<script language="javascript" src="/.shared-blogzine/decokiji/deco0911_illumination/deco.js"></script>
第三能変 起滅分位門
― 二定を解す (4) 無尽定 ―
滅尽定について概略
『瑜伽論』巻第五十三の記述を詳説しましたが、それに基づき概略を述べます。別名、滅受想定(受と想を滅した定)といわれます。不恒行と恒行の染汚との心・心所を滅し、無色界の第三処である無所有処の貪欲をすでに離れた有学の聖者あるいは阿羅漢が、有頂天である非想非非想処において寂静の心境になろうという思い(止息想)によって心の働きを滅して入る定、七転識が滅するだけで第八阿頼耶識は滅していないといわれる。
『論』では無想定の定義と同じく六段十一義を以て解説している。
「滅尽定とは、謂く有る無学・或いは有学の聖の。無所有までの貪を已に伏し或いは離れて上の貪不定なるは、止息想の作意を先と為るに由って、不恒行と恒行の染汚との心・心所を滅せしむるに滅尽と云う名を立つ。身を安和にならしむ故に亦定と名づく。偏に受と想とを厭にし亦彼(受・想)を滅する定と名づく。」(『論』第七・十三右)
(意訳) 初めに第一段五義が示されます。 (1) 得する人(倶解脱)を云う。- 三乗の無学(倶解脱の阿羅漢) (2) 得する所依と伏段の差別を云う。 - この定は、非想定によって起こるもの。非想定より前の無所有処までの貪欲は、或いは伏し、或いは離れなければ、この定は得られないことを顕す。上の貪とは有頂天の貪欲のことであり、この貪欲は、定の障りになるものと、そうでないものとがあって不定という。 (3) 前の出離想と別を云う。 - この定に入るきっかけは止息想であることを述べる。(後に詳説す) (4) 識を滅する多少を云う。 - 不恒行と恒行の染汚との心・心所を滅することにより、身を安和にならしめる。 (5) 名を釈す。 - 受と想を厭うので彼を滅する定という。
無想定と同じく初の一段五義をもって滅尽定の要点は述べられています。この五義について明日から述べてみたいと思います。 (未完)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます