一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

ひとのあかし

2016-06-25 07:06:49 | 読書


       私の故郷・福島県南相馬に若松丈太郎さんと
       いう詩人がおられる。

       4年ほど前、ある雑誌に原稿を書くため取材
       をさせてもらった。
       そのとき分かったのだが、若松さんは私の
       母校(高校)の国語教師だったという。
       (むろん時期がずれて私は教わっていない
        のだが)

       その若松さんが先日(2016.6.18)
       NHK・Eテレで詩人で翻訳者のアーサー・
       ビナード氏と対談をしておられた。

       題して「こころの時代<ひとのあかし>」

       若松さんはフクシマで起きた原発事故を
       18年も前に見通して詩にしていた。
       そのことを声高に語らない。
       居丈高になって自説を振りかざしたりしない
       ところがいい。
       
       番組をみていて分かったのだが、
       若松さんは岩手県の高校生のとき、金子光晴
       の「鮫」の中の「オットセイ」という詩を
       読んで感銘を受けた。

       みな同じ方向を向いて泳いでいる中で、
       一匹だけ違った方をみて泳いでいるオットセイ
       の話である。

       時は太平洋戦争の真っただ中。
       若松少年には群れているオットセイが戦争に
       なびいている帝国軍に見えた。

       これからしても若松少年の感性はたしかである。
       そして2011.3.11の震災。

       若松さんは知り合いの酪農家が自殺したことを
       新聞で知った。
       その時に書いた詩である。

     
       「ひとは作物を栽培することを覚えた
        ひとは生きものを飼育することを覚えた
        作物の栽培も
        生きものの飼育も
        ひとがひとであることのあかしだ

        あるとき以降
        耕作地があるのに作物を栽培できない
        家畜がいるのに飼育できない
        魚がいるのに漁ができない
        ということになったら

        ひとはひとであるとは言えない

        のではないか」

        
       番組を見終わって私は、
       ああ、いま故郷のフクシマを思う気持ちは
       こういうことだったのだと深く頷いた。


       『ひとのあかし』
           若松丈太郎(詩)
           アーサー・ビナード(英訳)
                      清流出版
 

       
  
       
 
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