唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

第三能変 科門

2010-07-30 23:56:01 | 心の構造について

 今、私の手元に「唯識三十頌科本」という法蔵館から出版された書物があります。三十頌を読むにあたって、そこには何が書かれているのかを知る道知りるべになるのが科文だと思うのです。ここ第三能変には三段九義として科文が施されていますが、元は『述記』によります。私は、最初は科文の意味が全くわかりませんでしたが、『論』を読むにつれ、先達の智慧に驚きを隠せなくなりました。『述記』本文は「此の能変に就て総じて九頌有って九門を以て分別せん。第一に能変の差別を出し、第二に自性、第三に行相、第四に三性、第五に心所相応、第六に三受倶起、第七に所依、第八に倶転、第九に起・滅。唯四頌有つて明かす所なり。知る可し。然るに中間に有る初遍行等の五頌は重ねて前の相応法の体を明かす。別に六識を分別する門には非ず。九頌有りと雖も総束して三段と為す。一に初め四門を明かす、即ち此の一頌是れなり。二に心所相応と及び三受倶とをいう、次の六頌是れなり。三に依止と倶転と起・滅とをいう、後の二頌是れなり」と記述されており、『三十頌』を読み解く上ではっきりとした方向づけがなされています。手元にある「三十頌科本」からより解りやすく説明しますと、次のようになります。

 三・第三能変相九門三(第三能変の相は九門有って、それが三段に分かれる) 初めに四門を明かす。

初めに能変差別を出す  次第三能変差別有六種

二に自性門         了境為性

三に行相門         相

四に三性門         善と不善と倶非

                       以上 ・ 第八頌

 二に二門を明かす二(第二段に二有り)初めに二門の二

五に心所相応門      此心所遍行別境善煩悩随煩悩

                不定

六に受倶門         皆三受相応

                       以上 ・ 第九頌

 二に重ねて六位の心所を明かす

遍行(5) ・ 別境(5) ・ 善(11) ・ 煩悩(6) ・ 随煩悩(20) ・ 不定(4)

                以上 ・ 第十頌~第十四頌

三に三門を明かす(第三段に三門を明らかにする)

七に所依門         依止根本識

八に倶転門         五識随縁現 或倶或不倶

                如濤波依水

                      以上 ・ 第十五頌

九に起滅門         意識常現起 徐生無想天

                及無心二定 睡眠与悶絶

                      以上 ・ 第十六頌

 以上が三段九義の科門になります。

 これから「重ねて六位心所を明かす」に入ります。法相唯識では、心所は五十一を数えます。これが六種(六位)に区分されますので、六位の心所というのです。即ち六位とは遍行・別境・善・煩悩・随煩悩・不定をさし、その心所総数は五十一になります。

第三能変は前六識(表層意識)、前五識と第六識になります。前という言い方は初能変・第二能変が深層意識として働いていることを意味します。簡単にいいますと、初能変(阿頼耶識)は純粋経験・人間の根底に在って、すべての経験を蓄積し記憶していく命の在り方です。しかし個人的な命の在り方で、世界が狭められています。また第二能変は末那識ともいわれ、我執のこころです。我執の心は寝ても覚めても、命ある限り、能動的に働いていますので、さらに世界を狭めているのです。この深層の世界の上に表層の意識が働くわけです。それが前六識といわれる、私たちが覚知できる意識なのです。覚知できるというのは、自覚できる心作用ということができます。自覚できるという働きが有るということが、自分の人生をどう切り開いていくのかを能動的に選択することが出来るということになります。しかし、その選択は深層の意識との関わりの中で決定されていくということになり、深層意識の解明が第三能変に課せられた使命を決定する重要なポイントになることは間違いがない所だと思います。