津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

疱瘡という病

2008-01-31 11:25:45 | 歴史
 昭和42年WHO(世界保健機構)は日本人・蟻田功氏(現・国際保健医療交流センター・理事長)をトップとして天然痘の撲滅運動を開始、昭和54年「天然痘は世界から根絶された」ことが宣言された。蟻田功氏は我が誇るべき熊本県人である。現在では天然痘と呼ばれる病気だが、江戸期においては「疱瘡」とよばれ大変恐れられた病気だ。緒方洪庵の研究による切痘によって予防が成される事になった。その天然痘予防の活動を幕府が公認するのは、安政五年(1858)のことである。

 「一度疱瘡に罹患した人は二度とは罹らない」ということを、人々は知っていたらしい。貴人の乳母を勤める人は、疱瘡の罹患経験者が多かったという話もある。

 寛永八年十二月忠利室が疱瘡に罹ったが無事本復した。「六(光尚)事少も煩不申候」と喜んでいたら、寛永十一年十二月その光尚が罹患している。周囲の心配は極に達するが大事に至らず無事本復したわけだが、その喜びの報告書状には別途「疱瘡仕候衆」として、嶋津光久や木下俊治が本復したこと、立花忠茂室は亡くなったことなどが記されている。流行していたのだろうか。
 面白いのは医師半井成信が、「疱瘡ニ貝蚫大毒にて候、熨斗迄もあたり候由、二親兄弟おち伯母迄もくゐ候へハたヽり申由・・・」と言っていると記されているが、ばかばかしい話しだが、それ故にこの時代の疱瘡の恐ろしさを象徴している話しではある。
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