亀井夜雨
病院深宵話 病院深宵の話 亀井協同隊病院の夜のことです
林々夜露鳴 林々として夜露鳴く 冷たい雨の音だけが鳴くように響いています
一人先涙下 一人先んじて涙下る 一人の若者が手当ての甲斐なく先んじてしまい、私は涙しています
更不對床声 更に對床の声せず 枕を並べた負傷者たちからはもう何の音も聞こえません。
壷渓
絵の中央部下に協同隊病院とある。
協同隊とは、植木学校を中心にし、専制政府を否とすることは同じ考えだとして、薩軍に呼応することに決した。明治10年2月20日、同志40名は保田窪天満宮に集結して出陣式を上げ、平川 惟一を隊長に、宮崎八郎を参謀長にえらび、檄文を読み上げて隊名を「共同隊」と定めた。隊は翌21日薩軍本営に入ったが、隊士はのちに400人をこえた。(菅原神社案内板より)
亀井のこの病院はかっての亀井城の跡で亀甲山光照寺を協同隊専用の病院としたのだろう。
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