津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■迷子発見

2021-02-08 09:03:00 | 人物

 随分以前、東大史料編纂所発行の「大日本近世資料・細川家史料」の巻末にある人名索引を、すべてまとめて「人名索引」をつくり、その人物が同史料の何巻目に登場しているのかをWEBでご紹介したことが有った。
次のような感じである。( )の左の数字が巻数であり、右の数字は記事番号である。

   ○ 阿部正次 (2-344)(3-633・670)(4-934)(6-1519)(7-1717)(8-4・6)(9-103・104・111・158・359)
    永禄十二年三河に生る。徳川家康、秀忠に仕ふ。慶長五年四月遺蹟を継ぎ、書院番頭。同年十一月十七日従五位
    下備中守。一萬石を領し、鳩谷に居す。十五年五千石加増。十六年八月大番頭。元和二年奏者番。三年九月上総
    大多喜城主(三萬石)五年相模小田原城主(五萬石)。九年武蔵岩槻城主(五万五千石)。寛永二年十二月十一
    日朱印高五万六千石餘。三年四月六日大阪城番となり、摂津に於て三萬石加増。正保元年十月十五日従四位下。
    正保四年十一月十四日大坂城に於て歿。年七九。

 このサイトの寿命は誠に短かった。東大史料編纂所から御目玉をくらってしまった。当時の編纂所所長からの直接のご指摘であった。
索引を作ったという事よりも、説明文の引用が著作権の運用に抵触するというようなご説明であったように記憶する。
私はいまだに、このような索引が有れば、知りたい人物の記事が何処に掲載されているかが、たちどころに判るから大変便利だと自賛しているのだが・・。
結果としてすぐさま削除した。 https://blog.goo.ne.jp/shinshindoh/e/98d8d9c1cca09d5440cd6579fab7c5e3

 一昨日の事だがご厚誼をいただいているF氏から、ある人物についての問い合わせがあった。
この史料の事を思い出したのだが、どうしても引っ張り出せない。
仕方がないから、できる限りの刊本史料からご返事申し上げた。

 一度WEB上で世に出たものは、削除しても人知れずさまよっているから、何とか探し出そうと努力してみた。
ようやく功を奏し迷子を発見することができた。

   https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&fr=crmas&p=http%3A%2F%2Fwww.shinshindoh.com%2Fjs

F氏お問い合わせの人物はまだ登場していないところを見ると、このサイトを作成以後の巻に登場しているものと思われる。
自分用にまた整備してみようとも思っている。        

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