梅雨空。
東京都のコロナ感染者が増え、
不気味な様相を呈している今日このごろ。
気分を変えて
今日は、太宰のもう一人の娘・太田治子について。
太田治子 (1947~)現在 73歳
母は『斜陽』の主人公のモデルとなった
太田静子である。
当時、妻子ある太宰は
文学を志す静子の間に娘をもうけ、
「治」の字を与えて認知。
太宰がもう一人の女性・山崎富栄と入水自殺した後、
静子は炊事婦や寮母をして治子を育てた。
(生家からも見放され、当然、太宰側からも
養育費をもらえなかったため)
母・静子の死後、
母の思い出をつづった『心映えの記』で直木賞候補
にもなる。
幼い頃から母の影響で絵画に親しんだ治子は、
美術への造詣もふかく、
NHK「日曜美術館」の初代アシスタントを
3年も続けている。
このように、
それぞれの道で花を咲かせた二人の女性。
哀しみも深かったろうと想像にかたくないが、
両者とも 父への恨み、つらみは一切語っていない。
蛇足だが、
通俗な編集者が「津島佑子・太田治子」対談を
幾度も試みたが、実現することはなかった。
二人の聡明な女性は、
決して「京雀」(または「江戸雀」)のような
低俗な誘いはなしには乗らなかったのでしょう。