津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

旧主を考える-8 宮部継潤・長煕

2007-09-13 07:45:17 | 歴史
 肥後細川藩士・芦田与兵衛、国友若狭の旧主である。継潤は善祥坊の名乗りの通り僧籍の出である。近江浅井氏の家臣であったが、これを裏切って秀吉の与力となった。本能寺の変後鳥取城主(50,000石)慶長元年息長煕(長房)に家督を譲る。慶長四年(1599)死去。一方長煕は関が原戦(慶長五年)に於いては一旦東軍に就くが、途中で西軍につきのち改易となる。家臣田中吉政(後・柳川城主)の画策だとされるが真偽は定かではない。

■芦田与兵衛は牢人し、慶長六年(1601)大阪に於いて忠興にお目見えし、大阪の陣に於いて活躍している。
■一方国友若狭は田中吉政に随い柳川入り、田中氏没落後細川家家臣となった。(田中吉政項参照)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする