唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

第三能変 重ねて六位の心所を明かす ・ 遍行

2010-07-31 17:18:34 | 心の構造について
 「上来は已に六識の六門、一に差別、二には体性、三には行相、四には三性、五には相応、六には三受を解し訖んぬ。・・・」(『述記』)
 以上で六識の六門を説き、次に六位の心所について、個別に説明をする。
         - 心所の広釈 -
 「前に略して標する所の六位の心所において、今広く彼の差別の相を顕す応し」(『論』)
 「自下は重ねて六位の心所を解す。中に於いて二有り。初めに所説を標し、総じて教の興れることを顕し、次に随って解釈す。此れは即ち初めなり」(『述記』)
 (意訳) 前に略して標示してきたところの六位の心所について、これから広説し、その区別の相を明らかにする。この広説について、おおきく二つの部分からなる。初めに所説を標示し、教えの興ることを顕し、後に六位の心所の五十一について、一つ一つ説明する。ここは、その初めである、といわれています。
 私は、この唯識の解釈をするのに、第三能変の善の心所から歩みを進め、人間は善を為し得る存在であること、と同時に煩悩に翻弄され、悪をも為し得る存在であること、というより自己中心性にしか生きられない無明存在であることを深く自覚しつつ、学んでいく姿勢をもつことに努めました。これから六位五十一の心所について、学んでいくわけですが重複するところがたび重なると思います。その折はすこし駆け走しで進めてまいりたいと思いますのでご了解ください。
 「初めに五頌をもって心所を顕す。(五頌別解心所 ー  第十頌~第十四頌) 後に総じて心所と心とは、一とせんや、異とせんやということを料簡す。(総料簡王所一異)」
 初めに五頌をもって心所を個別に説明し、後に心所と心王は一つのものか、異なるのか、ということを論じる。
 問いによって論端を起す。(初めに論端を問起し、後に問に随って答す)
 「且く初めの二の位の其の相云何」(『論』)                                                                                                             (意訳) 初めに二の位、即ち遍行と別境の有り様はどうであろうか。 相 - (内面の本質が外面にあらわれた)すがた・かたち・ありさまをいう。
  • 初・遍行   初遍行触等
  • 二・別境   次別境謂欲勝解念定慧 所縁事不同
  • ・善     善謂信慚愧無貪等三根勤安不放逸行捨及不害
  • 四・煩悩   煩悩謂貪瞋癡慢疑悪 
  • 五・随煩悩  随煩悩謂忿恨覆悩嫉慳誑諂與害憍無慚及無愧掉挙與惛沈並懈怠放逸及失念散乱不正知
  • 六・不定   不定謂悔眠尋伺二各二             

 六位の心所と『唯識三十頌』本文を掲載しました。

 「頌に曰く、初めの遍行というは触等なり。次の別境というは謂く欲と、勝解(しょうげ)と念と定と慧となり、所縁の事不同なり」(『論』)

 「論に曰く、六の位の中に初めの遍行の心所というは、即ち触等の五なり。前に広く説きつるが如し」(『論』)

 遍行を解釈するのに二つに分かれる。初めに頌の初句を解釈し、後に遍行の意義を解説する。そして(「この五の遍行の自性と作業とは、前の第三巻の第八識のうちに、すでに広く解し訖る。・・・」)最初の触等の五はすでに一度前に広く説いた通りである。

 触等の五 - 触・作意・受・想・思の五つの心所

 (解説) 心王と心所の関係について鎌倉の良遍は「ソモソモコノ八識ハ、心ノ中ノ本ナルガ故ニ、是ヲ心王ト名ヅク。此ノ八ノ王ニ多クノ眷属アリ。是ヲ心所ト名ヅク、具ニハ心所有法ト名ヅク、略しシテ心所ト云ウ。是モ同ジク心ナレドモ、サマザマクサグサニ細カナル心ハコノ眷属トス。是ニ六位有リ。一ニハ遍行。是二五アリ。五コトナリトイヘドモ、ミナ心ノ起コルゴトニ普ク必ズアルガ故ニ遍行ト名ヅク。・・・」(『唯識大意』鎌倉旧仏教p129)と説明されていますように、遍行とは、心王が起こる時に必ず遍く起こる心の働き(心所)のことをいいます。それに五つ配当されているのです。いわゆる触・作意・受・想・思の五つの心所です。

 広説は『述記』によりますと、第三巻の記述を指すといわれていますが、『論』では巻第三の心所相応(五遍行)を指します。(『選註 成唯識論』p45~47)第八識は「幾ばくの心所と相応するや」と、問いを立てられ、詳しく説かれています。其の最後に「其の遍行の相をば、後に当に広釈せん」といわれており、この後がここの遍行の説明にあたるのです。したがって第三巻と第五巻に分離して遍行は説明されていることになります。第三巻においては阿頼耶識が如何なる心所と相応するのかにおいて述べられており、そこでは「常に触・作意・受・想・思と相応す。阿頼耶識は無始の時よりこのかた乃し未転に至るるまで。一切の位に於いて恒に此の五の心所と相応す。是れ遍行の心所に攝むるを以っての故に」と阿頼耶識と相応する心所は五遍行のみであることを明らかにしています。そして五遍行についての説明(定義・内容・働き・性格等)がされています。ここ第五巻では遍行に五つの心所があることを述べています。

 

                                     

 
 

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