下の絵図と見比べていただくために、天地が逆さまになっています。
此の絵図は山口県文書館が所蔵する、毛利家の密偵が探索して作られたという慶長末期頃のものとされる「豊前小倉城図」である。
下に参考として表示する絵図は、小笠原氏時代の安政年間の小倉城下図である。比較してごらんいただきたい。
探索図は要点を良く捕らえているのには驚かされる。■印が天守であり、お城の周辺に重臣たちの居宅の位置関係が判る貴重な史料である。
(1)ないき殿(内記=忠利)、(2)長岡中務殿(孝之)、(3)屋ふ内匠(藪政一)、(4)長岡武蔵(有吉興道)、(5)加賀山隼人、(6)松井佐渡内子(長岡興長)などの名前が確認され、当時の細川家家中の勢力関係が伺えて興味深い。米田氏の屋敷が見当たらないのはどういうことであろうか?
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます