津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

白銀は「しろがね」、白金は「しろかね」・・?

2013-05-19 09:40:42 | 徒然

細川家八代(肥後細川藩主・六代)の重賢公を銀台公と尊称している。細川家下屋敷が白銀に在ったことに由来するという。 

石川昌子著「私の東京切絵図」を読んでいたら、『白金の地名は、古書に銀、また白銀とあったのを、のちに「白金」と改めた』と有る。p172
いわゆる白金長者が地名の由来だとされており、「白銀」には「しろがね」とルビがふられているが、なにか特別の意味があるのだろうか。「白金」から「しろかね」となったのだろうか・・よく判らない。
ウイキペディアで眺めてみると脚注に、[ 作家今東光は、谷崎潤一郎と話していて、うっかり「芝のしろがね町の……」と発言したために、「芝はしろかね。白金と書いてしろかねと言うんだ」「牛込のはしろがね。白銀と書いてしろがねと発音するんだ。明治になってから、田舎っぺが東京へ来るようになって、地名の発音が次第に滅茶苦茶になってきたな」と怒鳴りつけられたとのこと(『十二階崩壊』中央公論社1978年。p.250) ] とある。

うっかり津々堂も東光和尚の如く、しろがね邸などという事があるが、こころして「しろかね邸」と申上げなければならない。

 

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