『釈尊伝』 第二篇 第一章 合理主義
その一 仏教の歴史
釈尊につきましては、すでに申し上げたように、歴史上の人物として考えられることが現代の常識になっております。これに反するものは誤謬であるということにわりきられるのであります。そして、その釈尊の思想というものが発展し、いろいろと展開していった。そういう、いわゆる合理的な立場で仏教というものが考えられるということになってきております。
しかし、ただそこからは仏教を行ずる者は、必ずしも出てこなかったということであります。行ずるということは生活するという意味でありますから、したがって信ずるといっても良いわけであります。そういう意味の仏教は、釈尊の生涯がどういうものであるかということとは、全然関係がないわけでもありませんけれども ー、一応、直接の関係のないまま伝わってきた。つまり仏教の歴史というのは、むしろインドより周辺の地域にあります。周辺といいましても、主として東南地方よりはかになかったわけであります。西方へはどういう影響があったか、アフガニスタンくらいまで影響があったかもしれませんけれども、ともかくも主として南方地域、それから東方へ、中国、日本というふうにひろまってゆきました。
そうした仏教は、やがて仏教という一つの定型化ということになって、社会化されるわけでありますが、それと同時に仏教が歩みをとめてしまうということになってくるわけです。そうして近代をむかえることによって、逆に今度は仏教という意味が問われることになるわけであります。
ー 合理主義の問題 ー
ここは問題がございまして、いわゆる近代というのは、合理主義ということが基盤となっています。その合理主義に対すれば、仏教というものは、そのフルイにかけられるわけです。フルイにかけられて今まで考えられていたところの仏教というものの不合理な面、不合理なものが捨てられてゆくということであります。しかし、それによって仏教というものが正しく立ち直ることができるのかということがあります。不合理な面だけを取ってしまえば、仏教は立ち直れるがということになりますと、仏教というもの自体がなくなって、単に近代的な合理主義というものによって、世の中とともに押し流されてしまうということになるわけであります。しかし、そこに仏教そのものは、そういう合理主義というものに対して、どちらかといえば、キリスト教にくらべてより合理的だということで、ある意味でインテリ層においては支持を受けてきた。しかし、インテリ層の支持を受けるということは、単にそういう評価の支持であって、実際に仏教そのものに生きるということではないのであります。いわゆる外部的な立場からの支持にすぎないので、仏教そのものに自分が生きるということが崩されてゆくということです。それまで仏教に生きておった者が、不合理なものに生きておったということになりますから、不合理なるものを取り去れば、仏教そのものがよりどころのないものだということになります。 (つづく) 蓬茨祖運述より
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第三能変 受倶門 三受と倶・不倶を弁える。
「此等の聖教に差別(しゃべつ)の多くの門ありて、文の増広(ぞうこう)を恐れて、故(かれ)繁(はん)に述べず」(『論』)
(意訳) これらの聖教に、三受と五受を明らかにする多くの門があり、これらのすべてを述べると混乱をきたす。文の増広を恐れて詳しくは述べずに略す。
多門というのは『述記』に依りますと、三受・五受を説明する場合、その種類を分析し区別する多くの視点がある、そのことを「有報と無報と界地繋と何地にか断ずる等、名づけて多門と曰う」と述べられています。有は無に対して、形有る有質碍なもの、迷えるものの存在の世界を指します。界は三界(欲界・色界・無色界)地は九地を指し、これらに繋がれている存在は何地に於いて迷いの生存を断ずることができるのかを説いている門が多くあり、「繁広なること有らむかと恐って、故に略して応に上むべし」。ここは略して、詳しくは述べないということです。
- 三受が倶であることを述べる -
難陀等の説と護法の説が述べられます。最初の難陀等の説は三つの部分から述べられ、初めにその説を挙げ、ニにその主張の根拠を証し、三に論書の記述との矛盾を会通する。
問題は第六意識は三受と倶なのか・不倶なのかということです。
(1) 「有義は六識に三の受倶あらず。皆外門に転じて、互いに相違えるが故に」。
(2) 「五と倶なる意識は五が所縁に同なり、五いい三の受と倶ならば、意も亦爾るべし。便ち正理に違しぬ。故に必ず倶にあらず」。
(3) 「瑜伽等に、蔵識は一時に転識相応の三の受と倶起すと説けるは、彼は多念に依っていう、一心と説けども一の生滅に非ざるが如し。相違の過無し」。(『論』)
『述記』には初説は三性を弁ずるなかで初めに文を引いて解釈するのと同じ論法であると述べています。
(意訳) 難陀等の説は六識には三つの受が倶(並存)することはないという。何故に、すべて対象を外界に転じて、その対象はそれぞれ互いに相違するからである。五識と並存し活動する第六意識の所縁は五識の所縁に同じである。もし五識が三受と並存し活動するというのであれば、第六意識も、また同じであり、三受と並存し活動するといわなければならない。そうであるならば、これは正理に相違していることになる。その為、六識には三の受と倶ではない。(例えば、眼識が楽受と倶であり、耳識が苦受と倶であり、鼻識が捨受と倶である場合、それらの識と所縁が同じというならば、意識は同時に苦・楽・捨の三受が倶であることになり、それは正理に違する、という)また、『瑜伽論』等に「蔵識(阿頼耶識)は、一時に転識相応の三の受と倶起する、と説かれるのは、それは多念によってであり、一心と説かれてはいても、一つの生滅ではないようなものである。従って、相違の過失はないのである。(ここは会通です。会通は自説と相違する説が実は相違しないと解消するのです。論にいわれることは、同時にということではなく、多念による、即ち、時間の経過の中での一時という意味で述べられているのであると解釈しています。同時ということであるなら、同一刹那に三の受が並存することになるけれども、多念である場合はその証拠とはならないというのです。) 次回は護法の説(正義)を述べます。