津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■「旦夕覺書」--月・4

2015-02-28 07:42:46 | 史料

                一、數十年心つけ見候に江戸被 仰付候か又は役儀に付十人か九人は被 仰付候につけて願申内にて家
                  内の或は娘の婚禮の用意なとゝ差當る御奉公に入申外に自分の用にたて申事多く候 尤知行物成の内
                  にて相應/\に心かけ子供の為に仕候事は本より其筈の儀夫も相應より内に心得可申事に候 千年傳
                  右衛門御國にて御巡見の時願事の外かろく御座候 元より拙者事能く被存候 兼々存候 併今度脇の願の
                  邪魔に成候程にと頭差圖にて候由傳右衛門申聞候 左様に候はゞ脇々の為にと被申候事夫には構不
                  申と申儀も心に叶不申其通と申候 是は頭により何卒申立によりさのみ脇の願の邪魔にも成間敷事と
                  乍存右之通りにて事濟申候 各心に能く心得差當る御用程願被申私用に心當被仕候はゝ 天罰蒙り可
                  被申候 神以拙者覺申候 目あしく成り勝手能も不慮の事多く後に不勝手に成悪事多く數人神そ/\心
                  には能く存候故 天罰と存候へ共同類大木世の中にて夫もそふ是もそふ皆々外にも有事と天罰と思
                  ふ者すくなく候 老父被申聞候事覺居申候昔しも今も同前と思ひ當り申候 貮百石にて定江戸おごり不
                  申候 何としても跡先の用不足仕候 壹貫目御座候へは貮百石にても事足り申利なしに借候はゞ休息候
                  時ぼつ/\拂可申なとゝ存る處に存不寄御加増被下候 其時分一貫目上に當り偖々難有奉存親よりは
                  くわほふ生れ増申候 親被致拝領候はゝ三人の子供に米にても夫/\わけて可給候 兄に遣候とても請
                  可被申様なく候 三盛は勝手別て不調法にて度々三友に頼被申候事能く存三友に必々三盛りに申間敷候
                  差つかへ申時遣候へと頼申候 神以返し申様に不申候得共三友方々ゟ返したる事覺申候 又存候は兄弟三
                  人にて六百五拾石にて候 昔し片山自庵も六百石山田竺印六百石老父も六百石は被下間敷物にてもな
                  く被致拝領三人の子に分け呉被申候 其三盛角入両人に五百石わけ可被申候 弟の儀拙者には百五拾石
                  分可被申候 然れは親の子を思ふは世の習ひにて候 如斯の道理に五拾石被下候事は親に増した
                  る御恩てんのめくみと八十に少も失念不仕候 傳右衛門事は如形能く心得致案堵候 三悦・幸右衛門・傳右衛門
                  申合随分心かけ天道恐れ必々真實に萬事尋其外彦四郎・尉九郎・三郎兵衛何もむつましく寄合候ては互に
                  吟味いたされ堀内中唯今迄壹人も御勘気蒙りたる者無之結構に被召仕候 各子々孫々迄悪名請不申様
                  に天道恐れ慎可被申候 左候はゞ彌繁昌可被仕候

                一、和田十郎兵衛新知三百石大組に被 仰出候由方方ゟ知せ申候 拙者其時は御中小姓にて金津助十郎屋
                  敷借り居申候時にて用事有之候て夕方衆議に参へしと折節七八寸の江鮒賈に参候故手前調鉢に入
                  れ遣申候處に舎人殿其外兄弟衆他人の歴歴居被申候處に十郎兵衛持参して傳右衛門祝儀を呉れ申候 御
                  覧候得とて打寄大笑の由後に承候 暮方に参候得は誰も戻り被申小川次郎右衛門・宇田彌二兵衛・織部殿
                  以来之五名にて和田と咄居申所へ参候へは偖々今日の御祝儀は忝は候へ共舎人屋敷へ江鮒の鉢に入
                  れたるは初てにて何も誰誰も見被申候て笑被申候由被申候故いかにもいかにも左様に可有之候 併世
                  上不相應の事多く御座候 私中小姓には少過たると存候へ共今日の目出度さに進上申候 偖御自分には
                  御家の古き事御存被成ましく候 次郎右殿・宇田殿は御存可有候御備頭の御次男御舎弟には三百石被下
                  大組に被仰付候 氏家源助殿は二百五拾石被下御小姓組に其時節長鹽源太殿・青木権之助殿・南部・土山は
                  皆々五百石被下候得共氏家同前に御小姓組に御入被成候へ共御番御供は御免被成候譯有衆にて可有
                  御座候 氏家は備頭にても無御座候得共家がらにて貮百五拾石被下候と皆々批判承候 今日三百石御拝
                  領被成殊更大組と御座候は誠に/\兎角被申ぬ目出度事に存候 随分御勘略被成馬をも御持被成候へ
                  と申歸申候 重て参候時舎人殿御申候は先日十郎兵衛に委細に咄治部右衛門なと咄聞候 偖々尤成る
                  事重ても能々御家の事咄聞せ可給候由御申候 終に馬持不被申候 馬具一通りに氏家甚左衛門殿よりも
                  らひ被申咄は承候 舎人殿全盛之時織部殿存生の内は貮拾人扶持被下候織部殿母方の叔父にて先代清
                  正公の和田備中子孫と申傳候

                一、拙者新知被為拝領時分右の和田十郎兵衛被申候は此間清助・彌一右衛門・七右衛門と申談候 拙者は格
                  別に舎人殿懇比成る事に候間そば粉に何そ肴そへ被送候はゝ打寄そば切給へ祝ひ可申と内意被申候 拙
                  者申はいかにも私も其心はつき申候へとも如御存新知被為拝領即刻借銀願申候右之通の儀に私に御
                  懇意と申我身の祝ひに一銭にても遣申候はゝ却て舎人殿御心に叶申間敷と神以何にも遣不申候 如斯
                  兄弟衆十郎兵衛差圖と申候はゝ十人か九人は幸と存遣可申候 此後も心付け可被申如斯拙者は天道を
                  恐れ申候 折々母を振舞候 相伴に伯父共被参候事は可有之候 他人に出來合ふづ汁は打寄り給申候 終に
                  舎人殿・十左衛門殿呼不申残念には存候 土之進出生にて下着の刻舎人殿御申候そなたは有無にしわき
                  と思ふと御申候故何と思召候て左様に思召候やと申候へはいや/\男子出生にて祝ひ申せおれなら
                  は結構に祝可申とお笑ひ候 

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