唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

第三能変 起滅分位門 五位無心  二定を解す (3)

2010-12-02 23:21:55 | 五位無心

Care4npy     

   右の画像は堀川通りから見た西本願寺全景です。

     第三能変 起滅分位門

   ー  二定を解す (3) 無想定について  ―

 無想定の六段十一義の要である第一段五義の説明をしました。まとめますと、(1)得する人を顕す。 (2)離欲を顕す。 (3)行相を顕す。 (4)所滅の識を顕す。 (5)定の名を釈す。どのような人が、どのような欲を離れ、どのような認識のあり方をし、そしてどのような識を滅するのか、それは何と名づけられる定なのか、ということを述べていました。次に第二段・第六の義から第六段・第十一の義が解釈されます。概略を述べまして、滅尽定の説明に移ります。

  •  第二段の文・第六の義。三品修(上品・中品・下品)を云う。「此の定を修習するに品の別なること三あり。」
  •  第三段の文・第七の義。地繋を云う。 「此の定はただ第四静慮のみに属す。」
  •  第三段の文のうち第八の義。三性分別。 「又ただ是れ善なり。」
  •  第四段の文・第九の義。四業に於て分別する。 「四の業於ては三に通ず。順現受をば除く。」
  •  第五段の文・第十の義。起界地を云う。二義が述べられ、第ニ義を勝と為す。 「欲界に先に修し、色界において受果の処を除き、余の下の一切地(下三禅)・或いは一切処(下三禅と第四禅の下三天)において、みなよく重ねて引いて現前せしむ。」
  •  第六段の文・第十一の義。漏無漏を云う。 「此れは想を厭いて彼の果を欣って入するに由って、故にただ有漏なり。聖の起こる所には非ず。」

 以上が無想定の説明になります。無想定は有漏の定であると、それに対して、次に述べられます滅尽定は無漏であると。第六段・第十一義の『述記』の解釈を見てみましょう。

 「述曰。下は第六の文、第十一の漏無漏なり。凡聖をいうといえども、初の文にすでに異生と説くをもって、さらに別の門なし。 (何故、ただ有漏であって無漏に通じないのか、という問いに対して) 想を厭い、かの無想の果を欣い、この定に入るが故なり。 (教証をもって答える) 『瑜伽論』五十三に説く。「無想定には無漏の慧が現行することなし。此れより上には勝れたる住(滅尽定)と及び生(五浄居・無色界)とあるを以ての故に、未だ証得せざるところの諸の勝れたる善法を、証得する能わず。これに由って稽留誑横(けいるおうおうーあざむきとどまってまげる)の処なるが故に、聖の所入にあらずといえり。・・・」(『述記』第七本・六十七左)

 『瑜伽論』五十三には無想定の次に滅尽定の説明がされています。無想定の文と合わせて紹介します。

 復次云何無想定。謂已離遍淨貪未離上
T1579_.30.0592c14: 貪。由出離想作意爲先故。諸心心所唯滅
T1579_.30.0592c15: 靜唯不轉。是名無想定。此是假有非實物
T1579_.30.0592c16: 有。當知差別略有三種。一下品修。二中品
T1579_.30.0592c17: 修。三上品修。若下品修者。於現法退不能
T1579_.30.0592c18: 速疾還引現前。若生無想有情。天中所得
T1579_.30.0592c19: 依身。不甚清淨。威光赫奕形色廣大如餘天
T1579_.30.0592c20: 衆。定當中夭。若中品修者。雖現法退。然能
T1579_.30.0592c21: 速疾還引現前。若生無想有情。天中所感
T1579_.30.0592c22: 依身。雖甚清淨光明赫奕形色廣大。然不
T1579_.30.0592c23: 究竟最極清淨。雖有中夭而不決定。若上
T1579_.30.0592c24: 品修者。必無有退。若生無想有情。天中所
T1579_.30.0592c25: 感依身。甚爲清淨威光赫奕形色廣大。又到
T1579_.30.0592c26: 究竟最極清淨必無中夭。窮滿壽量後方
T1579_.30.0592c27: 殞沒
T1579_.30.0592c28: 復次若由此因此縁。所有生得心心*所滅。
T1579_.30.0592c29: 是名無想
T1579_.30.0593a01: 復次云何滅盡定。謂已離無所有處貪未
T1579_.30.0593a02: 離上貪。或復已離由止息想作意爲先故。
T1579_.30.0593a03: 諸心心所唯滅靜唯不轉。是名滅盡定。
T1579_.30.0593a04: 此定唯能滅靜轉識。不能滅靜阿頼耶識。
T1579_.30.0593a05: 當知此定亦是假有非實物有。此定差別略
T1579_.30.0593a06: 有三種。下品修等如前已説。若下品修者
T1579_.30.0593a07: 於現法退。不能速疾還引現前。中品修者
T1579_.30.0593a08: 雖現法退。然能速疾還引現前。上品修者畢
T1579_.30.0593a09: 竟不退。有學聖者能入此定。謂不還身證。
T1579_.30.0593a10: 無學聖者亦復能入。謂倶分解脱。前無想定
T1579_.30.0593a11: 非學所入亦非無學。何以故。此中無有慧
T1579_.30.0593a12: 現行故。此上有勝寂靜住及生故。又復此
T1579_.30.0593a13: 定不能證得所未證得諸勝善法。由是稽
T1579_.30.0593a14: 留誑幻處故

 「云何んが滅尽定なるや。謂く、已に無所有処の貪を離れたるも、未だ上の貪を離れず、或いは復已に離れ、止息の想の作意を先と為るに由るが故に、諸の心・心所の法ただ滅静にしてただ転ぜず、是を滅尽定と名づく。此の定はただ能く七転識を滅静するのもにして阿頼耶識を滅静すること能わず。まさに知るべし此の定は亦是れ仮有にして実物有に非ずと。」


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