津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■川田順著「幽齋大居士」三三、近衛殿

2021-11-03 06:44:09 | 書籍・読書

      三三、近衛殿

 松永貞徳戴恩記から種を拾つて、紹介する。
 近衛殿が十五首の和歌を作つて、幽齋のもとに遣はした。幽齋これを見ると、器用
に詠んであるけれども、歌の本道にははづれてゐた。 「恐れあれば、難をば申し難
し。然し悪き所あるを輕薄に褒め申すも道にあらず。」と思案の結果、添削も批評もし
ないで、同題の和歌十五首作り、「御詠に引かれて愚老も斯の如く詠み候。」と返事を
したためた。かう返事したならば、自他の歌を見比べて悟るだらうと考へたのであつ
た。つまり、婉曲に批評したのである。ところが相手は悟りわろく、
「さすがの幽齋も麻呂の歌には感服したと見えて、唱和し來居つたわい。」
 と得意になつた。加之、取巻の連歌師どもに幽齋の返書を見せて、
「いづれの歌が勝ると思ふぞ。」
 といふ始末だ。取巻たちは無論追從を言つて、
「それはもう、ごぜんさまのが數段とすぐれて居られます。」
 と持上げたのだからたまらない。幽齋これを傳聞して、困つたものだと嘆息した。
 戴恩記には單に「近衛殿」とのみあつて、何人だかしかとわかりかねるが、大方
白信尹
のことであらうか。その他に、幽齋の弟子筋になる近衛家の人はちよいと見當
らぬ。信尹はすなはち有名な三貌院で、天下の能筆にして又慶長千首の歌人なるのみ
ならず、秀吉に憚られて一時薩州坊の津に遠流となつた程の苦勞人だから、幽齋の本
意を解し得なかつたといふことはあるまい。それは兎も角、この話の中身はなかなか
面白い。幽齋といふ人が心使ひのこまやかな人間であつたことがわかる。ポンとやつ
ゝけずに、先方が自發的に合點するのを待たうとしたなどは、武人ながら短氣でな
い。
 悟りの悪い人間は、「近衛殿」ならずとも古今無數にある。實はありすぎて困るの
だ。かういふ話も聞いてゐる。昔、何代目か觀世太夫が、弟子をつれて、夜おそく
鴨河の岸を歸つて來た。彼等の數十歩前を、一人の侍が謡ひながら行く。太夫、弟子
をかへりみ、
「あの謡、黙らせて見ようか。」
「大そう得意のやうですから、なかなかやめますまい。」
 觀世太夫はつかつかと武士の背後に歩み近づき、ただ一句發聲した。武士はぴたり
とやめてしまつた。名人の一句に驚いて、引きさがつたのだ。太夫のいふやう、
「あのお侍の謡は、極めて上手なのだ。それだから黙ってしまつたのさ・」
 實に佳い話だと思ふ。この武士は藝の優劣をわきまえてゐる。だから名人の一句に
驚いて引きさがつたのだ。觀世太夫の謡はうが、梅若太夫が謡はうが、自分の下手な
頓馬ごゑを倍々張り上げる人間の多い世の中だ。

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