とうやのひとり言

佐藤とうや ブログ

石原莞爾の墓所

2017年12月24日 | 日記

 元陸軍中将石原莞爾の墓所が遊佐町吹浦にある。それは、国道7号線沿いの道の駅「ふらっと」を右に見て、更に北上する事、数百メートル。左側に小さな看板があり、細い急こう配の道を登りきった小高い丘の上にあった。
 きれいに手入れの行き届いた墓所は、松林に囲まれて神秘なたたずまいである。記帳所があり、全国から毎日のように訪れている事が分かる。数本の花立には真新しい花が手向けてあった。没後70年もたとうとしているのに、敬愛している人が年代を超えて続いている事に驚かされる。
 石原莞爾は鶴岡の生まれで、陸軍中将最終階級の軍人である。終戦後の昭和21年に飽海郡高瀬村に移住し、仲間を指導して集団農場を拓いた。墓所にある石碑には「都市解体」「農工一体」「簡素生活」と印字されており、近くに集団農場の人たちが共同生活した建物も遺されている。
 陸軍中将石原莞爾は、関東軍参謀として満州事変と満州国建設を指揮した事で知られている。満州国に不干渉の立場をとった石原莞爾を、上司だった東条英機は受け入れず、対立を深めることになる。太平洋戦争では、今までの戦果を手放してでも回避すべきだと主張するも、これも聞き入れられず終わった。
 石原莞爾の思想は難解で分からないが、墓所を見れば現代にも通じる才覚の偉人だと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする