とうやのひとり言

佐藤とうや ブログ

幻のもち米「女鶴」

2010年12月11日 | インポート

002  正月が近づくと「もち」の需要が多くなる。お祝い事に「もち」がふるまわれる伝統は、今でも残っているが、昔は貴重な食べ物だったに違いない。建前に屋根からまかれる「もち」拾いに行ったものだ。子供が一歳になると「一升もち」を背負わせる。正月は鏡餅に雑煮餅。お盆にはうちわ餅で、田の神様にも「もち」お供えし、後でごしょうばんに預かるといった具合だ。
 私は昭和50年代に日本農業新聞の通信員で「山形・酒田」発の記事を書いていた。たくさんの記事を書いたが「よみがえる幻のもち米」は昭和55年8月22日付の東北版トップ記事で大きく取り扱われ反響を呼んだ。複数の新聞が後追い記事を書き、そのもち米「女鶴」は今では地域特産となり、静かなブームである。酒田市では長竿で倒伏し易い女鶴を改良し、短竿の「酒田女鶴」として品種登録をして、栽培の拡大を図っている。
 その記事の書き出しは「女鶴は明治初期、もしくはそれ以前に、民間育種家が作り出したもち米で、狭い地域で栽培されていた。親が「今田もち」とも言われているが、それに関する文献はない。古老の証言や、多くの農家に言い伝えられている事をまとめて、概要をつかむ以外にない」である。
 女鶴は、種子が細長く鶴のくちばしに似ていることから名づけられた事、柔らかくて腰が強く味が極上で、宮中に寒中菓子原料米として毎年献上されていた事、倒伏と病気に弱く消えかかっていた女鶴を一農家が細々と栽培を続けていた事などを書いていたものだ。
 記事は月間賞となり、編集部から激励の手紙も残っている。遠い昔の思い出である。

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