津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

一条家と細川家そして天皇家・徳川家

2010-09-15 21:46:04 | 歴史
 一条家と細川家の関係を見ると、天皇家・徳川家と大変近い関係にある。
韶邦の家記を見ると、「明治五年六月五日大宮皇后宮臨驛アリテ品々ヲ賜フ」とある。
邰姫であるが初名は峯姫であり、養女ではあるが孫娘がまた峯姫を名乗り細川家に入輿した。一条家は代々公武合体派の公卿としてしられる。細川家の一時期の公武合体に向けての動きは、徳川家・一条家の動きに呼応したものではなかったのかとさえ思える。
忠香の生母はまさしく邰姫であり、昭憲皇太后を経て大正・昭和・今上天皇へとつながっていると考えられる。恐れ多くも賢きあたりのことを詮索するのは止める事にする。

 また現在の徳川家-細川家の関係を考えるとき、家定・慶喜につながるこの系図をみると納得がいくことではある。(徳川家現当主夫人は護立公の孫である)

    関白→准三后    +---実通 18歳で死去・弟忠香を養子となす
      一条忠良   |                    明治天皇
          ∥----+---忠香                 ∥
 細川齊茲---邰姫  |   ∥---------------+---美子(昭憲皇太后
               |  順子女王        |
      久我通名   |                +===  峯
          ∥====+---久我建通        |    ∥
 細川治年---就姫  |                |   細川韶邦
               +---秀子(継室澄心院)  |
               |   ∥            +=== 美智子
               |  徳川家定              ∥
               |                    徳川慶喜           
               +---知
               |
               +---通子
               |
               +---崇子
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