は宇土細川家の先祖附をながめていた。偶然は重なるものでこれが役に立った。上羽又右衛門家の先祖附を読んでいると、上記の名前は出てこないが、上羽如庵なる人物が田邊城に籠城したことが記されていた。あいにくのことだが、如庵なる人物が、新兵衛なのか小右衛門なのかは窺い知れない。いずれにしても、籠城衆のご子孫が又一人判明した。ご連絡いただければ、たちまちこの事も解明できると、ご連絡を心待ちにしている。
田邊城の籠城衆に上羽新兵衛、小右衛門の二人の名前が見える。
昨日は宇土細川家の先祖附をながめていた。偶然は重なるものでこれが役に立った。上羽又右衛門家の先祖附を読んでいると、上記の名前は出てこないが、上羽如庵なる人物が田邊城に籠城したことが記されていた。あいにくのことだが、如庵なる人物が、新兵衛なのか小右衛門なのかは窺い知れない。いずれにしても、籠城衆のご子孫が又一人判明した。ご連絡いただければ、たちまちこの事も解明できると、ご連絡を心待ちにしている。
メールアドレスが分からないのでコメント欄よりお便りいたします。
久しぶりにブログを拝見させて頂き「海里」って誰?ってことに
なってたことを知りました。
津々堂様のブログは宇土や上羽についてネットで色々調べていて
辿り着きました。ちなみにその時ネット上で他に見つけたのは↓
http://www.pref.kumamoto.jp/uploaded/life/1043312_1078486_misc.pdf
先祖の上羽に関する情報ですが、小さい頃から母から聞いてきた
ことが元なのでもう一度母に尋ねてみましたが歳もとって記憶も
不確かなため申し訳ない内容で…
・昔は参勤交代していたが細川氏が外様になったことで宇土へ…
・曾祖父は宇土の城代家老をつとめていた(それについては宇土
史という本に書かれているとのこと(曾祖父は『勧孝邇言』を
著した上羽勝衛で上羽勝衛に関する資料は↓
http://kyouiku.higo.ed.jp/page2022/002/005/page2337.html
・家紋は女紋が抱き茗荷、男紋はよく覚えていない(丸に十か蛇
の目紋のどちらかだったと思うと母は言っている)
というものです。
勝衛さんから先の先祖については自分できちんと調べられていな
くてすいません。
船木丹後守様のご先祖と関係があるのかどうか母に聞いてみまし
たが、丹後の上羽家とはどこかでつながっているかもしれないが
うちは丹波の上羽さんとはまた別の家になるのではないだろうか、
と母は申しておりました。
過去帳は祖母が管理、持っていたが今はどこにあるのか分からな
いということなので探してくれるよう母に頼みました。
見ず知らずの人間にいきなり「親戚です」と言われて、その後の
フォローもなしということで津々堂様、船木丹後守様には不快な
思いをさせてしまったのではないか…と思いましたのでとり急ぎ
メールをいたしました。
ブログ上でメールアドレスは公開できないため上羽和仁様と直接
連絡をとることはできないのですが、上羽様とのご連絡が可能に
なるようなことがあった折には宜しくお伝えください。
今後先祖については母からもう少し詳しく話を聞いてみます。
だいぶん暖かくなってきましたが奈良のお水取りが終わるまでは
急な冷え込みもあるだろうからお体に気をつけてお過ごし下さい。
突然のメールすいません。
今後のブログも楽しみにしています。では