細川重賢公の側室に嘉門という人がある。御中小姓・小陳弥十郎の実妹である。小陳氏は元阿蘇家の家臣であったらしい。酒造業を営んでいたが、父弥吉の代に寸志1,000俵を上げて諸役人段となっている。そんな中嘉門は江戸藩邸に入り重賢の子二人の生母となった。
光尚の側室(綱利生母・清高院)実家の清水家は、召出され御家門同様の扱いを受け大身の身分になったのに対して、小陳家に対して重賢公はそのような特別扱いはまったくしていない。嘉門の娘は谷田部藩・細川家の七代藩主細川興徳室となった。男子・豪次は嫡兄・治年が病弱であったためその成長に期待が集まったがこれも三歳で夭折した。嘉門も25歳で亡くなっている。(詳細は蓑田勝彦氏の「細川重賢の側室・嘉門について」に詳しい。)
その小陳弥十郎に二人の男子があり、それぞれが漢詩を残しているのを見つけた。
掲載されている「采芹集・第八軸」をみると11歳から17歳までの人の七言絶句が27編が載せられている。時習館あたりでの成果かもしれない。
小陳清(弥十郎忰・小陳故太郎 十五歳)
■送人還蘇山
蘇山突兀接揺天 日照神社吐彩煙 仙鶴翩翩應有待 振衣好去白雲邊
小陳貞(弥十郎二男・小陳勝蔵 十一歳)
■已酉上日
氤氳瑞氣入新年 一樹梅花彩筆前 泮水東風春色動 絃歌聲沸萬家天
白文の解読はまったくできない私としては、只々驚くばかりである。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます