蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

火星の人

2016年02月09日 | 本の感想
火星の人(アンディ・ウイアー  ハヤカワ文庫)

火星の第3次有人探査チームの一員として送り込まれた主人公(マーク・ワトニー)は、激しい砂嵐に巻き込まれて、飛んできた機材が体に突き刺さってチームとはぐれてしまう。チームは彼は死亡したと判断して火星から脱出するが、ワトニーは生きていた。彼はチームが残した物資でなんとか生き延びて地球への帰還をめざすが・・・という話。

20世紀前半までは、地球上にも(いわゆる文明国から見ての話しですが)未踏の秘境があり、“冒険の旅”というものが成立していたと思いますが、それ以降、本当の意味での“冒険”はなくなってしまったように見えます。
このため、“冒険” の実体験を描いたノンフィクションはネタ切れ気味です。
そこで、古の冒険譚や架空世界でのアドベンチャーを基にしたフィクションが数多く書かれているわけで、本書もその一種なのですが、この手のものをそれなりの数読んできた私にとっても、本書はバツグンといっていいぶっちぎりの面白さでした。
主人公が最後には救出されるという結果が見えていても、そのプロセスが具体性とリアリティ満点で(私の主たる読書場所である通勤電車が目的地に着いて)途中で本の閉じなければならないのが(そのたびに)本当に残念に思えるほどでした。

リアリティ満点と言っても、理科に詳しくない者としては、書いてあることが(現在のサイエンスから言って)リアルなのかどうかは実はまったくわからないのですが、そういったド素人が読んでもリアルに感じられるように描いてあることが素晴らしいと思うのです。

もう一つ、本書の魅力は、ワトニーの相当にノリがいい(というか時に不謹慎な)乾いたユーモアにあります。ところが、映画化時のキャストは(ク〇真面目が似合う)マット・デイモン。(これから見に行く予定なのですが)かなりイメージずれていないか?・・・と少々心配です。
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神を哲学した中世

2016年02月06日 | 本の感想
神を哲学した中世(八木雄二 新潮選書)

キリスト教哲学・神学というと、無駄な学問の典型(失礼)のようなイメージがあります。実りのない議論を俗に「神学論争」などと言うように、世間的にもそう思っている人が多いかと思われますが、聞くところ(池田信夫さんのサイト)によると(以下引用)、
「すべての物体が落ちる速度が厳密に同じであることがわかれば、神の普遍性が証明去れる―――このように考えて実験したオクスフォード大学のスコトゥスの弟子は、遅くとも1335年には重力の加速度を発見した。ガリレオより300年近く早い」
だそうで、考えてみれば何千年も前のギリシャで人々がいろいろと考えていたこと(哲学)が現代にも伝わって尊重されているわけだから、人類の脳みそが考え付くことは、どれだけ時間が経過してもあまり変わらないのかもしれません。

本書の目次を眺めて、私としては、トマス、スコトゥス、オッカムといった(私でも名前だけは知っているような)有名哲学者の列伝みたいな内容を期待したのですが、実際には哲学そのものの解説が大半で、えー、はっきり言うと(私にとっては)面白くないというか、わけがわからんというか、そんな内容でした。

万能で慈悲深い神がいてこの世は神が計画した通りに創られ運営されている、というキリスト教進行のコアの思想?に対して、「じゃあ、なんで私は不幸なままで、悪人や堕落した聖職者とかがいたりするのか」という疑問は誰しもが抱くわけで、キリスト教哲学はこうした素朴な疑問に応えるための理屈をいろいろと編み出しているのだけど、理屈が強引すぎるわなあ・・・という印象でした。(信者の方が読んでいたらすみません。特にキリスト教に悪意があるわけではありません。無学者のたわごとです)
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